2021年 9月の過去ログ

2021-09-27

八ヶ岳南麓だより・ブドウ狩り

シャインマスカット








八ヶ岳南麓は朝から雨でまるで晩秋のような寒さだった。
ストーブをつけて暖を取ったが一日こんな空模様の気配だった。
外に出ることもままならずお昼過ぎまで部屋で読書をしていた。
昼食は昨夜のホウトウで済ませたが・・・実は一晩おいて煮凝りの様になったホウトウは嫌いではない。
一時半の予約でタクシーに迎えに来てもらって、2時7分の小淵沢発塩山行きに乗り、甲府の一つ手前の竜王で降りて姉に迎えに来てもらった。
お目当ては姉の果樹園でのブドウ狩り(と言ってもすでにもいであるものをもらって来る)
姉は私よりも2歳上で今年の12月に83歳となるが元気溌剌で今も現役で働いている。
果樹園の事務一切(ブドウ狩りの接客、帳簿管理、季節の果物類の出荷などなど)
加えて家事もこなし、果樹園で働く人たちの統括も。
車の運転も現役で遠出はしないが駅までの送迎ぐらいはこなし、買い物なども車で行く。
運転免許の返納はと言ったら、この地での生活は車無しでは成り立たないと言っていた。

実は今年は果物の収穫が早く、今月いっぱいでブドウ狩りは終わりだと言っていた。
それでも今の主力の商品であるシャインマスカットはまだあるそうでそれを目当てにお客が来てくれるのだそうだ。
そぼ降る雨の中、果樹園の駐車場には何台かの車が停まっていた。
そのシャインマスカットであるがこの数年彗星のように現れたブドウで何種かのブドウの交雑種で今あるブドウの王様と言っても過言ではない。
まず味は・・。ともかく甘い、そして皮ごと食べられてジューシーである。
種がないのも人気の所以であるが、難点は値段が高い。
普通の房でもひと房に1500円ぐらいの値が付く。
贈答用に大事に育てられたモノは化粧箱に入ってひと房5000円ぐらいはする。
私的にはもう少し酸味があっても良いと思うのだが・・・姉の所では40種類ぐらいのブドウを作っていて、このブドウをしのぐようなモノもあるが少数なので流行りとはならない。
義兄の言うにはこの苗が中国に流失していて早晩、安価なシャインが逆輸入されるかもしれないとのことだった。

姉は数種のブドウとシャインを箱詰めにして持たしてくれた。
姉の所では5月半ばからサクランボの収穫が始まり6月半ばにモモとなり、8月半ばからブドウとなる。
姉が嫁いで50余年になるがずっと旬の美味しい果物を食べさせてもらっている。
いろいろな贈答も姉の所の果物を送らせてもらっている。
感謝、感謝である。






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2021-09-26

八ヶ岳南麓だより・ほうとう

可も無し不可もなし







甲州名物といえば「ほうとう」の名前がまずあがる。
けれど、わたしが甲府にいた頃、昭和30年代にはまだ「ほうとう」を食べさせる店などなかった。
ほうとうは各家庭で作って食べる普通の食事だったのだ。
それぞれの家に流儀があって、味も違っていた。
ただ共通していたのは、自宅で打った太めの麺でうどんのように茹でることなくそのまま汁に入れて煮込む。
汁は味噌仕立てで具材は家によってそれぞれ。
「うまいもんだよカボチャのほうとう」という俗謡のような言葉があるが、カボチャは入れていたようだ。
我が家ではサトイモと大根を入れるのが定番でその他にんじん、白菜、ジャガイモなど季節の野菜を入れていた。
ちょっと豪華版にする場合は油揚げなども入れたが肉の類は入れなかった。
精進料理に近い位置づけだったようである。

わが故郷の身延町切石では「ほうとう」と言わず、「のしいれ」といっていた。
小麦粉を練って薄く延ばしそれを細く切ってウドン状にして汁にいれる・・・のしたものを入れるから「のしいれ」単純明快な名前である。
大抵、祖母が麺を打っていたが・・・母は嫁に来るまでは麺うちなど知らなかったようだ。
祖母の直伝で甲府に出てきてからもメニューの中に入っていた。
「ほうとう」の変り種として、「あずきぼうとう」というのがあった。
粒餡の汁粉の中に打った麺を入れるのである。
けれど、私の子ども時代には砂糖がほとんど無かったので、塩味のお汁粉でさすがにそれは辟易した。

さて、昨夜のほうとうの出来栄えであるが・・・可も無く不可もなし。
汁に入れる具材にサトイモ、大根がなかったこと。
ジゴボウは水で洗ってつけておいたら、エキスのようなモノが染み出してしまってどうやら味が半減してしまったようだった。
結局、カボチャとジャガイモと干ししいたけとジゴボウの汁になったが、出汁にする煮干なども無く削りぶしを使ったがコクが出なかった。
加えてほうとうについてきた味噌が化学調味料が使ってあるらしく後味が悪かった。
タカコサンはほとんど食べなかった・・・ひとなべ作ったので今日のお昼もほうとうである。

せっかくジゴボウが手に入ったのに惜しいことをした。






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2021-09-25

八ヶ岳南麓だより・高原の秋









二ヶ月ぶりの山荘行きである。
今年の夏はいろいろ重なって来る事が出来なかったが、天気も落ち着いたので出かけてきた。
小淵沢まで特急に乗り到着が11時50分だった。
すぐにタクシーで三分一湧水まで行き、ここで昼食をとった。
三分一湧水は八ヶ岳の伏流水が湧き出ているところで、公園として整備され、観光名所にもなっている。
そしてこの八ヶ岳の湧水で打つお蕎麦が目当てでこのところ大抵ここで昼食をとる。
今日は土曜日のせいか車が多く停まっていたが蕎麦屋は10分ほど待って名前をよばれた。
ディスタンスがちゃんと取られていて入店の際の消毒も守られている。
子ども連れが多かったけれど、ルールを守って食べていた。
ただ、犬連れが多く店の外ではワンワン・キャンキャンとうるさい。
私は鴨南そば、タカコサンは日替わり定食を頼んだ。
ここの蕎麦は土地のそば粉を使い手打ちである。
出汁もちゃんと取っていて東京の名店に引けを取らない
蕎麦屋の隣には物産館があり新鮮な野菜などが手に入る。
蕎麦屋から山荘までは歩いて10分ほどである。

八王子を出てくる時には小雨が降っていたが、八ヶ岳南麓は高く高く晴れ上がっていた。
荷物を背負って、夕食の食材を手に持って物産館を出ると空気が違っている。
「爽」という字がぴったりとする・・・胸いっぱい空気を吸い込んだ。
道々、コスモスの一群れがそこここにあり風に揺れている。
畑には蕎麦が植えられていて、花が終り実を付け始めている。

今回の山荘行きにはたくらみがあった。
久しぶりに「ほうとう」を作ることだった。
ただ、材料となる野菜類が全部は手に入らなかったけれどお目当ては庭先の「ジゴボウ」
この時期だけに生えるキノコでヌメヌメとしていて別名を鼻猪口(はないぐち)
ナメコの親玉のようなキノコで猪の鼻を連想させるのかもしれない・・・
これが良い出汁を出すのだ・・・今回はカボチャとジャガイモとしいたけだけで作る。
山荘について荷物を置いてすぐに探索・・・この何日か八ヶ岳南麓はお天気が続いたらしく得物はたくさんは見つからなかったが今夜の「ほうとう」には十分である。

この時期のもうひとつの楽しみは栗拾いであるが、今年はまだ新しいイガが落ちている気配が無かった。
もしかすると不作なのかそれともまだ時期が早いのか・・・



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2021-09-24

かたくら通信・昭和回顧

朝散歩







天気が落ち着いてきたのでまた朝散歩を再開した。
朝食をすませて8時半頃から30分ほど家のご近所を回ってくる。
以前、犬の散歩で歩いたショートコースなのだが歩数にすれば2500歩程である。
この時間帯になると町内は静まり返っていて、人っ子一人歩いていない。
従ってマスクの着用はほとんどしなくても済む。
夏の名残のような日差しが多少暑いけれど小汗をかくくらいでちょうどよい。
歩きながら家々の庭先の花々を眺めたり、時には落ち栗を拾ったりする。

気が付いたことだが、今年の生り物は小ぶりである。
特に落ち栗は小指の先ほどしかない・・・例年だと親指の先ほどは有るのに・・・・
柿の実なども何となく小ぶりで色付きはじめている。
わが家には生り物はナツメの木があるけれど、今年はなりも悪く実も小さい。
年によって生り年があるようだが今年は生りが悪い年に当たったのか・・・

時々、公園の近くで犬の散歩をしている人に会うが、いろいろな犬種がいるのに驚く。
まるでヌイグルミが歩いているような可愛らしい犬が多いが、私が飼っていた頃の野合による雑種など見当たらない。
その扱いは家族同様で、もしかすると自分の子よりも可愛がっているかもしれない。
乳母車にのせて日除けをつけて・・・あれは散歩とは言えないだろう。

もう一つ驚くのは、家々の車の多さである。
新築の家は殆どガレージが二台分取っている。
その代わり、庭などほとんどなく狭いスペースとなっている。
私が子どもの頃は自家用車など夢の又夢で、「アメリカでは一家に一台車がある」と聞いて驚いたものである。
大通りをトラックが走ったりすると追いかけて排気ガスのニオイを嗅いだものだ。
モノを運ぶ交通手段は荷馬車でのんびりと走っていたので遊びとして御者に分からないように荷台の後ろに乗ったりした。
牛車も走っていて。それは大抵、残飯集めの車かオワイ屋さんの車だった。
鈴を鳴らしながらやってきて残飯を集めそれは豚の餌になった。

交通手段は自転車で子ども用の自転車など買ってもらえないので大人用の自転車のサドルの下の三角の部分に足を入れて乗り方を覚えた。
三角乗りと言ったが、初めて乗れた時の喜びは今も忘れない。
小学校4年の時だった。




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2021-09-23

季節だより花だより・秋桜・酔芙蓉

流行り歌







バス停の前のコスモスの花が咲き始めた。
薄紅色と紅色が競うように花びらを揺らせている。
夏の終わりの頃から処処に黄色のコスモス風の花が咲き始めていたが、やはりコスモスは件の色でないと風情がない。
山口百恵が18歳の時に歌った「秋桜」を思わず知らず口ずさんでいた。

薄紅の秋桜(コスモス)が秋の日の 何気ない陽だまりに揺れている
此の頃涙もろくなった母が 庭先で一つ咳をする

コスモスの色と母の情景がメロディーと共に浮かんでくる。
山口は余り情感を込めずに淡々と歌っているのが良い。
またコスモスと書かないで「秋桜」という当て字も良い。
「秋桜」昔からある言葉かと思っていたら、これは作詞作曲の「さだまさし」の命名なのだそうだ。
さだまさしについてはちょっと・・・と思っていたが優れた歌人のようだ。

朝の散歩を再開して、ご近所コースを歩いていたところ、「酔芙蓉」の開花を発見。
朝であるからまだ花は真っ白であるが昨日の花が深紅の花びらを閉じていた。
不思議な花である・・・陽が高くなるにつれ白から紅色に変わり、夕方には深紅となる。
そして一日限りで花の命は終わるのだ。
この花を知ったのは「風の盆恋歌」という高橋治の小説。
舞台は越中おわらの風の盆・・・三日間にわたって胡弓の調べにのせて踊りあかすという盆の踊り。
こちらはドラマにもなり、「風の盆恋歌」という石川さゆりの歌もある。
作詞は「なかにし礼」であるが高橋の小説を下敷きにしている。
小説は中年の男女の恋の物語で風の盆の三日間だけ「おわら」の街で逢瀬を重ねる。
 
  蚊帳の中から花を見る 咲いてはかない酔芙蓉
  若い日の美しい 私を抱いて欲しかった
  しのび逢う恋 風の盆

高橋治は松竹の映画助監督で小津安二郎についたと言われている。
後に小説家に転身して恋愛小説の名手と言われていた今は忘れ去られている。
「風の盆恋歌」は新潮文庫で入手できる。
風の盆が有名になったのは高橋の功績が大だと言われている。
また、おわらの街では「酔芙蓉」を植えるのが流行ったとか・・・



 

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2021-09-22

季節だより風だより・仲秋の名月

満月







昨日は散歩を兼ねて午前中に生協に買い物に行ってきた。
お昼をまず買って(360円の海苔と鮭の弁当・・・これをタカコサンと2人で食べる)ひとわたり売り場を回ってみると、お萩と並んで団子を売っていた・
今年はお彼岸とお月見が並んでいるようだ。
お彼岸の方は覚えていたが、お月見は全く忘れていた。
どうやら年と共に、季節の行事を生協の売り場で知るようになってしまった。

一番小ぶりな団子を買い求めて、季節の果物も買って、月見の飾りをしつらえる事にした。
帰りに主役であるススキも公園に寄って何本か取った。
ススキを持ってブラブラと歩いていると買い物に向かうらしい親子に会った。
子どもは4歳ぐらいだろうか・・・爺さんがススキを持ってブラブラ歩いているのが珍しいらしく、母親に聞いていた。
と、母親もとっさに答えが出なかったようである。
「これはススキと言うんだよ・・・今夜はねお月見と言ってお月様がきれいに見える日だよ、このススキとお団子をお供えしてお月様を見るんだよ」
子どもには通じたどうか分からないが母親はうなずいていた。
どうやら、母親も月見などしたことのない世代であるらしい。

予報では今年の十五夜は薄雲がかかって好条件とはいいがたいようだが8年に一度の満月と十五夜が重なったのだそうだ。
そもそも、仲秋の名月とは旧暦の8月15日のことなので満月と仲秋の名月が重なることは8年に一度ぐらいしかないのだそうだ。
月が出るか出ないかわからなかったが縁台にススキと団子と果物をしつらえた。
7時の時点で東の空が明るくなっていたが月は出ていなかった。
そして、8時・・・外に出てみると雲間がくれに、月が顔を出していた。
薄雲がかかっていたが雲の切れ間から見える月は絶妙であった。
タカコサンを呼ぶと・・・感動しているようだった。
煌々と照る月も良いけれど、雲間がくれも風情がある。

10時、もう一度外に出てみると、雲はすっかり取れて月も中天に来ていた。
またもやタカコサンを呼ぶと、「良いモノをみたわ」と喜んでいた。
双眼鏡を出して月を捉えると、月のうさぎが見えた。
今宵は風流の一夜となった。
ところで十五夜に飾るススキは葉の鋭さが魔除けとなり人々の息災を守ってくれるのだそうだ。

昼間あった親子は今宵の月を眺めただろうか・・・


 

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2021-09-21

季節だより風だより・敬老の日

贈り物







昨日の朝一でお花が届いた。
大阪に住むH君の息子のM君だった。
H君のことについては我がブログに何度も登場してもらっているがM君についてはあまり詳しくは語らなかった。

まずH君であるが昨年の11月に旅立って逝った。
病は肝臓がんで子どもの時に受けた予防接種による肝硬変から癌に進行してしまった。
気が付いた時にはかなり進行していて出来る限りの治療をしたが帰らぬ人となった。
享年55歳でまだまだ先のある人生だったのにと思うと残念でならない。
彼の発病から旅立ちまで、息子のM君は献身的に尽くしてくれた。

実はM君にとってH君は継父に当たるのだ。
H君は大阪に行きつくまでに波乱万丈の人生があった。
私がH君にあったのは彼が10歳の時でそれから彼の生涯の5分の4ほどの年月を付き合ったことになる。
その間5年程空白の時があったが、大阪に落ち着いてそれから運気が向いてきた。
新しいパートナーを得て奥さんの才気によって20年程で運送会社を立ち上げ高級乗用車に乗るような身分となった。
M君がH君と生活するようになったのは、小学5年生の時ですんなりと親と子の関係となったようである。

H君の大阪での生活が落ち着いた所で家族の紹介をも兼ねてタカコサンと二人で招かれた。
その折に、M君はH君の様子を捉えて「父さんの家庭訪問のようだ」と言った。
前日は一日落ち着かず、そわそわしていたようである。
それを聞いて、「父さんの家庭訪問」という作品も生まれた
まずはM君がH君を父さんと認識していることで安心した。
以来、上京した時は我が家に寄ってくれたり山の家にも来てくれた。
M君が結婚するときには親族として紹介してくれて特等席に坐らされた。
H君が逝ってしまってここで関係が切れるのではないかと思ったが・・・
M君には子どもが二人出来て、その子たちが私たち夫婦を「東京の爺と婆」と認識していてくれるようだ。

有難いことである血のつながりよりもずっと大切なこともあるようである。
出来れば大阪の孫たちが小学校卒業ぐらいまでは見届けたいものだ。

 

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2021-09-20

季節だより風だより・敬老の日

失念







昨日のお昼ごろ、一本の電話がかかってきた。
町田の鶴川に住むS先生であった・・・先生は元同僚で、私の作品の「スミレさんの白い馬」「春さんのスケッチブック」のモデルでもある。
40年程前に退職されて以来ずっと切れることなくお付き合いをさせていただいている。
今年の8月で白寿(99歳)を迎えたそうだ。
私にとっての最年長のガールフレンドでもある。
電話は私の息災を尋ねるものであった。
開口一番、「元気そうな声で良かった・・・どうしているか心配していたのよ。」
「先生の方こそお元気そうで・・・声に艶がありますよ。」
私の方から息災を尋ねるべきなのに・・・気にかかりつつも日常茶飯事にかまけてしまった。
「朝のうちに庭の草取りをして、時間があると編み物しているの・・・何かすることがあるのは良いわよね。ヨダさんは相変わらず焼き物   しているの?」
「ボチボチです。大きいものは作れなくなったけれど、茶碗のようなものを引いています。ひと月に5〜6個というところかな・・・焼き物をやっていて本当に良かったと思います。ともかく自分一人だけで出来るし他人に迷惑は掛かりません。」
「そうね、なんでも没頭できる時間は大事よね」
老いというものは確実にやってくるけれどS先生と話していると、とても99歳とは思えないし、矍鑠という言葉がピッタリだ。
老いは個によって違うし、気持ちの持ちようであることも思った。

とそこで、20日(今日)が敬老の日であることを思い出した。
昔は敬老の日は9月15日と決まっていたので覚えていたが、国民の休日をお上の都合に合わせて変えてしまっているのであまりありがたみがない。
それに、敬老の日(9月15日)の翌日に父が亡くなったことを思い出した。
今年はそれを全く失念していたのだ・・・加えて39歳で旅立ってしまった竹馬の友のI君が15日だったことも忘れてしまった。
彼が亡くなってもう40年も経つわけである。
近々の内にとは言わないまでもそちらに行くのがそう遠くはないので、そちらで失念した失礼を謝ることにする。

タカコサンは自治会に77歳を申請しておいたので、先日贈り物が届けられていた。
特別仕立ての文明堂のカステラだった。
私は80歳だけれど、何もなし・・・お相伴に預かることにする。

 

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2021-09-19

好奇高齢者の生活と異見・過剰報道

4候補







当分政治向きのことは空しくなるので書くまいと思っていたが我慢できなくなった。
連日、J党の総裁選びのニュースでテレビ番組がジャックされてしまったようだ。
選ばれた総裁が次期の総理大臣になるのだから国民も無関心という訳にもいかないだろうが、それにしても過剰である。
おそらく、総裁選が終わればすぐに衆議院の選挙が行なわれるのでJ党の顔を決めるのは重要なことだろう。
けれど、これだけ連日過剰と思われるような報道はいかがなものかと思ってしまう。

立候補している人の主張は大同小異でそれほどの違いがあるとは思えない。
ただ、元総理のモリカケとサクラを観る会の問題について新しく総裁に選ばれた人がどの程度解明に動くのか興味のある所だった。
しかし、一番最初に立候補すると名乗りを上げたK候補は当初は解明に動くような言動を滲ませていたが今は完全に腰砕けの状態。
もう一人の若手のK候補(一番人気だそうだが)も曖昧模糊、彼のスローガンはJ党を変えるのだそうだが、過去の清算失くして改革などありえないと思うのだが・・・
そして、女性候補としていち早く名乗りを上げたT候補は後ろ盾が元総理だけに究明などとんでもないことに違いない。
私は党友でも党員でもないのでこの選挙に関わることなど全くないがこの候補の右寄りの発言はいたく気になる所だ。
J党のコアな支持者が推していて、ネット上などでは一番人気だそうだ。
私的には総裁はともかく総理大臣にだけはなってほしくない・
もう一人女性の候補であるNさん・・・彼女だけは元総理の問題について解明すると公言しているが・・・
また、彼女の立候補の言の中に時代を担う子どもたちへの目線があり、弱者の立場にたとうとしている姿勢がうかがえる。

スカさんが稼いでくれた不人気もこの総裁選で選ばれた人によって回復があるに違いないが、対する野党が埋没してしまっているように思えてならない。
大同団結をして政権を奪取するような気概が見えてこない。
一時期チャンスだったように思えたのだがなぁ・・・
だれを選んでも同じ・・・選挙に対する幻滅だけは避けたいものだ。

我が国の政治は選挙によってしか変えることが出来ないのだから。



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2021-09-18

透析日記・相性

あ痛たたた








透析患者同士の交流はほとんどないことはすでに何度か書いた。
特にコロナ禍になってからは一人一人の登院する時間が限定されていて、待合室で待つことはほとんどなくなり、ベッドに直行する。
ベッドに横になると隣同士で話したりすることもほとんどないし、針刺しの順番をじっと待つだけだ。
勿論、患者同士の情報の交換などもあるわけでなく、周りの人たちが何を考えているかもほとんど分からない。
会っても、挨拶すらしないのだから・・・・
針刺しの時の痛みや不満などを語る相手は全くいないのだ。
しかし、私の場合平穏無事に過ぎた時は良いが、痛い思いをしたり辛い思いをした時、誰かに聞いてもらいたいと思うのだが・・・
家に帰ってタカコサンに話してもその痛みや辛さは共有は出来ない。
そこで、いろいろな憤懣をブログに書くことでガス抜きをしているのだ・・・お許しあれ。

とまぁ・・・先日、ポリープを取った後の透析の際に入れるべき薬を忘れた40代の看護師のことを書いた。
昨日はその看護師にあたってしまった。
針を刺す血管が二本あるのだが、普段絶対に痛みがないはずの血管に強烈な痛みが襲った。
めったに声を揚げたりしないのだが「痛い、痛い、痛い」と大声を出してしまった。
どうやら針を神経に当ててしまったようだ。
結局、やり直してもらったが痛みはそのまま残り、今日もまだ痛い。
残念ながら繊細さに欠けて、プロとしての仕事が出来ていない。
私だけでなく、ほかにもそのような場面を目撃している。
彼女は人が良さそうで普通の看護の仕事をしていれば十分にやっていけるのだろうが・・・
私との相性がすこぶる悪いのかもしれない。
相性が悪いとお互いに緊張して構えてしまうので、血管も固くなるのだそうだ。
針刺しの人がたくさんいるわけではないのでローテションとして順繰りに挿していくので忌避することは出来ないのだ。
運不運みたいなもので下手くそに当たると痛みを4時間我慢しなければならないのだ。

自分のことばかり書いたが、彼女もきっと、私には当たりたくないと思っているに違いないだろう。







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2021-09-17

なごみ食堂・ビストロ・シェ・リキ

口腔工事記念祝






昨日は歯の治療が無事に終わった記念に久しぶりに町田に出て食事をした。
治療が終わったのが12時だったのでタカコサンに駅まで来てもらって同行した。
彼女は2時の予約で美容室に行くので付き合ってくれたのだ。
町田でのお目当てはJR町田駅の東口の広場のような所にある洋食店。
ビストロ・シェ・リキという店で開店以来ずっと贔屓にしている。
この店のシェフはリキさんと言い、実は40年近くの付き合いである。
彼は我が家から車で10分ほどの所にあったレストランでシェフをしていて、彼の作るソースがずっと気に入っていた。
ところがこの店が土地改良などのゴタゴタで閉店してしまい彼のソースが味わえないと嘆いていたところ町田駅の近くに開店。
以来、町田に行くと寄るようにしてきたのだ。

この店は奥さんと二人で仕切っていて、ランチタイムなどに娘さんが手伝っていたこともあった。
客席は満杯で15席ほどのこじんまりした店で、トイレは店内に無く、近くの店との共同になって店の外にある。
従って食事だけを目的とするお客ばかりで長居をする人がいないために回転が良いようだ。
出す料理はイタリアン系でソースもそれ風だがともかく私の好みの味なのだ。
この店でいちばん好きなのはカツレツでメニューは鶏肉なのだが、私は特別にポークで作ってもらっている。
カツを揚げるというよりも、焼くに近くチーズがのっている。
これに彼の作るドミグラスソースが良く合い、付けあわせも焼き野菜でかぼちゃ、ニンジンカブなど季節野菜を取り合わせる。
タカコサンによるとこの店のビーフシチューも絶品だそうだが私は食べたことがない。

大阪にいたH君は町田の鶴川で教えた人だがかの地で運送会社を起業して成功したが昨年の11月に旅立ってしまった。
その彼が前の店時代からシェフの作るハンバーグが好きでこの世で一番美味しいと言っていて上京するたび店に寄っていた。
さて、昨日であるが・・・久しぶりのご褒美にステーキ(これも絶品で焼き方も好みに合わせてくれてソースと良く合う)でも食すつもりだったが、コロナの影響でランチのみの営業。
メニューを限定してしまって食材に無駄が出ないようにとの事で、ステーキは無し。
そこで
お気に入りのポークカツレツをオーダーして久しぶりに堪能。
至福の時間、食事をすませるとすぐに横浜線で折り返して人流を避けるようにした。






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2021-09-16

健康生活・口腔工事

褒められた








今日で口腔の治療がすべて終わった。
始まりはトウモロコシを食べて奥歯が欠けてその架橋工事からだった。
残っている歯の根を土台にし、更に歯肉に杭を打って橋を架けた。
その間にまた前歯が折れて・・・それもトウモロコシであったが、同じように杭を打って差し歯にしてもらった。
都合、6回通って工事の方は無事に終了した。
今日は総仕上げで、すべての歯の点検とクリーニングであった。
この点検は一応、半年に一回行っているが、ご案内が来ると、なぜか虫歯が痛くなったり、歯が欠けたりするのだ。

私の通っている歯医者は20年程の付き合いとなるが名人である。
なるべく歯を温存してくれるようにして、保険診療の範囲でベストの治療をしてくれるのだ。
ブリッジなど架けても揺るぎないようにぴたりとはめてくれる。
差し歯も違和感のないように、自然の歯のように入れてくれる。
インプラントもできるようだが、決して勧めたりはしない。

今日は工事完了につき、自前の歯が80歳でどのくらいあればベターなのか聞いてみた。
すると、20本だそうだ・・・しかしそのカウントは完全に残っているモノだけでなくともかく自前の歯に橋を架けようが冠をつけようがカウントされる。
「ヨダさんの場合は24本自前の歯があります。立派なものですよ」
と褒められてしまった。
この所、他人に褒められることなど全くなかったので、嬉しかった。
もうこの年になると、入れ歯が主流なのだそうだ。

思えば、小学校5年生になるまで虫歯が一本もなかった。
これは私の育った時代と関係があるようだ。
戦中・戦後で甘いものなど全く口に入らなかった。
砂糖がない時代で主流はサッカリン,ズルチンなどという後味の残る合成甘味料だった。
それが中学・高校に入るころ・・・経済成長と共に歯医者を友にするようになってしまったのだ。

ともあれ。24本の自前の歯は自慢しても良いらしい・・・









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2021-09-15

かたくら通信・休日の過ごし方2

超歌舞伎







この所はっきりしない天気が続いているので出かけることもままならない。
加えてコロナ禍である・・・夫婦共にワクチンは2回打ったもののやはり自粛ムードもあって遠出は出来ない。
実はタカコサンは京都に超歌舞伎を観に行く予定だった。
ホテルもとりチケットも知り合いに頼んで取れるばかりしていたが、やはりいざ行くとなると躊躇ってしまったようだ。
すると、動画の配信があって私のタブレットで見られることが分かった。
けれど有料で、特別の操作をしないと動画までたどり着けないので孫のリョウに来てもらうことにした。

そもそも超歌舞伎なるものが現代技術の最先端と古典の歌舞伎が結びついたものである。
タカコサンも孫のリョウも以前から興味を持っていて、まだコロナが流行する前には幕張メッセまで観に行ってきた。
今回の京都の公演は歌舞伎の発祥の地とも言うべき地の南座であった。
京都に住む大学時代の友人と一緒に行く予定だった。

その仕組みについては良く分からないのだ、最先端テクノロジーで創造された「初音ミク」というキャラクターと実際の歌舞伎俳優である中村獅童が歌舞伎の古典を演じるのだ。
初音ミクは年齢16歳で身長158センチ体重42キロと設定されている。
ちょうど実在の少女ぐらいの設定であってそれが歌舞伎役者と絡んで演技し、物語を進行させていく。
この歌舞伎の面白いのは観客も巻き込んでいきペンライトを使って物語に参加できるのだ。
ある意味では未来型の歌舞伎と言ってもよいであろう。
歌舞伎には大変興味を持っていて数多くの演目を観ているタカコサンがかなり入れ込んでいるところを見ると魅力的な芝居と言っていいだろう。
それに孫のリョウも興味を持っていてタカコサンとメッセまで同行したぐらいだから・・・

京都行きを断念した代わりに3000円で自宅にいて鑑賞できるのは安いものだ。
そこで歌舞伎見物の雰囲気をさらに盛り上げるために仕出し屋から豪華幕の内弁当をとって食した。
私は現代テクノロジーと古典の融合がどうしても理解できずに超歌舞伎は観なかったけれど、幕の内だけはご相伴に預かった。



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2021-09-14

かたくら通信・休日の過ごし方

小旅行







私にとって休日とは透析のない日で、火木土日である。
しかし、火と木は午前中は前日の透析の影響でボーッとしている。
となると、休日は土日で、これが愉しみで生きているようなものだ。
祭日は全く関係なくその日が月曜日であれば透析に行かなければならない。
来週の月曜日は秋分の日であるが、透析に行かなければならないわけだ。
貴重な休みである土日はうまく使えば小旅行ぐらいは出来る。
今年は何度も利用は出来なかったが、八ヶ岳の山荘にも行くことが出来る。
山荘行きの場合は土曜日の午前中に家を出て土・日と泊まって、月曜日の朝帰ってくれば、透析は午後なので充分に間に合う。
コロナがなければもう少し活動範囲を広げて一泊二日ぐらいで行ける栃木、千葉などに行ってみたい。
実は、10月の半ばに新潟に行ってこようと思っている。
新潟市のバンダイジマというところにある美術館で私が東京で見そこなった展覧会をやっているのだ。

もしかしたら以前ブログに書いたかもしれないが・・・戦後、キャバレーのボーイから身を起こしてハリウッドという店を日本各地に開店してキャバレー王と言われた福富太郎。
彼は昭和の時代には何度もテレビに登場して我らの世代の人は知っているかもしれない。
若いころ鏑木清方の絵に出合い、コレクターとなる。
彼の審美眼で集めた絵は独特で河鍋暁斎がまだ有名になる前にコレクションしている。
また、戦時中に描かれた「戦争画」も優れたものをもっていて絵に対する造詣も深い。
今回は、戦争画の中の「軍人の妻」(満谷国四郎作)をどうしても見たくてタカコサンに話したところ同行してくれることになった。
すぐにホテルを手配して、近々の内に切符も購入するとのこと。
調べたら、八王子から3時間半ぐらいで新潟まで行けるらしい。

そこで新潟の小千谷に住むY君に電話したところこの展覧会は観たいとの事で合流することになった。
かれも同じホテルに宿をとって久しぶりに語り合うことになった。
翌日は新潟市内を案内してくれるとの事だった。
実は私は父親の仕事の関係で新潟で生まれ1歳半までいたのだそうだ。
全く記憶がないが生まれた地を見てこようと思う。

なんだか夢のような話となった。






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2021-09-13

季節だより花だより・金木犀

季節の境







今朝はめずらしく6時前に目が覚めた。
しばらく、布団の中にいたが、思い切って起き上がった。
窓を開けると、薄曇りでお日様は出ていなかった。
身づくろいをすませて、朝のルーティーン(血圧を測り、指に針を刺して血を出し、血糖値を測り、腹部に同じく針を刺しインシュリンの注射をする)
時計を見ると、6時半・・・ここであそこに行けばきっと拾えるに違いない。
顔も洗わず外にでて、「あそこ」に行ってみた。
残念、道は掃き清められていて一粒も拾えなかった・・・栗の実である。
掃除をしているのは栗の木のある対面のご主人で落ち葉一つなくきれいになっていた。
かの家のご主人は私と同年ぐらいなので子どもの頃、栗の実を拾ったに違いない。
そして、そのおいしさと有難さを知っているのだろう。

チョット気落ちしたけれど、すぐに家に帰って朝食をとった。
そして、久しぶりの朝散歩に出かけて行った。
街は馥郁たる香りに包まれている。
予想よりもはるかに早く金木犀は開花したようだ。
一つ開くと伝搬していくのだろうか・・・街全体の金木犀が開き始めるようだ。
自然の摂理というか、不思議さを思う。

子ども達の登校はすでに終わったらしく、町は静まり返っていた。
と、突然のようにつくつく法師が鳴き始めた。
お日様も雲間から顔を出し、気温もみるみる上がっていくようだった。
夏の最後を謳歌しているようで、今日の一日が暑くなりそうだった。
予報によれば八王子は30度近くまで気温が上がるそうだが・・・ちょうど透析に行く頃が暑さのピークになるに違いない。
散歩道にはまだ秋の花は早いようで、ムクゲの花が咲き誇っていた。
もうしばらくすると酔芙蓉の花も咲くに違いない。
お目当ての家の前に行くと、すでに蕾が膨らみ始めていた。

もう一年程空き家となっている家の草ぼうぼうの庭にミズヒキ草がひょろりと伸びて垣根から顔を出していた。
ムラサキシキブの実も染まり始めている。
どうやら季節は夏の名残と秋の始まりのところに来ているようだ。

わが家では玄関先の鉢植えのべコニヤと日日草が復活してシャンとなっていた・






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2021-09-12

好奇高齢者の生活と異見・J党総裁選

候補者






スカ総理大臣が総裁選に立候補しないことを受けてJ党では何人かが次期の総裁に名乗りを上げた。
当初から立候補を予定していたのはキシダさんである。名乗りを上げると同時にその政策を発表したが、これと言って目新しいこともなく当たり前のことばかりだった。
けれど、彼は妖階幹事長の再任はしないことを明言した。
ただ、アホベ元総理の一連の不祥事についてはそれ以上追及するつもりはないらしく腰が引けているようだ。
可もなく不可もなくいつまでたっても2番手の候補というところか・・・

続いて名乗りを上げたのはアホベ元総理の腰巾着のようなタカイチ・サナエ何とか大臣。
彼女は超右寄り一朝事あらば戦いも辞せぬという気構えで憲法9条などどこ吹く風らしい。
こんな人が総理となったら中国と一戦構えるかもしれない。
アホベ元総理の覚え目でたく、お墨付きをもらったようだ。
経済政策ではアホノミクスならぬサナエミクスなる二番煎じのような政策を掲げた。
私的には最も総理になってほしくないお人である。

さて3番目に控えしは・・・政治家一家の3代目で祖父も父も手が届かなかった座がぶら下がっている。
祖父は戦後まもなく兎角を表した河野一郎・・・私が子どもだったころの何とか大臣であったが早世してしまった。
そして父はハト派で有名な河野洋平、彼もJ党の総裁まで上り詰めながら総理の座にまでは届かなかった。
息子のコウノ・太郎はスカ総理には可愛がられ将来を嘱望されていたようだ。
ただ彼の所属していた派閥はアッソウ副総理の所で、総裁選出馬については諾の返事はもらえなかったという。
もしかして、コウノのような人は暴れ馬みたいなものでアッソウさんでは御しきれないと思ったのだろうか。
さて、彼は出馬にあたっての会見では威勢のいい言動はなく、今まで主張していた原発稼働反対の姿勢も・・・現実的ではないと容認の発言。
アホベ元総理の一連の問題についても敢えて追及せずということらしい。
完全に忖度してしまったようだ。
会見のあと、記者から「日和った」とヤジが飛んだそうだが、「結局、お前も何も変えられず、アホベ監督内閣になってしまうのか」

もう一人、人気は高いが一番隅に追いやられているイシバさん・・・この人も情勢を見てということらしいが、あまり期待できないようだ。






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2021-09-11

健康生活・秋散歩

金木犀







1週間ほど前から左足の太腿の筋が痛くなって、足を引きずりながら歩いていた。
触ってみると筋肉が固くなって抑えると痛い。
無理して歩いたり、何か過激な運動をしたわけでもない、ともかく思い当たる節がないのだ。
そこでとりあえず湿布薬を張っておいたところ、しばらくは痛みが治まった。
しかし、昨日の朝からまた痛くなり・・・これは湿布でしのぐ段階ではないと思った。
そこで、片倉台シルクナードという商店街にある整体に行くことにした。
ここの整体は「キネシオ治療院」と言って特殊なテープを貼って治療する。
けれど、テープ治療はスポーツで筋を痛めた重症の患者さんにするみたいで、私のような軽度な痛みは電気マッサージと手技で直してしまう。

実はここの治療院の院長は私が日野市の小学校で教えた頃の教え子だ。
町田から転勤して日野市に勤め始めた時に最初に受け持ったクラスにいた。
当時3年生で男前であったが、、あまり目立つような児童ではなかった。
どのような経過で整体師になったのか・・・どうやら「キネシオ治療」の発案者のお嬢さんと結婚したご縁だったようだ。
我が家の近くに開院したことは知らなかったが、そのシルクナードにあった本屋さんで私の作品展をした時に尋ねてくれた。
それから筋肉関係で困ったことがあると通うようにしている。
けれど、私よりもタカコサンの方が足繁く通うようになり週に1回は行っている。
週一で筋肉をほぐしてもらうと調子が良いそうだ。

さて、私の太腿の痛みであるが・・・コロナと炎暑そして長雨の影響で散歩の回数が減ったことにより筋肉が衰えてしまったのだそうだ。
「以前より足が細くなりましたね」と言われてしまった。
「無理しない程度に歩いたほうがいいと思います・・・目標は一日おきで良いから5000歩ぐらいは歩いてください」と言われた。
特に大事はない様だったが年相応に歩くことをす勧められた。
要するに老化現象の一つなのだ。
天気が治まったらまた散歩生活を始めようと思う。

帰り道、生垣が金木犀のお宅の前を通るとほのかに香りがしてきた。
「馥郁たる香り」まだ香りはそこまでは行っていないが、間違いなく秋の到来である。
後、1週間もすると住宅地全体が馥郁たる香りに包まれるに違いない。






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2021-09-10

季節だより風だより・秋の実り

栗の実







久しぶりの晴れ間に散歩を兼ねて生協まで行ってきた。
と、家から50メートルほど歩いた所で栗の実を見つけた。
ちょうど親指の先ぐらいの大きさの山栗であった。
わが家の裏は石垣が連なっていて土留めとなっているが、その石垣の上は自然がそのまま残っている。
そこは茂みとなっていて小鳥たちの棲家となっている。
また、雑木も生えていて栗の実やドングリが道路まで転がり落ちて来る。
栗の実はイガごと落ちている場合とイガから爆ぜて実そのものが落ちている場合がある。
今回は実が落ちていて周囲を探すと6個ほど拾うことが出来た。

私だけでなく栗の実を拾う人はいるらしく・・・おそらく崖の前の道路を清掃している人と思われるが、私はその人のおこぼれを頂戴している。
朝早く起きて拾いに行けばかなりの量を拾えるはずだがそこまで意欲的ではない。
おこぼれ頂戴が身の丈に合っているようだ、それでもシーズン中に両手いっぱいぐらいは拾うことが出来る。
拾った栗は貯めておいて茹でて食べるが・・・これが結構おいしい。
もう一つ・・・石垣の上に登ればアケビが採れるのだが、80歳の年を考えると危険なので控えている。

この地に来たばかりの40数年前には石垣をよじ登って茂みをかき分け山の獲物採集したものだ。
この地には山芋もあって名人たちが掘りに来た形跡もあった。
しかし山芋堀は道具がないと掘り起こすことは無理で諦めた。
その代わりムカゴをとって茹でて食べた。
今時まだ家の近くに山栗が落ちてきたり、李やアケビが成っていたりするのは珍しい事かもしれない。
小動物ではタヌキが住んでいるらしく、近所のお宅の庭に出てきたのをみたことがあった。
猪はこれだけ住宅地が山に迫っていると出没は聞かない。
ともあれ、駅までは多少の不便は有るけれど、緑に囲まれ、秋の実りも拾え、朝は小鳥たちの鳴き声で起きる。
四季の移ろいを豊かに感じられるのは至福のことかもしれない。

おそらく生を全うするまで、この地は離れないと思う・・・





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2021-09-09

好奇高齢者の生活と異見・保釈金一億

IR汚職






カジノを含む総合リゾートをめぐる汚職事件で収賄罪と証人等の買収に問われた衆議院議員の秋元被告の裁判判決がでた。
彼は当時IR担当の副大臣でIR参入を目指していた中国企業から758万円の賄賂を受け取りなおかつ、中国・マカオへの旅行.・・・中国企業が182万円相当を負担。
そのほか講演料の名目で200万円もらったり、北海道の旅行…中国企業が76万円を負担した。
証人等の買収については、収賄容疑で逮捕され3000万円の保釈金を払って保釈中に中国側の顧問2人に虚偽証言の見返りに3500万円の提供を持ちかけた。
今回の裁判の判決は懲役4年の実刑判決と追徴金が758万円だそうだ。
秋元被告は大変怒っているようで、無罪を主張してただちに上告した。

新聞記事をまとめると以上のようだが・・・贈賄と買収を除いても豪華旅行に招待されたり、講演料として200万円もらったりではその罪を疑わざるを得ない。
IR事業なるものは大変儲かるようで・・・カジノだけとっても公設の賭博場でその上りは計り知れない。
先日行われた横浜市長選でもIR導入が争点となり反対派が当選。
IRに参入させてもらえば758万円の贈賄や182万円の旅行費用負担など一日の上りですんでしまうはずだ。
副大臣という要職がどれだけの力を持ちうるのか分からないがこれだけ投資してくるところを見ると相当な権限を持っているに違いない。
「李下で冠を正さず」という諺があるが要職であればあるほど身は清廉潔白としなければいけないはずだ。

驚くのは秋元被告は最初の保釈で3000万円、虚偽証言でまた逮捕され保釈金は8000万円、そして今回の判決のあとの保釈金はなんと1億円だという。
金の成る木でも栽培しているのだろうか・・・即座に払ってしまうのがすごい。
やはり衆議院議員というのは儲かる職業なのだろうか・・・
もっと、驚くのは次回の選挙に出馬するべく準備をしているのだそうだ。

これだけの判決が出ながら彼が所属していたJ党からはコメントも何もない、
彼を任命したアホマスク元総理大臣も知らん顔である。
任命責任というものをどのように考えているのか・・・党籍を離脱すれば一件落着という訳なのだろうか。

彼の選挙区の人々は再び彼に投票するのか興味のある所である。






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2021-09-08

好奇高齢者の生活と異見・コロナ収束

庶民感情






9月20日に麻生太郎副総理が81歳を迎えるそうである。
我とおなじ歳ということは昭和15年生まれで太平洋戦争開戦が1歳の時、終戦が5歳で小学校入学が昭和22年。
それから今に至るまで世の中の移り変わりを見てきたのだろうが、どうやら庶民とは程遠い光景を見てきたに違いない。
麻生家は北九州を基盤とする財閥の一角でその系譜を見ると歴史に名を遺したような人たちが並んでいる。
現皇室とも姻戚関係があるらしく、今も大金持ちとして君臨しているらしい。

彼は小学校入学からして一般庶民と隔たりがあり昭和22年という混沌の時代に私塾のような「麻生塾小学校」なるものに入学し3年生の時に上京し学習院初等科に編入。
おそらく我らのように戦後の荒廃した風景など見ていないに違いない。
庶民の感情、生活とは無縁のところで成長して今に至っているのだろう。
このように見ていくと、何となく一般の人々とは無縁で、庶民感情を逆撫でするような発言の多々が分かるような気がする。

昨日も閣議後の記者会見で「コロナは曲りなりにも収束し全うした思いがあったのだと思う」スカ総理大臣の気持ちを代弁しているつもりなのだろうが、スカさんは不出馬の決意を「コロナ対策に専念するため」と言っている。
収束しないからそれに向けて頑張ろうと決意したと庶民感情では理解するが、麻生さんは何をもって収束したというのだろうか。
おそらく6日の東京都の新規感染者の数が1000人を割ったことを根拠にしているに違ない。
けれど、感染の猛威は全国的に見ればまだまだ続き自宅待機の患者数も減ってはいない。
国の最高責任者の一人がこんな能天気な発言をするので政治の世界も混沌。
なんだかキングメーカーを気取っていろいろ画策しているようだが、もう戦前生まれの時代は終わったのだ。

潔くやめて新しい人たちに任せるべきではないだろうか・・・
83歳の妖階幹事長は引退の模様・・・アソウさんもぜひそれに習って欲しい。







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2021-09-07

かたくら通信・定期預金

年率0,01パーセント






このところ何度もシステム障害を起こしている銀行から1年満期の定期預金が9月半ばで満期になるというお知らせが来た。
ほったらかしにしておくと自動的に来年の9月半ばまでまた定期預金となっておろせなくなる。
もし、お金が必要になって中途解約にすると手続きが面倒で1時間以上待たされる。
そこで、この際だから満期で卸す形にして普通預金に入れることにした。
この手続きについてはATMでできるのではないかというので、タカコサンに付き添ってもらって八王子支店に行ってきた。
一応、係のお姉さんに手伝ってもらって手続きは完了・・・もちろんタカコサンがやってくれたのだが、モノの5分ぐらいで終わった。

さて、その定期預金なるものだが大した額が入っていたわけではない。
軽自動車の中古が買えるぐらいの額であった。
その金額を一年間預けて利子は・・・110円だった。
満期のお知らせの郵便代で半分以上使うことになり、電車に乗って夫婦二人で八王子まで行く運賃だけで大赤字。
今、預貯金に対する利子はないに等しいのだなぁ…送られてきた通信によると、定期預金の金利は0,01パーセントだそうだ。
今から30年ほど前のこと・・・郵便局の定額預金の金利が8パーセントなどという時代があった。
ちょうどその頃、叔母が亡くなって彼女が積んでいた預金がいくつか満期となっていた。
叔母は切石の郵便局に勤めていたのでボーナスのようなものはせっせと預金していたのだ。
それらがみな、倍以上の金額になっていて驚いた。
夢の又夢のような時代があったのだ。
その頃、退職金を預金しておけばその利子で生活できるなどと言っていた人もいた。

もう、余生は何年も残されているわけではないので生活できるだけのお金があればいいと思っているが、0,01パーセントはひどいではなかろうか・・・
アべ政権の頃から低金利の政策は変わっていないようだ。
日銀の総裁も未だそのままではないか・・・
J党はオリンピックが終わって今度は総裁選で盛り上げようとしている。
アホな副総理はコロナは収束に向かっているなどとほざいていたが総裁選で国民の心配をそらしているだけではないか・・・
見渡したところあまり変わり映えしない候補者ばかりのようだが、郵便代にもならないような金利ぐらいは上げて欲しいものだ。




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2021-09-06

健康生活・架橋工事

完了







ちょうど夏の始まり頃だった。
大好きなトウモロコシを食べている時に左の奥歯に違和感を感じた。
そして食べ終わった時に修繕していた被せモノがとれてしまっていた。
どうやら土台となる歯が折れてしまったようである。
次の日、朝一で片倉駅前の歯科医院に電話したところすぐに診てくれるとの事であった。

診断の結果、折れた歯は使い物にならないので新たに土台を埋め込んでそこにブリッジを架けると説明された。
どうやら80歳も過ぎると歯ももろくなるようである。
修復には週一回通って3週間ほどかかると言われた。
とりあえず橋がかかるまで、できた空間に詰め物をしてくれた。
けれど、3日もすると外れてしまって、また通院した。
それから何日かたって、凝りもせずにまた、トウモロコシを食べたら今度は前歯が折れてしまった。
奥歯は殆ど見えないけれど、前歯の抜けた空間はいっぺんに年寄り顔にしてしまうことに気が付いた。
まさに「は抜けジジイ」である。
幸い、マスク習慣のおかげで口元は見えないので恥ずかしくはない。

ここも仮の歯を入れてくれて、同じく折れたので土台を作り直して人工の歯を入れてくれることになった。
予期せぬ連鎖反応に、工期は伸びて終了は9月にずれ込むと言われた。
この間に凝りもせず、またトウモロコシを食べてグラリと来てしまった。
トウモロコシは前歯を使わないと齧れないのだ。
タカコサンにはあきれ果てられた。

今日はいよいよ前歯も入って工事完了の日である。
朝10時の予約で、歩いて15分かけて行って来た。
前歯はピッタリと嵌った・・・セラミックの素材なのだろうか、真っ白で多少周囲の歯との違和感があったがこれで当分何かを齧ることが出来そうだ。
秋の果物は齧るものが多いからなぁ・・・

梨、リンゴ、大好きな柿それに栗なども前歯で齧って皮を剥く。






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2021-09-05

季節だより花だより・木槿

秋の季語







朝からはっきりしない天気だった。
そして降りそうで降らない一日となり、午後から薄日が差してきた。
この所、透析に行く以外はほとんど外出することもなく、家で過ごす時間が多い。
何をするでもなくただただぼんやりとしている。
久しぶりにショートコースの散歩に出てみた。
けれど、この時期は目を楽しませてくれるものが何もない。
かろうじて、百日紅の花が咲いているくらいである。
その色もそろそろ百日も終わりに近づいているせいか、色あせて見える。
かつて北野駅前に有った三晃堂書店の主人テンさんの母堂がこの花を表して、「おサルさんのお尻のような色」と言っていたが言いえて妙・・・特にこの時期の花はそれに近い。

一回りして戻ってくると、我が家の庭に一輪の花が咲いていた。
白い花びらの中心が赤い・・・宗旦槿である。
夏の茶花として愛でられ、特に千宗旦が好んだので名付けられた品種だそうだ。
実は、タカコサンが茶花として植えたものだが、この春剪定をして花芽も大胆に伐ってしまったので、咲くことはないだろうと思っていた。
近寄ってみると一輪だけでなく、下の方にもう一輪あった。
蕾もいくつかあるようで我が家の庭を華やかにしてくれそうだ。

槿の花は一日花で朝に開花して夕方にはしぼんでしまう。
韓国の国花でいろいろなものに意匠化されているそうでホテルの格付け、韓国軍の佐官の階級章、警察の階級章にも使われているそうだ。
我が国では秋の季語で芭蕉の句に「道のべの木槿は馬にくはれけり」がある。
一茶は「それがしも其の日ぐらしぞ花木槿」と詠んでいる。
木槿のわずか一日の栄の儚さに共鳴しているのかもしれない。

斎藤茂吉は「あらたま」の中で「雨はれて心すがしくなりにけり窓よりみゆる白木槿のはな」とうたっている。
ちょうど我が家でも窓越しに見える一輪がこの歌とピッタリである。








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2021-09-04

好奇高齢者の生活と異見・不出馬

分を弁える







スカ首相の総裁選不出馬を聞いたのはちょうど透析に行こうと家を出る時だった。
ニュースが流れ記者会見が行われたがそっけないモノだった。
モノの2分間ぐらいだったろうか・・・コロナ対策に専念するために総裁選で戦う選挙運動はとてもできないとの趣旨だった。
怒声のような記者たちの質問が後を追ったが振り向きもしなかった。
どうやら熟慮の末というよりも延命のための万策が尽きたという感がした。
ある意味ではやめることがJ党にとっても国民にとっても最善の策だったのかもしれない。

驚いたのは野党の人たちではないだろうか・・・これだけ不人気な党首を相手に戦うのだから組みしやすしと思っていたに違いない。
けれどスカさんもJ党も不人気であっても野党の支持率がそれほど伸びている訳ではない。
野党が政策をすり合わせて大同団結すれば政権奪取も夢ではなかったが残念。
野党、特にR民主党は国民を納得させるような政策を打ち出していない。
今、人々が何に困っているのか具体的な対応が見えてこない。
おそらくこれからしかるべき人がJ党の党首に選ばれれば、大敗は免れて、政権もそれなりに安泰となるだろう。
ただ、新しい党首がどれだけ長老達の意を排除できるかである。
妖階幹事長は81歳で引退するだろう・・・一番腹立たしいアッソウ副総理にもぜひぜひ引退してほしい。
勿論、体調が悪いのだからアホ元総理もこの際引退。
そうすれば多少空気の通りもよくなって世の中が上向きになるやもしれぬ。

それにしてもスカ総理は総理としては不適格で分のわきまえが足りなかった。
官房長官として総理を支えていた時はまだよかったけれど、表舞台に立った時に自分の能力の限界を知ったのだろう。
商店で言えば番頭さんとして有能でもそれが大店の主人となったら右往左往してしまう。
私もどちらか言うと番頭タイプの人間で長を任されたらその能力はなかったに違いない。
自分では分を弁えたつもりで・・・「長」の付くものには初めからなるつもりはなかった。

大学の同期でクラスの男性陣が6名いてその内私を除いた5名は校長になった。
その中でも1名は全国小学校校長会の会長になった。
彼は学生の時は学生運動で旗を振り官憲にも目をつけられたと言っていたが。教員の世界に入ったとたんにみるみる頭角を表し出世していった。

その能力は分相応だったに違いない。






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2021-09-03

好奇高齢者の生活と異見・池袋事故・判決

免許返納








上級国民などと言われた飯塚幸三被告の判決がでた・・・禁固5年だそうだ。
この量刑が順当であるかどうかは分からないが2人の人間の将来を奪ってしまったのだ。
それも3歳の子どもとその母親で31歳である。
遺族の無念を思うと察して余りある。
飯塚被告は裁判においてこの事故は車のブレーキとアクセルの故障によるもので自分には罪がないと無罪を主張していたそうだ。
科学的な精査の結果車には異常がなくブレーキとアクセルの踏み間違えと結論付けた判決のようであるが、この判決を否定して上告するかどうか・・・
裁判長の言葉の中に「被告の過失は重大。説明は信用できず、深い反省を有しているとは言えない」とあった。
そしてさらに「証拠上あなたの過失は明白だと判断しました。裁判所の認定に納得できるのであればまずは被害者、遺族に自らの責任を認め過失を認めたうえで真摯に謝っていただきたい」と言っていた。
被害者の遺族である松永さんは「被告の控訴する権利は尊重している。だが、争いを続ける限り亡くなった2人が愛してくれた自分ではなくなってしまう。争いを続けたくない。私には決められないが(控訴は)してほしくない。

私が免許を返納したのは75歳の誕生日を迎えた時だった。
タカコサンからは70歳を過ぎた頃から返納するように言われていたが、75歳が近づいたあたりから運転に自信がなくなってきた。
事故まがいのことも起こってきたので大事にならないうちに・・・と決心した。
当初は車が無くなったことでの不便は多々あったけれど、今は全くの未練はない。
今は大きな過ちを起こさなくてよかったと安どしている。

飯塚被告の社会的地位から言えば人に頭を下げることが出来ないようになってしまっているのだろうが、やはり被害者にきちんと謝罪して罪を償うのが順当だろう。
無罪を主張するのは晩節を汚したという思いだろうか・・・
今まで築いてきた名誉を失いたくないという思いだろうか・・・
その胸中は分からないが何となく当初から不遜な態度が見え隠れしていた。
ともかく潔さのようなものが全く感じられなかった。
禁固刑と刑務所内における強制作業は免除されるのだそうだ。
考えようによれば、きちんとした食事が与えられ、健康管理もしてもらえてシャバにいるよりも長生きできるかもしれない。
透析の日々よりもよいかもしれないぞ・・・

ただ、孤独地獄は味わわなければならないだろうが・・・死んだ人や残された遺族のことを思えば当然の報いだろう。









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2021-09-02

季節だより風だより。秋の訪れ

診察







カレンダーが9月になったとたんに秋がやってきたようだ。
私の場合は秋になると必ずシグナルが起動する。
足の脛の搔痒である・・・特に透析を受けるようになってからそれが顕著となった。
ともかく痒いのだ・・・日中はそれほどでもないが、寝床に入って身体が温まると猛烈な痒みが襲ってくる。
透析患者はそれ用の薬を処方してくれるそうだが、私は市販の保湿剤でしのいでいる。
いろいろ試してみたが今のところ一番身体に合うのは近江兄弟社から出ているクリームだ。
塗ると2日ほどは効いているがまた戻る。

今日は処方箋を持って薬局に行く日だったが、市販のクリームでは対応できない薬をもらうために北野駅近くの皮膚科のクリニックに半年ぶりに行ってきた。
クリニック院長の誕生日が昭和14年11月29日、私は15年11月30日なのでちょうど一歳違いで同時代を生き抜いてきたので親しみを持って接してくれる。
「おう、久しぶりだね・・・元気そうだね」とまず声をかけてくれた。
半年間の健康状態を報告して先日のポリープ切除のことも話した。
「ヨダさん長生きするぞ・・・一日おきに医者に診察してもらえるのだろ。私なんかもうボロボロだよ」と笑いながら言った。
数年前から悩まされていた前立腺の病を摘出したことで少し元気になったと言っていた。
「先生、相変わらずギターを弾いているの」と問うと、
「コロナでコンサートは開けなくなったけれど練習だけは続けているよ」
院長は月に一度近くのカフェを借りてミニコンサートを開いていたのだ。
チャンスがなくて一度も聴きにいくことが出来なかったが、コロナが終息したらまた開くという・・・意気軒昂である。
「ヨダさんは焼きものは続けているの・・・」
「ボチボチやっています。月に2・3度ロクロの前にすわるかな・・・」
「この年になるとうまくなろうなどと野心は起こさず、ともかく続けることだね」
「読書の方は・・・私は外国ミステリー専門だけれど一年に300冊は読んでいるよ」
「私は時代小説専門で年に50冊ぐらいというところです」
「ところで、今日は何の診察なの・・・」
「いつもの薬を5本出して下さい」
「了解、また半年後ね・・・」
これで診察は終わりである。
80歳と81歳の会話、まだまだしぶとく生きられそうである。
元気をもらって帰ってきた。

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2021-09-01

好奇高齢者の生活と異見・床屋談義

怒れ若者







妖階幹事長を引きずり下ろすことによって、自分の総裁選での戦いを有利にしようとしている希死田さん。
それに対して妖階さんも含めて党役員人事を刷新しようと言い出したスカさん。
加えて、解散総選挙を9月半ばにやろうというではないか・・・
コロナの行方も定まらず、自宅療養で亡くなっていく人が報じられている昨今、国民は全く置き去りにして党利党略というよりも、J党内部での権力闘争に見えてくる。
スカさんはすでにシニタイのような様相であるがそれでも権力に執着する。
早くやめてもっと若い人にその座を譲って楽になれば良いのにと思うのだが・・・

いずれにしろどんな奇手を打っても、J党は大敗するのではないか…ど素人が考えてもそのような結果は見えている。
しかし、大幅に今の議員の数をJ党が減らしてもK党との連立で過半数を維持すればいいわけで、両党ともコアな支持者を持っているので結局何も変わらないのか・・・
J党にはコアな支持者が30%近くいるという。
今回の選挙ではK党も必ずしも安泰と言えず両党合わせも過半数を割った場合には大阪を基盤とするIの会と連携する。

ここで分からないのはJ党のコアな支持者30%の人たちである。
これだけ無策、無能な内閣でも見捨てずに支持し続けている人達。
実はこの人たちが日本の政治を動かしているのではないかと思う。
選挙をすればこの30%の人たちは必ず選挙には行くに違いない。
投票率が50%前後の昨今、この30%の力は大きい。
この30%の人たちはおそらく50代から上の人たちではないだろうか。
若者たちの多くが選挙を棄権している・・・今こそちゃんと選挙によって政治を変え国を変えていく力となってほしいのだが・・・

渋谷でワクチンを打つために行列した若者たち・・・その大半は打つことが出来なかった。
若者達よもっと怒れ、これからの世界を変えていくのは君たちである。
80過ぎた老人たちが権力を握っている限りこの国に未来はない。

いずれにしろ今回の選挙が未来を開いていく転換点になることを期待しているのだが・・・






yodaさんの投稿 - 09:46:29 - - トラックバック()