2021年 10月の過去ログ

2021-10-31

季節だより風だより・時雨の日

国政選挙







「今日は時雨の日なり。はらはらと降りしと思えば止み、止みしと思えばまた思い出したるように降りいず。」
徳富蘆花の「自然と人生」の冒頭の文章である。
このフレーズは過去のブログで何度か書いたように思うが・・・中学の時の国語の教科書に載っていたもので担任の伊東先生に暗唱するように言われた。
そのお陰で齢(よわい)80歳を越してもまだスラスラと口をついて出て来る。
勿論、これに続く文章も覚えているが今回は割愛。

さて、今年初めての時雨の日、あいにく今日は国政の選挙の日である。
この時雨は八王子限定ならば良いが・・・投票率に影響が出ないと良いのだが・・・
8年近くも続いたアホノミクスの政治に審判が下されるわけで、あれだけ国民を馬鹿にしたような政治をして失墜もせず、陰で相変わらず権力を握り自分の思うようになるようにゴリ押しをしているそうだ。
それを良しとするのかどうか国民一人一人が問われていると思うのだが・・・
我が八王子ではアホ元総理のお気に入りの人がJ党から出馬していて今も何とか大臣を務め盤石だそうだ。

時雨の合間を縫ってお昼過ぎにタカコサンと投票に行ってきたが12時時点の投票率が22パーセントだった。
心なしか今までの選挙よりも高いような気もするが行きかう人達は殆どお年寄りばかりである。
若い人たちはハローインなどという訳の分からん西洋のお祭りに浮かれているのだろうか。
昨日の渋谷の交差点の人出はすごかったそうだ。
散髪の帰りの京王線でハーロインの仮装をした親子づれを見たが親がハシャイでいて、魔女の扮装をしていた子どもが恥ずかしそうだった。

金曜日の夜、透析の帰りに乗ったタクシーの運転手が今回の選挙について息巻いていた。
J党もダメ、コバンザメのようなK党もだめ、野党もどれもみんなダメ。
けれど、大阪方面で立党した党だけは議員報酬と議員定数を3割削減すると言っているのであそこに入れるんだそうだ。
年令を聞くと昭和20年生まれで今年76歳になった。
身体はボロボロで心臓の弁マクを豚の臓器で代用していると言っていた。
それを聞いて家までの道中がチョット怖いと思ったが来年は引退するのだそうだ。

ともあれ、一票を投じて自分の意志を表すのだと言っていた。





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2021-10-30

なごみ食堂・1050円の愉楽

ラーメン・カレーセット








待望の「えびすや」のラーメンを食してきた・・・これまで3回空振りだったのだ。
京王線に乗って南平まで行って歩いて10分・・・これだけを目的としてワザワザ出かけるのはきつい。
そこで、月に一度の散髪と組みあわせていくのだが、7月以来で3カ月ぶりである。
7月はコロナの自粛営業のためにお休みだった。
8月は夏休みをとったのかお休み・・・この時はひどい目に遭った。
せっかく出かけて行ったのに・・・お昼を食べ損ねるところだった。
近隣の食べ物屋やファミリーレストランが廃業してしまっていた。
駅から床屋までの間にあった三軒の町中華も一軒を残して廃業。
残った一軒は駅のすぐそばで戻るのに10分かかる。
炎天下に昼飯を求めて一往復半歩いて30分かかった。
そして一軒残った町中華がやたら量が多くて美味くもないし不味くもないが・・・再度はごめんこうむりたい。
9月は・・・もう店も始まっているだろうと思って期待に胸を膨らませ行ったところ、10月29日から店を再開いたしますと張り紙がしてあった。
この時はすぐ近くにあった牛丼屋に入ってカレーを頼んだがすこぶる付で不味かった。

今回こそは昨日から再開しているので床屋との組み合わせで出かけて行った。
店が近づくにつれて期待の胸が高鳴った。
と、店の前に5人ほど待っているではないか・・・散髪の時間まで40分ほどあるのでここは待つしかない。
一応、床屋に電話を入れて10分ほど遅れる旨を伝えた。
懐かしい30年も馴染んだ匂いがただよってくる・・・待つ時間も愉しみに入っているのだ。
けれど、いくら慣れ親しんだ味とは言えラーメン・カレーセットは80ジジイにはきつい。
でもやはり両方味わなければ「えびすや」に行く意味がない。
「この店のカレーとラーメンの味は子供向けではありません」とつっけんどんな張り紙が店先に貼ってある。
ラーメン・カレーセットは1000円で食券販売機で買い求める。
そして、そのほかに現金で50円出すと玉ねぎマリネが付く・・・これはキムチの元と酢と玉ねぎを合わせたモノでスコブルつきで辛い。

3カ月も休んでいたのに味は変わっていなかった・・・もしかしたらバージョンアップしたかもしれない。カレー用のステンレスの容器も新しくなっていた。
しかし、やはりセットを完食するには歳をとりすぎたようである。
それでも何でも1050円の愉楽であった。

そして、就寝前の血糖値、軽く250越え‥‥嗚呼




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2021-10-29

透析日記・処方箋

朝昼晩の仕分け








月に二回血液検査がありその結果をもって処方箋が出る。
透析2年も経るとほぼ飲む薬の傾向も決まってくる。
まずは透析患者の傾向として、カリウムが過多となるらしい。
カリウムは主に果物や野菜などに入っているのでそれが禁忌となると苦しい。
しかし、私の場合はカリウムの数値は問題ないのでほぼ普通に食べている。
もう一つ厄介なのはリンが過多になることである。
リンは主に小魚類に入っているのだが特にしらす干しなどが好きという訳でもないので食べなくてもすんでいる。
しかし、ソーセージやハムの肉の加工食品やチーズなどに多く含まれているのでこれは避けるわけにはいかない。
そこで、徐リン剤なるものが処方されている。

ともかく、数えて見たら12種類もの薬が処方されているのだ。
それらも、朝昼晩と毎回飲むもの、朝だけ飲むもの、朝晩飲むもの、晩だけ飲むものと分かれていて、それらをきちんと仕分けしておかないとパニックとなる。
処方された薬を毎週日曜日の夜に仕分けをするが、それだけで30分ぐらい時間がかかる。
そして仕訳したものを1週間、曜日ごとに透明の小袋に入れて見えるところに貼ってある。
もし飲み忘れてもそこを見れば一目瞭然で、飲み忘れはほとんどない。
ただ厄介なのは食前に飲まなければならない薬がある。
それは糖尿病の薬でインシュリンの出を活発にするもので食前の10分前に飲むことになっているのだが・・・外出した時など良く忘れる。

薬の種類で一番多いのは胃薬でこれだけたくさん飲むので当然、胃の調子が悪くなるので、胃の粘膜を修復したり、胃の粘液の分泌を促したり、胃酸の分泌を促したりする。
しかし、副作用として便秘、下痢、気持ちが悪い、味覚異常が現れることがあると・・・
実は今、一番悩んでいるのはこの胃の症状である。
胃薬を飲んで胃の調子を悪くしては洒落にもならない。
もひとつ現在の体調で気になるのは貧血である。
血気盛んなように外見は見えるが数値的には貧血症状だそうである。
これの対処は鉄剤を投与するのだが・・・これが厄介。
鉄剤は便を固くする作用があって、今まで経験しなかった便秘が起こり、合わせて大痔主となってしまっている。

いずれにしろ現在の元気は血液の浄化と多くの薬によって支えられているようだ。






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2021-10-28

透析日記・刺針

透析昨今








今月の初めより透析の時間が30分早まって、2時頃から始まり、6時に終了し、家には7時前に帰ってくるようになった。
おかげで食事時間と後かたづけが早く済むと、大喜びだ。
透析も2年も過ぎると生活の一部となって、「イキタクナイ」を言わなくなった。
痛みに耐えるコツも分かってきたし、透析中の4時間をどのように過ごすかも知恵がついてきた。
否が応でも一日おきは専守しなければならないのでどこで愉しみを見つけるか考える。
患者同志の交流も会話も一切ないので人付き合いの愉しみはない。
ともかく挨拶をしても返してこない人がほとんどなのだ。

看護師や透析技士たちとの会話は有り、上手、下手もあるけれど、誰に刺針をしてもらえるかが最大の関心事だ。
大体3人一組のクルーとなっていて、ベッドの順番で針を刺していく。
上手な人がやると刺す時も痛くないし、そのあとの4時間も痛みなしで過ごせる。
下手がやると刺す時から痛く、4時間も耐えることが出来ない。
その差は何なのか良く分からないがまず相性があるのかもしれない。
相性が悪いと最初から構えてしまって刺す血管も硬直するらしい。
技術については患者の立場に立っていかにしたら痛くなくさせるかを研究する・・・・
一人、青年で大変上手な人がいたが、他人が刺すところを見ていたり自分でも針を刺す角度などを練習していた。
しかし、春の移動で転勤してしまった。

どうしても相性の悪い人は40過ぎた女性の看護師でともかく失敗が多い。
失敗してもただ謝るだけでどうしたら失敗なしにできるかを考えようとしない。
残念ながら向上心がないのだ・・・
新潟に行った時に、医者のY君に「うまい・へた」について聞いてみたところ、「若い時にちゃんとまじめに練習したかだな・・・」と言っていた。
どうやら注射をさすのを軽く見る傾向があるのだそうだ。
思えばどこの世界でも基礎をきちんと身につけるのは何より大事・・・
私の経てきた教師の世界も全く同じなのだ。

さてはて、明日はどんな出会いがあるのやら・・・
つつがなく終わってくれると良いのだが・・・・





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2021-10-27

学びの窓・開校150周年

50年







昨日の午前11時頃、八王子在住の教え子のHさんが訪ねてきた。
彼女は今から50年ほど前に世田谷の若林小学校で4・5・6年と担任した人だ。
当時私は新婚ホヤホヤで調布市の集合住宅に住んでいた。
始めの頃は京王線で通っていたが2年目に車の免許を取り自動車通勤となった。
家からは車で40分ほどかかり学校の近くに環七があり排気ガスに悩まされたものだ。
学校は世田谷区で一番古く、学校番号が1番だった。
けれど学区域の雰囲気は下町的で保護者達も友好的であった。
学校の近くには世田谷線(玉電)が通っていて三軒茶屋や渋谷方面に行くには便利だった。
しかし何かあると、上北沢の方に出掛けることが多かった。
また名勝として松陰神社があり、足を延ばせば豪徳寺もあった。
季節的な行事では暮と小正月に開かれる「ボロ市」が有名で世田谷通りにたくさんの市が立ち、人出も多かった。

それまで私は東京の西のはずれのあきる野市の小学校に勤めていたのでいきなり都会の学校に転勤となって戸惑いもあった。
子どもたちにとっても異人種のような田舎丸出しが来て戸惑いがあり、件のHさんなど「絶対にあの先生のクラスになりたくない」と思っていた処、3年間もお付き合いすることになり、更にその縁で今も時々声をかけてくれて50年以上の付き合いとなっている
ところでHさんは、自分の姪の子どもが若林小に通っているとかで・・・今年が若林小の150周年だそうである。
そこで一文を寄せてほしいとの事であった。
ちょうど、私が在籍していた時に100周年記念行事が行われた。
私は6年生を担任していたので子どもたちの活動の中心となって働いた。
そしてこの100周年の時の忘れられないこととして・・・「100周年記念の歌」なるものの「詞」を造らされた。
一番は・・・小さな若木がすくすくと育って100年たちました・・・と 後を覚えていない。
二番は・・・代田の岡の細道を歩いて100年たちました、絶える事なく沢山の人の歩いた道でした・・・
3番があったかどうか覚えていないが当時の音楽専科S先生がメロディーをつけてくれた・・・今思うと稚拙な言葉の羅列で恥じ入るばかりだけれどそれはそれ若気の至り怖いモノ知らずだった。

Hさんはこの100周年の歌を歌えるそうだ。
50年前の良い思い出である。



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2021-10-26

八ヶ岳南麓だより・甲斐の山々

晴天日・冠雪








30年以上も八ヶ岳南麓に通っているが、あんなに晴れ渡った空を見たことがない。
土曜日、日曜日のことである。
始まりは勝沼を過ぎたあたりで、車中の席は進行方向の右側だった。
周りは山に囲まれ盆地の中心部に向かって列車は走っていく。
先週は越後平野の広がりを見てきただけに甲府盆地を囲む山々のその高さに圧倒される。
北のはずれの山峡を抜けると信州へと繋がっていくのだが、その外れの所に目印のようなピラミッド状の山が見えた。
甲府の人たちが愛してやまないシンボルのような甲斐駒ヶ岳である。
こんなあたりからも見えるのか・・・そして列車は甲府盆地へと入っていった。
周りの山の斜面にはブドウ畑が連なっていて、すでにぶどう棚は紅葉を始めていた。

甲府を過ぎたあたりから右側の車窓に茅ヶ岳が見えはじめた。
広くすそが広がっていて稜線がいくつかの峰で連なっている。
この峰々のことを八ヶ岳と見間違え、いつの間にかニセ八などという人もいた。
けれど、なかなか立派な山容で偽などというのは失礼だ。
「百名山」の著者深田久弥の終焉の地としても知られている。
そして韮崎を過ぎる頃に八ヶ岳の峰々と山全体の広がりが見える。
いわゆる八ヶ岳高原であるが、富士山にも劣らない山容である。
我が山荘はちょうど南麓の1000mあたりに位置する。

一泊して日曜日、前日にもまして好天・・・風もなく日差しも暖かく、雲一つない。
我が山荘の北側には八ヶ岳の峰が迫っている。
東には秩父の連山、そして南側に富士山が八合目あたりまで見える。
西側は南アルプスの峰々、むかって右側に甲斐駒ヶ岳の山塊・・・大きな岩の塊のようだ。
続いて東側には白根三山の高峰、北岳・・・富士山に次ぐ標高の山だ。
高村薫描く「マークスの山」の舞台でもある・・・冠雪した頂上が三角に見える。
おなじ連なりに薬師・観音・地蔵と鳳凰三山、我が山荘から通り一つ隔てたあたりから薬師岳のてっぺんにあるお薬師様が見える。

広く晴れわたり360度の山の連なりをくっきりと見たのは何年振りだろうか・・・
山々の頂上は2日前の雨で冠雪していた。
澄み切った空気を胸いっぱいに吸いこんで新しいエネルギーをもらった気分となった。
 

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2021-10-25

八ヶ岳南麓だより・古楽器演奏会

ふかくこの生を愛すべし







80歳と77歳の老夫婦にとって「ふかくこの生をあいすべし」という会津先生のそのお言葉を実践するには何をしたらよいかタカコサンと話し合った。
コロナ禍も終息の兆しを見せてきたので、引きこもっていないで外に出よう・・・
今できることを積極的にやろうではないか・・・
タカコサンはいよいよお茶を再開して、週に一度は茶道教室を開くようになった。
私は、茶碗づくりを始めて・・・週に5個ぐらいは作りたいと頑張り始めた。
そして、今までできなかった小旅行のようなものもやってみたい。
どうやら一泊二日でかなりのことが出来ることが分かった。

手始めに、土曜、日曜と八ヶ岳南麓まで行ってきた。
目的はタカコサンのお弟子さんご夫婦「デュオ・リュタン」の古楽器コンサートを聴きに行ってきた。
奥様がヴァージナル(ピアノの原形のような楽器)を弾き、ご主人はトラベルソ(フルートの原型)での演奏であった。
彼らの演奏は何度も聴いたことがある・・・我が山荘でも演奏会を開いたこともある。
しかし、コロナ禍で人を集めることが出来ず演奏会も控えていたようだ。
ここにきて待望の生の演奏会である。
会場は我が山荘から車で20分ほどの所にあるペンションで行われた。

固定的なファンもいて30名ほどが集まった。
地元山梨よりも、東京、埼玉などの人が多くそれもお歳を召した人が多かった。
みんな音楽好きで車を駆ってきているようで中には泊りがけの人も何人かいた。
普段演奏会では夫君の解説が入ってそれが面白かったが、マスク越しの弁舌は殆ど聞き取れずに残念だった。
それでも演奏が始まるとその優しい音が耳に届き生の演奏のすばらしさを満喫した。
ヴァージナルは弦をハンマーで打つのではなく爪でひっかく楽器で、優しい音色を発し、西洋の17世紀の世界に誘ってくれる。
トラベルソは17世紀にイギリスで作られたのだそうだがフルートというよりもシンプルな横笛に近い。
その音は空気を震わしてまろやかな音が伝わってくる。
二つの楽器のハーモニーが絶妙で西洋の宮廷文化に迷い込んでいくようだった。

先週の絵画、今週の音楽と我が夫婦は芸術の秋にどっぷりと浸りこんでいる。
二人で動けるうちに動いてやりたいことをやろう・・・
これぞ「ふかくこの生を愛すべし」の実践ではないだろうか。
 

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2021-10-24

旅だより・会津八一

学規







Y君が立ててくれたスケジュールの中に「会津八一と茶の湯の世界」という展覧会が組み込まれていた。
これは予期しなかった展覧会でタカコサンは大喜びだった。
どうやら会津八一は新潟県の裏千家の重鎮だったようだ。
会津八一は書や歌を通して知っていたがお茶にも造詣が深いとは・・・

そもそも会津さんを知ったのは結婚して間もない頃に奈良の秋篠寺を訪れた時だった。
境内の一隅にひらがなで書かれた歌碑があった。
  あきしの の みてらをいでて かえりみる いこまがたけに ひはおちむとす
独特の書体で歌にも字にも魅了された。
そして更に、後二つ歌碑があった。
 まばらなる たけのかなたの しらかべに しだれてあかき かきのみ のかず
 たかむらに さしる かげもうらさびし ほとけのいまさぬ あきしの のさと
後で知ったのだが会津さんがこの地を訪れたときには技芸天をはじめとする御仏たちは別の場所に寄託されて、いなかったそうだ。
三首目はその想いを歌ったのだそうである。

それから数年して町田市の鶴川の小学校に転任した時そこで生涯の師とも言うべき人に会う・・・本間繁樹という新潟出身の先生であった。
先生は作文教育の先達でその頃、「日本作文の会」の重鎮だった。
先生から学んだのは作文だけでなく教師としての在り様だった・・・生涯一教師。
いつも子どもの側に立つように教えられた。
教科書編纂などの場にも引いてもらい、いわゆる教師としての出世コースから外れたところで活躍する事を教えられ、多くの在野の人にも紹介された。
そんな先生が尊敬して止まない人が会津さんだった。
同郷と言うことも在るが、会津さんの一番弟子の宮川寅雄先生(和光大学教授)が奥様のお父さんに当たるのだそうだ。
いろいろなご縁で結ばれて本間先生が持っていた会津先生の親筆も見せていただいた。
会津さんの書を見ながら今は亡き本間先生のことを懐かしく思い出した。
そして、その頃教えられた会津さんの「学規」をあらためて思い返した。
一、 ふかくこの生を愛すべし
一、 かえりみて己を知るべし
一、 学芸を持って性を養うべし
一、 日々新面目あるべし

80歳爺がいまさら言っても遅いが、なかで守るべきは「ふかくこの生を愛すべし」だろう
 

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2021-10-23

旅だより・生誕地

川端町







今回の旅の目的の一つは、できれば自分の生誕の地を見ておきたい・・・
しかし、両親からはどのような場所で生まれたのかはちゃんと聞いていなかった。
両親は今はいない、4歳上の姉も昨年旅だって逝った・・・2歳上の姉は健在だが彼女とて3歳までの記憶は定かでないはずだ。
確か母が「古町という所で生まれた」と、言ったような記憶があったのでともかくその近辺を歩いてみたいと思った。

Y君の車から降りて思しきあたりを歩いいてみたが、日曜日のお昼前、それにコロナ禍もあってか街は閑散としていた。
印象としては疲弊した地方都市のそれであった・・・シャッターが下りて歩いている人もほとんどいなかった。
我が故郷の甲府の街の旧繁華街と同じような雰囲気である・・・日本という国はいつの間にか地方都市がダメになってしまったようである。
おそらく郊外に行けば大型の商業施設がありそれなりの賑わいを見せているのだろうが、それとてもう20年もすれば車社会が別な形態となり零落していくかもしれない。
記憶をたどれば都市の中心部が衰えていき閉店が続いたのは小泉内閣の経済政策ではなかったろうか・・・竹中何とかという人がアメリカ型の経済政策を持ち込んで大型商業施設を許容して・・・中心部の商店街が共存できなくなった。
車の運転ができるうちは郊外型の商業施設は便利だが、この年になり免許も返納してしまうと日用雑貨のようなものがほとんど手に入らなくなった・・・

家に帰り着いてから、ふと、戸籍謄本を見れば生誕地が記載されているのではないか・・・
家を建て替えた時の書類の中に確かあったはずである。
と、確かに生誕の地が記載されていた。
新潟市川端町1丁目1番地とあった・・・パソコンで位置を確かめてみると、現在はその地は新潟市立白山小学校となっていた。
Y君に電話で聞いてみると古町の近くでその付近は通ったとの事だった。

故郷は遠きにありて思うもの、そして悲しく歌うも
よしや
うらぶれて異土の乞食となるとても帰るところにあるまじや

犀星は故郷に帰っても人々に受け入れてもらえない哀しみを歌ったのだそうだが知る人が一人もいない生誕の地を訪ねても同じ思いかもしれない・・・寂寥。







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2021-10-22

旅だより・福富太郎コレクション展・3

娘・鹿子木孟郎





「軍人の妻」の複製の絵を観たい向きは、「福富コレクション展」満谷国四郎で検索すれば出て来るはずである。

今回の展覧会で衝撃を受けた絵がもう一点ある。
鹿子木孟朗(かのこぎ・たけしろう)の「娘」という作品である。
彼は1874年に生まれ小山正太郎に洋画を学ぶ。関西美術協会院院長として洋画教育に大きな足跡を残している。

「娘」は小品であるが強く見る者に迫ってくる。
暗い背景に精緻に描かれた人物の胸像が浮かび上がっている。
明暗法によって、モデルの力強さが伝わってくる。
明治の女性のしたたかさや強靭な精神までも読みとれる。
決して美人とはいえないが時代を生き抜いている強さが見て取れる。
福富がこの絵をコレクションを加えてたのは多くの化粧によって飾られた虚飾の美女たちに囲まれていたので・・・生身の人間の姿を見ておきたいと思っていたのかもしれない。

福富がコレクションした時代よりもさらに時は進んで今のアイドルと呼ばれている子たちの無個性に驚く。
目の周りには薄く紅を入れ遊女の化粧のように見える。
加えてマスクによって半分顔が隠されているのでますます無個性である。
透析の針刺しをしてくれる看護師たちも無個性で誰が誰だか分からない。

どうやら無個性時代の到来はAKBあたりからで、続いて結成されたナントカ坂に至っては誰が誰だかわからない。
男の子もキレイキレイとなって全く興味がわかない。
80ジジイがいまさら何を言っても屁のつっかい棒にもならぬがこの絵に出会ってなにか強靭なモノを観たような気がした。

明治も、大正も、昭和も、まだこのような源日本人ような女性がいたはずだ。
何かすごく懐かしい人に出会ったような気持ちになった。







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2021-10-21

旅だより・福富太郎コレクション展2

軍人の妻






私がこの絵について知ったのは今から30年ほど前の「芸術新潮」誌上だった。
ちょうどその頃、福富太郎がアート・キャバレーという連載を始めていてその第一回ではなかったかと思う。
「軍人の妻」の作者の満谷国四郎は明治の後期から大正に活躍した画家で太平洋洋画会の創設にかかわっている。
本作は明治37年ごろに描かれた作品で日露戦争で戦死した夫の遺品を受け取る妻の姿が描かれている。
この絵は描かれて間もなく行方不明になっていたが、86年ぶりにアメリカで発見されてオークションにかけられる。
福富はこの絵がどうしても欲しくて、当時バブルがはじけて彼の仕事が苦境に立たされていたにもかかわらず10万ドル(当時のレートが1ドル150円ぐらい)で落札する。

私がこの絵に惹かれたのはやはり自分の戦争体験と無縁ではない。
私の子どもの頃、回りに戦争で父親を失った人たちがいて「靖国の子」などと言われた。
しかし、彼らの家族のもとに帰ってきたのは白木の箱に入った遺骨・・・だと言われているが、戦地の土や石ころだった。
友達がそっと見せてくれて・・・なんともいえぬ怒りのようなものを感じた。
以来、靖国などという言葉はまやかしのように思えているのだ。

件の絵の遺品は白木の台の上に乗っているが、軍服と軍帽と軍刀で妻と思しき女性が捧げ持った正面からの姿が描かれている。
バックは焦げ茶色に塗られていてその前に喪服を着た女性の姿が佇んでいる。
顔は伏目がちで口元をキリリと結び悲しみに耐えている表情が読み取れる。
立ち姿は喪服の黒そして襟の白、遺品の載せてある台の白い布が際立っている。
また、着物の裏地の裾が見て取れる。
不遜な言い方だが「女性は喪服姿が一番美しい」と言われているがまさにそれである。
しかし、その表情の中には耐えて耐えて感情を押し殺しているように見えるが顔の一点を針で突いていやったら、その悲しみがほとばしって出てくるように思えた。
そして、実はこの絵の実物を見てみたいと思ったのは、この女性の眼である。
福富はこの絵を見つめているうちに右目の眼もとに一滴の涙が溜まっていることに気づく。
複製画でみても確かに涙のようなものが見える・・・それを確かめたかった。
実際に絵の前の立ってみると今にもこぼれんばかりの涙の一滴が見て取れた。
そして、もっとよく見ると左目にも涙が溜まっているではないか。

実はこの涙の一滴がこの絵に命を与え、観る者に哀しみの深さを伝えているのではないか・・・そしてそこからいろいろな物語が始まっていくように思えた。



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2021-10-20

旅だより・福富コレクション展

女性の表情







われわれの世代の者にとっては福富太郎と言えばその福々しい顔をすぐに思い出す。
キャバレー王としても有名で全国にハリウッドというキャバレーを展開し東日本を中心にその数30店にも及ぶ勢いだった。
昭和40年代から50年代にかけてのテレビやラジオで大活躍をして親しまれていた。
そんな彼が絵画のコレクションをしているとは全く知らなかった。

絵を集めていると知ったのは今から30年程まえの「芸術新潮」であった。
「絵を蒐める・私の推理画説」という連載が始まり、優れたコレクターであり評論家であることも知った。
その絵は個人蔵であるから実物を見る機会はなかったが、このたび巡回展が組まれて、新潟まで観に行った次第である。
彼のコレクションは多岐にわたって、女性画を中心として日本画、洋画、ジャンルでいえば明治の黎明期の洋画、そして戦争画、などなど興味は尽きない。
それらのコレクションの特徴は他人の評価ではなく、自分が見て良いと思うものを集めている。
コレクションの発端は36歳の時に鏑木清方の絵に出合い衝撃を受けたこと。
それから鏑木の絵を中心にしてコレクションが始まる。
何度も偽物をつかまされたりしながらも彼の審美眼はゆるぎないものとなり世上の評判など一切気にせず自分の眼を信じてのコレクションである。
美人画が多いがキレイキレイな絵ではなく女性の表情の一瞬をとらえた絵が多い。
特に「心中者」と呼ばれる道行の絵は凄絶である。
おそらく心中する男女を描いた絵など縁起が悪いので売れても値が低い、
そこらあたりを狙った商売人の勘があったのかもしれない。
また、女性の表情が多岐にわたっていて現実に息づいている。
一瞬の豊かな表情をとらえている絵が多い。
福富は仕事柄多くの女性と会っていて、その人生を垣間見ているだけに現実の女性にちかい女性像をあつめていたのかもしれない。

コロナ禍で美術館はすいていたが、ジジイ二人、お互いに耳が遠いので、どうしても大声になってしまい、係のお姉さんに注意されてしまった。

今回のお目当ての絵の「軍人の妻」については明日のブログにじっくりと書きたいと思う。



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2021-10-19

旅だより・我が友

スケジュール表






実は東京駅に着いた時に携帯電話を忘れてきたことに気が付いた。
小千谷のY君とは携帯(いまだ私はガラケイだけれど)を使って連絡を取り合っていた。
携帯がないと何か断ち切られたような不安な気持ちになる・・・どっぷりと文明の利器に依存してしまっているようだ。
タカコサンはスマホを持っていて日々使いこなしているがY君の家の電話や携帯番号までは知らない。
そこで賢いことに・・・彼も同じホテルをとっているのでフロントに電話して事情を話して聞いたところ、自宅の番号を教えて貰えた。
そして、奥さんに彼の携帯番号を教えてもらった。
「いつもより早く起きて張り切って出かけて行きました。」
とのこと。
タカコサンと奥さんとは新婚の時に甲府で会い、実に50年ぶりの会話だそうだ。

新潟駅は工事中で何となく殺風景だったが、万代島方面口から出てタクシーでホテルに向かった。
ホテルのある場所は明治以降に埋め立て地として造成された場所で佐渡行きの汽船の港だったようだ・・・そこを再開発して新しい新潟の文化の拠点とした。
ホテルは、そのシンボルタワーのような役割をしている30階建ての高層ビルにあって、万代島美術館もこのビルの4階にあった。
モノの10分ぐらいでホテルに到着・・・ロビーで待ち合わせることになっている。
思えば私が体調を崩した年からずっと会っていない・・・4年ぶりぐらいになるだろうか。
透析で緊急入院をした時にはブログを休んだので心配して電話をくれた。
日日の動静はブログでほとんど知っているようだが生身で会うのは「お久しぶり」
若いころと違ってこの年代になると一年毎に老いが進みその変貌には不安があった。

元気だった・・・・以前会った時とほとんど変わっていなかった。
多少体型が小さくなったようにも思えたが声はマスク越しでもちゃんと聞き取れる。
彼との付き合いは高校一年からであるが60年の歳月を超えてその時の自分にもどっていた。
挨拶をすませると、まずは美術館見学そして夕食を共にすることにした。

そして今日、明日のスケージュール表を渡してくれた。
表と言うよりも冊子に近い、新潟に関する資料を集めて入れてあり、パソコンからの転載だという写真も印刷されていた。
そして翌日の2時まで付き合ってもらう。
新潟市内で観るべきところもまとめてあった。
新潟という町は明治以降に発展したところで、市内には歴史的建造物などほとんどないが、興味のある人物を輩出していて特に「会津八一」にゆかりのある展覧会をピックアップしてくれていた。

彼は高校時代と変わらず誠実で律義な人なのだ。
そして、80歳を超えても良き友が元気でいてくれるのは嬉しいことだ。


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2021-10-18

旅だより・上越新幹線

初体験






上越新幹線なるものに乗るのは初めてだった。
東京駅発11時40分、新潟着は13時47分なので車中にて昼食をとらねばならぬ・・・久々の幕の内弁当。
「お弁当を買うには早めに東京駅着くようにしなければね、アナタはいろいろと迷うから」
とタカコサンに言われてしまった。
いつも甲府に行くときに乗る10時のはちバスで間に合うのだが、タクシーを呼んで9時半には八王子駅に着いた。
ちょうど、中央特快が入線する所で二人とも座って東京駅まで行くことが出来た。
コロナ禍など何のその・・・駅は人でごった返していた。
弁当は各地の名物の弁当が揃えてある「お弁当屋」で難なくゲットした。
私は東北地方のウニ弁当でタカコサンは奈良の柿の葉ずし・・・嫌が上でも旅気分は高揚していく。
しかし、お弁当を難なくゲットしたので新幹線の発車まで一時間以上もある。
でも待つのも旅気分で待合室で旅行く人々の様子を眺めていた。

時間通り新潟行きのトキが入線してきたが、そのスマートな形に驚いた・・・新幹線というとあの芋虫のような形しか思いうかばなかったが、なんとスマートなこと。
まずは席について、待望の弁当を開いたが・・・当たり前だがウニが調理してあるのでパサパサしていてちっとも美味しくない。
箸をつけて三分の一も食べられなかった・・・そこでタカコさんと交換してもらって柿の葉ずしをたべたがこちらは美味。
列車は上野を過ぎ、大宮、高崎あたりから東京の匂いが消えてローカルになっていく。
山並みが遠くに見え、関東平野の広がりを感じさせる。
そして上毛高原駅を過ぎて長いトンネルを経て出てきたところに突然のようにビルが建ち並んでいた。
けれど何となくさびれた感じである・・・越後湯沢駅、スキー場と温泉の組み合わせで賑わいを見せたようだが、ブーム去って何となくうら寂しい。
続いての駅は浦佐というところだったが、中央本線にもあるようなひなびた感じがした・・・何でここが新幹線の駅だろうかと思った。
この駅を過ぎた頃からいよいよ越後平野の始まり・・・広々とした田畑が広がり稲刈りの済んだ後の田は緑の草が生えているように見えた。
そして、長岡・・・実は30年ほど前に頼まれて、この地に講演に来たことがあった。
その頃はまだ新幹線は走っていなかったように思う。
このあたりからまた都会の匂いがしてきたようだ。

それからずっと平野は続きいよいよ新潟に到着。





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2021-10-17

旅だより・新潟行き

旅の目的







今回の新潟行きの目的は「万代島美術館」でやっている福富太郎コレクションを見に行くことと、3年ぶりに新潟県小千谷に住む医者のY君に会うこと。
そしてもう一つ私が80歳でタカコサンが77歳、共に区切りの年なのでお祝いも兼ねた小旅行だったのだ。
もう一つ、これはとってつけたことだが、透析以来、どこかに旅行することなどなかったのでお試し旅行でもあった。

さて新潟は今から60年前に受験で行ったことがあったがそれ以来である。
勿論新幹線などは走っておらず、ローカル戦でとことこと行った。
時は3月初めで、長いトンネルを抜けて目の前に広がったのは雪景色だった。
それも半端ではない・・・電柱の先が2メートルぐらいしか出ていないのだ。
そんな中を不安を乗せて列車は走っていく。
新潟が近くなった新津あたりで、油田の櫓から天然ガスの炎が燃え盛っていた。
なんだかとんでもない所に来てしまったものだと思ったものだ。
受験は失敗して、それ以来足を向けたことはなかった。

実は新潟市は私が生まれた地なのだそうだ・・・父が新潟大学の医学部を卒業して研究室に残っている時に結婚して、姉二人と私が生まれた。
いわば両親にとっては新婚生活の地で、良い思い出ばかりが残っていたようである。
海産物などはすべて新潟がベストであると言っていた・・・
私は古町というところで生まれたが1歳半までしかいなかったので全く記憶にはない。
太平洋戦争が始まって父が軍医として応召される。
我等は父の故郷である山梨県の切石へと疎開していく。

今回の旅行では自分の生まれた地を見てみたいという思いもあったが、父も母もなくなり、6歳で新潟を去った姉も昨年亡くなってしまった。
よすがとすべきことはなにもないのでその古町という付近だけは見てみたいと思ったのだ。
私たち夫婦を案内してくれたのは小千谷のY君だった。







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2021-10-16

やぶ睨み美術館・福富コレクション

万代島美術館







いよいよ新潟行きである。
目的は万代島美術館に福富コレクションを観に行くことだ。
以前も書いたけれど福富コレクションとは戦後キャバレー王といわれ日本各地にハリウッドというキャバレーを展開していた。
福富は勿論芸名であるがその名の通り福々しい顔をした御仁で戦後の風雲児とも言うべき人であった。
彼はテレビなどでも活躍した人だが趣味として絵画蒐集日本画を中心としてコレクションしていた。
特に、その発端は鏑木清方の絵に出合い衝撃を受け蒐集が始まる。
また河鍋暁斎のコレクターとしても有名で、河鍋がまだ注目される以前から集めていたようである。
また、戦後は忌避された戦争画にも目をつけ優れた作品を入手している。

今回わざわざ新潟まで観に行くのは彼の戦争画のコレクションの中の「軍人の妻」である。
作者は明治に活躍した満谷国四郎という人でこの絵の存在を知ってぜひ本物を観たいと思ったのだ。
福富はゆくゆくは自分の美術館を開く考えもあったのだろうが、残念なが亡くなってしまった。
そこでおびただしいコレクションの一部を巡回展として展覧している。
新潟の前には東京のステーションギャラリーで開催していたがコロナ禍最中だったので見に行くことを控えた。
そして今回、新潟の巡回展を見に行くことにしたのだ。

新潟には友人のY君がいるので合流することになっている。
彼と会うのも実に2年ぶりである。
さてはてどんな旅となるのやら・・・





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2021-10-15

旅だより・新潟行き

軍人の妻







新潟行き。
いよいよ明日は新潟行きである。
新潟は私の生まれたところで1歳まで住んでいたのだそうだ。
父が新潟大学の医学部に勤めていた関係上、姉二人も新潟で生まれた。
しかし、私は1歳までしか新潟にいなかったのでその記憶は全くない。
一番上の姉は4歳までいたのでかろうじて記憶の断片の中に思い出はあったようだ。
私の場合は父親が太平洋戦争と同時に応召されて、私たち一家は父の故郷の山梨に帰ってきてしまったのだ。

山梨にいて新潟生まれなどというと敵視される・・・「越後のスパイ」といわれた。
遠く戦国時代の争いを引きずっているのだ。
武田信玄と上杉謙信との戦いが昭和の世にはまだ生きていた。
私は隠れキリシタンならぬ、かくれ越後人だったのだ。
かといって、越後のために貢献したことなどない。
実は私は成人してから2度ほど新潟に行ったことがある。
医学部受験である・・・見事落ちた苦い思い出がある。
その頃はまだ上越新幹線など開通していなかったので蒸気機関車で清水トンネルをくぐっていった。
そして、「トンネルを抜けると雪国だった」川端の小説通りの世界を体感した
電柱が2メートルぐらいしか出ていないので、その雪の深さに驚嘆した。
また、新津あたりまで来たとき、櫓から火をふいているのにおどろいた。

新潟の街は雪こそなかったが日本海から吹いてくる風が冷たかった。
結局、新潟とのご縁はそれきりとなってしまったが、いつか自分の生まれた土地は見ておきたいという願望はあった。
父も母も姉もなくなってしまった今自分の生家を探すなど無理だと分かっているが、新潟の空気だけは十分に吸って来ようと思う。

実は透析を受けるようになって初めての旅行である。
多少緊張気味であるが、美味しいモノを食べて、友と会って一晩ゆっくりと語りあかして・・・
最大の目的の「展覧会」でお目当ての絵に会って来ようと思う、
いつかも書いたが、キャバレー王の福富太郎の集めたコレクションを万代美術館というところでやっているのだ。
私はかれのコレクションの中で「軍人の妻」という作品をぜひみたいのだ。

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2021-10-14

読書生活・ぼくとぼくらの夏(樋口有介著・文春文庫)

ブックオフ






ブックオフの文庫本のコーナーに行ってみた。
まずはその並んでいる本の量に圧倒された。
コーナーは二つに分かれていて美装本は370円でちょっとくたびれた本は210円。
どちらのコーナーも著者名のあいうえお順に並べられていて人気作家の物は多い。
私の場合は今はほぼ時代小説ばかり読んでいて、この所女性の書き手の「朝井まかて」や「西條奈河」などの本は新刊が出るとほとんど読む。
また、今一番書き手として唸らされているのは「高田郁」でシリーズ物の次が出るのが待ちどおしい・・・ちなみに彼女の代表作は「みおつくし料理帖」で全12巻で勿論全部読んだ。
現在は「あきない世傳金と銀」現在11巻まで続いているがまだまだ続きそうで愉しみ。
男性の作家では「上田秀人」がお気に入りで彼の筆力にはおののく。
「佐伯泰英」はこのところ出版社を変えて以前出した本を再度出版しているが紛らわしい。

ほぼ、新刊一筋だったが美麗本を見たら。ブックオフの利用も悪くないなと思った。
ひとわたり書棚を見ているうちに懐かしい本に出合った。
「ぼくとぼくらの夏」・・・この作品は1988年のサントリーミステリー大賞の読者賞をとった作品である。
さっそく買って読み始めたが、いまから33年も前の作品なのに全く古びていない。
時代背景は昭和で、まだ電子機器などない時代である。
友達同士が連絡を取り合うのもラインでも携帯などではない・・・黒電話。
私自身がその時代を生きていたから懐かしいのかと思ったがどうやらそうではない。
作品の持つ力で作者が17歳の少女や少年の心を活写しているのだ。

作者は「樋口有介」だが青春ミステリーを何作かものにしていてデビューは地方都市の前橋を舞台にした作品が多い。
本作は東京の西に位置する調布・府中が舞台だが懐かしい匂いがする。
実は私はこの作品を読んでハードカバーがどこかにあるはずなのだが・・・改めて文庫版を買ってみたのだ。
物語の始まりは同級生の少女が橋の上から飛び降り自殺をする・・・しかし状況から考えて主人公とその女友達が事件の解明に乗り出す。
主人公は刑事の息子で女友達は土地のテキヤの娘というのが面白い。
確かにこの物語は読んだはずなのに・・・事件の解決の所は全く覚えていない。

年と共に物忘れがひどくなってきたのは決して悪いことではないようだ。
こうしてまた昔読んだ本を再度楽しむことが出来るのだから・・・


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2021-10-13

かたくら通信・ブックオフ

同郷







山荘関係でどうしても手続きをしなければならないことが起こって地元(山梨)の銀行の八王子みなみ野店まで行ってきた。
店内に入ると山梨の雰囲気が漂っていた。
まずは応対してくれた若い女性の店員・・・きちんとした標準語で喋っているのだが、どこかに甲州弁の名残がある。
失礼とは思ったが「山梨の人ですか」と聞くとちょっと恥ずかしそうに頷いた。
「山梨はどこ」と聞くと、「塩山です。言葉で山梨ってわかるんですか」と聞かれた。
「何となく、言葉のイントネーションから同郷の人はわかるんです。」
「イントネーションですか・・・気を付けているつもりですが、わかるんですね」
と少し残念そうに言った。
続いて女子店員の上司が登場して・・・こちらはバリバリの甲州弁。
それも故郷身延町のお隣の町、南部町の出身だそうだ。
「依田さんという名前を見てすぐに旧中富町の人と分かりましたよ」と親し気に言った。
結局手続きは書類がそろわないので後日またということになった。

銀行と同じビルの二階にブックオフがあるので覗いてみた。
二階全体のフロアーを占める大規模店で本だけではなく高級ブランドのバッグ、時計などなどと古着類、玩具、CDなどそちらの方が主流のようだ。
この、ブックオフを創業したのは私の中学時代の同級生で坂本孝君という。
中学生の頃は一緒に遊んだ仲間で彼の家にもよく行った。
時代は昭和20年代の終わりの頃で、彼の家にはすでにテレビがあり、相撲やプロレスの中継を応接室を占拠して見せてもらいに行った。
図々しくも相撲放送のあとに夕飯までご馳走になって帰ったこともあった。
彼の家は甲府では有名な精麦会社で昭和20年代にすでに自家用車(ワーゲン)があり、彼もラビットとというスクーターを持っていた。
高校も一緒だったがクラスが異なって疎遠となってしまった。
その後KO大学を卒業し、その精麦会社を受け継いだようだが時代は精麦では厳しくなりいろいろな事業を試みたようである。
そこで、ピアノの中古品をリニューアルして売ることからヒントを得て、本をリニューアルして売る・・・古本とは違う流通を考えだしたようだ。
商売そのものは大成功を収めて全国展開となったがどこかで不祥事が起こって経営者の座を追われてしまった。
しかし、彼は不死鳥のようによみがえり、新しい事業としてレストラン経営を手掛ける。
一流料理人を招いて立ち食いのレストランを立ち上げて大当たりする。
銀座を中心にして「俺の〇〇」というネーミングも斬新だった。

現在はどのような事業を手掛けているのかは分からないが、私にとっては雲の上の人。
もう、50年以上も会っていないなぁ・・・



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2021-10-12

なごみ食堂・蕎麦のだし汁

鴨南蕎麦







昨日の話の続きとなる。
所蔵品の撮影は1時間ほどで終わってちょうど10時半だった。
Hさんのあとの予定を聞くと無花果の取材に行くとの事で時間はまだ多少あるのでお昼を一緒にとることにした。
お目当ては野猿街道沿いにある某有名蕎麦店。
この店は現在の場所に店を構える前から足繁く通っていた店だ。
ご主人は脱サラで足利の有名蕎麦店で修業して現在に至っている。
私より2歳ほど年下であるから現在は80歳手前という所か・・・
最初は10人も入ればいっぱいになるような店だったが、福島県の奥只見の古民家を買って移築し、リニューアルして立派な店へと仕立て上げた。
店が大きくなった分メニューも増えて今では三多摩を代表する店の一つになった、
ずっと店の変遷と味を見続けてきたが、20年ぐらい前から行かなくなり、車の免許を返納してからは一度も行っていない。

久しぶりに良い機会だから行ってみようということになった。
タカコサンがネットで調べて11時開店ということは分かった。
すぐに後始末をして店に着いたのが11時10分だった。
駐車場にはかろうじて入ることが出来たが、後続が何台もやってきた。
タカコサンが受けつけに名前を登録に行くと、30分ほど待つと言われた。
やがて名前を呼ばれて・・・店のしつらえはほとんど変わっていなかった。
3人とも「かも南蛮」を頼んだ。
値段は普通の店の1.5倍ほどだったが懐かしい味に会えると思うと期待は高まる。
運ばれてきた器は名のある陶芸家が作ったものだ。
湯飲み、皿、小鉢、七味入れまでセンスが良くて神経が行き届いている、

さて、いよいよ運ばれてきた蕎麦の味であるが、期待が大きかった分外れた。
昔食べた味と明らかに変わっていた。
店も代が変わると作り手も変わるので味にも変化が出て来るのだろう。
塩分が強すぎである・・・蕎麦汁の元になる「かえしが」先代と異なるに違いない。
聴けば、今のご主人は日本料理の割烹で修業したらしくセットで頼んだりすると、立派な料理が出て来るらしい。
日本全国のそばを食べ歩いているHさんに食べた鴨南の感想を聞くと・・・かけそばとしては麺のゆでが柔らかすぎると・・・
タカコサンは三分一湧水の蕎麦の方がだし汁が美味しいと・・・
私は塩分に敏感になっているのでおそらくもう行かないと思う。


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2021-10-11

かたくら通信・取材旅行

無花果・銀杏






収蔵品の写真を撮ってくれたHさんのことについては何度か書いたが、今回は写真を撮り終えたあと農産物の収穫の写真を撮りに行くとの事だった。
第一候補は静岡県の富士市に無花果を取りに行く。
今が最盛期で出荷されているのだそうだ・・・その外にも産地はあるが(愛知・福岡など)八王子から一番近いのは富士ということだ。
私たちと食事をすませてから出発するとの事で現地まで3時間半ほどかかる。
高速道路など使うと通行料金だけでかなりの金額かかるので一般道を走るそうで、おそらく明るいうちに現地に着くのでまずは農家から撮影許可をもらって、撮影ポイントの下見をするのだそうだ。
撮影は朝早く起きて採果から出荷までの流れを撮る。今夜は下見をした後は車中泊となる。

彼の車(ワゴン車)はベッドのようなしつらえがしてあって、取材の時は殆どそこで寝ている。
彼は現在は木・金と学校に時間講師として勤めそこで得た収入のほとんどを取材旅行に費やしているのだそうである。
この頃は本州を中心に回っているが、先週は静岡市の清水に銀杏の収穫撮りに行ってきたとの事だった。
コロナ禍以前は九州、四国、北海道など主なる農産物の産地を網羅している。
また、海沿いでは漁港巡りをして船にのせてもらい魚の水揚げの様子を撮っている。
来週は東京湾のアナゴ漁を撮りに行くのだそうだ。
彼の場合は単に写真を撮るだけでなく、仕事現場で聞き書きもしている。
その話がすこぶるつきで面白く、仕事そのものよりも取材した人たちの人生を語ってもらっているようだ。

ところでその取材をした写真や聞き書きをどのようにまとめるかが気になる所で、出来れば出版が良いのだが時代はその手の本は売れないそうで、社会科の資料集などの出版は半減しているようである。
もう10年早ければ私にもそれなりの人脈があったのだが80歳ジジイの周りではほとんどの人が引退してしまっている。
彼としてはネット配信のようなことを考えているようだ。残された時間は余りないとせかしているのだが・・・

実はまとめる事よりも日本全国取材をして歩くことの楽しさがあるようで、人と触れ合えば触れあうほど区切りが無くなっていくようだ。


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2021-10-10

やぶ睨み絵画館・収蔵品

柄澤齊作品・収蔵品レゾネ







現役の頃、約30年にわたって版画の収集をしてきた。
当初は専門画廊に行って気に入ったものを数点買っていたが、だんだん好きな作家が絞られてきて彼の個展があるとまとめ買いをするようになった。
その好きな作家とは柄澤齊で木口版画(木のこばの固い所を版にする)では現在の一人者と言われている。
勿論、お安いわけではなくそれなりの値段はした。
収集した版画はふた月ごとに架け替えて楽しんだ。

しがない小学校の一教師が大枚なお金を一度に払えるわけもないので。毎月なにがしかのお金を積み立てておいて個展の折にそのお金で払う。
足りない場合はボーナスで払ったりしたが、40代半ばの頃から創作の児童書が売れるようになりそれなりの印税も入ってきた。
わが家のリビングにはそれ用のピクチャーレールが備え付けてある。
けれどここにきてそれらの収集作品をこの先どうするかということになり、手放すことに決めた。
だが、おびただしい作品を処分するとなると手間と時間も必要である。

そこで銀座で画廊を開いている知人に相談したところ、「収蔵品展」を開いたら良いと言ってくれた。
そして、1週間ぐらい画廊を貸してくれるというのだ。
柄澤さんは人気作家なのでそれなりに売れるのではないかと・・・
ただし、収蔵品を見るために「レゾネ」のようなものを作って見せて欲しいと・・・
レゾネとは画集のようなもので全作品を一冊にまとめたものである。
けれど、私に作品を写真に映す技術などないので途方にくれた。
と、私よりも10歳若いHさんが写真をよくして機材も持っていることを思い出した。
彼は今、東京都の小学校の時間講師を週に2時間やっていてそのほかの日は日本全国走り回って、農業と漁業と漁港の写真を撮っているというのだ。
急ぎでなければ撮影の合間を見てレゾネを作ることを快諾してくれた。

撮影に入ったのは今年の初めだったが、ここにきてようやっとすべての作品を撮り終えた。
全作品と言ってもまだ3分の1ほど残っているが・・・
作品にナンバーを打っていったところ今回は88作品だった。
W末広がりで縁起がよさそうである。
ただコロナ禍のご時世で果たして売れるのかどうか・・・





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2021-10-09

透析日記・歯が抜けた

架橋工事







透析が始まって2時間ほど経った時だった。
9月に治療した奥歯がそっくり抜けてしまった。
歯肉に土台を作ってそこに橋を架けた・・・まるで架橋工事のような治療だった。
そのまま1年ぐらいはもつのではないかと思っていたが1カ月もたたないうちに崩壊してしまったのだ。
1週間ほど前から歯肉が疼くように痛く、歯科に行かねばと思っていたところだった。
崩落した原因は分かって居る・・・今回は固いモノを食したのではなくガムだ。

透析中はマスクをしているので口が渇く。
水分を取るわけにはいかないのでガムを噛んで唾液を出して口の渇きを和らげているのだ。
しかし、ガムに入れた歯が付いてきてしまうのは必然。
崩落と言ってもすっぽりと抜けた感じで、入れ歯はどこも損傷していない。
元の所に戻してみるとスッポリと治まった。
このまま左の奥歯は使わないようにすれば当座はしのぐことが出来る。
家に帰って夕食をとったが抜けるようなことはなかった。

今朝は朝食にチーズを食べたところ、入れ歯が付いてきてしまった。
食事を終えてまたもとに義歯を戻したが、やはりこのままという訳にはいかないので朝イチで歯科医院電話を入れたところ11時45分の枠が空いているというので予約した。
受付嬢にはチーズを食べて歯が付いてきたしまった・・・と直近のことを言った。
ガムを噛んででは何か悪いことでもしているような気分でチーズで押し通すことにいた。
予約通りの時間診察室に招じ入れられて診察台に坐るや否や、
「チーズを食べて歯が付いてきたそうだけれど、最近ガムを噛んでいませんか」
と看破されてしまった。
「ガムはね噛んでいると歯に負担がかかるのですよ。すごい力が歯にかかって入れ歯も抜けてしまいます。ガムはいけません・・・飴のように溶けるモノは良いです」

抜けた義歯をそっくり持って行ったので歯肉の部分に接着剤を塗ってピッタリとはめて治療は終わりとなった。
前回のようにくい打ちから始まって型を取ってと覚悟していたがあっけないほど簡単に治療は終わった。
「ガムは絶対いけませんよ」と再度釘を刺された。

会計を済ます時、受付嬢が「飴ならいいと先生は言ったけれど、虫歯になりますよ」
と、小声で注意をしてくれた。





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2021-10-08

かたくら通信・ひる御膳セット

成金






昨日の天ぷら屋での出来事をもう少し詳しく書いて置く。
30分ほど待って案内された席はカウンターだった。
並びにはすでに先客が2組坐っていた。
いずれも夫婦連れでおとなりの席の夫婦は私たちが頼もうとしていた「お昼御膳」というリーズナブルなセットを慎ましやかに食していた。
もう一組は派手な緑色のロゴ入りのカーデガンを羽織った70歳ぐらいの夫と年には不釣り合いな濃い化粧をした妻・・・もしかしたら水商売に関係したことがあるような雰囲気。
こちらはすべてセットではなくお好みで揚げてもらっていた。
カウンターの上にはすでにビール瓶が並び徳利もあった。
この夫婦以前見かけたことがあったような・・・記憶の糸を手繰り寄せると、1年ほど前にやはりこの店のカウンターで相席した。
その折には食事の途中にポチ袋を出して店の全員に配っていた。
心付けなどはもっとひそやかに渡すもので・・・野暮の極み、成金趣味と思った。

今回はすでに出来上がっているようで、おそらくビール瓶の数からすると11時頃から飲み食いし始めていたに違いない。
店の外には10人ぐらい並んで順番を待っている。
そんなことはお構いなしで平日のお昼前から夫婦で飲みかつ食い始めている。
と、突然妻の方が「今年はまだマツタケはないの」と言った。
「今年は不作のようでまだ仕入れていないのです。ともかくお高いので・・・」
「いくらでもいいわ、仕入れて頂戴」
「分かりました、来店される日を言っていただければ仕入れておきます」
「自分で持ち込みした場合は揚げてもらえる・・・」
「もちろんです」それで会話は終わったが店の大将の顔には困惑のような雰囲気があった。
マツタケの天ぷらなどへその緒切って以来食したことはない。
以前、京都に住む人から送ってもらったことはあるが、まずはマツタケご飯、残りは吸い物にしたことがあったっけ・・・
母が以前マツタケのフライが美味しいと言っていたことがあったがそんな贅沢はしようとも思わなかった・・・ましてやマツタケの天ぷらなど思いもつかなかった。
店を出てからタカコサンとその夫婦の印象を話した所、
「マンションの一つも持っていればあのくらいのことは出来るかもしれないわね」
辛辣な言いかただった。
おそらく、町田のどこかで土地を持っていてそれが売れたのかマンションでも建てたのか。

コツコツと40年近くも働いて今の生活があり「ひる御膳」セットが美味しいと思う我等とは無縁の人なのだ。


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2021-10-07

季節だより風だより・落ち葉しぐれ

天ぷら・つな八」






朝から霧のような雨が降ったりやんだりしていた。
季節は真夏日から一気に晩秋の時雨時となってしまったようだ。
今日はタカコサンは午後から美容院の予約があり町田方面に出掛ける。
そこで私もぬれ落ち葉のようにべったりとくっついて同行させてもらうことにした。
お目当ては私も美容院という訳ではない・・・こんな顔はいじりようがない。
美容院の小田急デパートの9階の食堂街である。
お気に入りの「つな八」という天ぷら屋がある。
この店は本店が新宿にあり分店が何か所かある。
母が好きで上京すると一緒に食べに行ったものだ。
ともかく目の前で揚げてくれたアツアツを食べさせてもらえるのが嬉しい。

これはどうでも良い情報であるが、透析中に聞くユーチュウーブの歌謡番組の歌い手である市川由紀乃さんに関係がある。
彼女は今若手の中では一番の実力者で何を歌わせても上手である。
紅白歌合戦にも2度ほど出場したが自分の持ち歌でヒット曲が少ないために今はその座を譲っている。
天童よしみに次ぐ歌手であるとみている。
彼女が歌うカバー曲で「めぐり逢いつむいで」を聞いた時に鳥肌が立った。
そんな彼女も10代でデビューしたが挫折して5年程アルバイトをしていた・・・そのアルバイト先が新宿の「つな八」だったそうだ。
そしてその店の店長に励まされた再度デビュー・・・市川昭介の門下生となり市川の名前をもらった。

実は「落ち葉しぐれ」という今日の題はこの時期になると必ず口ずさむ歌である・・・旅の落ち葉が時雨に濡れて・・・と始まる。
三浦洸一の歌である。これを市川由紀乃がカバーしていてくれればこの稿がぴたりと治まるのだが残念ながら探してみたけれどなし。

話は戻って今日の「つな八」の天ぷらは久々に美味しいモノを食べた至福の時だった。
もう私には食に対する欲しか残っていないのだ。

町田の小田急デパートの食堂街は平日にもかかわらず混み合っていて30分ほど待った。
コロナ禍何するものぞ・・・けれど本当に鎮静化しているのかどうかについては多少の心配は残っている。
 

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2021-10-06

季節だより花だより・金木犀が二度咲く

地球温暖化






夏が戻ってきたような暑さである。
一度しまった半袖をまた出してきた。
しかし、病と老いの身には季節外れの暑さは応える。
どう対処して良いか分からずに戸惑うばかりである。
直接暑さは関係ないのだろうが、右肩が痛くなりなかなか直らない。
そこで住宅地のバスのターミナルの近くにある整骨院に電話した。
3時なら空いているということで予約を取った。
この整骨院は我が家の駆け込み寺みたいな所でタカコサンは毎週通っている。
院長は私が40年ほど前に日野6小で教えた人で、よもやまさかの再会となった。
低周波の電気と手技による治療でゴッドハンドでもある。
今回の痛みは筋肉の硬直だそうで手技でほぐしてもらい痛みが遠のいた。

整骨院の帰りに久しぶりに生協のマーケットに寄った。
果物売り場は秋一色・・・季節は梨からリンゴへと移っていた。
久しぶりに梨を食べたいと思い探すと新高という品種が残っていた。
梨は夏の終わりに幸水が出回りそれが豊水となり秋月となり最後に新高となる。
品種改良が進んでその他いろいろ出て来るが今のところ新高が甘味みずみずしさなどで最高品種だそうである。
けれど季節的にはそれも終わり・・・リンゴがとってかわるのだが、こちらは多彩なラインナップである。
毎年のように新しい品種が出回っているがやはり、甘味、酸味、食感などで「ふじ」を超えるような品種はないようだ。
生協では梨と柿を買い、夜の菜に豆腐とひき肉を買った。
NHKの朝イチで紹介していた簡単料理を作ってみようと思ったのだ。

買った食材をリュックにつめてプラプラと散歩も兼ねて歩いていると馥郁たる香りがしてくるではないか・・・金木犀である。
9月に咲いて散ったはずなのにまた咲いている。
この暑さに季節が後戻りしたと思ったのだろうか・・・一度目よりも香りは強くないが間違いなく金木犀で一枝折って家に持ち帰り一輪挿しに挿した。
金木犀は馴染んだ花だが、同じ季節に二度咲くなど初めてのことだ。
頭に浮かんだのは「気候変動」という言葉だ。
これも地球温暖化の影響なのだろうか・・・何となく嫌な予感がする。

折も折、ノーベル物理学賞の受賞者の発表があり、日本人の真鍋叔郎博士が受賞。
その研究成果は「地球の温暖化予測」の基礎を築いたことが評価されたのだそうだ。


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2021-10-05

季節だより花だより・幸せの再来

酔芙蓉







朝10時、玄関のチャイムが鳴って出てみるとタカコさんのお茶のお弟子さんだった。
季節の花を持っての訪れであった。
実は今日からお茶の稽古を再開するそうで朝からタカコサンは忙しそうだった。
コロナ禍が始まってからお休みにしていたので実に半年振りである。
お茶を喫するにはマスクは外さなければならないので稽古は休みにしていたがここで非常事態宣言も解除になったので再開の運び。
お弟子さんたちも同年ぐらいの人が多く全員ワクチンんは接種済みのようだ。
それでも何でも大事をとって時間を区切って少人数人での稽古となるそうだ。
お花を届けてくれた人は今日は都合が悪いそうで後日また・・・

ところで、持ってきてくれた花はホトトギスと酔芙蓉と百日草。
ホトトギスは茶花でさっそく床の間に活けた。
酔芙蓉は玄関の正面の大きな花瓶に入れて飾った。
百日草はお仏壇にそなえさせてもらった。

さて、酔芙蓉のことはこの秋何度か書いたが、よその家の花を見て歩くのも一興だがやはり我が家で鑑賞となると趣が違う。
花の微妙な変化を時間を追うごとに見ることが出来るのだ。
10時に来たばかりの時は純白で雪のような白さだった。
それがお昼ごろになるとほんのりと薄紅色に染まり始めた。
そしてこの稿を書いている5時半には鮮やかな紅となった。
やがて深紅となって花びらを閉じる定め・・・一日だけの花の命である。

この自然の摂理のようなことは何が因となっているのか調べてみると、アントシアニンというものが関係しているのだそうだ。
朝の段階ではアントシアニンはゼロだが時間がたつにつれて蓄積されて色の変化を起こすのだそうである。
アントシアニンがなんであるか・・・それも調べなければならないが割愛。
余り科学的に突き詰めるよりも自然の妙としてとどめたい。

ちなみに花言葉は「繊細な美」「しとやかな恋人」「幸せの再来」「心変わり」だそうだが「心変わり」は花の色の変化からきているのだろうが、ちょっと安直。
「繊細な美」も何となく花から受ける印象そのままだ。
「しとやかな恋人」は面はゆい感じがする。
「幸せの再来」が私的には妥当かも知れない。


 

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2021-10-04

好奇高齢者の生活と異見・閣僚人事

短命内閣






岸田内閣の新閣僚が発表された。
新聞報道によれば各派閥に配慮した人選だそうだが、来たる総選挙を考えれば短命の内閣かも知れない。
また、論功賞の意味合いもあるらしく、アベ・アソウに配慮した人事だそうだ。
短命であろうがなかろうが一度閣僚となれば元が付いても箔が付くという言うものだ。
いずれにしろ敗者に厳しいのは世の習いで、カウノを支持した人たちは冷や飯を食わされているようだ。
特にイシバさんの一派は切り崩しにあったらしく離脱者が閣僚のポストをもらっている。
また高市はアベ・アソウのお墨付をもらっているだけあって党の重要ポストについている。
次代を担う人材として登用されたのだろうが権力にすり寄る姿勢がともかく好きではない。

もう一つ、アマリという幹事長だが・・・確か収賄の容疑で起訴された。
しかし、どうすり抜けたのか知らないが不起訴・・・不起訴を持って潔白という訳か。
当然、就任の記者会見でそのことを質問されていたが、「秘書が秘書が」と連発して自分は悪くないと主張しているようだった。
そんな秘書を雇った任用の責任はあるはずである。
「李下に冠を正さず」故事に言いあらわされているような清廉潔白には程遠い。
マァ、盟友なのか親分なのか知らないが・・・アベ・アソウを見習えばその程度のことは屁でもないに違いない。

今回の人事で注目したのは新設されたデジタル相というポジションに誰が付くかであった。
初代は平井というパワハラで有名な人だったそうだが、オリンピックやパラリンピック関係受注者から高額の接待を受けた。
そしてそれがばれると「割り勘」だったと釈明して慌てて自分の分を払ったそうな・・・
それも半年以上も経って払って割り勘と言ったそうで、あきれる。
さすがに今回の人事では外されたようで44歳の女性議員が登用されたようだ。
それでも何でも元デジタル相の箔はつくわけだ。

ともかくこの内閣は短命であることは間違いない。
来たる総選挙で新しい波が起きることを期待したい。

それにはまず、一票を投じる事なのだ。





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2021-10-03

季節だより風だより・台風一過

食事処探し






抜けあがるような青空で久しぶりに太陽の恵みを受けた気分だ。
台風の被害もさしたることはなく、万全の備えをしていたので吹き飛ばされるようなものもなかった。
裏山の木々が風にあおられていたが、目をつけている栗の実が落ちているのではないかと行ってみたが時すでに遅し、同好の士がいるらしく残っているのはイガばかりであった。
さて、好天気で家に居るのも身体が鈍るだけなので1カ月ぶりに床屋に行くことにした。
幸い狙っていた時間が取れたので1時ちょっと前に出掛けて行った。

お目当ては勿論散髪であるが、床屋の近くにあるラーメン屋「えびすや」でラーメン・カレーセットを食する。
実はコロナの影響なのかこの所、行くたびに店はしまっていた。
けれど、10月1日から非常事態宣言の解除が言われているので・・・もう店は開いているだろう。
床屋の予約は2時なのでお昼を食べないで出かけてラーメン食べてと期待は膨らんでいた。
しかし、店に着くと施錠されていて、10月29日から開店しますとあった。
腹を空かせて出かけてきたのでサァどうする。
まず思いついたのは近くにセブンがあったのでそこでおにぎりかサンドを買って食べる。
しかし、セブンはつぶれていて店は閉まっていた。
私が現役の頃・・・今から20年前だが、近隣にはジョナサン、ガスト、リンガーハット,華屋与兵衛などが軒を並べていた。
町の中華屋も3軒ぐらいは有ったはずなのにみんな姿を消していた。

ラーメン屋のすぐ近くに牛丼屋が出来ていたので初体験で入ってみることにした。
メニューを見ると心を動かされるようなものは何もなかった。
そこで、無難なところで、牛肉カレーをチョイスした。
運ばれてきたカレーはスープ状で牛丼にのせる牛肉がのっていた。
味は・・・一応カレーの味はするが牛丼用の肉がカレーの邪魔をしていた。
甘ったるくてともかく不味い。
店で出してくれるものは残さない主義にしているが、半分ほど残してしまった。

床屋のマスターが言うにはいわゆる北野街道と呼ばれるこの付近の沿道の店はほとんど潰れてしまったのだそうだ。
コロナ禍だけではない経済の疲弊がじわじわとやってきているようである。

庶民感情の分からない2・3世の議員たちにこの経済を立て直すことが出来るのだろうか。







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2021-10-02

季節だより風だより・16号台風

雨が降ろうが風が吹こうが






三日ほど前から大型の台風襲来を予報していた。
しかし、その予兆のようなものは余りなく高をくくっていた。
それでも一応は鉢植え類は玄関の中に入れたり、焼き物関係の釉薬の入っているバケツを避難させたり、一応の備えをした。
そして当日、雨、風が強くなり裏山の木々がうねる様にあおられ始めていた。
タカコサンはお茶の稽古日で町田に行く予定だったが早々とお稽古中止の連絡が入ってきた・・・何となくホッとした様子だった。

さて私は金曜日で透析の日である・・・できれば休みたい所であるが、何が何でも行かなければならぬ。
車でもあれば何とかなるのだがバス停まで歩きバスを待たねばならぬ。
幸いバスは走っているようだったので、重装備でバス停まで歩いた。
雨合羽を着て撥水性のズボンを履いて、足ごしらえはゴム長靴。
此の頃は女性のゴム長は見るけれど、男子で履いている人は殆ど見ない。
何となく野暮ったいのだろうか・・・私は断然長靴愛好者である。
バス停までは歩いて10分ほどであるが重装備のおかげでほとんど濡れることはなかった。
バスは定時にやってきたが、乗客は一人も乗っていず、私のための専用バスのようだった。

クリニックは台風など全く関係ないようにいつものように動いていた。
透析患者はどんなことがあっても通わなければならぬ。
雨が降ろうが風が吹こうが台風が来ようが受け入れてくれる。
患者の命に関わり、待ったなしである。
幸い透析を始めて2年となるがどうしても通えぬような事態はなかった。
晴れ男とでもいうのか・・・クリニックに通う時間でトラブルはなかった。
午前中雨模様でも後にはほとんどやんだ・・・今回が最大のピンチだった。

無事に透析を終えて帰路に就く時(タクシーだが)雨も風もすっかり止んで無事に家に帰り着くことが出来た。

乗ったタクシーの運転手が言うには「八王子という所は意外と大きな災害には合わないですよね」
そういえば、この地に住んで40数年となるが、台風の被害が一度あっただけだ。
屋根のカッパというトタンが吹き飛んだ。

これから先も被害に遭わないように祈るばかり・・・・


 

yodaさんの投稿 - 17:31:26 - - トラックバック()

2021-10-01

好奇高齢者の生活と異見・総裁選

三代目







コップの中の嵐と例えてよいのかどうか分からないが、大騒ぎしたJ党の総裁選も終わったようだ。
それにしてもメディアの取り上げ方はすごかった。
来たる総選挙を見据えて政党の一つに過ぎないJ党のために多くの時間と紙面を割いた。
スカ総理大臣の不人気を吹き飛ばすようなたくらみがあったのは想像に難くない。
確かにこの総裁選で選ばれた人が総理大臣になるわけでるから国民にとっては関心事の一つである事は確かだが・・・
だからこそ、来たる総選挙にはアベ・スカのやってきたことを忘れないで、この国をかじ取りを任せられる人を選びたい。

さて、その結果であるが予想通りというか・・・波乱もなく無難な人が選ばれた。
一時は河野さんの人気に押されそうになり、第一回の選挙では一票差だったが、J党支持の国民の人気よりも国会議員の人気が勝った。
彼らにしてみれば今度の総選挙でどれだけ自分に有利となるかだったのだろう。
河野さんは何を言い出し、しでかすか分からない未知の部分があったのだろう。
けれど、意外や意外、高市さんを推す議員が予想よりも多かった事。
アベ・アソウのお墨付きをもらっての立候補だったがJ党のコアな部分が指示に回ったに違いない・・・いわゆる保守派で平和憲法など改正したい人たちだ。
私としては高市さんだけにはなってほしくないと思っていたが・・・
ところでもう一人の女性候補の野田さん・・・この人だけはアベ政治のモリカケサクラをキチンの解明すると明言していた。
やはり派閥の論理には勝てず最下位に終わったがこの次に期待したい。

さて、戦い済んで日が暮れて・・党の役員人事が始まったがまずは選挙の論功賞。
そして、気配りや忖度でなんの新味もない・・・願わくばアソウ・アベの阿保ボンコンビは引退してもらいたいものだ。
それにしても役員の顔ぶれを見ると2代目や3代目の何と多いことか。
若手の起用の目玉とも言うべき福田さんは三代目・・・祖父・父と総理を勤め彼も次代を狙っているのだろうか。
河野さんも三代目だ・・・アベさんも三代めだったなぁ。
子どもの時からエリートとして育てられ庶民感覚とは無縁のところにいたはずだ。
今回、総裁に選ばれた岸田さんも三代目・・・出身は開成中学・高校だそうだが、東大は3回落ちて早稲田に行ったとか。
3年浪人は私と同じだが・・・やはり彼もエリートなのだろうなぁ。

政治家は世襲化してしまっているがもっと国民感情に沿える人になってもらいたいものだ。







yodaさんの投稿 - 10:57:42 - - トラックバック()