2021年 11月の過去ログ

2021-11-30

来し方の記・幼少期

身延町切石








今日は81歳の誕生日である。
1940年11月30日に新潟市川端町1丁目1番地で生まれた。
先月、新潟に行った時に生誕の地を見てこようと思ったが、古町という所で生まれたと聞いたが・・・定かではなかった。
そこで帰ってきてから戸籍謄本で調べてみると上記の住所であった。
新潟市内を案内してくれた小千谷のY君によると川端町の近くまでは行っていたそうだ。
地図で見るとその番地の場所は今は小学校になっているようだ。
私が新潟生まれであるのは父が新潟大学の附属病院に勤めていた関係による。
父は新潟から出征して南方の戦線へと向かうのだが太平洋戦争の開戦の直後だったらしい。
私たち家族は新潟を引き払って父の生家である山梨県南巨摩郡静川村切石(今は身延町切石)に住むことになる。
それから1949年まで切石で育つ・・・父が1946年に復員してきて甲府の県立病院に勤め1949年に甲府の柳町に開業して家族が呼び寄せられた。

生まれて初めに育った新潟の記憶は皆無である。
幼少期の記憶としてはっきり残っているのは1944年12月1日のこと。
この時父の末弟が出征するので壮行の祝宴が開かれてその記念写真(拙著・「ぼくってだれ」に使っている写真)が残っているのだ。
叔父は村の小学校で代用教員をしていたので、上司、同僚、親戚など30人近く招かれた。
そして、宴が終わって誰もいなくなった座敷でお膳に残された料理と、みなが美味しそうに飲んでいたお酒も飲んでしまった。
勿論、顔は真っ赤になり、万歳で叔父を見送る時には誰かに抱かれていたことを覚えている。
わたしがその頃から食いしん坊であったことは有名で、「食い気顧問」というあだ名がついていた・・・お酒の方はそれ以来身体が受け付けなくなったのか下戸で飲むと「火事場の金時」状態となった。

切石での幼少期は食べるものには事欠いたが、祖母、当時切石郵便局の局長をしていた叔父などが可愛がってくれてよい思い出が残っている。
小学校は村立静川小学校に入学し3年の5月まで在籍していた。
当時の成績表が残っていたがすべて「優」で村の学校では優秀だった。
あのまま続いていれば今の自分はもっとグレードアップしていたかもしれない。
ところが、父が戦地から復員し7歳違いの弟が生まれたあたりから私の性格も成績も軌道がゆがみ始めたようだ。
父は過度の期待をわたしに寄せていたようだがどうしても父になじめず、父が思い描いていた子どもとは外れた息子に育っていったようだ。
私にとっては父よりも局長叔父の方が父に近かった。










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2021-11-29

かたくら通信・ゆとり世代の走り

同学年







昨日は板橋方面に住む孫のリョウに来てもらって山荘から持ち帰ったパソコンを設置してもらった。
彼は今はIT関係の仕事をしていてリモートワークでほとんど会社には出勤してないという。
北野駅で待ち合わせをして、まずはランチを共にしてから家に帰って作業。
モノの30分ほどで仕事完了、それからタブレットの扱いなどを教えてもらって2時間ほどして帰って行った。

ふと気が付いたのだが、リョウと甥のタカオと今回山荘の工房を貸してあげたN君がみな同学年ということだ。
リョウとN君は1990年・・・今年31歳で、甥のタカオは1991年だが来年の一月には31歳になる。
3人の青年たちに無理して共通項を見出すつもりはないが、3人ともそれぞれが我が道を進んでいるような気がする。
孫のリョウは高校は岐阜の名門校の「岐阜商業」を出て静岡大学の理科系に進学するが自分の目指していたものと違うらしく退学してIT関係の専門学校に行く。
その間にいろいろな葛藤があったらしいが、今は生き生きと働いている。

甥のタカオは高校の時神奈川の某有名進学校に入学するが選別教育のような校風に反発して退学して選択制の高校に行きなおす。
大学は町田にある玉川学園の農学部に進み卒業してからはいったん会社勤めをするが、5年でやめて2年かけて日本全国をバイクで旅する。
そして、次なる目的を世界に据えて、ペルーを出発点とするが、コロナ禍で余儀なく帰国して今は姉のところの果樹園で働いている。
N君については知り合って間もないので詳しいことは分からないが、拓殖大学の理科系に進学するが、思うところ有って調理師学校に進み、フランスにも留学し・・・今は食の源である農業に携わっている。

一見、共通項はないように見えるが、いずれも我が道を進んでいて、しがらみにとらわれず自由人であるように思える。
名誉栄達などには身を置いていないのでガツガツしていない。
思えば彼らが小学校から中学生になった頃、教育は「ゆとり教育」の走りで、特に幼児教育の時にはしつけよりも「やりたいことをやらせる」という風潮があった。
その後、混沌としてしまった「ゆとり教育」にはハマらなかったようだが、チョット中途半端な模索の時代に育ったように思える。
時代の教育の有りようが後に影響しているのではないだろうか・・・
さてはて、コロナ禍の教育でどのような子どもが育っていくのだろうか。

もう少しこの世にいて孫たちや今の子どもたちの成長を見てみたい。














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2021-11-28

健康生活・白内症・緑内障

隻眼







昨日は眼科の検診に行ってきたが、現在の私の眼の状態は右眼がほとんど見えなくなっている。
4年ほど前に白内障の手術をした。
その折に、右目は白内障と緑内障が併発しているので手術をすると失明の恐れがあると言われた。
以来、右目は白内と緑内との目薬をさし続けているが,今ある症状を進行させないということである。
しかし、四年も経つと段々見えずづらくなって、右目だけで見ると、モノの輪郭と明るさ暗さだけを認識するだけである。

左目だけでどうにか生活に支障をきたすことはないが、右目が使えないと距離感が掴めなくなってきている。
例えば一番困るのは段差である・・・階段を降りるときによほど注意しないと足を踏み外しそうになる。
また上から見下ろした時の深さなども分かりづらくなっていて、ロクロで茶碗などを引いた時に適当になってしまう。

またモノの大きさなども分かりにくくなり、料理などした時に半分に分けることも適当になってしまう。
その他もろもろいろんなことが起こっているようだが慣れてしまえばそれはそれである。
もう一つ右目がなまじ見えるために左目の邪魔をして歩いているときに段差などで怖い思いをすることがある。
ともかくこれ以上良くなることはなさそうだから現実を受け入れるしかないようである。
ちなみに緑内障は糖尿病が誘発しているのだそうだ。
今、眼科に通って検診を受けているのは見える左目の方でこれがどうにかなると大変なのでまじめに通院している。
見えなくなったりしたら本が読めなくなってしまうのでそれが怖い。
また、パソコンで文章を綴ることも・・・・

眼科の帰り車窓から外の景色を眺めていたら・・・なんだかぼやけて見える。
スワこれは大変と思ったが・・・検診の時に瞳孔を開く薬をさされたことを思い出した。
2時間もしたら元に戻って一安心。







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2021-11-27

季節だより風だより・車窓風景

多摩丘陵







2か月に一度の眼科の検診日であった。
予約は10時30分だったがちょうどよいバスがなくて9時には家を出た。
コミュニティーバスのはちバスが2時間半に一本だけなので予約の時間に合わせる訳にもいかない。
今までは駅まで歩いていたが寄る年波には勝てず、大通りに走っている一時間に一本のバスに乗ったのだ。
この地では車のない生活は不便で年々陸の孤島化していくようだ。
ご近所を見渡しても同年かそれよりも上の人が多く、家の前の駐車場の空きが目立つようになってきている。
けれど、急いでやらなければならないこともないので、ゆっくり、ゆったりを旨としている。

久しぶりに京王線に乗って高幡不動まで・・・眼科は駅前にある。
北野駅から高幡不動駅までは各駅停車で4駅であるが、京王線は浅川に沿って走っていて、駅の南側には多摩丘陵が連なっている。
北野の次は長沼で多摩丘陵の中腹を開発して住宅地となっていて平地には通称北野街道という多摩市と高尾を結ぶ道路が京王線と平行に走っている。
道路沿いには住宅地が連なっているが、開発した住宅地は塊となっていて〇〇台の名前がついている。
長沼の次が平山城址公園でここは鎌倉時代に平山氏の一族が城を構えていたのだそうである。
ここも長沼と同じように平山台という住宅地がある。
そして、その次が南平で私が教員生活11年間を送った地で、どうやらここには平らな土地があり浅川の南だから南平だそうだ。
ここも多摩丘陵を削って住宅地として・・・南平台(ナンペイダイ)と南が丘という二つの塊がある。

多摩丘陵を開発した住宅地はそれぞれ固まっていて、連なってはいない。
住宅地と住宅地の間にはまだ自然が残っていて東から西に向かって尾根を歩くことが出来る。
多摩動物園を起点として南平丘陵公園、平山城址公園、長沼公園が連なる。
京王線の車窓からたった10分ほどの光景だが晩秋の色に染まった稜線を眺めるのも楽しい。
春は山桜が点在し新緑から濃い緑へと・・・思えば11年間、車窓からの風景の移ろいがどんなに慰めとなったことか・・・







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2021-11-26

かたくら通信・整理

緊縮財政








昨日は午後から蘇ってきたので、前からタカコサンに言われていた銀行に行ってきた。
彼女の趣旨はなるべく一つの銀行に統合しなさいというのだ。
まずは手始めに山荘関係の支払いをしている山梨の銀行をまとめる事だった。
山荘を建てるために借りたおかげもあって、立川の支店に口座を設けた。
そしてそこに、ローンの返済と電気、ガスなどの支払いを入れた。
今から35年ほど前のことである。
それから山荘が出来上がってからは上・下水道料金や電話など公共料金は地元の長坂支店に口座をつくるように言われた。
それからだらだらと32年間続いてきたが、ここにきてまとめた方が良いと言われたのだ。

手続きは意外と簡単で、立川の支店に出向かなくても最寄りの八王子みなみ野支店でことが済むことが分かった。
結果、いろいろと整理してみたところ、ほとんど使っていない山荘の電話に月々3500円も払っていることが分かった。
携帯電話を持ち始めてからは据え置き型の黒電話は殆ど休眠状態だったのだ。
かれこれ15年以上は使っていなかったのではないか・・・律義にも基本料金を払い続けてきた・・・その額50万円近くなったのではないだろうか・・・
さっそく解約手続きをしたが無知とは恐ろしいことだ。
この地方銀行だけではなくメインバンクの銀行の口座にも余計なものが落ちているのではないか・・・例えばほとんど使わないゴールドカード

入ってくる収入は今は年金だけ・・・それとて年々減らされている。
加えて諸式が高騰し始めている。
どうやら緊縮財政が強いられているようだ・・・メインバンクの方も精査する必要がある。
さて、そこで、近々、大型な消費をせざるを得ないような事態が迫っている。
ちょうど10年ほど前に購入した電気製品などの買い変えの時期が来ている。
加えて、家の木部の塗装や屋根の塗装も控えている。
今年の暮れから来年にかけては計画的にお金を回さなければならないようだ。
とりあえずは・・・3年後を目指して月々、国民年金の中から積み立てをしてその費用だけはねん出しようと思っている。




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2021-11-25

季節だより風だより・黄葉

命の光







八王子方面は夕べからグンと冷えた・・・明け方昨日に引き続き足がつった。
水分の抜く量は調節したはずだが、やはり冷えは筋肉を硬直させる。
ベッドから起き上がることが出来ないほどの痛みが走る。
タカコサンはぐっすりと寝ているので起こすわけにもいかず、耐えるしかない。
この攣りに対処できるのは漢方薬の68番・芍薬甘草湯しかない。
ベッドサイドに常備している薬箱から出して一服飲んで、痛みが治まるのを待った。
30分ほどして痛みが去っていったが、もう一度眠りに入ることは出来なかった。
こういう時はどうにもネガティブなことを考えてしまう。
どうしてこんな因果なことになってしまったのだろうかとか・・・
これから先同じようなことが何度繰り返されるのだろうかとか・・・
もうすぐ、81歳となるが余命はどのくらいだろうかとか・・・
死ぬのは運命だから仕方がないが、痛いのはいやだなぁ・・・

ふと、土曜日に会った青年のことを思い出した。
彼の志に共鳴したと書いたが、何となく混沌としていて面白い。
前途洋々でこれからどのように進化していくのだろうか興味がある。
せっかくご縁を結んだのだから、もう少し行く先を見てみたいと思った。
何となく生きる希望のようなモノが湧いてきた。
これから先、そう長い時間が残されているわけではないが、何かお役に立てるのではないかと思った。

いつもより早く床を出て、雨戸をあけると、裏山の雑木林に朝の光が当たっていた。
時はまさに黄葉、神々しいほどの光が樹々の葉を黄金色に照らしている。
息をのむほどの美しさだ。
この時期ならではの光の魔術を見ているようだった。
空は碧く碧く澄み渡り穏やかな一日の始まりだった。

もう少し頑張って生きる・・・命への励ましをもらったように思えた。






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2021-11-24

透析日記・絶不調

水抜き








月曜日の透析あたりから体調がすぐれなかった。
血圧が低く100を切っていた・・・こうなると何もする気力のようなものが無くなりただただボーっとしているだけだった。
80年と354日生きて、この体調の悪さは初めてだった。
原因については定かではないが、おそらく体内から抜く水の調節だと思われる。
透析というのは腎臓の機能が不能となり、腎臓によってろ過され膀胱に溜まって、尿として排泄されることが出来なくなる。
結果、体内に毒素を含んだ水分が溜まってしまうので、それらが尿毒症のような病気を発生する。
尿は全くでないわけではなくて一日の総量が200CCぐらいである。(常人は2ℓは出る)
人間の血液は大体48時間で濾過されるといわれていて、透析患者は一日おきに(48時間)腎臓の代わりに器械で浄化するわけだ。
その折に溜まっている水分を抜いて基本体重(その人の)に戻す。

この水分を抜くことが大変重要で、その日の体重からどれくらい水を抜くのかを決める。
一度にたくさん水を抜いていてしまうと、低血圧が起こり筋肉の攣りも始まる。
この水を抜く量についてはベッドに入る前に体重計に乗り看護師と決める。
もう一つ大切なことは心臓のレントゲン写真である。
肥大するとその分水分が少なくなるので心臓を圧迫する・・・月に一度は必ずレントゲン写真を撮る。

今回のレントゲン写真の結果では心臓は正常の大きさに戻っていた・・・それなのに過分にすいぶんを抜いてしまったようだ。
その結果が低血圧となったのだろう。
午前中はふらふらしていたが、午後から陶芸のお弟子さんが来てシャンとなった。
良くしたもので、単に水分云々だけではなく精神もかかわっているようだ。
お弟子さんは一年ぶりのロクロで難渋していたが、その作品を直しているうちに体調も戻っていった。
夕方には元の体調に戻っていつもの生活が出来るようになった。

低血圧の体調不良は初めての経験だったがこれから何度か同じことが起こるに違いない。
その折にはすこぶるつきの不機嫌となる・・・ごめんなさいタカコサン。





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2021-11-23

学びの窓・コロナ禍の教育

読書教育








土日とモモちゃんにお付き合いして気が付いたことだが、明らかにコロナによってコロナの影響による教育の変化が起きているように思われる。
モモちゃんは幼稚園の年中からコロナ禍が始まり年長を経て卒園して、今年の4月から小学校に入学したわけだ。
コロナ禍における教育を当たり前として学校が始まった。
まずは日日、マスクをして人と接する。
マスクがごく普通に生活の中に取り入れられて、それが不都合なことと感じていないようだ。
また人とのおしゃべりもマスク越しで、特に給食の時にはおしゃべりは絶対禁止。
それが今回のお泊りでも実行されていて、外食の時も実におとなしい。
声もマスク越しで大声は出さないので耳の遠いジジイは殆ど聞き取れない。
それが当たり前になっていくとなると新しいタイプの人間が育っていくに違いない。

また、学校の形態も変わって分散登校であるとか、リモートによる授業などアナログ人間にはどんな子供に育つのか想像もつかない。
このところコロナ患者の数も減ってそろそろ元の生活に戻るかもしれないが、明らかに教育の有りようも変わっていくに違ない。
ところで、そう言いつつもモモちゃんは私の所にある本を出してあげると、楽しそうに読んでいた。
今こそ、読書の力を信じたい・・・本の中で展開する世界を楽しんでほしい。
もし、私がいま教育に関わろうとしても空中を飛び交うデジタルな世界などチンプンカンプンだが読書教育なら多少は自信がある。

山荘から帰るときに書庫に置いてあった「ドリトル先生アフリカゆき」(ロフティング・井伏鱒二訳・岩波書店)を持ってきた。
50年も前に買った本であるが決して色あせていない。
面白い・・・80ジジイを物語の中に引き込んでくれる。
先日紹介した「冒険者たち・ガンバと15匹の仲間」などもそうであるが、もう一度子どもたちに紹介して今の世の中だからこそ読んでもらいたい本がたくさんある。
ちなみに、一年生にはちょっと難しいかもしれないが・・・
「魔女の宅急便」をモモちゃんには持って帰ってもらった。

母親も勿論、モモちゃんも話の内容は知っているそうだが、ちゃんと物語として読めば印象も変わってくるに違いない。



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2021-11-22

八ヶ岳南麓だより・教え子親子

ご縁








昨日書いた青年のこと・・・出会って一時間もしないうちに彼の考え方に共鳴し、工房を使ってもらうことにした。
話を聞いていると、メインを料理に据えて、それに付随することをやってみたい・・・しかしそれぞれのことを極めるためには一つの体ではとても大変なことである。
それを彼は志を同じくしている仲間を募って共同で思いを成し遂げたいと言っていた。
ならばその種まきの一歩として何かお手伝いできればと思ったのだ。
人が出会うということは時間の長さではなく、その志に共鳴するかどうかだと思った。
そしてそれを結びつけるご縁のようなものがあるのではないかと思った。
さてはて、これからどのような展開になるのか楽しみでもある。

ところで、今回の冬じまいに付き合ってくれたTさん・・・御年36歳、小学1年生の女の子一人、キャリアーウーマンである。
私の最後の勤務校であった日野市の南平小で図工を教えた人である。
図工の授業は週に2時間だけで子供達との付き合いは担任教師と異なり、広く浅くである。
それが、Tさんとは何となく大学卒業あたりまで続き、彼女の論文のお手伝いをした。
それから、結婚・出産まで途絶え、FBを媒介にしてまたつながるようになった。
娘のモモちゃんの成長を爺さんに報告するような形で写真も送られてきた。
もう一つ、彼女が通勤の途上で私のブログを読むようになって、2005年の始まりから読むという無謀なことに挑戦した。(ほぼ今に至るまで毎日書いているので、その量は膨大で・・・どこまで読んでくれたやら)
これもご縁なのかもしれない。

今回のお付き合いはたまたま休みが取れて娘のモモちゃんも土・日が休みで金曜日の夕方に自宅を出て清里のペンションに一泊して土曜日に山荘にきて一泊・・・清里に向かう途中で月蝕も観られたそうである。
日曜日は冬終いで慌ただしかったが、シーズン中に使ったものなどを車に積んでくれて八王子まで来てくれた。
二日間絶好の日和で八ヶ岳の晩秋を楽しんでくれたようだが、このご縁も不思議、不思議。
モモちゃんは私たちと母親の関係をちゃんと理解しているのかどうか分からないが、呼称は「おじいちゃん先生」と「おばあちゃん先生」である。

ひ孫という所か・・・モモちゃんが小学校を卒業するくらいまでは元気でいたいものだ。





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2021-11-21

八ヶ岳南麓だより・晴天の霹靂

陶芸工房








昨日、山荘に着いて雨戸をあけて空気の入れ替えをしている所にご近所のAさんの奥さんがやってきた。
我が山荘の焼き物工房を借りたいという人がいるというのだ。
おなじ北杜市で農業をやっていて、陶芸をやってみたいという31歳の青年だそうだ。
Aさん宅との関りはその青年にいろいろな雑の仕事を頼んでいるのだそうだ。
いきなりの申し出なので最初は戸惑ったが家の管理や雑事をやってくれるという所で気持ちが動いた。
実は一年間に山荘を使っているのは10日ぐらいである。
工房に至っては全く休眠状態で持てあまし気味でこれからどうするか思案中であった。
そこに突然のように舞い込んだ話で彼が家の周りの整備や草刈りなどもしてくれるというので心が動いた。

そこでともかくご本人と会ってみることにして連絡を取りすぐに来てもらった。
話を聞くと志を持って農業をやり、モノ作りもやりたいという。
彼の最終目的は自給自足型のレストランをやりたいというのだ。
食材はすべて有機農法で採れた野菜を使い。
肉類や卵は自家で飼いそれを使う。
また狩猟もやりジビエ料理もやりたい。
今持っている資格は調理師免許で大学を卒業後、辻調で学びフランスにも行ってきた。
勿論自分が学んだ技術を生かすのだが、その前にいろいろな分野の仲間を募って食だけでなく道具なども作っていきたい。
道具の中には洋食器、ナイフ、フォークなどの金属加工も入るという。
自分だけの世界に籠るのではなく多くの人たちを巻き込み育てたいというのだ

彼と話してその真摯な態度に心を動かされ、銭金ではなくその心意気に共感して即決で工房を貸すことにした。
鍵を渡して今週から仕事を始めるという。
まずは部屋の片づけから始めて、家の周りの草、竹なども切ってくれるという。

こういうことを「晴天の霹靂」というのかどうか・・・思ってもみなかったことが今の今から始まる・・・心が躍ることである。
彼の仕事の行く末を是非見たいのだ当分死ぬわけにはいかない。
軌道に乗るまでは生きていたいものだ。




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2021-11-20

八ヶ岳南麓だより・晩秋

小春日和






今年の山荘使用は今回で終わりにすることにして冬に備え水道の水抜きやってきた。
これをやらないと水道管が破裂する恐れがあり、お風呂などの自動湯沸し器なども壊れてしまう・・・一度それをやらかした事があった。
特に湯沸かし器関係は一滴も残さないように念入りに抜く。

八王子発10時31分のあずさ13号で小淵沢まで約一時間半。
月曜日を休めば4連休となるせいか列車は満席で指定席を買えなかった人達が沢山立っていた。
JRは特急の自由席を取りやめて全席指定としてしまった。
その事がまだ周知されていないらしく子ども連れでデッキにいる人もいた。
そのうち、子どもの泣き叫ぶ声が聞こえてきた・・・
「おうちに帰りたいよ・・・」どうにもしてあげる事は出来ない。
泣き声からすると2・3歳ぐらいの子どもだろうか・・・
甲府で泣き叫んでいた子は降りたようだが・・・小淵沢までまだ満席状態だった。
大きなキャリーケースを引いている人が多かったが、小淵沢から乗ったタクシーの運転手によると、清里方面で大きな音楽フェスティバルあるらしい。
それに小淵沢の駅近くの某有名ホテルでの結婚式も何組かあるらしい。
コロナ禍もここに来て落ち着いてきたのでこの時を待っていたのであろう。

八ヶ岳南麓の晩秋・・・といっても穏やかで風もなくほんのりと暖かい。
中天の空は青く青く澄み渡っていたが、周りの山々は霞が掛かったようで稜線だけがみえる・・・富士山は雲の中から頂上を覗かせていた。
タクシーから降りてしばらく歩くと、路傍にタンポポが咲いているではないか。
そこに名も知れぬ蝶が止まって蜜を吸っていた。
まさに・・・小春日和。
そして、山荘に着くと落ち葉が一面朱に染まっている。
こんな光景を見るのはこの地に居を構えて31年となるが初めての事だ。
庭先の楓が紅葉して全て散って紅い絨毯を敷き詰めたようになっていたのだ。

加えて、時折気まぐれな風が吹くと、聳え立つように立っている唐松の葉がはらはらと落ちてくる。
黄金色の針のように光って見える。

朱と黄金と晩秋の奇跡のような光景である。



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2021-11-19

季節だより風だより・晩秋

搔痒・不眠







わが家の裏の多摩丘陵の尾根も黄金に色づき始めた。
風が吹くとはらはらと散り始めて側道に積もっていく。
お隣の家の柿の木の梢に残っていた3個の柿の実もいつの間にかなくなっていた。
庭先の梅の木もすべて葉を落としている。
鮮やかなのは満天星(どうだん)・・・他の紅葉はさほどでもなかった今年の秋にこんもりと刈り取られたこの木だけは朱に染まっている。
この地に居を構えた時にタカコさんの同僚が記念にとくれたモノだ。
すでに50年近く経っていることになる。
この満天星は名ばかりで満天の花はつけたことがない。

自然の移ろいと共に我が身体もいよいよシグナルを出し始めている。
透析になる前からその傾向はあったけれど・・・搔痒である。
まずは脛のあたりから始まって、背中へと移ってくる。
特に床に入り身体が温まってくるとそれが始まる。
足は保湿クリームを自分で塗ることが出来るが、背中の中央部には手が届かない。
タカコサンに塗ってもらうしかないが、寝ている所を起こすのもすまない。
ナントカなだめすかして治めるようにするのだが・・・今度は眠れなくなる。
今まで断ち切ってきた導眠剤を服用し始めた。
処方を5ミリの錠剤だけに限定してそれ以上は飲まないようにしているが・・・
どうしても寝覚めが悪く時に午前中朦朧としていることもある。

昨夜は何とか自力で寝ようと導眠剤は飲むのをやめてみたが・・・ウツラウツラとした状態が明け方まで続き、このような時には大体ろくでもないことを考える。
朝の寝覚めもすっきりせずに今も半分モウロウの中でこの文書を書いている。
今日は透析の日なのでクリニックのベッドで寝れば睡眠時間は取り戻せるはずだ。

私にとっては晩秋よりもキッパリと冬がやってくる方がよい。
当分搔痒と不眠との闘いが続きそうである。






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2021-11-18

かたくら通信・マイナンバーカード

プレゼント







なんだかわけが分からないがマイナンバーカードの更新だそうである。
確かに5年前にタカコサンと八王子駅前の市役所の支所に行った記憶がある。
しかし、そのカードの管理をお願いしているのはタカコサンなので、それがどのように使われているのか全く知らない。
この所、コマーシャルで黒柳徹子が宣伝しているがその有用性についても意味不明。
それでも何でも5年たったのだそうで誕生日の前に更新に来なさいという訳だ。
今日は午後からタカコサンが町田の美容院に行くというので午前中に支所まで行ってこようということになった。

手続きそのモノは簡単で10分ほどですんだが・・・相変わらず何のために市民を呼びつけてそんなことするのか意味不明。
今は多少の呆けも始まったが何とか手続きは出来た・・・と言ってもタカコサンが付き添ってくれなければお手上げであるが・・・・。
次の時の更新は86歳になる直前だが、果たしてこのようなことが一人で出来るだろうかと疑問に思った。

手続きが終わった後は金魚の雲鼓のようにタカコサンの後について町田まで同行。
11月30日が誕生日なのでちょっと早いけれどランチをご馳走してくれるというのだ。
そして、プレゼントとして透析の時に着替えるパジャマを買ってくれるという・・・
まずはランチであるが、JR町田駅の西口にある「リキ」という小さなレストラン。
この店については何度も書いているので省略するが、我が家のお気に入りでシェフが別の店で働いていた頃からの付き合いでその味を知り尽くしている。
コロナ禍では決まったメニューしか出さなかったが解除となったので普通のメニューに戻ったようだ。
そこで大好きなステーキをご馳走してもらった・・・満足満足。
一昨年の11月に亡くなった大阪に住んでいた教え子のH君はこの店のチーズハンバーグがこの世で一番おいしいと言っていた。
もう一度食べさせてやりたいものだが・・・残念・無念

食事が終わってからは小田急デパートに行ってパジャマ選び。
タカコさんのお気に入りの「アクアスキュータム」というメーカーのチェック柄の上下を選んだ。
実は朝の内は昨日の透析の余韻でボーッとしていたが美味しいモノを食べ、お気に入りを買ってもらってシャキッと目が覚めた。




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2021-11-17

好奇高齢者の生活と異見・コロナ減少

マスク警察







昨日の東京のコロナ患者は16名だったそうだ。
ひと頃は万を超えてどうなる事やらと思っていたが、やはりワクチンの力は素晴らしい。
新潟に住む小千谷で医者をしているY君の言によると、罹病率が70パーセントを超えると終息に向かうと言っていたがその通りようだ。
昨日も所用があって、八王子の街まで行ってきたが、火曜日というのに人流はかなりある。
デパートの催し物場には以前のような人だかりがしていた。
ただ、前と違うのは、いずれもマスクをきちんとしていることだ。
おそらくその人たちは、デパートに入るときに手にアルコールのシャワーをかけ、家に帰ればキチンと手洗いをしているに違いない。
この国で急速にコロナ患者が少なくなってきたのは言われたことはきちんと守るように躾けられているからにちがいない。

電車に乗ってもバスに乗っても、マスクをしていない人など見かけない。
よしんばノーマスクの人などいたら、そばに近寄らないし冷たい視線にさらされる。
私のような厳つい顔の者はマスクによって半部顔を隠されているので助かっていることも多い。
女性などはせっかくの化粧も半分隠されてしまうと、どんな容姿なのか想像するしかないようだ。

おそらくこのマスクは人々の風景や風俗となっていくに違いない。
それと同時に「マスク警察」も定着するに違いない。
現に、私も電車の中でマスクをしていない人を見ると、避難の眼を向けてしまう自分がいる。
一昨日も、隣のベッドの爺さんが咳き込んで、その時にマスクを外してコホンコホンとしていた。
その飛沫を考えると・・・よほど注意をしようかと思ったがじっと我慢をした。
これからこの人とは隣どうしでいなければならないからなァ。

また、まだまだコロナについては終息という訳ではなく「6波が・・・」と言われている。
これから寒さに向かいインフルエンザとあいまってパンデミックがおこるかもしれない。

それにしても世の人々はお酒が好きで酒宴も好きなんだなぁ・・・
下戸には分か気持ちである。





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2021-11-16

好奇高齢者の生活と異見・物忘れ

飲み薬







今日は午後から本格的なお茶の稽古があった。
この時期はいよいよ炉に炭が入り独特な匂いが家中に漂う。
タカコサンは朝から大忙しでこの季節の稽古の準備をしていた。
特に今日はお弟子さんが5人ほど来たので二組に分けての稽古だった。
私はこのような日はひっそりと邪魔にならないように自室にこもるか、どこかに出掛けることにしている。

幸い今日は「キョウヨウ」も「キョウイク」もあったので出かける方をとった。
キョウヨウは月に一度のかかりつけでの診察・・・糖尿も抱えているので腎クリニックのデーターを持って薬を処方してもらう。
今月は平均的な血糖値が少し上がったので。食生活の見直しと、食事の内容を記録しておくようにと言われた。
診察を終えて処方箋をもらい、調剤薬局に行ってその足で橋本方面でも行こうかと思っていたのだが・・・携帯と腕時計を持っていないことに気が付いた。
このまま、「キョウイク」を進めようと思ったがチョット不安なので家にもどった。

実は出かける前にもひと悶着あったのだ。
まずは財布を忘れて、一度外に出たがとりに戻った。
そして、門から少し歩いてマスクをしていないのに気が付いて戻った。
極めつけは「パスモ」を忘れてまた戻った。
都合3回、玄関を出たり入ったりした・・・タカコサンはあきれ果てて何も言わなかった。
物忘れ自慢をしてもしょうがないが・・・一番忘れるのは薬の飲み忘れである。
食前の10分前にインシュリンの出をよくする薬を飲むことになっている。
しかし、生来、食い意地が汚いので食べモノをみるとすぐに手を出してしまう。
そして食べている途中で気が付いて・・・胃に向かって言い訳をする。
「これは食事ではありません、単なる味見です」
でも、胃は何も答えてくれない・・・
実は今月の平均的な血糖値の上がりもこの薬の飲み忘れによることが大きい。

その他物忘れについては挙げれば枚挙にいとまがないが・・・人の名前の忘れがはなはだしい。
忘れというよりも新規に会った人などは、はなから覚えようとしないのだ。
クリニックの看護師・技師も3人ぐらいしか覚えていない。
さすがに、顔は覚えているのだが・・・・



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2021-11-15

好奇高齢者の生活と異見・タクシー運転手

選挙その後






先週の金曜日、透析の帰りに乗ったタクシーが初めの赤信号で止まったときだった・・・
運転手が「お客さんこれ見てください」と言った。
メーターの上についているナビである。
「この赤い所がちょうど渋滞している所です。ようやっとコロナ以前の状況にもどってきました。」
「そうですか・・・これで景気も上向きになりますね」というと
「そうでもないんですよ、お客さんが無茶しないので、終電過ぎるとお客がぱたりと減ってしまうんです。
 以前なら終電過ぎが稼ぎ時だったんですがね。」

「それにしても今度の選挙何だったんでしょうね・・・私はリッケンに入れたんですがね・・・
 あれは完全に共闘の失敗ですね。その受け皿を維新がかっさらった・・・」
「この国ではまだまだ政権交代は無理でしょうかね・・・」

「腹が立つのはK党の主張する18歳以下に10万円給付・・・コバンザメのようにJ党にくっついて人気取りをしようとしている。
 10万円配る前にするべきことがあるだろうと思いますよ。絶対に第6波はきますよ。
 それなのに外国人の受け入れが始まり滞留3日ですよ。水際で食い止めるどころではないじゃないですか。」
運転手さんの意見はお客の声の集大成で傾聴すべきことが多々ある。
彼の説によれば第6波は必ず来るというのだ・・・私もそう思う。
「10万円の給付をまず水際対策に使うべきですよ。
 来日した外国人はホテルでも何でも借り上げて最低でも10日間は観察すべきです。」

「給付する10万円は半分はクーポンにするとか・・・あれは間違いなく利権ですね。
 クーポンにするための印刷代や手間など考えたらすんなり現金給付の方が効率的だと思いますよ。」
言われてみれば確かにそうだ。クーポンにすることによって手続きも滞るだろうし、事務手続きも煩瑣になる。

政界ではゾロゾロ、妖怪のような人物が動き始めている。
アベとアソウは仲良しだと思っていたが利権だけで結びついていて政界再編では二大勢力としてうごめいているようだ。
刷新を期待したがやはり過去のしがらみが強くはたらいて、まだ全く解決していないモリカケサクラもうやむやになるに違いない。





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2021-11-14

友がき・喜寿の後輩

励まし







昨夜は布団に入って身体が温まると咳が出始めた。
痰も絡んできてとても眠りにつけるような状態では無かった。
そこで導眠剤を一錠・・・時間はちょうど2時になるところだった。
今朝の寝覚めは悪く朦朧としていた。
タカコサンは自治会の避難訓練があるので10時頃には出かけて行った。
今年は当たり年で我が家が班長を仰せつかり自治会の広報の仕事もしている。
当主は私であるが、一日おきの透析で目いっぱいでタカコサンに代行してもらっている。
ちょうど12時ごろに帰ってきたがかなり本格的な訓練でテントの設営やら、非常食の温めと試食もあったようだ。
その間私はうつらうつらしていて、ソファーで寝てしまっていたようだ。
お昼はありあわせの材料でお好み焼きを作って食した。

さて、午後もグタグタしていると夜また寝られなくなるので前から会いたいと思っていた後輩のO君に電話した。
彼は私が良く行く橋本に住んでいて書籍の編集の仕事をしている。
私より4歳下の77歳だが今も現役で仕事をしている。
先週、甲府に出掛けて行ったハイスクール・YMCAの仲間で同じ釜の飯を食っている。
彼は先週は用事があるとかで欠席だったので会の様子の報告がてら会うことにした。

実に会うのは5年ぶりぐらいである・・・やはり年相応に年齢を重ねていてマスクもあってか初めは彼であることが分からなかった。
駅の近くのコーヒーショップで約2時間語らったが沢山の刺激をもらった。
今彼が手掛けているのは戦後史で全十巻にも及ぶという。
出来上がったばかりという2冊をもらってきた。
「密約の戦後史」(新原昭治・創元社)「9条入門」(加藤典洋・創元社)
2冊とも読みごたえがあり興味の尽きないところだ。
9条の著者加藤氏は2年前に惜しまれつつ亡くなってしまったが・・・論客であった。

私の宙ぶらりんになってしまっている「甲府の七夕空襲」の話を是非完成するようにと励まされた。
もうこうなったら私財をなげうって出版するしかないようである。
お葬式の費用さえ残しておけば何とかなりそうなので来年の七夕までには出版にこぎつけたいものである。




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2021-11-13

友がき・信州の友

年賀欠礼ハガキ







先日、信州に住むY君より年賀欠礼の便りが届いた。
妹のTさんが72歳で亡くなったというのだ。
Tさんは我が住む片倉台の隣の絹ヶ丘に住んでいた。
一年に何回かは生協で会ったり北野の京王ストアーで会ったりした。
いずれも買い物の途中でちょっとした立ち話をしたものだ。
最後に会ったのはY君のお嬢さんのサクラさんのコンサートで5年ぐらい前だった。
お嬢さんと来ていて、至極元気そうだった。
信州のY君に電話してみると・・・一番下の妹の逝去でだいぶがっかりしていた。
病名ははっきりは分からなかったが私にとっても会えば親しく話す仲だったので残念。

ご冥福を祈る。

そこで、Y君の動静について尋ねたところ、年相応にいろいろあるようだった。
一番のお悩みは腰の故障で曲がってしまい10センチも身長が縮んだとの事だった。
奥さんのEさんは最近白内障の施術をしたそうで世の中がよく見えるようになった・・・
二人とも毎日散歩を欠かさないようにして足腰を鍛えているようだ。
朗報としては娘のサクラさんが軽井沢に家を建てて時々様子を見にきてくれるとの事。
サクラさんはクロアチアに留学して、かの地でヴァイオリニストのKさんと知り合い結婚。
Kさんはアルメニア人で今は日本のオーケストラに所属しながら活躍しているそうだ。
来日当時はだいぶ応援をしたが・・・日本に居を構えるまでになって本当に良かった。

サクラさんとはいろいろな思い出があり、特にまだ小学校に上がる前にお兄さんのアキオ君と共に我が家に泊まりに来て親子ごっこをさせてもらった。
その折に、口紅を差してきてちょっと驚いた。
お母さんの口紅の残りをストックしておいてお出かけというので彼女なりのおめかしだったらしい。
また、兄妹とその日、手製の凧を作って飛ばした。
まだ我が住宅も開発途上で丘の上に登っての凧あげだったが、風が良くて、1000メートル以上揚がったのではないだろうか。
我が人生であんなに遠くまで凧を揚げたのは初めてだった。

今は昔の思い出・・・そんな二人にも子どもが出来て良いパパとママになっているようである。




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2021-11-12

なごみ食堂・幻の豚東京X

ポークステーキ







この所、食欲全くなし。
以前なら、あれを食べてみたいと思うようなものがあったが皆無。
ご飯と漬物とその時の菜で済ましている。
その原因は定かではないけれど以前食べたもので美味しかったものを思い出し、いざ食べてみると全く期待を裏切られる。
それでも何でも食べなければ衰弱してしまうので知恵を絞って何かどうか作ってはいるが・・・

昨日は処方箋の日で北野駅前の薬局まで行ってきた。
ついでに近くのスーパーに寄って夜の総菜を考えることにした。
しかし出来合いの物は味がしれているし・・・これと言った食材がなかった。
ひとまわりしたところで、肉売り場で「幻の豚東京X」を売っていた。
どこかで聞いたことがある名前だ。
そこで、値段を見ると、普通の豚肉の倍以上の値段がしている。
それだけ自信があるのだろう・・・
「塩コショウをして焼いてシンプルに食べる。この豚は脂身が美味しいので敢えて油はとっていません」と宣伝のマイクがしゃべっていた。
分厚いステーキ用の肉が1000円ほどした・・・厚さ3センチほどある。
タカコサンと二人で分けて食べれば十分な大きさだ。
躊躇わずに買った・・・付けあわせはポテトサラダにした。
さて、焼いて食べると言ってもあまりに大きすぎる・・・そこでまず両面を焦げ目がつくほど焼いた。(3分・3分)それを取り出してホイルに包んで5分ほど放置した。
ステーキの時やったやり方で、これだと十分に肉に火が回る。
マイクでしゃべっていた通り、それ以上のことはせずに食べやすいように切って皿に取り分けた。
そのまま食べても美味しかったがワサビ、辛子などをつけても美味しい。
久々に満足いくものを食べることが出来た。

それにしても、この所、物価が上がっていることを実感している。
値段は変わらなくても、おおきさを小さくしているのが目立つ。
お菓子など以前の半分ぐらいになってしまったものもあるようだ。

いよいよインフレの始まりか・・・収入のない身にはインフレはきつい。
年寄りだって10万円ほしいよ・・・・



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2021-11-11

読書生活・冒険者たち・ガンバと15匹の仲間

50年前の物語







このところ、物忘れがひどい。
歳を重ねれば誰しもたどる道のようだが、記憶が明晰な人もいるに違いない。
ただ、忘れることは必ずしも悪いことばかりではないようで、読書に関していうと読んだという記憶があるだけでその筋立てはほとんど忘れてしまっている。
そこで、書架の中からかつて読んだと思われる本を引っ張り出して読んでいる。
昨日その訃報を書いた樋口有介氏などはその類で夏の終わりあたりから読み始めていた。
その数10冊にも及ぼうかという時に訃報だったのでショックを受けた。
しかし、これは余談であるが教え子のHさんからメールが入り樋口さんの死亡日時を11月23日としていた。
「樋口さんの亡くなった日未来になってます‥‥あと12日後かな」
さっそく直しておいたがこのような失策は日常茶飯事である。
私のブログの文章を点検してくれるタカコさんも気が付かなかったようだ。

ところで、本来は私のブログは子どもの本を中心とした読書の紹介を目的していたのだが、16年も続くとそんなにネタがあるわけでもない。
一日一日の感じたことをカテゴリーに分けて綴っているのだが、子どもの本の紹介も退職してからは殆ど縁が亡くなってしまった。
ところが、先日ブック・オフに行った時、かつて子どもと一緒に読んだ「冒険者たち・ガンバと15匹の仲間」(斎藤惇夫著・薮内正幸画・岩波書店)が並んでいた。
発刊当時は今はなくなってしまったが牧書店という出版社だった。
ハードカバーで当時としては堂々とした本だった。
この本を紹介してくれたのは当時世田谷で親子読書会をやっていてそのメンバーだった5年生の男の子だった。
以来私にとっては子どもの本を紹介するときには必ず入れる一冊となった。
物語はドブネズミのガンバが港で開かれるネズミたちの集会に参加するところから始まる。
宴も盛り上がりいよいよ散会という所に、傷だらけの一匹のネズミが助けを求めてやってくる。
島ネズミの忠太という・・・聞けば島の一族がイタチのノロイに襲撃されて絶滅寸前。
ネズミたちは協議の末、そんな無謀な助けは出来ないないというが、ガンバだけは島に出掛けるといいい、仲間を募る・・・そして15匹が名乗り出て島へと向かう。

初版からすると50年も前に出版された物語であるが決して色あせていない。
挿絵の薮内さんの絵がまたいい。変に擬人化せずにリアルなネズミの姿として描いている。
アニメ化されたようだがマンガチックで物語を損なっていた・・・
やはり映像ではなく本として楽しんでもらいたい・・・

忘れることも良いものだ。






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2021-11-10

読書生活・中堅小説

訃報







そんな言葉があるわけではないだろうが、今脂がのっていてこれから注目されて良い作品を残していく作家たち。
歳のころなら60代から70代というところか・・・残念ながらその訃報が続く。

まずは長谷川卓・・・2020年11月4日に亡くなった。
その作品は時代小説で、下級同心モノ、奉行所モノ、隠密モノなどなんでもござれだったが、出色は戦国時代を舞台にした山のモノの戦いであった。
大名に雇われればそのものの下で働くが支配はされない。
山中に自分たちが生活する田畑を開き、戦いのない時は周囲との交渉を断ってひっそりと暮らしている・・・いわゆる山の民である。
それらが頼まれて手汗にぎる敵との戦いがくり返されていく。
戦国時代の裏面史としても面白い。72歳は若すぎる・・・・もっともっと書いてもらいたかった。

もう一人は樋口有介・・・ガラリと趣向を変えて青春ミステリーを書いていた。
1988年に「ぼくと、ぼくらの夏」で第6回サントリーミステリー大賞の読者賞を受賞して華々しくデビューした。
以来青春ミステリーの書き手として様々な作品を書いているが、今読んでも色あせていない。
彼の作品のほとんどを読んでいるが、警視庁退職刑事の柚木草平シリーズが好きである。
彼は今年の10月23日に亡くなっている。
新しい作品はもう生まれることはないけれど、結構初期の作品でも読みごたえがある。
年と共に健忘が進んでいるので、新しい作品を読んでいるようなつもりになる。
それにしても71歳は若い。

お二人の御冥福を祈る。















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2021-11-09

季節だより風だより。雨あがる

昼散歩






昨夜から降っていた雨も午後の3時ごろに上がった。
久しぶりの雨脚で軒打つ音が聞こえてくるようであった。
今日は何となくくたびれていて一日グタグタと過ごすつもりであった。
けれど、薄日が差してくると何となくウズウズしてきてショート散歩に出かけた。
裏山は晩秋の装いとなってきたが何となく枯れ葉の色付が悪い。
庭の楓も山の家から苗をとってきて植えている紅葉も鮮やかな朱にならない。
リビングの前に植えてある満天星躑躅も色あせて見える。

日曜日に山荘から小淵沢まで乗ったタクシーの運転手も八ヶ岳南麓紅葉も今一つだと言っていた。
「おそらく一昨年の台風が影響しているのだと思います。昨年も色付が良くありませんでしたよ」
「今年は大きな台風は来ていないので多分来年は大丈夫だと思います」と言っていたが。

散歩道見るべき花がほとんどない。
赤い木の実だけが目に付いた・・・もう10年も人が住んでいないお宅の垣根に南天の実がこぼれそうになるほど身をつけていた。
赤い実と言えばピラカンサ・・・タワワという言葉がピッタリの実の付け方だ。
ピラカンサには鋭いとげがあるので人を寄せ付けないようだ。
わが家にはショボイ「そよご」。赤い実をつけているが風に揺れるさまが「そよご」にピッタリである。
時折、ヒヨドリやシジュウカラが来て実を啄んでいるがそよぐ枝につかまってまるで軽業師のようである。
散歩の終盤、隣の家の石垣の根元にツワブキの花が咲いているのを発見。
よくぞこんな所に・・・石と石の隙間から茎を出し葉もつやつやとして「ツワブキ」
花は5輪ほど咲いていて堂々と存在を主張している。
実は我が家にもツワブキは有るが堂々さに欠ける。
おそらく両方のツワブキは鳥が運んできたものにちがいない。
ツワブキの葉は食用にもなるそうだが、民間療法で葉をあぶって患部に張り付けると,膿出汁の効能があるそうだ。

ちなみに、花言葉は謙遜、謙譲だそうでひっそりとこの時期に咲く花にふさわしい。



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2021-11-08

八ヶ岳南麓だより・秋の深まり

記念写真







一昨日は甲府駅でTさんと右と左に別れた。
Tさんは東京に帰り、私は山荘に一泊する予定だった。
すでにタカコサンは先行していて夕食の支度をして待っていてくれる事になっている。
甲府から山荘までは電車で40分ほどで小淵沢、それからタクシーで10分ほどだ。
小淵沢に着いたのが6時頃で外はすでに真っ暗だった。外はちょっと肌寒かった。
山荘に着くと石油ストーブが炊いてあって上着のままだと汗ばむくらいだった。
夜は懐かしい友達のことを思いながらぐっすり眠ることが出来た。

朝、日差しが雨戸の隙間から部屋まで入り込んでいて目が覚めた。
時計を見ると8時を回る所だった。
身づくろいをして雨戸をあけると庭先の楓の紅葉が陽の光に照りかえり輝いている。
まだ紅葉には早いようだが毎年の愉しみの一つだ。
そして庭一面に落ち葉が敷き詰められたようになっていた・・・テラスのすぐ前にあるエノキとケヤキの大樹で葉はあらかた散っている。
庭に降りて葉の重なりのフカフカを楽しんだ。
空は青く晴れ上がっていたが薄い雲が西から東へと棚引いている。
周りの山山の稜線は雲がかかっていて見えなかった。

この時期どうしてしておかなければならない仕事・・・竹伐りに挑戦した。
雪が降ると笹に積もってそれが電線にしなだれかかる。
去年から今年にかけて生えてきた竹がすでに直系5センチ以上になっていてのこぎりと鉈で挑戦したが、竹を伐るよりも息が切れた。
それでも何でも頑張って6本切り倒した。
来年からはタケノコの内に・・・一石二鳥ではないか。
午後からはまったりと過ごした・・・タカコサンは伊勢路の大学駅伝を見ていた。
私は、自室で本を読んでいた。

帰りタクシーで小淵沢に出たが途中、紅葉が見事なトンネルのような所に差しかかった時。タクシーを止めてもらって嫌がる私を引っ張り出して記念撮影をした。
二人並んで撮る写真など何十年ぶりではないだろうか・・・
タカコサンは昨日、山荘に行くときにこの場所と決めていたようである。

まぁたまには二人の記念を記録に残しておくのも悪くないかもしれない。
そうだ・・・私が80歳、タカコサンが77歳のこの年を記念してスタジオに遺影写真を撮りに行くことを思い出した・・・・








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2021-11-07

八ヶ岳南麓だより・旧交

爺と婆








昨日の会では見知った顔は半数ほどだった。
それも皆、70代以上の人ばかりであった。
集まった人の多くは高校時代にハイスクール・YMCAに所属していた人達であった。
戦後まもなくYMCAを母体にして山梨県下の高校生たちが集い、会が創設されその中心となる事業は夏休みに行われるワーク・キャンプだった。
当初は八ヶ岳山麓の開拓村の手伝いだったが昭和30年代から40年代に掛けてわが山荘のある北杜市の瑞垣山山麓にあった天使園という養護施設の開拓の手伝いだった。

最盛時には高校生の参加が100名にもおよび3班に分けてそれぞれ1週間ずつ寝食を共にして勤労奉仕した。
今思うと良くぞ学校が許可し、それぞれの家庭も子どもたちを送り出したものだ。
このワークキャンプの運営は全て高校生に任せられ、オブザーバーとしてOB・OGが関わった。
大人たちは県下の教会の牧師が顔を見せ教師たちが宿泊してもせいぜい一泊二日だった。
1週間のプログラムは全て高校生が立て、食事のまかないもOBがサポートして朝昼晩の献立を考え賄をした。
医療関係はOB。OGのなかに医者の卵や看護師などもいたのでいざというときにはそれらの人が活躍した。

今考えて驚くのは同じ屋根の下に男女が寝泊りした事である。
思春期の子どもたちで今なら風紀のことを考えてしまうが一切その手の間違いは起こらなかった。
後にそのときの淡い思いから結ばれたカップルも在ったがそこには信仰が介在していたようである。

さて、昨日の会で会った人達はこのワークキャンプを介した人達だったが、私の世代の先輩は既にそのほとんどが旅立っていき、同席した同級生のW君、Tさん、私が数少ない大先輩となってしまっていた。
召天の会の大沢先生は大大先輩で、ハイスクール・YMCAの礎を築いた人でもあった。
参加者の多くは後輩といっても皆、充分な爺と婆ばかりで、どちらが先輩なのか分からないような人もいた。
また、連れ合いさんに付き添ってもらって、今生の別れに来ていたような人もいた。
ハイスクールYMCAは昭和40年代後半から急速に衰え、今は跡形もないという。
高等学校の締め付けが厳しくなり、自由の気風も失われ世の中が享楽的になっていった証か・・・・

いずれにしても私にとっては懐かしく、よき青春の日々を思い出させてくれる会であった。
 

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2021-11-06

八ヶ岳南麓だより・召天一周年記念

懐かしき友






今日甲府でYMCA総主事だった大沢英二先生を記念する講演会が甲府のYMCA会館で開催された。
大沢先生は私の高校の時の大先輩に当たり、若き頃その薫陶を受けた。
先生は青山学院大学を出て甲府のYMCAの主事を経て総主事となった。
その活動はマルチでYMCAの活動のみならず、山梨ボランティア協会、やまなしライフサポート、山梨キリスト者9条の会、ボーイスカウト甲府第五団など枚挙に暇が無い。
先生の根底にあったのはキリスト教信仰と同時に、平和への願いではなかったかと思う。
先生は小学生の時に甲府の空襲に会う。
甲府の町の70パーセントが焦土と化したいわゆる七夕空襲である。
昭和45年7月6日から7日にわたって300機にも及ぶB29が襲来して甲府の町を焼き尽くす。
先生はそのときの体験を忘れてはいけないと、語り部として本を出版したり、小学校を回って子どもたちに体験を語る活動を続けてこられた。

先生が亡くなったのは昨年の11月12日だった。
コロナ禍で皆駆けつける事が出来ず、一年経った召天記に実に100名にも及ぶ懐かしい人達が参集した。
同級生のTさん、W君もきた・・・60年経った同窓会のようだった。
式の中で歌われた賛美歌の一節・・・

色づき行く秋を この友は生きた
いのち 他人のために 燃やしつつ
悩みつまづくとき この友は示す
歩みつづけてきた 主の道を

雪かがやく冬を この友は生きた
いのちあたためつつ やすらかに
この日 目を閉じれば 思い浮かぶのは
この友を包んだ

久々にたくさんの懐かしい顔にあえて嬉しかった。









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2021-11-05

かたくら通信・2年前

2019年10月・11月







今から2年前の今頃は自分の生活の変化が目まぐるしかった。
まずは透析である・・・10月の末から東海大から今の腎クリニックに変わって治療が始まった。
通院は楽になったけれど、これからずっと自分の命を託すと思うと不安であった。
けれど院長の方針として透析のない日は常人と同じような生活をするように言われた。
確かに一日おきの午後からの4時間と帰ってからの時間はヘロヘロとなるが翌日は普通の生活が出来るようになった。
感覚としては一日おきに日曜日が来ているようで2年たった今は結構出かけることも多くなった。
先日の新潟行きなどは当初考えられないことであった。
ともかく今は元気にしている・・・辛い日もあるが勤めて明るく前向きに。
頑張らない、あるが儘を受け入れることを心がけている。

もう一つ・・・2019年11月2日、訃報が入ってきた。
大阪に住む教え子のH君が1日の夜に亡くなったという。
3年ほど前から肝臓に悪いモノが見つかり治療に専念していたが急逝してしまった。
元はB型肝炎からで子どもの時の予防接種が原因ではないかと追跡していたところだ。
H君とは小学校4・5・6年と担任し卒業してからもずっと関係は続いていた。
家は父親が自動車の解体業をしていてその仕事を高校を卒業するまで手伝っていた。
そして、卒業してからは運転免許を取り、運送の仕事について、東京から名古屋、大阪にたどり着き、良き人とのめぐり逢いもあった。
50歳になった時にはトラックを10台も持つ運送業の社長となった。
社運も上向きとなったさてこれかという時の発病で、あらゆる手を尽くしたがかえらぬ人となった。

彼はいつも私のことを気にかけてくれて八王子方面で何か起こると必ず電話をくれた。
「先生大丈夫か・・・」が口癖だった。
彼との別れは今も辛い・・・そろそろ電話がかかってくるのではないかと思う時もある。
彼の葬儀は透析の日に当たっていたので、タカコサンに行ってもらった。
親族の席で見送ることが出来た・・・と言っていた。

11月2日、奥さんに電話をしてみた。
「先生、寂しいですよ」と一言。
私も寂しい・・・でも、そんなに遠くない日に彼とはあちらで会えると思う。


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2021-11-04

季節だより風だより・小春日和

昼散歩







南天に上った陽を背に受けて、お決まりのコースを散歩した。
空は青く晴れわたり、薄墨を流したような雲が一筋、北から南へと流れていく。
自分の歩く姿は分からないが、背を丸め前のめりになっているに違いない。
お昼前の住宅地には人は誰も出ていない。
静まりかえってかすかに昼餉のための何かのソースの匂いが漂って来る。

晩秋の穏やかなこんな日のことを小春日和と言うのだろう。
大学の時の英語のテキストにインデアン・サマーとありこの言葉がアメリカ流の小春日和だそうだ。
大学で学んだたった一つの英語である。

ふと崖の上のピラカンサに眼をやるとヒヨドリが赤い実をついばんでいる。
私の姿に驚いたのか慌てたように飛び去って行った。
赤い実はガマズミ、南天もあり、鳥たちがどこからか運んできて何年もかけて実になったに違いない。
自分たちで作った農場のような餌場だ。
道すがらのお宅の柿の木はあらかた葉を落とし梢に三つ実を残している。
これから冬に向かう小鳥たちの非常食となる。

花は公園の山茶花が咲き始めている。
サクラは殆ど葉を落とし、プラタナスの黄ばんだ葉が陽を透かして黄金色に輝いている
楓は陽当たりのよい南側だけが朱く染まり始めている。
樹々全体が朱に染まった一本、夏椿の木だ。
公園の前の家の庭先に青くしまった実がなっている。
夏みかんか、それともゆずか、ミカンの実はすでに黄色に色づいている。
一つもいで口に入れたその酸っぱさを想像しただけで唾が出る。


秋の名残か酔芙蓉の花が寂しげに咲いていた。
合計3200歩の昼散歩

今日のお昼はソース焼きそばにきまり。










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2021-11-03

武相歩き・立川2

職質





昼食を終えてタカコサンとは別れて一人で八王子まで帰ることになった。
けれど、2人で出かけるときは最後までお付き合いをしていたのに・・・何か突き放されたような不安な気持ちなった。
70代の頃は独り歩きも平気で、歩きもしっかりしていて,あゆみも早かったように思う。
所が今は後ろをトボトボトついて行くのだ。
タカコサンも心配になるらしく時々後ろを振り返って確認する。
今私の歩みを遅くしているのは緑内障のために右目が明るさしか感知出来なくなったのだ。
片目が見えなくなると不都合なのは、上下左右の距離感がつかめなることだ。
特に、階段などは怖い・・・それも小さな段差で躓きやすい。
タカコサンも一人で家に帰すのが心配らしくデパートの玄関まで送ってくれた。

いくら年をとっても、まだ判断力のようなものはある。
多少、よろよろして人にぶつかりそうになったりしたが、それでもコンコースから駅の改札の近くまで行くことが出来た。
その時、2人の警察官が長髪でデイバックを背負った青年を人の少ない壁の方に寄せて行った。
どうやら職質をするらしい・・・京王線で忌まわしい事件が起こって不審者は取り締まるというのだろうか。
二人の警察官の拉致の仕方に瞠目した。
一人が前に回り逃げられないようにして、もう一人は側面から男の体を押していく。
男は抗うことなどできないように拉致された形になった。

私も若いころ職質にあった・・・ちょうど浪人しているときだった。
渋谷区の笹塚中学の隣に下宿していた。
その時、中野区の新山小学校の近くに友達が住んでいて、夜8時頃、そこに遊びに行った。
ついでに洗濯ものを彼の家の洗濯器で洗ってもらうつもりだった。
手にはその風呂敷包みとなぜか手製の尺八を持っていた。
警察官から見たらぜったい怪しい・・・何を聞かれたか覚えていないが、犯罪者扱いだった。
交番まで拉致はされなかったが持ち物の検査はされて汚れた下着などが出てきた。
結局、怪しいものはなかったので放免されたが貴重な経験だった。

立川で職質にあった青年はその後どうなったか分からないが公衆の面前では恥ずかしい。
何事もなく無罪放免ならば良いのだが・・・・







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2021-11-02

武相歩き・立川

小籠包







毎月一度、タカコサンは立川にある某デパートの化粧品社員セールに友達と行く。
その帰りに9階にある某有名中華料理店に寄って名物の小籠包を食べて来る。
この店は台湾に本店があり、世界展開をしていてシアトルの郊外にもあって娘に連れて行ってもらったことがある。
実は台湾の店にもツアーで行ったことがあるがその味については余り記憶がない。
タカコサンは毎度行った報告をしてくれるのでいつか機会があったら連れて行って欲しいと頼んだ。
そして、前回社員セールに行った時に品物がなくて、今日それを取りに行くので同行することになった。

立川というと私にとっては何となく基地の街、うらぶれた街という印象しかなかった。
今から50年も前の記憶しか残っていないのだ。
大学が武蔵小金井だったので、映画などを見に行くのは立川だった。
まだ基地は返還されていなくてアメリカ人が闊歩していた。
何となくうらぶれた感じがして貧乏学生の私には似合った街だった。
また、大学を出て就職して初任が今のあきる野市で、これまたちょっと都会の雰囲気を味わうのには立川まで出た。
それから、結婚してずっと足が遠のいていたが、基地が返還されその跡地に昭和記念公園が出来て・・・遠足などで訪れたが街まではいかなかった。

その変化に驚くばかりであった・・・お洒落なビルが対並びモノレールが走り、近未来の街へと変貌していた。
我が街の八王子は見習って欲しいものだ。
さて、タカコサンの後をぬれ落ち葉のようにべったりとくっついて中華店にたどり着いた。
予約がしてあったのですぐに入店できたが店の外には10人ぐらい待っていた。
緊急事態解除もあってか、まったく以前と変わらぬ人流であった。
小籠包セット(エビそばが付いた)を頼んだが小籠包の食べ方を店員に教えてもらった。
小籠包は中に入っているスープが大事だそうだが・・・ちょびっとだった。
そばの方は優しい味だったが「えびすや」の濃厚スープで鍛えられているのでモノ足りない。
タカコサンはカニチャーハンのセットだったので半分分けてもらったが、こちらも上品な味つけであった。

このセットの味はタカコサン向けで、甲州の山家育ちにはモノ足りない。
二度目のお誘いはなくて結構です。



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2021-11-01

好奇高齢者の生活と異見・総選挙

非情







あわただしく国政選挙も終わった。
思ったほど民意は動かず、J党は過半数を確保してホッと一息。
野党共闘なるものを組んだ、立憲・共産ものび悩み。
やはり具体的な政策を打ち出した維新の会は大阪のみならず、全国で大躍進をした。
金曜日に乗ったタクシーの運転手が言った通り、具体的に見えて実現可能な政策を掲げたところに民意は集まったようだ。
3万円くれるとか30万円バラまくとか消費税を撤廃するとか・・・実現は難しいと思われることよりも「議員定数と議員報酬の3割減」は身を削るわけで分かりやすく本気で取り組めば出来るに違いない。
野党は批判を繰り返しバラ色のようなことを繰り返しているが誰も実現可能などとは思っていない。具体的に野党として何が出来るのかを真摯に考えるべきだ。

それにしても国民の鉄槌は厳しかったようだ・・・大物と呼ばれる議員が軒並みに落ちている。
胡坐をかいていた付けが回って来たのだろうか・・・立憲の論客、辻元さんが落ちたのは惜しいことである。
また、まだやれると思っていた長老たちが引退を余儀なくされたようだ。
これは風通しを良くするために大切なことだった。
しかし、その後継を2世・3世が受け継ぐというのもいただけない。

非情な話がある・・・山口3区で立候補した林さんはもともとその地域の河村さんを押しのけての立候補だった、河村さんは学校図書館議員連盟の会長を務めていてなかなかの人物。
それがアベの力で吹き飛ばされ引退を余儀なくされ後継を息子に・・・と思っていたが、その息子も何のゆかりもない北関東ブロックに落下傘として回され、知名度もなく落選。
本来なら中国ブロックの比例で復活するはずだったが、アベの強引なねじ込みでお気に入りのお騒がせ女の杉田水流が当選している。
当初は河村さんは林さんに地盤を渡す代わりに比例の上位に名前が上がるはずだったが・・・無縁の北関東に飛ばされ落選。

河村さんは二階派の重鎮で、もう一期ぐらいは勤められそうだったのに・・・学校図書館人としては残念なことである。

それにしても老害たちは今回も居座るようだ。
アソウをはじめとして、二階、小沢、菅などなど・・・・国会議員はよほど魅力がある職業なのだろうなぁ・・・




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