2022年 5月の過去ログ

2022-05-31

忘れえぬ人・大阪のH君

命の木









大阪で運送業を営んでいた、H君から6年前の父の日に植木のプレゼントが届いた。
植木と言っても鉢植えの木で名前はわからない。
なるべく手間がかからないようなものでどうやら南の方の木のようだった。
水やりは月に一度ぐらいでいいらしく、無精者の私にはピッタリの植木だ。
その折に、一緒に飯食い茶碗が添えられていて、どうやら父の日プレゼントとしてH花壇が仕掛けたモノらしかった。
H君はH花壇の仕事を受けていたのでその企画に乗って私へのプレゼントにしたらしい。
おそらく彼は私に何が送られたかは知らなかったと思う。
でも、気持ちはありがたく受け取った。

彼は町田の鶴川の学校で4・5・6年と教えた子でいろいろあって卒業してからもずっと付き合いは続いていた。
どうやら父親を亡くしたあたりから、私が父親代わりになってしまったようである。
彼の息子が結婚する時には祖父祖母のポジションで私たち夫婦が大阪まで招かれた。
八王子がニュースになったりすると(主に気象関係だが)真っ先に「先生大丈夫か・・・」と電話がかかってきた。
上京した時には家族で必ずわが家に寄ってくれた。

そんな彼も2019年の秋に病を得て帰らぬ人になってしまった。
享年54歳・・・まだまだ先の人生があったはずなのに、悔やんでも悔やんでも悔やみきれない思いであった。
ちょうどそのころ私は透析が始まったばかりで、お別れには行けなかったので、タカコサンだけに行ってもらった。
と、そのころ入院やらなにやらあって、彼から贈られた植木の面倒を見られなかったので、気が付いた時には葉が落ち始めて勢いがなくなってしまった。
それから2年、木は衰えていく一方で昨年の秋には葉が数枚残るだけになってしまった。

この木を枯らすのは彼との思い出をすべて無くすような思いがして手立てを昂じたが、今年の春にとうとう葉を2枚残すだけとなった。
ところが、5月になって枯れていた枝先が緑色になっているではないか・・・
そして先週になって、小さな若葉が6葉開き始めた。
なんだか命がよみがえったような気がしてうれしくなった。

もう少し頑張って生きてみなさいと励まされているようであった。






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2022-05-30

季節だより風だより・夏は来ぬ

ホトトギス








朝からウグイスの警戒鳴きが姦しい。
いよいよホトトギスの到来である。
そして我が裏山では托卵戦争が始まるのだ。
ウグイスはホトトギスが近寄らないように鳴きかわすのだが一瞬のすきを見て自分の卵を産み付ける。
ホトトギスの卵がウグイスの努力によって雛に孵ると、無情にも巣に残っている真正のウグイスの卵を外に放り出してしまうのだそうだ。
そして一羽となって、ウグイスからのえさを待ち育ててもらうわけだ。
ホトトギスの方がウグイスよりも孵化が早いそうだ。
成鳥になればホトトギスの方が二回り位大きくなるのだが・・・我が子と思ってせっせと餌を運ぶ鶯が哀れである。
けれど、それも自然界の摂理であって、「哀れ」などと思うのは人間の感傷に過ぎないのかもしれない。

私がホトトギスを知ったのはこの地に住んでからだ。
夜のしじまを切り裂くような怪鳥のような声に驚いた。
それも飛びながら鳴いているのである。
次の日、甲府に住む野鳥に詳しい甥に聞いてみたところ、ホトトギスと判明した。
日本人は古来ホトトギスの鳴き声を愛でていたようで、万葉集には153例の歌が載っているという。江戸時代には信長・秀吉・家康の三人の性格を表す俗謡として、「鳴かぬなら殺してしまえ、なかせてみせよう、鳴くまで待とう」があるが、なんとなく意味は分かる」
けれど、鳴かせてその音を楽しむような声ではないと思うが・・・
俳諧では山口素堂の「目に青葉山ホトトギス初ガツオ」は何ともさわやかである。

明治になると現代俳句の先駆者の正岡子規は自分の号を「子規」(ほとぎす)としたが、彼は結核を患いそのことに引っ掛けての俳号だったか。
徳富蘆花は小説「不如帰」を書くがこれもホトトギスと読ませる。

私の時代は何といっても「夏は来ぬ」
卯の花のにおう垣根に ホトトギスはやもき鳴きて 忍びね漏らす夏は来ぬ

昨日は夏日で気温はぐんぐん上がっていた・・・間違いなく夏はそこまで来ているようだ。
 

 




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2022-05-29

かたくら通信・疲労困憊

陶芸








朝からタカコサンは出かけていった。
午前中は立川のデパートに化粧品を買いに行き、午後からはお友達のフラメンコの公演を見行くのだそうだ。

さて、わたくしはどうする・・・昨日は現職の図工の教員のMさんがやってきて轆轤を回していった。
いろいろ忙しかったらしく、実に半年ぶりであった。
学校現場は大変なようで、教師は不人気の職業となってしまったようだ。
病める教師も多く、今の学校では、突然やめてしまった人とか、在籍していても休みがちで夏休み、冬休みには元気になるそうである。
休んだ場合は補填が効かず、校内のやりくりでしのぐというのだが・・・
それでなくても教師の労働荷重が言われて居るのに、不適格教師は始末が悪い。
ともかく不人気が故に、講師が見つからないというのだ。
轆轤を回すことで無心となり、リフレッシュしたいと・・・10時半に来て午後の3時までみっちりと土と格闘していた。

Mさんは後片付けをきちんとやっていってくれたので・・・「そうだ、私も久し振りに轆轤を回してみよう」
今年になって初めての作陶である。
まずは土練りから始めて轆轤に据えて、湯のみとコーヒーカップを挽き上げた。
ちょうどそこでお昼となったので・・・焼きそばを作って食べた。
天気は上々なので1時間もすると作品は乾いた。
午後からは挽き上げた作品を固定してカンナで削って成型する。
今回は湯のみと、コーヒーカップなので持ちやすさが重要なポイントとなる。
まず、高台を削り、重さを軽くする。
コーヒーカップにはあらかじめ用意しておいた、持ち手を付ける。
後はなめし皮で表面をきれいにした。

作業がすべて終わったのが2時半であった。
なんだか口を利くのも嫌になるほどくたびれ果ててしまった。
半年前とは明らかにくたびれ方が違う・・・
勿論、加齢があるのだろうが、右目がほとんど見えなくなっているのが大きい。
距離感がつかめず深さや高さが分かりにくいのだ。

そろそろ、年貢の納め時かもしれない。







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2022-05-28

好奇高齢者の生活と異見・バイデンの陰謀

ロシアのウクライナ侵攻








突然のロシアのウクライナ侵攻について人々を苦しめるだけであるし、世界の経済の混乱を招き大義というものがないと思っていた。
当初は「何故」とその答えは見いだせなかったがここにきていろいろなことが80過ぎたジジイにもわかり始めてきた。
まずはこの戦争で一番得をするのはどこだろうかと考えた時・・・アメリカ。
アメリカは直接、戦いをするわけではなく後方支援のような形で武器供与をしてウクライナ人を戦わせている。
そこで儲かるのは・・・軍事産業で供与の形で潤っているに違いない。

一方ロシアはプーチンの愚挙によって国力は低下し国は世界の中で孤立に向かいつつある。
おそらくもう数か月もすれば国民の生活に大きな影響が出てくるだろう。
国力の低下はアメリカにとって願ったりかなったりに違いない。
日本はアメリカとの同盟により知らされている状況は欧米の情報であって、真実はあまり見えてこない。

さてそこで、今日の毎日新聞の書評欄で「ウクライナ戦争における中国の対ロシア戦略」(遠藤誉著・PHP新書)という本の紹介があった。
紹介者は橋爪大三郎という社会学者だ。
その本の紹介の一節に「侵攻の影の主犯はバイデンだとする。米副大統領当時からウクライナに深入りした。親露政権の打倒はアメリカの工作だ。NATOに加入すればとそそのかす一方、プーチンに米軍は動かないと耳打ちした。野獣を野に放った責任は大きい」とあった。
このことが真実かどうかはわからないが、この戦争の意味が何となく見えてきた。

毎日のように報じられるウクライナの人々の悲惨な状況を今から77年前のアメリカ軍による日本の空爆と比してみてしまう。
1945年3月10日には10万人もの無辜の人々が命を落とす。
それを期に日本の多くの地方都市がアメリカ軍の無差別攻撃によって灰燼に帰す。
我が故郷の甲府は同年の7月7日の空襲で70パーセント以上が焼失する。

ロシアの愚挙にはもちろん腹が立つが、この侵攻をほくそ笑んでるアメリカも同罪であることを忘れてはならない。
日本はアメリカと密なる同盟関係を結び現政権はバイデンの手中に転がされている感があるが・・・ご用心である。
バイデン来日の際に行われた日米豪印の四国の中国包囲網の会議にインドは易々とは乗らなかったようである。

さてこれからの日本はどうする




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2022-05-27

かたくら通信・風雨

愚痴








予報通り夜半から降り始めた雨が朝になって風も交え強くなった。
居室の窓に雨粒が吹き付けられて外の景色が見えない。
久々の強い風雨で台風並みの吹き降りとなっている。
空気の入れ替えに窓を開けると雨粒が吹きこんできた。
裏山の樹々がうねるように大きく揺れている。
雨は嫌いではないがこのように吹き荒れると気持ちが臆してしまう。

タカコサンは今日は町田の鶴川までお茶の稽古で出かけて行った。
なるべく濡れないような工夫をしていたようだが・・・先生の家までは1時間半ほどかかる。
好きなことなら風雨も厭わないのかもしれない。
私なら、何か理由を付けて休んでしまうのに・・・
あちらに行けばお友達もいて話も弾み日常から別の世界に行けるのかもしれない。
そういえば・・・昨日は自分のお弟子さんのお稽古があって5人ほどの人が来ていたようだが、お稽古というよりも日常から離れての愉しみの様だった。
お弟子さんの中に一人男性がいるが・・・当初は見学だけだったのに今はお茶を点てるようになったそうだ。
なんとなく楽しさが分かってきて、自分の茶碗も持参しているとの事。

さて、私は・・・金曜日で透析の日である。
こういう日は本当に行きたくないと思う。
家にいて窓打つ雨の音でも聞いていたいところだが、それこそ命にかかわる事なので嫌がおうでも行かなければならないのだ。
特に今日休んだりしたら土日を控えているので毒素がたまってしまう。
「今がピークなのであなたが出かけるころには雨も小降りになるわよ」と慰めてくれたが・・・
ここが透析を持つ身のいちばんつらい所である。
365日、月・水・金は雨が降っても、雪が降っても、風が吹いても、行かねばならぬのだ。

と、まあ、愚痴ってしまったが明日は晴れるそうなので久しぶりに轆轤でも回そうかと思う。
こういう日はこの先の楽しいことでも考えるしかない。

たか子さんの予言通り、12時過ぎに雨は上がり、透析に行く時には傘は必要なし。
有難いことだ。








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2022-05-26

かたくら通信・教え子

カナダより帰国










カナダから帰国したTさんと町田で会った。
彼女は今から50年ほど前に町田の鶴川で5年生の一年間だけ教えた子である。
Tさんは大学の薬学部を卒業して、製薬会社に勤めたが、当時日本で仕事をしていた夫君と知り合い結婚してカナダに移住した。
町田の鶴川にはお母さんを残していたが、一人っ子なのでカナダで一緒に住むように、永住権もとったそうだが、言葉の壁が厚くてうまくいかなかったそうだ。
男の子を一人授かり今はカナダのヴィクトリア島に住んでいるという。
私との付き合いは手紙のやり取りなどで帰国すると連絡をくれた。
実はヴィクトリアに住む前はカナダのもっと寒い所にいたそうだが、老後を温暖なところでと思い移住したそうだ。
ヴィクトリアはカナダでは一番南に位置し太平洋側の海流の関係で割合温かく住みやすい所なのだそうである。

私も20年ほど前にシアトルに住む娘にこの島に連れて行ってもらったが、ブッチャーガーデンという有名な植物園があって四季折々の花が咲いていた。
島全体が観光地でイギリスのヴィクトリア女王にちなんだ名前が付けれたようだ。
島内をめぐる馬車があったり中華街もあったりしてここで食べた北京ダックは今もその味が忘れられない。
できればもう一度行ってみたい場所の一つだがかなわぬ夢である。

実はTさんは老後をご主人と過ごす終の棲家としたのだが3年前にご主人が旅立ってしまったのだ。
終の棲家として買った家は大きすぎるので今はマンションに暮らしているのだが、お母様も老齢となっているしさてどうすると思案のしどころである。
日本に住めば友達もたくさんいるし、母親のことも安心なのだが、60歳直前で帰ってきて就職もままならぬ。
6月末まで日本に居てそれなりの結論を出すつもりのようだが、連れ合いさんに先立たれたのが一番のショックのようだ。

80歳を過ぎたジジイには何もしてあげられないのだが・・・まぁ話を聞いてあげるぐらいだろうか。
教え子たちにもいろいろな人生が待ち受けているようである。







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2022-05-25

お好みテレビ館・上島竜兵

子分肌








透析の最中に時間つぶしのために持参しているタブレットのユーチューブに「志村軒」という番組が出てくる。
先年、コロナ禍で亡くなった志村けんさんを軸にしたお笑いの番組である。
出演者は女優の優香とダチョウ倶楽部というトリオのお笑いグループの肥後さん、そして同じく上島竜兵さんである。
志村軒というラーメン屋に出入りする人たちを中心にコントが繰り広げられる。
愚にもつかないストーリーだが針を挿されて滅入っていく状態では気分立て直しにはちょうどいい。

しかし、出演者の上島竜兵さんが突然、自死してしまったというニュースが入ってきた。
彼はこの番組では助演者であるが、志村さんのいじられ役として結構重要なポジションを占めていた。
演ずる役はいつもお金がなく志村さんにたかり、卑屈な態度をいじられまくる。
演技というよりも彼の人間性がそのまま出ているようでそれが笑いを誘う。
彼はダチョウ倶楽部でもいじられ役で、ある意味いつも馬鹿にされている。
彼の演技なのか「地」そのものなのか判らないようなところがあるが、その創られたものではない人間性そのものが笑いを誘う。
3人組の中で彼だけが独特のギャグを持っていて、コントの落ちのところでやって見せるが、見る側はわかっていてもそのマンネリが可笑しい。

突然のような自死によって彼の人となりが明らかになってきたが、彼を慕う若手のお笑いの人たちが「竜兵会」という集まりを持っていたという。
その会では上島さんはいじられ役で馬鹿にされるというポジションだったようだ。しかし、その会から当代の人気者、有吉とか劇団ひとりなどが育っていて、
彼等は上島さんに少なからぬ恩を感じているそうだ。
上島さんはリーダーとして後進を指導するのではなくいじられたり、馬鹿にされることに徹したようだ。
彼を評しての言葉に「子分肌」という言葉を使っていたが、「親分肌」は聞いたことがあったが、この言葉は初めてだ。
彼のポジションが「子分肌」で、すとんと落ちた。
図々しくてこ狡いくせに最後のところでなんとも困ったような表情をする。
「志村軒」ではその態度を主演の志村さんの前で必ずと言っていいほどやって見せる・・・その卑屈さに演技を超えるものがある。
私は演技を超えたその態度が好きだった・・・

ご冥福を祈る。







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2022-05-24

五月晴れ

托卵








空は碧く碧く澄み渡り、吹く風は頬をやさしくなぶっていく。
久しぶりの青天に散歩に出かけていった。
木々は緑を濃くし、咲く花はツツジからサツキへと変わっている。
サツキはツツジより色は薄く控えめに咲いているのが好ましい。

野の花の盛りは白い四枚の花弁のドクダミ・・・名前からは想像もつかないような清楚な花である。
抜くと独特の臭気があるのでこんな名前が付いたのかもしれないが、生命力が強く抜いても抜いても生えてくるし、時にアスファルトの隙間のような所にも出てくる。
実はドクダミは十薬とも言われ民間薬として使われてきている。
内服薬としては胃腸病、下痢、便秘、利尿などに効くと言われている。
外用薬としては皮膚病、腫物などに効く。
主に乾燥させてドクダミ茶として飲用する。

実は五月晴れのもとを歩いていても頭はボーッとしている。
昨夜、寝付かれなくて睡眠時間は4時間ほどである。
このところ透析の後の回復が遅く翌日の午前中までかかってしまうことがある。
やはり加齢はいかんともしがたいようだ。

公園の近くの小高いしげみから突然のように鶯の姦しいようなせせり鳴きが聞こえてきた。
どうやら繁殖のための雌雄の駆け引きのようだ。
いよいよ子育ての季節がやってきているのだ。
それにしてはいまだホトトギスの鳴き音を聞かない。
公園の卯の花が咲いているのに、今年の渡りは遅いのだろうか・・・・
遠くインド、中国南部から渡ってきてウグイスの巣に托卵する。
托卵をめぐってホトトギスとウグイスの攻防が始まる。
ホトトギスは首尾よく托卵してしまうと子育てもウグイスに任せてしまう。
ホトトギスのヒナは生き残るためにウグイスの卵は全て巣の外に放り出してしまうという。
一度、テレビでその様子を見たことがあるがお尻の形が卵をほおりだすのに都合がよいようにできている。
ウグイスだって負けじとホトトギスに卵を産み付けられないように警戒する。
もうすぐ子孫繁栄をかけての托卵合戦が始まるのだ。

ボーッとなどと言わずもう少しシャンとして頑張ってみるか・・・



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2022-05-23

お好みテレビ館・5月場所

ふがいない大関陣







昨日で5月場所が終わった。
結果は横綱の照ノ富士の優勝だった。
満身創痍、特に膝には痛々しいサポーターをしていたが横綱の重責を果たした。
それにつけても大関陣のふがいなさ。
3人いる大関のうち二人は負け越しで来場所も負ければ大関陥落。
一人だけ勝ち越した大関の、貴景勝も8勝7敗でやっと首をつないだ。
全体に力士たちが勝負に対する執着薄く、なんだかサラリーマン化しているように思えてならない。
それでも外国からきている力士はハングリーな精神があり、勝負に対する執着心はあるようだ。
言葉が通じない外国にきて一から技を身に着け這い上がっていくのであるから並大抵の努力では上位に這い上がる事などできない。

日本の力士で上位で活躍しているのは大学出の人が多く下積みからの努力がない分、サラリーマン化してしまっているように思えてならない。
例えば遠藤という相撲巧者がいる。
彼はいつも幕内上位に位置していてそれ以上は出世は望んでいるようには見えない。
美男子で女性からの人気もあるようだが細く長く相撲人生を全うすればいいと思っているのではないだろうか。
今場所の話題に東大出の力士が誕生したそうだが、どこまで本気なのだろうか。

その点モンゴル出身の力士たちは顔つきが違う。
異国の地で出世して故郷に錦を飾る。
照ノ富士、豊昇龍、霧馬山、玉鷲など相撲が終わるまで決して笑顔を見せない。
照ノ富士はけがのために序二段まで陥落したが努力を重ねて横綱の地位まで上り詰めている。

日本の力士でも真摯に相撲と向き合っている力士がいないわけではない。
先場所優勝した若貴景は筋肉質の鍛え上げられた身体で今場所も活躍した。
聞けば3兄弟の3番目で、祖父は私などが相撲に熱狂していていた頃活躍した若葉山だという。
若貴景は今場所は関脇で9勝6敗だった・・・来場所の活躍いかんでは大関の地位を狙える。
次兄の若元春も9勝6敗・・・来場所が楽しみである、






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2022-05-22

読書生活・池波正太郎

真田太平記







このところまた不眠となってしまった。
夜寝られなかった分を取り戻すために朝食後に一時間ほどウトウトしてしまう。
そして透析に行って4時間のうち一時間ほど寝てしまうのだ。
なるべく夜眠ろうと努力するのだが、どうしても眠らなければならない時には導眠剤に頼ってしまう。
昨夜などは透析がなかったのにもかかわらず眠りについたのが明け方の4時だった。
この悪循環の元凶は読書である。
枕元には何冊か本が積んであって眠れそうな本を選んで読むのだが、結局物語の面白さにはまってしまう。

今読んでいる本は池波正太郎の「真田太平記」で全12巻のうち6巻の中途まで来ている。
本の入手はBOOK・OFFで、ある程度読み終わると八王子みなみ野にあるBOOK・OFFに買い求めに行く。
文庫本で30年以上も前に出た本なので全巻揃いで売っている。
真田家の興亡を軸にして、武田信玄から徳川家康が天下を平定するまでを描いている。
今読んでいるのはちょうど関ケ原の合戦が始まるところである。
この本の面白いのは真田家の昌幸、信幸、幸村を軸にしているが、彼等に仕える草の者・・・いわゆる隠密たちの活動である。
徳川方には甲賀の忍びがおり両者の暗躍が面白いのだ。
真田一族よりも草の者の方が魅力的に描かれていく。

いま世界はロシアのウクライナ侵攻が深刻な様相を呈しているが、戦もさることながらいかに正確な情報をお互いが持つかのようである。
この戦国の時代も同じであって忍びの者たちが敵地に入り込んで情報を得るために暗躍する。
草の者、甲賀の忍びなどは表の歴史には表れてこないので池波正太郎の創造ないしは想像なのだろがうなずけるものは多々ある。
池波正太郎は鬼平(鬼平犯科帳)や秋山小兵衛(剣客商売)藤枝梅安(仕掛人)などを生み出した時代小説の手練れである。
真田太平記はある程度史実に寄りかかっているものの池波の人物創造であろう。
しかし今も昔も戦は情報合戦であることは間違いないようだ。

池波の文章は平明で読みやすく、ストーリーの展開も滑らかなので面白くてどうして引き込まれてしまってますます不眠の道に進んでしまうのだ。

しばらく真田太平記はお休みすることにする。






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2022-05-21

健康生活・眼科受診

隻眼








2か月に一度の眼科検診の日だった。
掛かりつけは高幡の駅前のビルの6階にある、そのものずばり「高畑眼科クリニック」という。
当初は眼がかすんで物が見えづらくなってきたので診てもらった。
と、両目とも白内障であるという診断を受けた。
くっきり見えるようになるには手術しかないということで・・・折あしくそのころから腎不全の兆候が出てきて糖尿が関係しているとのことだった。
そこで、当クリニックで手術もできるが、できれば大きな病院に行った方がよいと言われた。
術後のケアーにつては高幡クリニックが診てくれるとのことだった。

そこで東海大の眼科を紹介してもらい今から4年ほど前に手術を受けた。
両目を時を置いて手術してもらうつもりだったが、残念ながら右目に白内障だけでなく緑内障も発症していて手術すると失明の恐れがあるとの事。結局左目だけを手術して眼内レンズを入れてもらった。
それから定期的に診てもらうようにしているのだが、緑内の方は今の状態を食い止めるだけなのだそうだ。
左目の白内障は幸い成功してよく見えるようになったが・・・
約4年経って、右目についてはほぼ見えなくなった。
右目だけで見ると明るさは感知できるがそれが何であるかは認知できない。

現在はほぼ左目だけでモノを見ているのだが・・・右目が見えないことによる支障はモノの遠近感が認知できない。
特に上下感覚が分からなくなってしまい、一番怖いのは段差である。
階段を降りるときには手すりに掴まるようにしているが、ちょっとした段差につまずいてしまう。
また、モノを分けるときに分量の差が分からない・・・当分に分けたつもりでもどうやら差が出ているようである。
日常生活で一番困るのは歩くときである・・・なまじちょっと見えるためにそれが邪魔をしてしまう。
そこで今は片目はつぶって歩くようにしている。

幸い、テレビを見たり、本を読んだりするのには不便はないが早晩左目も見えなくなったらと時々怯えてしまう。
悩んでもどうにもならないので今のうちに奇麗なものをたくさん見ておこう。



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2022-05-20

我が侭音楽会・ギター演奏会

御年82歳







昨日は午前中に散髪に行って午後からはギターの演奏会に行った。
この演奏会は私が診てもらっている皮膚科のK先生が余技でやっているのだ。

Kさんは私よりもちょうど一歳年上である。
昭和14年11月29日生まれ・・・私は15年の11月30日。
それを知ってお互いに何となく親しみを感じ皮膚科以外の病についても相談にのってもらうようになった。
皮膚科だけでなく、漢方の治療もしてくれてお世話になっている。
また、Kさんは読書家で特にミステリーに詳しい。
自分が読み終わった本で私も興味を持ちそうなものを取っておいてくれる。
すでに20年以上の付き合となるがいよいよ閉院するそうで今の場所での診察は7月いっぱいで終わりとのことだ。
残念だけれど、お互いに80歳を超えているのでそれも時の流れというものだろう。

しかし、ここにきてKさんがギターをよくするということを知った。
そして毎月第三木曜日の午後から近くの喫茶店で演奏会をするとのことだった。
長い付き合いなのにそんなことは一言も言わなかった・・・
受付の人がポロリと言って知ったのだ。
そこで、今回は是非聴いてみたいと思い出かけて行ったのだ。
正直なところ余技みたいなものであまり期待はしていなかった。
演奏は3時から始まるというので3時5分前に会場に着いた。
と、すでに満席で立ち見になりそうだった。
ざっと勘定しただけでも30人はいた。
ただ、平日の午後ということもあって聴衆のほとんどがお年を召した人ばかりだ。
すると一番後ろの席にいた親子と思われるご婦人が席を譲ってくれた。
どうやらKさんの関係者らしく、そのあとどこからか椅子を見つけてきて坐っていた。

演奏はアンコールも含めて12曲。
ギター演奏の定番である「愛のロマンス」(映画、「禁じられた遊び」で演奏された曲)や、グリーンスリーブスなどどこかで聞いたことのある曲が多かった。
どうやらKさんはちゃんと先生について習い、いつも診療の後には練習を続けているとのことだった。
余技どころではなくかなり本格的で固定的なファンもいるようだった。
演奏会も今回で15回目で医院は閉院するけれど演奏会は続けるとの事。
同年に近い人の努力に何か励まされるものがあった。





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2022-05-19

なごみ食堂・カキフライ

亜鉛








午前中は南平の床屋に行ってきた。
40日ぶりなのでかなりボサボサでさっぱりと短く切ってもらった。
いよいよ夏の装いというところだ。
予約時間が11時だったので北野駅近くの中華でお昼を取った。
実はこのところ何を食べてもおいしくない・・・明らかに味覚異常が起こっているようだ。
昨日の検診の時に担当医に相談したところ亜鉛の不足ではないかと言われた。
透析患者には多い症状だそうだ。
ただ、すぐに投薬というわけにもいかないので検査してみるということになったが・・・
とりあえず亜鉛を多く含むものを食べるようにと言われた。
さっそく家に帰って調べてみると牡蠣がダントツで亜鉛を含んでいることが分かった。
続いてはレバーだそうだが、これは苦手である。
ただ、亜鉛の多い食物はリンも多いので要注意である。

牡蠣は大好きなのでさっそく床屋の帰りにスーパーで買って今夜はカキフライ。
季節的にはこれが最後あたりなので・・・・多めに買った。
本当は牡蠣の旬はRのつく月だそうだ・・・季節としては9月から4月までとなるが今は季節がグチャグチャなのでまぁ5月もありとしておこう。
買った牡蠣は大振りで身が充実していた。
ソースで食べるのもよいがやはり本当の味はレモンと塩だ。
けれど、レモンを買い忘れたので家にあった夏みかん系の柑橘を切ってかけた。
結構酸味だけではないので美味しく食べることが出来た。

これで、味覚障害が治るとは思わないが・・・ちょっと期待している。
明日は亜鉛のサプリメントがあるというので買って飲もうと思う。

この年になるともう、楽しみは食べることだけなのだから・・・・










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2022-05-18

季節だより風だより・風炉

お茶の稽古








昨日、一昨日と寒い日が続いた。
まるで季節が逆戻りしてしまったようだ。
折角クリーニングに出してしまっておいたセーターを着る始末だった。
長い地球の歴史から考えるとこんな年もあるのだと思うが、この30年ほど温暖化が進み季節感のようなものがくるってしまっていることは確かなようだ。
ともかく早く季節が巡ってきているように思えてならない。
晩春を飛ばしていきなり梅雨がやってくるような気配がある。

ところで、わが家では昨日はお茶の稽古があった、
お弟子さんは二人だったが一時から三時までみっちりとけいこしていた。
タカコサンは着物に着替えて背筋が伸びて凛となる。
若いお弟子さんに聞いたところ結構厳しく指導するらしい。
昨日のお弟子さんはタカコサンと同年ぐらいの人だが・・・元同僚である。
タカコサンのお弟子さんの半分以上は元職場の人たちであるが,女教師などという結構ムズカシイ人たちを難なくさばいている。
もしかしたら、現役の頃、管理職を目指せばよい女校長になったかもしれない。

それはともかく、昨日来ていたお弟子さんの一人が・・・
「私はお茶のお稽古があるから救われるのよ」
と言っていた・・・ちょうど傘寿を迎えたばかりの人のようだが、所作を教わりながらお話もできるし、俗世から隔離された「茶室」という空間が居心地がいいらしい。
普段付き合っているお友達とは違う付き合いであるようだ。

お茶の稽古の準備はそれなりに苦労もあるようだが、終わった後の解放感は特別だそうだ。
お茶のすごいのは死ぬまでできるということだ。
タカコサンの先生などは85歳となっているが、矍鑠として元気溌剌だそうだ。
一般のお茶の稽古をしている人は長寿の人が多いようだ。

季節は逆戻りのような感もあるが、お茶の世界は5月からは「風炉」の季節となっている。
昨日の寒さでは「炉」で炭でもおこしたいところだった。
それでも、かすかにお香の匂いが居室まで香っててき。






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2022-05-17

八ヶ岳南麓だより・過ごし方

シンプル







今回の山荘行きはまずは松本に行き戻る形で小淵沢で降りて山荘に着いたのが5時半ごろであった。
随分と日が長くなってまだ十分に明るい。
夕食は小淵沢駅の売店で買った10割蕎麦をゆでて食べたが・・・スコブル付きのまずさ。
以前は必ず何か作って食べたモノだが、食欲もなく腹が満ちればそれでよし。
ちなみに、日曜日の朝食は冷凍してあった食パンに紅茶だけで、お昼はご飯を炊いて塩結びを握ってもらった。

このところ山荘での時間の過ごし方はシンプルで食についても近隣の食事処は廃業してしまったし、足がないのでほぼあるもので済ますようにしている。
80も過ぎると、何かをやろうという意欲もなくボーッと過ごすことが多い。
特に今回は小旅行も兼ねたのでそれなりに疲れたらしく動くのも億劫だった。
ただぼんやりと外を眺めている・・・それでいい。
山荘の作りは窓を大きくとってあるので、どこに座っても外が眺められる。
今の季節は若葉から緑が濃くなる寸前で、特に良いのは青紅葉。
目に染みるような青さが心を和ませてくれる。
そして、家の南側にはお隣の家の竹林があり風に揺れる葉擦れが心地よく聞こえてくる。
あと2週間もするとタケノコが出るはずだが・・・今はその気配はない。

庭先にはヤマボウシと夏椿と柿の木を植えてあるが、この次来るときにはヤマボウシも夏椿も白い花を付けているだろう。
柿の木は一度だけ実を付けたことがあったがほぼ毎年実はならず。
それでも柿の葉の変化が好きで新緑の頃の色と、晩秋の紅葉も捨てがたい。
3年ほど前に家の前にあるケヤキとエノキの大樹を伐る話がもちあがった・・・大風で枝が折れて屋根を壊すからというのだ。
しかし、山荘も30年以上も経ってその役割は十分に果たしてくれたので自然に任せた方がよいということになった・・・それでよかったと思う。

山荘の利用は透析の関係で土日の一泊二日しかできないがそれなりに気分転換が出来て充分である。
次回は6月の初めに行く予定だが、雨が降れば屋根打つ音を聞くのも心休まる。

姉の所の果樹園がいよいよサクランボの最盛期を迎えるので、帰りに寄ろうと思っている。




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2022-05-16

旅だより・松本

松本民芸館








市内から車で10分ほどのところにある。
中心部からは西側に位置し、街の喧騒を離れた田園のなかで、静かな佇まいであった。
車を止めて民芸館の玄関までたどる道がいい。雑木林の木立の中をくぐっていくような感じである。
建物は重厚な構えでナマコ塀が使ってあった。
その壁を見ただけで何か時代がタイムススリプしていくようであった。
身延町切石のわが家の文庫蔵もこれと同じしつらえであった。

玄関に入ると重厚に磨かれた床や柱、スリッパで上がると、正面が受付で大人300円。
この民芸館のコレクションは丸山太郎という人が収集した民芸品を展示するため1962年独力で創館したのだそうだ。
彼のコレクションは6700点にも及び、9つの展示室には名もなき職人の手仕事作品が並びなんとも懐かしい思いがする。
9つの展示室には家具調度品、皿、壺、地域の生活用品がならんでいる。
特に、焼き物は日本全国のモノがあり大壺などは圧巻である。

これらの収蔵品のすべては1983年に松本市に寄贈され、現在は市立博物館の分館として運営されているようだ。
収蔵品の中には沖縄の民芸品も多々あった。
折も折、5月15日は沖縄が本土に返還された日である。
出来れば収蔵品の中から、沖縄関係の民芸品を集めて企画展でも・・・お上に移管されるとそういうことはなかなか難しいのかもしれない。
民芸館を出てナマコ塀の前においてあるベンチに腰かけて信濃の優しい風を身にうけて、しばし時を忘れた。

松本の町は湧水の町で、至る所に井戸や有名な湧水がある。
アルプスの伏流水が出ているそうで、水質は軟水だそうだ。
今度来た時には名水巡りも楽しいかもしれない。

今回の旅の最後は開運堂というお菓子屋さんに連れて行ってもらった。
タカコサンはお茶用のお菓子をたくさん買い込んでいた。
私も負けじと銘菓と呼ばれるものを何種か買った。



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2022-05-15

旅だより・信州松本

洋食屋







土曜日予定通りに信州松本まで行ってきた。
八ヶ岳の山の家に行くたびにもう少し足を延ばせば松本まで行けると常々思っていた。
今回はその足を延ばすことを実行してみた。

いつも通り八王子発10時31分の特急あずさに乗った。
連休の後のせいか座席には余裕があるようだった。
小淵沢までは約1時間半であるが、松本まではそれに30分足すだけで着いてしまう。
松本駅の改札には30年前に南平小学校で担任したSさんが迎えに来てくれていた。
彼女は松本が好きで大学は信州大学を選び4年間住み暮らしていたという。
卒業してから東京に戻ってきたがまた信州で暮らし始め今は長野市でライターの仕事をしている。
今回の松本行きを知らせたところ、長野から松本まで来て案内をかって出てくれた。

滞在時間は3時間なので食事とワンポイントの見学だけにした。
まずは食事・・・彼女が学生の頃アルバイトしていたというレストランへ・・・
昔からの雰囲気を残す、レストランというよりも洋食屋という雰囲気。
ちょうど、1時前に着いたが人気店であるらしく、客が数組待っていて、30分待ちと言われた。
タカコサンが携帯の番号を登録して、席が空いたら知らせてくれることになった。
その間に近くをながれる女鳥羽川沿いの縄手通りを歩いた。
なんとなく昔の風情を残す町並みでここを歩いただけで松本に来たという実感があった。

ほどなく携帯に連絡が入り店内にはいることが出来た。
メニューは店の雰囲気にぴったりのラインナップでこのところはまっているビーフカツレツがあったのがうれしい。
Sさんは昔のバイトの頃に賄いで出たというハヤシライスを懐かしそうに食べていた。
私とタカコサンはもちろんビーフカツレツ。
ソースが普通のウスター味だったのがちょっと残念・・・デミグラスソースが合うのではないかと思った。
それでも何でも3人とも満足して、次なる目的地に向かった。
普通、松本というと松本城となるが、天守閣に登る階段を思うと80歳越えでは膝が心配なので敬遠した。

私の民芸好きを知っていて松本民芸館を案内してくれた。




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2022-05-14

八ヶ岳南麓だより・松本

美食旅行








今日はいつもの特急で小淵沢で降りずに、松本まで行ってみようということになった。
あいにくの雨だがおそらく昼までには上がる予報である。
実は松本はあこがれの地で、一度ゆっくり行ってみたいと思っていた。
特に高校時代に「競歩遠足」というものがあり、一昼夜かけて甲府から松本まで120キロの距離を歩いて行くのだ。
しかし、私は意志が弱く、軟弱で岡谷まだしか行けなかった。
いけなかったというトラウマで、今まで松本は避けて通っていたがもういいだろと松本行きを計画したのだ。

幸い、長野方面には教え子のMさんがいて、ちょうど土曜日は空いているので案内してくれることになった。
彼女はあちらで雑誌や観光カタログの編集をしているので心強い。
とりあえず、お昼を昔風の西洋料理の店に連れて行ってくれるのだそうだ。
そして、観光地は欲張らず、私の好きな民芸館。
松本城は階段上るので外から眺めるだけにする。
さて果てどんな愉しみが待っているだろうか。






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2022-05-13

なごみ食堂・鯛の切り身

一夜干し








火曜日、久々に生協に行ったところ、天然物の鯛の切り身を売っていた。
このところあまり食欲がなく、特に透析から帰ってきた夕食はご飯と納豆だけだ。
納豆だけは何故か飽きがこず、茶碗一杯の白飯と納豆一パックで充分である。
しかし、先週の血液検査でリンの値が上がっていることが分かった。
リンは乳製品、小魚などに多く含まれているのでなるべく取らないようにしていたのだが、豆製品である納豆もリンを多く含んでいることが分かった。
そこでたまには別なものも食べたほうが良いと思い、切り身をゲットした。

さて、どのようにして食べるか・・・水曜日の透析から帰ってきての献立にのせることにして、一夜干しにすることにした。
一夜干しと言っても一晩干すわけではなく、軽く塩をして一晩冷蔵庫で寝かせてそれを次の日に半日ほど干す。
手順通りに準備をして、水曜日、朝食が終わった後、物干し台の片隅で干した。
切り身に竹串を通して両端にタコ糸をしばりつけバランスをとってつるした。
すると、それを見たタカコサンが・・・
「今日はお茶の稽古があるのよ・・・そんなところにつるさないで」と言った。
私としては昨夜から準備をして、干すにしても午前中で取り込むつもりでいたのにと、カチンと来てしまった。
「うるせい・・・ちゃんとお弟子さんが来る頃には取り込んどくから、文句言うな」
と久々に大声を出してしまった。
「何も、そんなに怒鳴ることはないでしょ・・・パワハラよ」と言った。
実は前夜あまりよく寝られず眠りについたのが3時過ぎですこぶる機嫌が悪かった。

それ以上言い合いをすると喧嘩になりそうだったので、切り身は干したままにして自室に引きこもった。
そして2時間ほどしたころ「あなた、切り身が一切れ無くなっているわよ」と階下から声がした。
どうやらカラスが狙っていたらしく、持って行ったようだ。
「やっぱりね・・・やられると思った」とタカコサンは嬉しそうに言った。
実は以前にも同じことが起こって、その時はきれいに全部持っていかれた。
今回は一切れ残ったが、見ると、残った切り身にもカラスが啄んだ後がある。
いくら無神経な私でもカラスがつついたものは食べられない。
泣く泣く、残った切り身も捨ててしまった。

教訓・・・老いては素直に妻に従え!!!


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2022-05-12

故郷の空・戦国武将

信玄餅









透析の時、針を挿してくれる看護師と時々話をする。
昨日はIさんという31歳の看護師さんだった。
31歳というと、孫のリョウや甥のタカオと同じ年だ。
ついでながら我が山荘も今年で31年となる。
Iさんは私立の医科大学の付属の看護師の学校をでてこの道に入ったようだ。
学校を卒業した時には付属の大学病院に勤めていたが結婚を機に腎クリニックに勤めるようになったのだそうだ。
腎クリニックの経験はまだ浅いがなかなか手際が良く針を挿してもほとんど痛くない。

「依田さんの依田という苗字は多いんですか」と聞いてきた。
「八王子ではあまり聞かないけれど山梨や長野には多いみたいだよ・・・」
「そうなんだ・・・私の知り合いに同じ字を書く依田さんがいるんだけど山梨出身の人なのかなぁ・・・」
「依田という苗字のルーツは本当は信州で武田信玄が信州を征服した時に依田一族は山梨に連れてこられたみたい。」
とそこで、Iさんは戸惑ってしまったみたいだった。
「武田信玄て信玄餅の人ですか?」
どうやら彼女は歴史にはあまり興味がなく武田信玄を知らないようだった。
「もしかしてその信玄さんて武士なのですか・・・」
「そう戦国の武将の一人で甲斐の国を治めていたけれど、織田信長に武田一族は滅ぼされてしまったんだよ」

それ以上話すと混乱を起こしそうなんので・・・
「その武田信玄にちなんで信玄餅というのを桔梗屋という和菓子屋さんが作り出してそれが山梨名物となった訳・・・」
「そっか・・・そうだったんだ」
彼女は分かったような、わからないような面持ちだったが、それで何となく納得したようだった。






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2022-05-11

お好みテレビ館・5月場所

贔屓力士







透析の4時間の間どのような過ごし方をするか・・・
左腕に針を挿しているので本を支えられないので読書はできない。
そこで、備え付けのテレビを見るのだが、透析の時間の2時から6時まではどの番組もニュースショーか古いドラマの再放送で見ていて飽きてしまう。
それにベッドに寝ながらコロナのニュースやウクライナ情勢を見るのもつらい。
そこで、タブレットを持参して、映画をみたり、ユーチューブで歌謡曲を聞いたりしている。
けれど、この時期は相撲放送があるので楽しみにしている。

私はスポーツ観戦にはあまり興味がないが、相撲だけは好きである。
男同士が真剣にぶつかり合い結果がすぐに出るのが良い。
子供の時からずっと興味を持っていて贔屓の力士もいた。
横綱や大関よりも特技を持っている力士が好きで、特に小兵が大男を破ったりすると快哉を叫ぶ。
郷土力士も応援・贔屓するが今は十両以上には竜電という力士だけでそれも不祥事を起こして格下げとなったが来場所あたりは幕内に復帰するかもしれない。
かっては富士錦、富士桜という押し相撲専門の名力士がいて応援したものだ。

相撲観戦についてはもっぱらテレビによる。
テレビの本放送が始まった昭和28年には相撲中継も始まったように記憶するが・・・そこで昨日のブログに書いたブックオフの創始者の坂本孝君である。
甲府市内の電気屋以外で家庭にテレビがある家など数えるほどしかなくその一軒が坂本君の家だった。
相撲放送がある時はクラスメイトが大挙して押し寄せて、彼の家の応接間を占拠して、相撲が終わると、時に夕飯をご馳走になったこともあった。
当時の人気力士は大内山とか大起(おおだち)など大男だった。
吉葉山という横綱がいたが美男子で人気があったが優勝経験は少なかった。
学校(中学)でも校庭に円を描いて昼休みなど相撲を取ったものだ。

ところで、今場所は3日目で大関陣が総崩れ・・・3人いる大関の正代はまだ白星を挙げられず、御嶽海も貴景海も1勝2敗。
一人横綱の照ノ富士は2勝1敗だが足のサポーターが痛々しい。
先場所優勝した若隆景は2勝1敗だが元気のようだ。
若い力士で琴の若、豊昇龍などが頑張っているので期待をしたい。
特に若隆景は渋く、粘り強い相撲を取るので注目している。






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2022-05-10

かたくら通信・透析休養日

大忙し







今日は透析のない日だが忙しい。
朝7時に起きてシーツと布団カバーをはぎ取る。
今週の天気予報では晴れの日は今日しかないので洗濯をする。
からりと晴れ上がった五月晴れではないが、何とか一日天気は持ちそうだった。
朝食を済ませて、部屋の片づけをしてから10時のバスで片倉駅方面に向かった。
駅前の歯科医院から歯のクリーニングをするようにというお手紙が来ていたのだ。
一時間ほどで検査と治療が終わったので、その足で横浜線でお隣のみなみ野まで行った。
銀行でお金をおろし、本屋に寄って買い物をする。
と、新刊で買うよりも中古のブックオフでまず読みたい本を見た。
このところ池波正太郎の真田太平記にはまっていて、定価の半額でゲットした。

みなみ野のブックオフは規模が大きくビルのワンフロアーを占めている。
今は本よりも、日常生活に必要なものが中古で売られていて、特に衣類やブランド品が充実しているようだ。
平日というのに結構、客は入っていて、主婦らしき人が多い。
どうやら品物を買うよりも売りにきている人らしい。
袋一杯に詰めた衣類を買い取りコーナーに持って行って査定を受けていた。
ブックオフの創業の頃は主流は本だったが今はいちコーナーとして肩身が狭いみたいだ。
きらびやかなブランド品は特別なガラスケースに入れてあって主力商品の一つになっているようである。
本を探していると、同じユニホームを着た一団がいた・・・どうやら新人研修をしているらしく皆真剣な面持ちで聞いていた。
それにしても、創業者の坂本孝君はすごいシステムを考え付いたものだ、
昔から古本屋という業界はあったが中古本をきれいにしてそこそこの値で売る。
彼がこれを思いついたのは中古ピアノを再生することからだそうだが、生きているうちにちゃんと話を聞きたかった。
坂本君はブックオフを追われる形になったようだが、それからは一流シェフによる料理をリーズナブルに提供する店を開店・・・並の知恵者ではなかったようだ。

中古本を3冊ゲットして今度は新刊本の本屋へ、こちらは頼んでおいた本を受け取った。
時計を見ると丁度12時になっていたので片倉駅近くの「えびす丸」というラーメン屋に行った。この店は八王子ラーメンを売りにしているが、割合私の口に合う。
ちなみに八王子ラーメンとは醤油ベースの味に玉ねぎの刻んだものをトッピングしている。
昼食を済ませてひとまず家に帰って、5時の予約で整体に行く。
一昨日痛めた膝を治療に行ってくる。






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2022-05-09

季節だより花だより・ツツジ

花の違い







夜来の雨に裏山の樹々の緑が洗われて、濃く、深くなっているように思われる。
ゴールデンウイークも終わって、いよいよ初夏の訪れを感じさせる。
この時期は意外に木々の花が少ない。
散歩道の家々の庭先で目立つのは濃いピンクのツツジの花だけだ。
我が家の通りのほとんどの家の植え込みにツツジがある。
それが時期を同じくして咲き始めるのも不思議と言えば不思議だ。
これから1週間ほどが最盛期となるようだが、これに続くのがサツキ。

実はツツジとサツキの区別がつかなかった。
今咲いている花はまさに5月なのでサツキと思っていたがじつはツツジだったのだ。
思えば今の5月は太陽暦でサツキの名が冠せられたのは太陰暦。
太陰暦では5月は今の5月の終わりから6月になるはずだと気が付いた。
サツキはツツジの仲間であるが明らかな違いがあるようである。

まずは花の大きさである・・・ツツジの方が大きくあでやかである。
サツキは花びらが小さくやや肉厚で光沢のある花を咲かせるという。
今の時期に咲いているのがツツジで開花期は4月下旬から5月の半ばまで。
サツキはこれから開花期を迎えるので楽しみである。

葉の大きさにも違いがありツツジは葉が大きめで葉に照りがない。
触った感じは柔らかめである。
一方サツキの葉は小さめで表面に照りがあり葉先がとがっている。
我が家の植え込みにはツツジとサツキがあり、花が継続して楽しめるように植木屋が配慮してくれているようだ。

今朝は雨が上がっているようだが、これから午後にかけてまた降るという予報だ。
5月半ばに近いというのに寒い。
自室にこもってブログを書いているが、ストーブを付けている。
なんだか、このところ天気は寒かったり暑かったり、変動が激しくて身体がついて行くのが厳しい。
今週の予報では土曜日まで曇りと雨が続くようだ。
まさか、このまま梅雨に入るなどということはないだろうが・・・やはり降ろうが照ろうが透析には行かなければならないので、できれば今日も降らないでほしいものだ。

ツツジの花も心なしか震えているように思えた。





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2022-05-08

かたくら通信・2・3日後

疲れ








昨夜は何故か寝付かれなくて、眠りに入ったのは明け方の4時ごろと思われる。
それでも身体は眼ざめを覚えていて7時には目が覚めた。
それから、うとうとして起きたのは8時を回った頃だった。
どうやら5日の国立近代美術館の「鏑木清方展」の疲れが出たようだ。
特に、地鉄の乗り降りで階段を使わなければならないのが応えた。
この頃は当日は疲れが出ないで2・3日後に来るようだ。

タカコサンは今日は朝から張り切っていて、洗濯を早めに済ませて、お昼前には出かけて行った。
お茶のお弟子さんのA夫妻のフルートとヴァージナルのコンサートを下高井戸まで聞きに行ったのだ。
洗濯物は3時ごろに取り込んでおくように言い置いていった。
それにしても3歳の差なのに元気である。
どうやら、睡眠を十分にとっているのが元気の秘訣らしい。
それに導眠剤の代わりに日本酒をぐい飲み一杯は飲んでいる。
私は、お酒は一切だめで深い眠りに入りたければ導眠剤に頼るしかないのだ。

前夜眠れなかった日は朝食の後に自室でまどろんでしまう。
今日は午後になってもすっきりとせずにグタグタの1日となってしまった。
おまけに左足の膝のあたりが痛み始めてきた。
どうやら昨日Nさん宅を辞するときに玄関先でよろけて膝に負荷がかかってしまったようだ。
無様に転ばなかったのはよかったがこの痛みは当分続きそうである。

連休もいよいよ今日で終わりだが、私は連休など全く関係なく月・水・金を透析に通っていた。
世の中はコロナ前と変わりない人出で、盛り場などは人の波。
これから1週間がどのような結果となるのだろうか・・・
また、大流行にならないことを祈るばかり。





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2022-05-07

八王子JI散歩・お宅訪問

ご同病







透析を始めて2年8か月たつが、この間、同病の人と話す機会はほとんどなかった。
クリニックではコロナの影響もあって私語はほとんど交わされることはない。
挨拶すら交わされないのだ。
人と人との交流はすべて断ち切られているようでなんともやるせない。
いろいろな年齢や職種の人が集まっていて、もしかするとこの病気のことは他に知られたくないのかもしれない。
そんな中で唯一言葉を交わす人がいる。
私よりも半年ほど早くこのクリニックで治療を受けている人でNさんという。
聞けば東海大で治療を受け同じ先生の紹介でこのクリニックに来たのだそうだ。

Nさんと言葉を交わすようになったのは待合室で不安そうにしている私を見て声掛けをしてくれたのだ。
そして、たまたまベッドが隣ということもあってポツリポツリと話をするようになった。
聞けば八王子千人同心の末裔ということで一族が駅の北側に住んでいるとのことだった。
また、息子さんが一人いて今年6年生であるという。
そこで、わが家にある子供向けの本を折に触れてあげることにした。
その後、Nさんとはベッドも離れ、治療の時間帯は少しずれたが交誼は続いている。

透析をしていると、同じように治療を受けている人がどのように考え、どんな思いでいるかを知りたくなってくる。
しかし、今のようなクリニックの体制では誰とも話せないのでストレスが溜まっていくばかりである。
そこで、八王子千人同心にも興味があったし、透析の先輩でもあるNさんに一度時間を取って話したいと言ったところ、快諾してくれた。

今日2時ころにお宅を訪問することになったのだ。
奥様にも子供さんにも会ってとりとめもないことであったが2時間半ほど話が出来た。
同病でなければ感じ得ないようなことが話題となって今まで溜まっていたものが解けた。
特に、クリニックの看護師や技師、医者などの対応について同じようなことを感じていることが分かって我が意を得た。
私が知らなかった情報も話してくれてこれからのクリニックでの付き合いの参考になった。

タカコサンや兄弟や友人に話しても理解してもらえないことが氷解して行くようで良い時間を過ごすことが出来た。
今度は八ヶ岳の山荘にきてもらってゆっくりと話したいものである。






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2022-05-06

やぶにらみ美術館・鏑木清方展

築地明石町







今回の展覧会に行きたいと思ったのは「築地明石町」が出品されていることを知ったからである。
この作品は二度にわたって行方不明となり2019年に発見されて国立近代美術館に収まったという。
そして、この作品と同時期に描かれたという「浜町河岸」「新富町」の二点が同時に展示されている。
浜町は踊りの稽古の帰りと思われる町娘、新富町は粋な新富芸者、この2点も存在は分かっていたが行方不明となっていた。
「築地明石町」は良家の婦人が描かれ、実際にモデルとなったご婦人がいたそうだ。
この三点は明治の良き時代の婦人像として、今回の展覧会を期に近代美術館に納まったそうである。

いずれの作品も傑作であることは間違いないがやはり「築地明石町」が群を抜いている。
ご婦人の髪形は夜会巻きという洋風で着ている着物は小紋の単衣、その上に柏文の袷の羽織、手には金の指輪をしていて、足元は素足に畳表の千両下駄。
身体は向かって左側に向けているが視線は何かをじっと見ているようだ。
背景には帆船のマストが見え右側には洋風のペンキで塗られた木柵に朝顔が絡んでいる。
全体の雰囲気として、なんとなく異国情緒もただ寄っている。
日本画の独特の人形のような女性像でなく、そこには生身の人間が立っている。

鏑木清方の名前は知っていていたが、実物の絵を見たのは実は昨年、新潟の美術館に「福富太郎の眼」という展覧会を観に行った時のことである。
キャバレー王の福富が絵の世界に興味を持ったのは鏑木の絵に出会ったことによるそうだ。
福富は鏑木とも親交を結び多数の絵をコレクションしている。
今回の展覧会にも福富の所蔵作品が何点か出品されている。
なんとなくこのコロナ下にありながら絵が何かを導いてくれているような気がした。

鏑木は明治という時代をこよなく愛し、懐かしんで昭和になってから明治の時代を思い出して描いていたようだ。
庶民の生活を愛おしみながら描いていることが伝わってくる、
風俗画としてもその価値は高いように思えた。
また、当時の小説の挿絵画家としても面目躍如たるものがあったようである。

鎌倉に、鏑木清方美術館があるそうなので一度訪ねてみたいと思う。






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2022-05-05

東京G散歩・東西線竹橋

国立近代美術館








「いよいよ8日で終わるみたいよ、お天気も良いし行ってみない。」
タカコサンに言われた。
竹橋の東京近代美術館で開かれている「鏑木清方展」である。
今回の展覧会には長い間行方わからなかった「新富町」と「浜町河岸」の2作品が展示されているのだそうだ。
鏑木清方と言えば「築地明石町」という作品が有名で確か切手にもなっている。
今回の展覧会の呼び物はこの三幅の作品が同時に展示されることであった。
この三部作は同じころに描かれた作品で乙女の姿と成熟した女性と人妻とのそれぞれの姿を描きわけているのだ。

今回の展覧会が開催されることを知って是非見たいと思っていた。
しかし、コロナ下でチケットの購入をあらかじめしなければならない事と、時間も混みあわないように指定されると聞いて二の足を踏んでいた。
ところが、タカコサンが調べたところ障碍者はチケットの購入もなし、好きな時間に行けることが分かった。
入場料が付き添い一名とともに無料なのだ。
それでも、竹橋までの行程を考えると臆するものがあったが、この機会を逃すと二度と三部作を見ることが出来ないだろうと思って意を決した。

10時30分のはちバスで北野駅へ、京王線特急に乗って笹塚まで行って都営地下鉄に乗り換え九段下へ、更に営団地下鉄に乗り換え竹橋下車。
実はこの路線は現役で仕事をしていたころ子供の本関係のことで毎日新聞社に通っていたのだ。
しかし、すでに10年以上も歳月は過ぎ、とても一人ではたどり着けそうになかった・・・特に九段下の乗り換えの所で迷い反対のホームに向かってしまった。
思えば都心方面に行くのはコロナの影響で3年以上も行っていない。
なんとなく緊張して電車に乗ったが特に変わったこともなかった。
乗客がマスクを付けている以外は以前と何も変わらない。
休日ということもあってか混み合うこともなく私もタカコサンも席を譲ってもらうことが出来た。
コロナ下で何か人々が優しくなっているのではないかと思った。

展覧会には並んでいる人をよそに、手帳を見せてすぐに入ることが出来た。
蜜を避けるための配慮だろうが人数を調整しながら入場させるのはよいことだと思った。






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2022-05-04

かたくら通信・結婚

夫君紹介








教え子のHさんが夫君を連れてわが家にやってきた。
彼女は今から三十数年前に日野の六小で教えた人である。
御年は今年50歳となる。
彼女を教えたのは5年生の時で、以来つかず離れずつながってきた。
何となく、彼女の人生の岐路に立ち会ってきたような気がする。
大学は北の方の国立大学を卒業し、生保業界に勤め今に至っている。
大変聡明なお嬢さんであったが、なぜかご縁がなくて40半ば過ぎまで来てしまった。
それがコロナの直前あたりから夫君とのお付き合いが始まって、めでたく結婚と相成った。

熟年の夫婦である・・・お互いが初婚で、子供のことなどは考えずに、残りの人生を共に仲良く生きていこうとなったらしい。
その点、我が夫婦は参考になるらしく、前から夫君に会ってほしいと言っていた。
写真などはメールで送ってきていて印象としては優しそうな人だった。
実際に会ってみると、印象通りで、なんでも「奥さんの言う通り」で彼女の言動を温かく見守っているという雰囲気があった。
歳の差は8歳だそうでその落ち着きがなにもかも許容しているように見て取れた。
彼の仕事は某有名印刷会社だそうだ。
印象としてはガツガツと上を目指しているような雰囲気はなく穏やかである。

思えば彼女とはたった一年間の教師と生徒の関係であったがずっと今も師弟関係が続いているのは奇跡のような感じもする。
彼女の中には色濃く小学生の時の思い出が残っているようだ。
私はそのころ40代で脂が乗りきっていて、やりたい放題をやっていた。
特に、夏休みのイベントと称して、夏休みの最後の日に学校を開放区にして普段やらないことを一泊二日でやらせた・・・教室に泊まったり、校庭で飯盒炊爨をしたり、体育館の舞台で演芸大会をしたり・・・深夜には放送室からビデオで映画を放映したり・・・・
私が子供の時にやってみたかったことをすべてやってしまったのだ。

彼女への結婚のお祝いは私の作った食器や酒器、茶器などを持たせた。
少しでも生活の色どりとなるとよいと思う・・・・
そして、時々、アホなヨダセンセイのことを思い出してくれると良いのだが・・・・




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2022-05-03

透析日記・ズキン

薬効








透析もそんなに悪くないと書いたら、ズキンときた。

昨日はベテランの看護師に針を挿してもらって割合順調に時間が過ぎていった。
けれど、土日の分の水分を抜くので普通の日よりも多めにしたので、途中でちょっと足の攣りが起こった。
それでも我慢できないほどではなかったのでじっと耐えた。
4時間を何とか過ごして針を抜き後始末をして着替えをして外に出てタクシー乗り場に向かった。
外はともかく寒かった、小雨が降り、気温も冬並みである。
タクシー乗り場には行列ができていて一台も車はいなかった。

と、突然右の腕に激痛が起こった。
右腕は先週1週間筋肉痛で苦しんだが、ようやっと治まったところだ。
今回の痛みはそれとは違って、腕が上がらなくなってしまったのだ。
ポケットから財布を出すこともままならない。
今まで経験したことのないような痛みである・・・俗にいう、40肩か50肩か?
80歳も超えているのに今更40肩もないだろうと思ったがともかく耐えるしかない。
10分ほど待ってようやっとタクシーは来たが、ちょっとでも腕を動かすと激痛がはしる。

家に帰ってからも痛みは続いたが、ともかく夕飯を食べて自室にこもってなるべく腕を動かさないようにしていた。
時折、襲ってくる痛みに何もする気は起らないので9時を回ったところで床に入った。
痛みは相変わらずで、寝返りを打つたびに痛む。
どうにかならないかと考えた末に「ロキソニン」という痛み止めを飲んでみる事にした。
すると、30分もするとピタリと痛みは治まった。
その薬効のすごさに驚くばかりだった。
朝まで痛むことなくいつの間にか寝てしまったようだが、今日も今のところは痛みは襲ってこない。

あの痛みは何だったのだろうか・・・今もって原因はわからない。





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2022-05-02

透析日記・現状維持

これもまた良し







ストーブの火を見ながらぼんやりと一日過ごしたと書いたが、やはり今ある自分をどのように処するかは考えてしまう。
そもそも腎不全が分かったのは3年前の今頃だった。
体中の水分がたまり始めてパンパンにむくみ始めた。
勿論その時は月一で東海大の腎臓内科に通っていたが、どうやら腎臓の機能が限界まで来ているので体中に溜まった水分を抜く・・・その時の検査の結果、尿路に石が詰まっているのでバイパスをつける手術が必要だと言われた。
入院を10日ほどして一応はむくみのようなものは取れたが手術のダメージは大きく腎臓の機能は壊れてしまったようだ。
そして9月に大きな発作が起きて即入院で透析をしなければ命を保てないと宣せられた。

それから2年と7か月一日おきの透析が始まったわけだが、当初は「何で俺が」と思ったものだが、今はこれも「良いかな」と思うようになった。
思えば、一日おきにちょっと痛い思いはするが、それをクリアーすればあとは4時間静かに寝ていればいいのだ。
その4時間の間はテレビを見たり、タブレットで映画を観たり、体は動かないが自由なのだ。
ただ、残念なのは左手を拘束されているために本を読むことはできない。

透析の次の日は休みとなるので、日曜日のような感覚となる・・・なんだか一日おきに日曜日がきているような感覚なのだ。
割合規則正しい生活が出来ていて日日の時間の使い方も計画的になる。
土日には小旅行もできるようで、すでに、新潟、千葉に行ってきた。今月の中ごろには松本まで行ってみようと思っている。

おそらく病気もなくて老いだけが進んでいけばダラダラと日々を過ごして普通のボケ老人となっていくだろう。
透析は神様がくれた恩寵で、もしかしてもう少し世のため人のために働きなさいと言っているのかもしれない。

ともかく、透析生活がそんなに嫌ではなくなっている自分がいる。
また、タカコサンがスコブル付きで優しくなっていろいろなことを気遣ってくれる。
有難いことである。







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2022-05-01

八ヶ岳南麓だより・五月晴れ

青紅葉







昨日は予定通りの特急(八王子発10時31分)で八ヶ岳の山荘に行ってきた。
2週間前には若葉・青葉の中央線沿線も深い緑へと変わっていた。
そんな中、紫色の花が点在している・・・桐の花だ。
ほんの短い期間だけ山の中に咲く花だ。
連休の始まりということで列車が混んでいるかと思ったが3連休の中日のせいか、思ったほどの混みようではなかった。
まずは小淵沢の駅で小海線に乗り換え甲斐小泉の駅に降り立った。
いつもは無人駅なのだが、JRに入ったばかりと思われる新米駅員が先輩の指導を受けながら切符を受け取っていた・・・初々しい。

空はあくまでも青く、西に見える南アルプスの連山が雪をかぶって見えた。
前日の雨が高山では雪に変わったに違いない。
南には珍しく富士山がすっきりと見えた。
雲もなく、風もない清々しい一日である・・・駅から山荘までをゆっくりと歩いた。
周りの緑がなんともまぶしい。
この季節は訪れるたびに景観が変わっていく。
山荘はすっかり緑に覆われて、特に青紅葉が清々しい。
ただ、まだストーブの暖は必要で石油を補充した。

実は今回は家の入り口にある山桜を楽しみにしていたのだがすでに葉桜に変わっていた。
2週間のうちに花開き、満開となり散ってしまったようだ。
たまたま10年ほど前の同じ日の写真がPCに残っていてちょうど満開であった。
どうやら季節が急ぎ足でやってきてしまったようだ。
このところ寒暖の差も激しく身体もなかなかついて行けない。
明らかに地球規模で何かの変動が起こっているように思えてならない。

今日は・・・昨日とうって変わって朝からどんよりとした曇り空、お昼を過ぎるころからパラパラと降り始めた。
ストーブを朝からずっとつけっぱなしで暖を取った。
何も考えずただただぼんやりと過ごした。
過去も未来もなく今ある自分をストーブの温かさにゆだねた。

帰りは3時58分という特急に乗った。
席はほぼ満席であったが、車内が少し寒かった。
明日から連休は関係なくまた透析が始まる。






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