2022年 6月の過去ログ

2022-06-30

忘れえぬ人びと・瑞牆の会・ファイナル

ハイスクール・YMCAワーク・キャンプ








山梨県と長野県の北の境に瑞牆山という名峰がある。
この山の山麓に「天使園」という養護施設があった。
戦後まもなく開園した施設で主に戦災孤児が生活の場としていた。
それから昭和40年代の後半まで施設は続いたが、その役目を果たしたのか、閉園して東京の青梅に移ってしまった。
ちょうど、天使園が戦災孤児から養護を必要とする子供たちを預かる過渡期の時に私はこの園に関わったのだ。

山梨県県下の高校生の活動でハイスクール・YMCA(通称ハイ・Y)というグループがあり私もこれに入っていた。
キリスト教青年会の下部組織のようなものだったが、このハイ・Yが毎年夏休みに天使園でワーク・キャンプを実施して県下の高校生が1週間泊まり込みで奉仕活動をした。
昭和20年代から25年間ぐらいに渡って行なった活動は我が人生の中でも特筆すべきことだった。
そして、時代の流れとともにハイ・Yそのものがなくなってしまった。
しかし、その時代を共にした人たちの絆は強く、ハイ・Yは無くなっても毎年のように8月の初めに瑞牆山麓に集った。
しかし、その会員の最年少が70代前半で私のように80代になってしまった人たちもチラホラとなった。
また総帥ともいうべき先輩がなくなってこれ以上会を続けることが難しくなった。
そこで、今年を最後に会を閉じることになったのだ。
そのご案内が昨日届いた・・・私は時間的に瑞牆山で開かれる会には参加できないが2次会が甲府で開かれるそうなのでそちらに参加しようと思っている。

そのご案内と一緒に「物故者」の名簿が入っていた。
懐かしい人たちがたくさん並んでいた・・・そして若かったころの顔が思い出された。
若くして亡くなった人もいたが、押しなべて70代でなくなっている人が多かった。
先輩はもちろんであるが後輩でも親しかった人の名前が並んでいてなんともやるせない想いになった。

私もソロソロお呼びがかかる年齢となってしまった・・・でも、今できること、今会える人たちに会っておこうかと思っている。






yodaさんの投稿 - 15:46:00 - - トラックバック()

2022-06-29

忘れえぬ人・人間の運命

身代わり









来し方の記に同じ下宿に住む男性が1年から4年まで同年齢であったことを書いた。
その中でOさんは3年生で「職業課程」の教師になるための科に行っていた。
女性の場合は同じ科のくくりとなるが家庭科の先生となる。
Oさんの出身は八丈島で、帰省すると必ず皆に島の名産を配ってくれた。

ある時、下宿屋にアルバイトの口が舞い込んだ・・・かなり良い条件のバイトであった。
勿論力仕事であるが、新宿の学校にスチールの家具を入れるのだ。
トラックで運んで、各教室の前に机と椅子を並べて置く。
バイトを持ってきたのは下宿屋の小母さんの妹の連れ合いさんだった。
以前もその仕事はやったことがあり、埼玉の学校まで運んだことがあった。
そこで経験のある私を指名してきたのだが・・・あいにくとその日は別のバイトが入っていたのでお断りした。
その代わり、Oさんが名乗り出てやってくれることになった。
私はその時、同宿のKさんと教科書会社のバイトがあって、立川に行っていた。

バイトを終わってKさんと下宿に戻ると小母さんをはじめ同宿の人たちが沈鬱な顔をしていた。
聞けば、私がやるはずのバイトでOさんが交通事故にあったというのだ。
当時、まだ、京王線が新宿の角筈あたりは地下に潜ぐっていないで路面を走っていた。
そのあたりは踏切も複雑で開かずの踏切もあったのだ。
Oさんは一緒に働いていた人が先に踏切を渡ったので遮断機が下りているにもかかわらず後を追って、電車にはねられたそうだ。
それから1週間新宿の病院に入院していたが、帰らぬ人となってしまった。

もしその時私が彼のバイトをしていたら・・・同じような状況になったかどうかわからないが何となく人間の持っている運・不運を感じた。
今も忘れることが出来ない出来事である。

方や、21歳で花の命をちらし、もう一方は82歳まで便々と生きながらえている。

どちらが幸せなのかはわからないが喜怒哀楽積み重ねてここまで来たが・・・今日もまた、猛暑のなかをクリニックまで行き4時間耐えなければならない。





yodaさんの投稿 - 09:50:10 - - トラックバック()

2022-06-28

季節だより風だより・夏到来

季節狂い







余りに早い夏の到来に身体が付いていけない。
透析の次の日は午前中で復活するのだが、今日はお昼前というのにグダグダしている。
昨夜、あまりの暑さに寝付かれず午前3時ごろまで何度も寝返りを打ち、汗をかいて時々起き上がったりした。
このところ導眠剤を服用する回数が増えているので、昨夜は我慢をして自然に眠りにはいるのを待ったのだが・・・
タカコサンは昨日のワクチンで明け方に発熱があったようで、すぐに解熱剤を飲んで対応したが、午前中は辛そうであった。

気になって昨年の今頃の日記を見てみると、ちょうど賛否両論のオリンピックが開催されていた。
私的な出来事では胃腸の調子が悪く、意を決しておなかクリニックという胃腸専門病院で診察を受けた。
胃カメラを飲み、大腸の内視鏡も受けたが重篤なことではなかったので一安心。
コロナのワクチンの2回目接種もちょうどこのころだった。
梅雨については7月の中旬ごろに明けたようである・・・
今年は半月も早く盛夏がやってきてしまっているようだ。

哀れなのはアジサイ・・・絢爛に咲き誇っていたのに、力なく萎れてしまっている。
頼んでおいた庭の手入れも梅雨の晴れ間をぬってくるはずだったが、このようなカンカン照りでは躊躇しているに違いない。
植木屋のK君も御年65歳か・・・私の一番最初の教え子であるが、そろそろ引退も考えているかもしれない。

今朝はやけにウグイスの鳴き声が姦しい・・・時々「キョキョ」というホトトギスの鳴き声も聞こえてくる。
裏山のやぶの茂みの中では托卵の攻防が繰り広げられているのかもしれない。

今年の夏はどんな展開になるのか予想もつかないが、すでに電力のピンチが起こっているらしい。
おそらく梅雨時に思ったほど雨が降らなかったので、水不足も言われるかもしれない。

やはり地球規模で季節の狂いが始まっているのだろうか・・・




yodaさんの投稿 - 17:08:57 - - トラックバック()

2022-06-27

季節だより風だより。梅雨明け

サクランボ







一昨日当たりから暑い日が続き、いよいよ梅雨明けも近いのではないかと思った。
それにしても例年に比べて梅雨の期間は短いように思える。
独特の寝苦しさのようなモノはなかった。
今朝のニュース番組によると、関東甲信地方は梅雨明けだと言っていた。
さていよいよ暑苦しい夏の始まりであるが、毎日のように気温が更新されるに違いない。
基本的には透析に通う身では晴れの方がよいのだがバス停までの道のりで大汗になってしまう、
今日はタカコサンの第4回目のワクチンの日で、前回は発熱があったので気がかりである。

ところで、世の中では相変わらず、連日のロシアのウクライナ侵攻のニュース。
ロシアの国民は詳細を知らされていないまま、日常生活を送っているのは腹立たしい。
また、いよいよ参議院選が始まったが、可もなく不可もない岸田政権は安泰の様である、
ただ連日報じられている物価の値上がりは現実味を帯びているようだ。
けれど、私のような庶民にとっては相当な打撃となって夏の終わりごろから生活に影響が出てくるだろうが・・・収入である年金は年々下がっているのが実情である。
このところ、デパートなどに出かけ行くタカコサンによるとお昼時などは結構なお店に行列が並んでいるそうだ。
店によると、コロナ以前の賑わいの店もあるようだ。
そのコロナであるが、また、復活の兆しもあるようで、本当にマスクを取ってよいのやら思案のしどころだ。
おそらくはあと3年ぐらいはマスク生活が続くに違いない。

最近最も驚いたニュースは青森県産のサクランボが、一粒4万円の値が付いたそうだ。
ハートの形をした新種らしいが・・・買う人がいることに驚く。
ご祝儀の相場であることは間違いないが,桐の箱に入った件のサクランボはどんな人の口に入るのだろうか・・・
おそらく、重油を焚いて出来上がった代物だろうが・・・
大金持ちか政治家の口にはいるのだろうなぁ・・・

世の中は間違いなく2極化しているようだ。






yodaさんの投稿 - 10:03:21 - - トラックバック()

2022-06-26

来し方の記・下宿

学生生活スタート









今から60年ほど前の下宿屋事情であるが、私が運よく住むことが出来たのは大学から歩いて10分ほどの畑中の一軒家だった。
未亡人の小母さんが一人で切り盛りしていて部屋は10部屋ほどあって大きさは3畳タイプが6部屋で4畳半が2部屋、6畳が2部屋だった。
下宿代は定かではないが部屋代として一畳に付き月1000円だったと思う。
そのほかに日日の食事代(朝・晩)がかかった。
下宿人は全て学芸大の学生であったが、面白かったのは同宿の男性が一年から4年までいてそれがすべて同年だったことである。
私が3浪で一年生、二年生はKさんという書道科の学生。3年生は職業課程の学生でOさんと言い八丈の人だった。4年生は現役で入学した人で数学科の学生だった。

この下宿には4年間お世話になり年が変わるごとに部屋がグレードアップしていった。
3畳の部屋には押入れがついていて窓際に机を置いて布団を敷くといっぱいいっぱいであった。
それでも何でも住むところが確保できて、一応2食は保証されて有難かった。
下宿屋の小母さんは奇しくも、同郷の人で「鰍沢」の人だった。
お子さんが二人いて成人している女性と小学生の男の子だった。
お風呂とトイレは共同で多少の不便はあっても当時の学生は皆こんなものだったかもしれない。
同宿の学生たちは全てアルバイトをしていた・・・それもかなり条件の良い家庭教師で、相場としては週に一回で月5000円ぐらいが相場だったと思う。

私の生活も本屋のアルバイトを中心として、いろいろな人づてもあってナントカ生活のめどが立つようになった。
多少の余裕が出来て、さて・・・学生らしい生活もしてみたいと、児童文学サークルなるものにはいってしまった。
動機は特になかったが、ひそかに物書きになりたいという思いはあって、部室の前を通ったところ、女子学生が歓談しているのが目に入り引き込まれるように部屋に入ってしまったのだ。特にまだ作家になるなどという野望はなかったが女性に囲まれたぬるま湯のような空間が心地よかった。
また、先輩の女子学生に誘われて、サトウハチローの主催する童謡のサークル「木曜手帳」にも顔を出すようになった。
しかし、サトウハチロウーが絶対君主で彼の意に沿うような詩しか採用されなかった。
なんとなく馬鹿らしくなって3回ほど行ってやめてしまった。
その「木曜手帳」に私の書いた詩が一篇だけ載った・







yodaさんの投稿 - 16:48:22 - - トラックバック()

2022-06-25

来し方の記・配達

愛真堂書店







大学に入学したもののともかく当座のお金を稼ぐために身体を張るしかなかった。
手っ取り早く稼げるのはデパートの配送だった。
今から60年も前の記憶だが、当時は配送は自転車の荷台にガラ箱という大きな箱を括り付けて荷物を入れて運ぶ。
この仕事は常時あるわけではなく、お中元とお歳暮の時期に学生に声がかかるのだった。
しかし、国立大学である学芸大は夏休みに入るのが遅かったので仕事にありついたのは7月初めではなかったろうか。
ありついたと言っても、周りやすい小金井市内や周辺はすでに私立の大学生がとっていて、国立、立川などのはずれの方まで炎天下を自転車をこいで回った。
ただ、品物一個についていくらという計算で頑張ればそれだけ実入りはよかった。

その日はまだ梅雨が続いていてそぼ降る雨の日だった。
ともかく品物を濡らさないようにビニールをかぶせて小金井の周辺を回り、あと数個となった。
小金井の北口の大通りを駅に向かって下っていたところ、小さな本屋の前で前輪が何かに乗り上げてバランスを崩して見事に転んでしまった。
幸い、品物は無事だったが、なんとも無様でこの時は本当に泣きたくなった。
と、物音に気付いて店から店主が飛び出してきて、自転車を起こしてくれた。
奥さんと思しき人がタオルを持って出てきてくれた。
店主に「学芸大の学生さん?」と聞かれた。
気持ちが落ち着いたところで、受け答えすると、「よかったら家で働かないか」と言ってくれた。
「そんなにたくさんは払えないけれど、昼食付、明日からでも来ないか」と言われた。
ちょうど月々に出る雑誌の配達とその他モロモロの手伝いをしてくれる人を探していたというのだ。

昼飯付きというのが何よりだった・・・ほぼ、毎日下宿屋で出される朝晩のご飯だけで済ませて昼飯を食べるまでの余裕はなかった。
即決で、次の日から「愛真堂書店」に勤めることになった。
ご主人も奥さんも福島の人でチョットなまりがあったけれど親切な人たちだった。
それから、大学を卒業するまでこの本屋に勤めて、本屋という仕事のイロハを学んだ。
本屋は外から見ると奇麗な仕事のように思えるが、結構ハードで汚れ仕事だった、
特に大変なのは雑誌や書籍の返品の仕事で基本雑誌は1か月、書籍は3か月で返品しないと在庫として残ってしまうのだ。
そしてもう一つは万引き対策・・・
本の利は薄く2割ぐらいなので一冊盗まれるとそれを埋めるのに何冊も売らなければならないのだ。








yodaさんの投稿 - 17:31:13 - - トラックバック()

2022-06-24

かたくら通信・ワクチン接種

4回目終わる







昨日は第4回のワクチン接種に行ってきた。
北野駅前のビルの2階が会場で、私の予約は12時からだった。
本来ならタカコサンがついて行ってくれるところだが所用があるとかで一人で行かされた。
80歳を過ぎていても4回目となると何も支障はなく、スムーズに事は運んだ。

予定の時間より30分ほど早く着いたので、もしかすると、早めにやってくれるのではないかと思ったが、そこはお役所仕事である。
「11時45分ごろ来て下さい」と言われた。
言われた通りの時間に行くと、プラスチックの札を渡されて、10分ほど待った。
まずは医者の問診を受けて、別室で注射をうけた。
それから15分ほど観察されて放免だった。
これで一応、コロナからは解放されたわけだが、副反応のようなものはまだ出ていない。

タカコサンは来週の月曜日に接種があるが、彼女の場合は前回発熱があった。
大事に至らなかったが、今回解熱剤をもらってあるようだ。
昨日あたりの東京都の患者数をみると、先週よりも増えていることが気になるが・・・また波が襲ってこないことを祈るばかりである。
それにソロソロ、マスクから解放されたいものだ。

タカコサンの接種が終わったら、久しぶりに美味しいものを食べに行く・・・まずは、浅草の「弁天山美家古寿司」に行き、ほんとの江戸前の寿司を食べてくる・
ここの寿司は江戸の古い形を残していてネタに必ず細工がしてあるのだ・・・
このところ何を食べてもおいしくないので、究極の美味を試してみたいのだ。
それから、秋口には埼玉県の「寄居」の「京亭」に荒川の落ちアユの鮎づくしを食べに行く。
ここの鮎飯は絶品である・・・40年ほど前何度か行ったが味が変わっていないと良いのだが。

もう、私には食欲しか残っていない。
それがこの頃、何を食べてもおいしくない・・・そこで多少、贅沢であっても、昔食べておいしかったものを試してみたいのだ。

このところ、肉類は見ても、あまり食欲をそそらないので、まずはこの2か所は和食系なので試してみたみたいのだ。



yodaさんの投稿 - 10:58:32 - - トラックバック()

2022-06-23

来し方の記・勘当

学芸大入学








浪人3年目の結果は新潟大学の医学部は落ちて、2期校である東京学芸大学の国語科にどうにかひっかかった。
そこで、東京での下宿は引き払い甲府に帰って、親に報告した。
父親は激怒した・・・
「医者になるのなら学費は出すが、そうでないのなら、自分の力で大学に行け。身体だけは丈夫に育ててあるので、土方でも何でもするがいい」
ほぼ勘当に近い言い方であった。
私としてはある程度は覚悟はしていたことだが、貯めておいたお金では生活費の3か月分だけで、大学の入学金と、授業料にはとても足りなかった。

ある程度、母が何かしてくれるのではないかと思ったが、母は父の妻で、父の言うことには逆らえないようだった。
そこで、父の弟で、身延町切石郵便局の局長である叔父に借金を申し込んだ。
この叔父は戦時中に私の父親代わりをしてくれた人で父よりもずっと愛着を持っていた。
大学を卒業して給料をもらうようになったら返すという条件だった。
叔母も快く貸してくれることになった・・・彼等には子供がなかったので、後に私たち夫婦は両養子となった。
叔父たちにしてみると、出来れば彼らの跡を継いで郵便局を継いでほしいと・・・

とりあえずは入学金と授業料は確保できて、めでたく学芸大に入学した。
しかし、自分で働くしか収入の道はない。
親が普通のサラリーマンなら奨学金の制度も利用できたが私は勘当された身でも、親の収入は高収入なので奨学金の受給の対象にはならなかった。
ともかく自分の力で日日の生活費を稼がなければならない。
幸い住むところは大学の近くに賄い付きの下宿が見つかり3か月分だけは何とか払えそうだった。
まずは大学の学生課に行ってアルバイトを探したが自分が考えていたほど甘くはなかった。
一年生に家庭教師のアルバイトなどあるわけがなく、体を張った仕事ばかりだった。
とりあえず、国鉄のアルバイトは日銭となったので働き始めたのだ。
アルバイトでのいで立ちはお古の国鉄職員の上着を来て同じくお古の帽子をかぶり、腕に「臨時職員学生班」という腕章を付けた。
仕事は主に満員電車にさらに人を詰め込むことだったが、慣れてくると、改札の切符切りもやらされた。

同じ学生班が4人いて、いずれも学芸大の学生であったが・・・彼らは生活のために働くというよりも、今で言う、「鉄道オタク」だった。






yodaさんの投稿 - 16:05:47 - - トラックバック()

2022-06-22

来し方の記・学芸大学入学

医学部








私は子供の時から医者になるように言われ続けていた。
しかし、それほど頭もよくないし、特に理数系がだめで、英語も身についていなかった。
医者になるには学年で20番以内ぐらいの成績でないと無理と言われていた。
私にとってはそんなポジションは夢のまた夢だった。
そしてまた、医者になる事に嫌悪のようなものを感じていた。
我が家は産婦人科の医院で出入りするのは女性ばかり、花柳界のお姉さん方も患者さんであったし、いわゆる赤線と呼ばれる地域の人も来ていた。
周囲の子どもたちには何度卑猥な言葉を投げかけられて傷ついたことか・・・
ともかく、父親の跡を継いで産婦人科医になる事だけは嫌だと思っていた。

高校三年の受験の時はそれでも北大の医学部を受けた・・・もちろん「エルムハカナシ」という電報が来た。
一年目の浪人の時は高校の補習科のような「成人学級」というのがあり、そこに通った。
たが他校から来た浪人生と遊び惚けていた。
勿論私は浪人一年目も受験に失敗・・・この年は新潟大学の医学部を受けた。
それでも一緒に遊んでいた彼らは山梨大学に入学して・・・折も折、60年安保で学生運動にのめりこんでいった人もいたようだった。
2年目の浪人は完全に宅浪だったが、図書館に行ったり、YMCAの会館に行って時間をつぶしていた・・・そんな折後輩であるM君とも知り合った。
ともかく身をいれて勉強をしたという経験はない・・・もちろん2浪目も落ちた。
実は、父親からの縛りがあって・・・私立の医学部は論外、国公立の医学部だけ・・・
2年目にはジプシーのように日本各地の医学部を受けた。
国立では新潟大学、群馬大学、公立では岐阜県立医科大学、三重県立、奈良県立、福島県立も受けたがことごとく失敗。
3年目の浪人は東京に出て予備校に通った。一学期はまじめに通ったが2学期以降はグズグズとなってしまった。
しかし、このまま浪人を続けていても受かる保証など全くないので、毎月送られてくる生活費と学費の中からなにがしかのお金をプールして医学部脱出計画をたてた。
とりあえずの目標つぃて東京学芸大学を選んだ。
学芸という言葉とこの学校は教師の養成大学なので、家庭教師の口が多いということを聞いたことがあったからだ。

そして浪人3年目の三月、一期校は一応新潟大学の医学部を受けたが、二期校を東京学芸大学としたのだ。
勿論、親には黙っての行動だった。


yodaさんの投稿 - 11:38:01 - - トラックバック()

2022-06-21

来し方の記・知的財産

M君の仕事








昨日はM君と武蔵小金井駅のホームでバッタリ会って声をかけたことを書いた。
それを期にM君は地元の山梨大学の工学部に進学して卒業後はFフイルムに入社して知的財産を守るための部署に就いたのだそうだ。
折も折、Fフィルムではポラロイドの開発が進みその技術を守るための責任者となった。
当時、F社には顧問弁護士として中村稔氏がついていた。
この中村稔という方は現代詩の詩人として活躍しておられ、私などはそのご尊名を知っていた。
詩集も何冊も出され、文化功労賞も受賞されている。
中村さんが弁護士とは、M君から聞いて驚いた。
特に知的財産保護では第一人者だそうだ。

M君はこの中村さんと仕事をし、気に入られたのだそうだ。
そして、会社を辞めて独立し、一念発起してアメリカに渡りワシントンで事務所を構える。
その折に、中村さんからアメリカでのその道の大家を紹介されたという。
8年間アメリカで仕事をしてカメラ関係の訴訟に関わり苦労したようだが、その道では名を成したようである。
帰国後も知的財産保護の仕事につき、今に至っているという。

彼の話を聞いて、人との出会いが人生においていかに大切かを知らされた。
単に出会っただけでなくそこには並々ならぬ努力があり共感や共鳴をしていったのだろう。
また、彼の仕事を理解し一緒にアメリカに渡り、仕事をアシストした奥様もすごいと思った。
タカコサンとは4歳ほど年が違うが、打てば響くようなその応答に一緒に食事をした3時間の間に友達となったようである。
この夏には超歌舞伎を新橋演舞場に観に行くことを約束していた。

彼は趣味としてチェロを習っているそうである。
毎週、先生について練習し、結構本格的であるらしい。
チェロというと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を思い出すが、一度聴かせてもらいたいものである。

私も60年も前のご縁で交誼が復活して大変うれしい・・・
7月初めの土曜日に小淵沢で会ってランチをすることになった。
また別な話が聞けるかもしれない・・・アメリカでの生活などはもっと詳しく聞きたいものである。





yodaさんの投稿 - 16:09:04 - - トラックバック()

2022-06-20

来し方の記・あの日あの時

一言







ちょうど2週間ほど前に、高校の後輩のM君から電話があった。
後輩と言っても彼とは3歳しか年が違わず、お互いにすっかりジジイとなっている。
「ヨダさん透析をしているそうですが、八ヶ岳に来た時には私がいつでも車を出しますよ」と言ってくれた。
彼も八ヶ岳南麓の大泉に山荘を持っているのだそうだ。
M君に言わせれば「一方ならぬ恩を受けている」というのだ。
そして、その恩というのは「あの日あの時」のたった一言のことだと思いあたった・
その時の状況は60年も経った今でも鮮烈に覚えているのだ。

当時私は貧乏学生で日日の糧と学費を何としても稼がなければならず、武蔵小金井の駅で「国鉄臨時職員学生班」という仕事をしていた。
いわゆる「尻押し」と言って満員電車に無理やり人を詰め込む仕事だった・
出勤は朝の6時半から7時半までで小金井駅の乗客のピーク時であった。
賃金は一時間働いて200円・・・それでもお昼代ぐらいにはなり、2年ほどその仕事を続けた。

その日は3月の初めの頃だったと思う・・・バッタリとM君と上りのホームで会った。
そして「Mよ・・・2期の願書をちゃんと出したか」と言ったのだ。
Mくんは当時1浪目。
当時は大学入試は一期と二期にわかれていて、いわゆる有名大学・・・東大、京大、北大、東北大など旧帝大系は一期、地方の新制大学は2期だった。
彼は一期校を受けて、一息ついていたが、滑り止めに2期校の願書を出すのを逡巡していたようだ。
そこで、私の声掛けに「ハッ」となって、地元である山梨大学の工学部に慌てて願書を出したのだそうだ。

その時の光景は60年経った今でもはっきり覚えていて、M君もそのホームでの出来事は鮮明に記憶に焼き付いていると言った。
結果、M君は山梨大学に入学して卒業後はFフィルムに就職して主に知的財産保護の仕事に就いたそうだ。
「もしあの時、ヨダさんに声をかけてもらわなければ今ある自分はないかもしれに」とまで言った。
私は偶然出会って、その時思いついたことを言っただけで、そんなに恩義に感じてもらえることではないと思っているのだが・・・
今ある彼のポジションは彼の並々ならぬ努力の結果と、彼を導いてくれた先達との出会いで、私の一言などほんのきっかけに過ぎないのだ。

それでも何でもお互いが「あの日あの時」の事を鮮明に覚えているとは・・・何か運命的な出会いであったのかもしれない。








yodaさんの投稿 - 09:50:51 - - トラックバック()

2022-06-19

八ヶ岳南麓だより‘

携帯電話電話顛末








M君はきのうは私と会う前に庭の草刈りをしたのだそうだ。
その折に。ポケットから落ちたようで今朝は6時に起きて目ぼしい所を探した結果、刈った草の間に落ちて居たのだそうだ。朝イチで喜びの電話があった。
このことは他人事では無く、老耄になると毎日のように起こる事である。
ともかく見つかって本当によかった。

私も実は金曜日の透析の日に時間を一時間間違えて、しまった。一時間余計にポツネンと待合室で待ってしまった。 
今朝は、毎朝測る血糖値の道具を八王子に置いて来てしまった事に気が付いた。
また、毎朝打つ、インシュリンの注射器も忘れてきていた。

M君は老もうの身には携帯は生命線だとしみじみ言っていた。

全く、同感である。






yodaさんの投稿 - 10:29:15 - - トラックバック()

2022-06-18

八ヶ岳南麓だより・朋遠方より来る

後輩






高校時代の後輩が山荘に尋ねてくることになっている。
どんな話が聞けるか楽しみである。

いつも通り、10時31分のあずさで小淵沢に向かう

予定通り12時ちょっと過ぎに甲斐小泉についた。
直ぐに行きつけの食堂にランチを予約した。

食事をおえて山荘までの道を歩いていると、これから会う予定のM君のクルマにあった。
何だか深刻そうな顔をしている。
なにかあったのか?と聞くと、携帯をなくしてしまって奥さんと連絡がとれないというのだ。
よくあることだが本人にとっては深刻だ。
恐らくひょいとおいて、その場所がわからなくなってしまったのだろう。

わたしの携帯をつかって奧さんの電話番号を知っている友達を介して、なんとか連絡がとれた。
人ごとではない、携帯無しでは身動きができなくなってしまう。
御夫妻で4時ごろに我が山荘にきてくれるという連絡が入った。






yodaさんの投稿 - 15:05:00 - - トラックバック()

2022-06-17

来し方の記・墓所

マヤ霊園








コロナ以来、私の行動範囲は限定してしまっている。
月水金は八王子駅前のタワーマンション3階にある腎クリニックにいく。
そのほかの日は大体家にいてグタグタしているか、近くの生協に買い物に行く。
月末にはたいてい八王子みなみ野にある本屋に、定期刊行物を取りに行ってくる。
体調がよく、気が向けば横浜線の片倉の3駅先にある橋本に行く。
橋本はコンパクトにまとまった街でシネコンなどもある。
駅前には立派な商業施設があり、大抵のものはそろう。
ビルにある食堂街も割合充実している。

我が家から橋本に行く場合は電車利用ではなく1時間に二本出ているバスを利用する。
15分ほどで橋本に着く・・・ちなみにこのバスは反対方向の八王子にも行きおなじく15分ほどで着く。
透析の日、私はこのバスの八王子行き午後1時7分を利用している。

さて、このバスは16号を橋本に走っていく途中摩耶霊園前に「鑓水」というバス停がある。
我が家からすればくだんのバスで10分ぐらいの距離である。
歩いても1時間ぐらいあれば十分行き着くことが出来る。

10年ほど前にご近所で親しくしていただいたKさんがなくなった、タッコサンとは特に親しかったのでショックだった。
そして彼女の墓がその摩耶霊園に決まったというので一度お参りに行った。
その時、墓地の大売り出しをしていて我々が買えるような値段だった。
我が家には故郷の身延町切石に立派なお墓がある・・・処々の事情でその墓には入りたくないのである。
今その墓にはご先祖様のお骨をまとめたものと両親が入っているのだ。
私はご先祖様はさることながら両親と一緒にはいっていたくないのだ。
墓に入ってまでいさかいはしたくない・・・
そこで姉二人と弟の了承を得てその摩耶霊園の一角を買うことにした。

墓石も建てていつでも入れるようにしているが・・・
両親と共に同じお墓に入りたくないことは追々書いていく。






yodaさんの投稿 - 09:57:54 - - トラックバック()

2022-06-16

季節だより風だより・梅雨寒

長電話








朝からどんよりとした天気である。
今にも降りだしそうな空模様であるがナントカ持ちこたえた。
予報では暑くなるとの事であったが、全くその気配はなかった。
薄手のセーターをシャツの上に着ている。

午前中は裏山の茂みからウグイスの姦しい鳴き声が聞こえてきた。
どうやら彼等にも鳴きわけがあるらしく、ちょうど今は繁殖の時期なので外敵を警戒しての鳴き方かもしれない。
2週間ほど前にホトトギスの声を聴いたが、その後全く聞かない。
托卵があるはずなのに・・・もう終わってしまったのだろうか。

タカコサンは京都にいる大学時代の友達と40分ほど電話でおしゃべりをしていたようだ。
私が自室から階下に降りていくと、ちょうど電話が終わったところであった。
「京都に行かない・・・」と唐突に言ったので戸惑った。
どうやら電話で話しているうちに会いたくなってしまったらしい。
京都の友達とは私も同級生なので知らない仲ではない。
でも・・・まずは透析のことがあるので「行く」とは言えなかった。
「私だけでも行ってもいいかなぁ・・・」と言われたが、鈍い頭コンピューターが作動したがこれまた「行ってもいいよ」とは即答できなかった。
けれど、土日なら生活にあまり差しさわりがないので「行きたいなら行けば」と答えた。
タカコサンによると、これから海外の人の入国が許可になるので今のうちなら京都も落ち着いているだろう・・・というのだ。

私もチョット行ってみたい気持ちがないでもなかったが、結局結論は持ち越しとなってしまった。
今の生活では土日は隔週で八ヶ岳の山の家に行っているのでそれでいっぱい、いっぱいである。
10日ほど前に山の家行きから足を延ばして松本まで行ってきたが結構くたびれた。
昨年は、千葉に行ったり、新潟に行ったりしたが今年はもう一つ力が出ない。
寄る年波なのだろうか。
でも会える時に、行ける時に行った方がいいかも知れない。

午後からも一向に気温が上がる気配はなかった・・・これぞ梅雨寒。





yodaさんの投稿 - 16:49:43 - - トラックバック()

2022-06-15

かたくら通信・小売店

商店街壊滅









何を食べても不味い・・・のは単に私の味覚が落ちたからだけではなさそうだ。
食材の良いものが手に入らない。
私がこの地に引っ越してきた今から四十数年前には住宅地内にシルクナードというショッピングセンターがあった、
ここには八百屋、肉屋、魚屋、酒屋、菓子屋、米屋、薬屋、荒物屋、本屋、花屋などがあり洋食屋などもあった。
ところが、まず店じまいをしたのが肉屋だった…若い人が育って住宅地から出ていき肉を食べる人口が減ったのだそうだ。
そこで肉屋はクリーニング屋に商売替えをした。
それから櫛の歯が欠けるようにそれぞれの店を閉じて行った。
消費者の減少の問題ではなく、実はすぐ近くに中堅の生協のスーパーが出来たのだ。
そこに行けばなんでもそろうわけで客のほとんどがそちらに行ってしまった、

当初は物珍しく、生協の製品には信頼を置いていたが、何十年も経つと人人の嗜好も変わり、購買者の多くが年を取ってきているのだが、それに合わせた商品の開発がみられない。
私なんぞにしてみれば少しお高くてもよいから良いものを少し置いてほしい。
また、売る側の顔がホトンど見えず味気ない。
パックに詰めて並べてあるだけだ。
製品にしても生協が独自に作り出したモノでなくどこかのメーカーに作らせたものを生協のロゴを入れて売っているようだ。
思えば今住宅地に住むほとんどの人が同じもの食していると思うと何となく恐ろしいような気がしてくる。

ちなみにシルクナードで今残っている商店は花屋さんだけである。
他の店は空き家となっているか、保険の事務所、整骨院、調剤薬局などになっている。
当初の活気はどこにも見当たらない。
つい最近とうとう、クリーニング屋も店じまいをしてしまった。

お隣の住宅地、北野台も同じような運命をたどっているようだ。








yodaさんの投稿 - 09:17:00 - - トラックバック()

2022-06-14

健康生活・味覚異常

味の記憶








コロナが始まった頃なんとなく味覚の異常を感じていた。
そんなことを公言するとコロナ患者に入れられてしまいそうなので黙っていた。
それがここにきてまたぶり返してきたようである。
症状というほどの事ではないが何を食べてもおいしくないのだ。
特に塩味と酸味に過剰に反応してしまう傾向がある。

クリニックの若い医者に相談したところ、亜鉛が足りないと味覚異常が起こると言われた。
亜鉛を多く含む食物には牡蠣があるが、すでに季節は外れているので、薬局に行ったところ、サプリメントがあるというので求めて服用し始めた。
当初は何となく効いているような気がしたが、ここにきてまた元に戻ってしまったようである。
その味覚異常なるものであるが、今まで美味しいと思っていたもの、好きなものがことごとくその期待が外れてしまっている。

今日も、お昼に橋本までお寿司を食べに行ったが、タイ、ヒラメ、貝などお好みで食べてみたが外れである。
ネタもさることながら、シャリの方に反応してしまっていたようである。
先日は八王子で焼き肉を食べたが結構よい肉だったが外れ・・・タカコサンは美味しいと言って食べていたが・・・
どうやら私の中にある味覚の期待値のようなものがあってそれが外れていくようだ。
その期待値なるモノは実際に舌が感じる事よりも記憶の中にある味覚のようだ。

この世に生きている楽しみはこの年になると食欲しかないのに、それが期待を外していくとなるとつらいものがある。
タカコサンは「毎日アレだけ薬を飲んでいれば味覚に異常が出てきてもしょうがない」というのだけれど・・・
このところ、何かを作って食べるという意欲もうせている。
甘味にはまだ異常はないがそれもいつかは苦くなったりする可能性もある。

私の作ったものを食べているタカコサンは「美味しい」と言っているのだが。


yodaさんの投稿 - 16:24:27 - - トラックバック()

2022-06-13

季節だより風だより。枇杷の実

食物連鎖








スーパーの店先の果物の様相がすっかり変わってしまった。
さしものイチゴもほとんど片隅に追いやられ、今の主流は輸入の果物である。
特等席に山のように積んであるのはキウイ。
お高い所ではマンゴーも特等席にならべてある。
スイカも出回り始めて、丸ごとよりも切ったスイカをパックで売っている。
リンゴとバナナは一年中不動で、場所が決まっているようだ。
リンゴは冷凍技術が進んで一年中食べられるように出荷されているのだろう。
バナナはピンからキリまであって一番安いのは5房で100円を切っている。
高いものは一本100円はする。
それにしても、我々世代にはバナナは特別な果物で遠足の時に持っていく定番だった。

総じて、果物全体が季節感がなくなって、先に述べたようにリンゴは一年中出回る、
ミカンなどもすでにこの時期に温室ミカンなるものを売っている。
イチゴも柑橘類も何かしら店先に並べてある。
そんな中で季節感を呼ぶのは桜桃であるが、これもアメリカンチェリーなるものが輸入されて随分早い時期から店頭に並んでいる。
もう一つ、今の時期だけの果物があった。
枇杷である・・・関東地区で有名なのは房総のびわで、全国的には長崎の茂木枇杷。
片隅に置いてあったが、これがお高い・・・ちょっと手が出なかった。
結局買ったのは輸入もののオレンジだった。

家に帰ると、タカコサンが
「岐阜から枇杷を送ってきたわよ」と言った。
岐阜の名産は柿のはずなのに・・・枇杷は聞いたことがない。
ピンポン玉ぐらいの可愛らしい実が箱に並べてあった。
どうやら庭先で獲れたものらしい。

実は今から20年ほど前に勤めていた学校の同僚が、処々の事情で国に帰り農業を始めた・・・熊本県の天草である。
そこで先祖からの枇杷農家を受け継いだのだ。
そこで、営農が成功するように協力して枇杷を買ってあげて、岐阜に住む息子の所に送ってやった記憶があった。
息子の家では食した枇杷の種を庭先に埋めたところそれが根づいて20年経って実をつけるようになったのであろう。

食物連鎖のサンプルみたいな話である。







yodaさんの投稿 - 09:42:49 - - トラックバック()

2022-06-12

学びの窓・マスク生活

外せない子供たち







きのうのMさんの話の続き。
今学校では子どもたちにマスクを取るようにと・・・指導が始まっているそうだ。
これから暑くなるにしたがってマスクを付けての体育の授業は熱中症の危険を伴い命にもかかわることになるやもしれぬと・・・
コロナで亡くなった児童はいないが熱中症で亡くなった児童はいると・・・

けれど子ども達にとっては今やマスクは生活の一部となってしまっているらしい。
特に3年生ぐらいまでは学校に入学した時からマスクを付けるように言われ習慣化してしまっているようだ。
順応性のある児童はすぐに外すことが出来ても多くの子どもたちにとって身についてしまった習慣を変えるのは難しい。
特に引きこもり傾向のある子にとっては自分の感情をマスクによって防護してきただけに、どうしても外すことが出来ないそうだ。
もう一つ、入学以来マスクを付けていた子どもたちは友達の顔をよく知らない現象も起こっているそうである。
また、喜怒哀楽を眼だけで判断してきただけにマスクを取って感情をあらわにしたりすると戸惑いもあるようだ。
「眼は口ほどにものをいい」ということわざもあるが、顔の大半が隠れていて、眼だけでその思いを判断するなどは至難である。

体育の時だけの問題でなく、マスクを取って日常生活を元のように戻すのには時間がかかりそうである。

自分自身のことで言えば、クリニックではパンデミックを一番恐れているので、一般社会がマスクなしの生活になっても当分の間はマスクを外すことはあるまい。
また、通院の折にバスに乗るが、このところマスクを外している人もいるのでなるべく近寄らないようにしている。
いつの間にかマスク警察官になってしまって口にこそ出さないが非難の目を向けてしまう。

世の中が元のように戻るにはまだまだ数年はかかりそうである。






yodaさんの投稿 - 10:13:58 - - トラックバック()

2022-06-11

学びの窓・タブレット教育

集中力








半年ぶりにT市の学校に勤めているMさんが轆轤を引きに来た。
彼とは日野市で東京都の嘱託員をしているときに同じ学校に勤めていて知り合った。
今は管理職をしている。激務であまり時間が作れないようだ。
それでも轆轤を引いていると雑念が消えてリフレシュできるそうなのだ。
年齢は20歳ほど違うが今の学校の様子を聞くことが出来る。

T市では子どもたち全員にタブレットを持たせてそれを授業に生かしているのだそうだ。
いまは全国の学校がその方向で動いてほとんどの学校が活用しているとの事。
一応、貸与ということらしいがそれにかかる費用は膨大なものであろう・・・
その効用としては一人で学習することが出来るので集中力がすごいそうだ。
特に自習などの時には静まり返っておしゃべりする子などいないとの事。
また、国語などの授業で感想を求めたりすると、それなりに何等かの形で文章を書くことが出来る。
今までノートや作文用紙に書かせたりするとなかなか感想をまとめられなかった子どもも程度の差はあっても自分考えをまとめることが出来るようだ。
もしかしてタブレットではすぐに消すことが出来るので気楽なのかもしれない。

そこで力量が問われるのは教師の指導である。
タブレットでは思考の過程が見えてこないのでいかにして考えを深めさせるかである。
私などは現役が20年以上も前であるのでタブレットによる授業など見たこともない。
どのように授業を組み立てるのか知りたいところであるが・・・
子どもたちが集中できるのは悪いことではないが、お互いの意見を戦わせながら考えを深めていくようなことが出来るのか興味のあるところである。
タブレットを武器にして育っていく子どもたちは明らかに20年も前の子供たちとは違うはずである。
今の子どもたちが大人となって築いていく社会がどのようになっていくかはおそらく知ることはできないけれど、見てみたいものである。
現場の先生たちに要求される指導方法も違っているに違いない。

新しい形の先生が生まれているのかもしれない。






yodaさんの投稿 - 17:10:06 - - トラックバック()

2022-06-10

季節だより風だより・季節感

果物・野菜







2週間ぶりに生協に行ってきた。家にあった生鮮食料品が底をついたのだ。
野菜類はあまり好きではないが葉物で小松菜とキャベツ、きゅうりを少々買った。
私が買う時のメインはどうしても果物類になってしまう。
この時期は意外と果物類が少なくなる、
まず、イチゴが終わって柑橘類も旬を過ぎてしまっている。
その代わり輸入のオレンジなどが多くなる。今一番多く並んでいるのはキューイであるが、なんとなく華やかさがない。

柑橘と言えば・・・すでにハウスのミカンが並んでいるが、全く季節感はなくなっているようである。
リンゴは貯蔵技術が進んだせいか一年中売り場に並んでいる。
季節感のある果物と言えば、スイカがあるが、すでに3月ごろから出回っているようだ。
もう一つ桜桃、確かに季節感があるが我が生協にはウラナリのような実しか入ってこない。
それにちょっと安いアメリカンちぇりーに押されている。

ひと渡り果物売り場を回って発見したのはビワである。
これだけはこの時期しか出ない果物だ・・・一パックで売っていたがお高い。
全く手が出なかった。
酸味がほとんどないので果物としては物足りない・・・
結局買ったものは輸入もののオレンジであった。

家に帰ってビワの話をすると、千葉に「びわぜりー」というお菓子があってそこには丸ごとビワが入っているとの事。

今の世の中は旬の食べ物はなくなって、結局季節感を狂わした温室の作物を食べているようだ。
云わば・・・重油を食べているようなモノかもしれない。
石油の高騰で、来年はハウスのモノは倍ぐらいになるかもしれない。

いよいよわが家も庭をつぶして菜園にでもするか・・・










yodaさんの投稿 - 09:14:43 - - トラックバック()

2022-06-09

かたくら通信・足温

裁断








梅雨寒とでもいうのだろうか、暦の上ではすでに夏には入ったはずなのにともかく寒い。
透析に行く時にもサマーセーターを着てその上にまだ何か羽織っている。
クリニック内は空調をしているが時間がたつにつれて足の先から冷たくなっていく。
そこでどうしても必要なのは足を暖めるものである。
家では湯たんぽがあるがまさかクリニックには持ち込めない。
そこで考え出したのがホカロンを使うことである。
貼るホカロンを2枚用意してそれを並べてハンカチに貼り、つつんで厚手のタオルの袋に入れる。
その袋はタカコサンが作ったもので、ちょうどいいあんばいの大きさである。
ホカロンの注意書きには低温やけどにならないために布団の中での使用は禁止となっているが、このようにくるむと丁度良い暖かさとなる。
持ち運びにも問題はないし、透析が終わって家に持ち帰り布団の中に入れておくと明朝まで暖かい。

ところが、この袋が見当たらなくなってしまった・・・だらしないイツオさんが持ちかえってどこかに置きっぱなしにしてしまったようだ。
大捜査網を張って探したけれど見つからず、クリニックに忘れてなかったかどうか聞いてもその手のモノはなかったという返事。
そこで、優しいタカコサンが嫌味も言わず黙って新しいものを作り始めた。

ちょうどタオルを裁断して縫おうとしたその時・・・書庫に積み上げてあった本の間にくだんの袋があることをイツオさんが発見。
余りのタイミングに言葉も出なかったけれど、そこは正直に「あった」と言った。

タカコサンは折角裁断したので、作業は続行して、新しい袋が出来上がった。
元のモノと色違いで、それを家用にするかそれとも一日交替で持っていくか、ともかくせっかく作ってくれたのだから使わなくては・・・・
思案中のイツオさんである・・・悩むほどのことではないか!








yodaさんの投稿 - 16:43:35 - - トラックバック()

2022-06-08

季節だより花だより・梅雨入り

アジサイ・長靴









月曜日からいよいよ梅雨入りしたそうだ。
昨日も今日も特有の曇り空で、降ったりやんだりしている。
この時期の一番の花はアジサイである雨水を得て生き生きしている。
まだ色は赤紫や青の淡い色だが、本格的な梅雨の時期になればもっと色が濃くなるに違いない・・・雨の日の唯一の愉しみだ。
我が家では大輪にさくアジサイよりも楚々と咲いているヤマアジサイの方が好きで庭の片隅に植えてある。
まだ、色は来ていないようで・・・これからが楽しみである。

我が家の近くに最近「風の丘」という樹木葬の公園墓地が出来た、塀に沿ってぐるりとアジサイが植えてありそれがあと5年もすれば名物になるやもしれない。
中には入った事がないが季節の花々が植えてあって墓地らしからぬ雰囲気があるようだ。
そのうち、八王子の花の寺として有名になるやもしれない、
友人のUさんは一画を買ったそうだが・・・我が家ではこの墓地が出来る前に鑓水の霊園をかって小さいながら墓石も建ててある。

ところで、梅雨でつらいのはクリニック通いである。
毎回、バス停まで歩いて行かなければならない。
一昨日のような大降りとなると、どうしても濡れてしまう。
雨具を着て、足はゴム長靴を履いて完全装備で出かけていく・・・
ところが、今時ゴム長靴を履いている人など魚河岸以外の人ではほとんど見かけない。
バスに乗る人にも、クリニックの靴箱にも長靴は無し
女性の長靴姿は流行りの様でこのところよく見るのだが・・・
男物の長靴は街中では絶滅危惧種であるらしい。
道路が整備されていて水たまりのようなものはないし、都心の方に行けばあまり足元が濡れなくてもいいような工夫がされているのかもしれない。
この辺りでは家に二台は車を持っていて移動は歩かないで済むようになっている・・・

長靴で歩くとパックン、パックンと確かに格好が悪いが、濡れるよりはましだと思っている。
クリニックで長靴を履いて行くのは我一人


 

 






yodaさんの投稿 - 09:57:06 - - トラックバック()

2022-06-07

季節だより風だより・桜桃

サクランボ狩り







土日の疲れがまだ抜けず今日は午前中は自室でウトウトしながらボーッと過ごした。
日曜日にタケノコ掘りをしてそれを担いで運んで、持ち帰って茹でてるまでする。
どうやら、今年82歳となるジジイのすることではなさそうだ。
欲が絡んで、それも食欲の関係となると我を忘れてしまうらしい。
実は、日曜日にもう一つイベントがあった。
サクランボ狩りである・・・と言っても木に登ってもいだりしたわけではないが、姉の所の果樹園がサクランボの最盛期を迎えているので良かったら寄るように言われた。

帰りの電車をいつもより早くして、甲府の一つ手前の竜王という駅まで甥のタカオに迎えに来てもらった。
彼はコロナでペルーから強制帰国(ペルーを起点にして南米をめぐり東ヨーロッパを回るつもりでいたが・・・)してから、姉の果樹園をずっと手伝っている。
タカオの話によると今年は花の咲く頃の天候不順のために実のつきが悪く不作だそうだ。
それでも観光のもぎ取りはしているが、ネットでの予約申し込み以外は断っているとの事。

果樹園に着いたのが3時過ぎだったので、ちょうど最後の予約のお客が来た所だった。
駐車場には10台ほど車が止まっていたが、ほとんどが県外ナンバーで神戸ナンバーの車もあった。
中央高速を利用すれば愛知方面や岐阜方面から2時間ぐらいで来られるらしく何台か止まっていた。
不作と言ってもそれなりに実がなっているので家族連れの子供たちは大喜びの様だった。
もぎ取りは2200円(子供1100円)で食べ放題。持ち帰りたい場合には別に買っていくというシステムであった。
ネットの反応を見ると結構みな楽しいでいる様子がうかがえた。

実はこの観光もぎ取りを仕切っているのは今年84歳になる姉で持ち帰り用のサクランボをパックに詰めながら、お客の対応もてきぱきとこなしていた。
日曜日の午後の最後のお客の対応まで元気溌剌・・・
果樹園のゴッド・マザーである。

姉の元気をもらって、タケノコの荷物のほかにサクランボももらって・・・私の場合はカラ元気で今日になってドッと疲れが出てしまったようだ。


 

yodaさんの投稿 - 16:13:24 - - トラックバック()

季節だより風だより・桜桃

サクランボ狩り







土日の疲れがまだ抜けず今日は午前中は自室でウトウトしながらボーと過ごした。
日曜日にタケノコ掘りをしてそれを担いで運んで、持ち帰って茹でてるまでする。
どうやら、今年82歳となるジジイのすることではなさそうだ。
欲が絡んで、それも食欲の関係となると我を忘れてしまうらしい。
実は、日曜日にもう一つイベントがあった。
サクランボ狩りである・・・と言っても木に登ってもいだりしたわけではないが、姉の所の果樹園がサクランボの最盛期を迎えているので良かったら寄るように言われた。

帰りの電車をいつもより早くして、甲府の一つ手前の竜王という駅まで甥のタカオに向替えに来てもらった。
彼はコロナでペルーから強制帰国(ペルーを起点にして南米をめぐり東ヨーロッパを回るつもりでいたが・・・)してから、姉の果樹園をずっと手伝っている。
タカオの話によると今年は花の咲くころの頃の天候不順のために実の付きが悪く不作だそうだ。
それでも観光のもぎ取りはしているが、ネットでの予約申し込み以外は断っているとの事。

果樹園に着いたのが3時過ぎだったので、ちょうど最後の予約のお客が来た所だった。
駐車場には10台ほど車が止まっていたが、ほとんどが県外ナンバーで特は神戸ナンバーの車もあった。
中央高速を利用すれば愛知方面や岐阜方面から2時間ぐらいで来られるらしく何台か止まっていた。
不作と言ってもそれなりに実がなっているので家族連れの子供たちは大喜びの様だった。
もぎ取りは2200円(子供1100円)で食べ放題で、持ち帰りたい場合には別に買っていくというシステムであった。
ネットの反応を見ると結構みな楽しいでいる様子がうかがえた。

実はこの観光もぎ取りを仕切っているのは今年84歳になる姉で持ち帰り用のサクランボをパックに詰めながら、お客の対応もてきぱきとこなしていた。
日曜日の午後の最後のお客の対応まで元気溌剌・・・
果樹園のゴッド・マザーである。

姉の元気をもらって、タケノコの荷物のほかにサクランボももらって・・・私の場合はカラ元気で今日になってドッと疲れが出てしまったようだ。


 

yodaさんの投稿 - 16:12:46 - - トラックバック()

2022-06-06

八ヶ岳南麓だより・タケノコ掘り

疲労困憊







土日と山の家でゆっくりと過ごし、1週間の疲れもとれたはずなのに、今朝(月曜日)は起きても重だるい。
実はこの土日は休養どころではなかったのだ。
山荘について、まずやったことは周囲の探索である・・・タケノコ探し。
我が家の庭には先日草刈りが入っていたのできれいになっていて何もなし。
そこでお隣の家の竹林に入ったがここもなし。(タケノコが生えていたら自由にとってほしいと言われていた)
竹林を抜けて南側の日当たりのよい所に行ってみると30センチぐらいに成長したちょうど食べごろのタケノコがたくさん出ていた。
しかし、道具がないのでなかなか掘ることが出来ず・・・それでも6本ほどゲットした。
ちなみに周囲の竹やぶは真竹で、タケノコは淡竹(ハチク)といい結構成長したものでも柔らかくて食べられる。

採ったタケノコはすぐに米ぬかを加えて1時間ほどゆでた。
土曜日の夜はタケノコづくしで、穂先の方のお刺身、中ほどはタケノコの吸い物、そして根の方はワカメと煮た。
タケノコと言っても淡竹は皮をむくと身の部分は6本で孟宗竹の一本分もない。
それでも何でもタケノコ料理を堪能した。
さて、昨日・・・このままタケノコを残しておくのももったいないので何とか掘って八王子に持って帰りたい。
確か、スコップがあったことを思い出して工房を探した結果あった。
それから頑張って15本ほど掘った。
しかし、車で来ているわけではないので持ち帰りをどうする。
背負ってきたリュックを空にして背負っていくことにした。
物欲が絡むと普段はできないこともやってのけるものだ・・・しかし、その持って帰ったものをゆでなければならない。

どうやらこの土日のタケノコ騒動で疲労困憊。
今朝は昨夜ゆでたタケノコの皮をむいたが・・・さてどうする。
正直なところ見るのも嫌になってしまったのだが・・・

勿論、タカコサンにはあきれ返られてしまった。
とりあえず、冷蔵庫に入れて今夜、透析から帰って考える。






yodaさんの投稿 - 09:46:15 - - トラックバック()

2022-06-05

八ヶ岳南麓だより;初夏

カッコウ









八ヶ岳高原の朝はカッコウの声で目が覚めた・
いよいよ夏がやって来たようである。
ウグイスの声も姦しい。
時折、キジがケンケンと鳴きかわしている。
愛の交換で相手を呼び寄せているのかもしれない。

山荘はスッポリと森の濃い緑中に包まれたようである。
部屋の中にいると夜は寒いぐらいだ。

たのしみにしていたヤマホウシの花はすでに終っていた。
これからは、夏椿が咲くが花の時期が短いのでこの夏は観られるかどうか・・・
このところ、一週間おきにこちらにきてるが丁度これくらいが良いのかも知れない。

今日は南アルプス市の姉の所に寄ってサクランボ狩りをして行く。
今年は春の天候異変で作がらは悪いそうである。
それでも何でも私の分はとっておいてくれたとのこと。
甥のタカオが迎えに来てくれる。
彼は今も姉のところで働いている。

yodaさんの投稿 - 11:10:12 - - トラックバック()

2022-06-04

八ヶ岳南麓だより・タケノコ

キーボード








今日は10時31分のあずさで八ヶ岳の山の家に行く。
2週間ぶりである。
もしかすると、タケノコが出ているかもしれない・・・愉しみである。
間違いなく庭先の蕗はもう食べられるはずである。

先日、タブレット用のキーボードを買ったのでそれも試してみたいと思っている。
続きは現地に行ってからまた書きたいと思う.

昼食を甲斐小泉駅近くの樅木食堂でとった。
この食堂は土、日、月曜日の三日だけ開いていてランチのみ。
メニューもワンプレート、カレーとシチューのみである。
オーナーシェフは帝国ホテルでシェフをしていたそうだ。
タカコさんはワンプレートをオーダーして私はカレーセット。

山荘に着いたのが2時頃でさっそくタブレットとキーボードを連動させた。
たどたどしいけれどなんとか文章を打ち込める。

さて、フキは予想通り茂っていて食べごろである。
タケノコも頭を出していたが掘る道具がないので難渋したけれど3本ほどゲットした。
今夜は蕗と筍を料理する。




yodaさんの投稿 - 08:56:17 - - トラックバック()

2022-06-03

好奇高齢者の生活と異見・理解不能

ダメージ








先日、タカコサンとお昼を食べにみなみ野に行ってT珈琲店という所に入った。
コーヒーだけでなく軽食もできるような店で結構混んでいた。
案内された席についてオーダーをしてしばらくすると隣の席に親子と思しき女性が座った。
親は50代ぐらいか、子は20代前半という所か・・・
お嬢さんは黒のセーターを着て化粧もちゃんとしていてチャーミングだった。
しかし、穿いていたジーンズがいけない。
古着のようなもので、ところどころほつれていて、決定的なのは膝の所が破れていて膝小僧が覗いていた。
どうやらそれがファッションらしかったが80代ジジイにはぼろを穿いているとしかみえなかった。

この女性だけでなく、同世代の女性も男性もこの手のジーンズをはいているところを見たことがあるが、近くで見ると違和感を感じるだけだった。
タカコサンによるとこのようなジーンズを「ダメージ」というのだそうだ。
本当に古いものは結構高額で売られているそうである。
お隣に座ったお嬢さん・・・残念ながら似合わない。
こんなものを穿いていても何も言わない親の顔を見たい・・・親は彼女の目の前にいる。
我らのようなモノのない時代に育った者は、母親が破れたところを繕って当て布をしてくれていたものだ。

聞くところによると、新品のジーンズを一年間ぐらい誰か(労働をする人)にはいてもらって、くたびれさせてから回収してから売るものもあるそうだ。
なんだかわけのわからない世の中になってしまったようである。
破れたジーンズを穿いている人に祖母が憐れんで「新品を買いなさい」とお金をあげたという話を聞いたことがあった・・・

昨日の事、タカコサンが町田のデパートに所用があって行ったところ、ジーンズ売り場に、
「ダメージ」が売られていたそうだ。
15000円もしたそうだが・・・破く手間を売っているのだろうか?
そういうものをお金を出して買う人がいるんだなぁ・・・
我が家にも穿かなくなった古びたジーンズがあるが、もしかしたら高額で取引されるかもしれないぞ。
でも、いずれもユニクロ製品だからそれはないだろうな・・・・




yodaさんの投稿 - 09:27:06 - - トラックバック()

2022-06-02

かたくら通信・リュック

帆布製








外出する時に必ず持っていくリュックがある。
今使っているのは2代目ですでに10年近くたっている。
初代は補修して使っていたがみすぼらしいからやめなさいと言われて2代目に替えたのだ。
そのリュックは京都にある老舗の帆布鞄の製品でずっと昔、京都に行ったときに買って愛用していたのだ。
布製で至ってシンプルな作りであるが、いろいろなポケット類はついていない。
入れるところは二か所だけで前のポケットが小さく、後ろのポケットが大きい。
カバーは二か所のポケットを覆う形で金具で止めるようになっている。
背負い紐は「真田紐」のようなもので幅が3センチほどである。
鞄の脇には製造所のロゴ入りのタックが縫い付けてある。
そのかばんの製造所の名前であるが・・・一澤帆布製という。

実は京都に行ったときに二代目を買うために店まで行ったところ社名が変わっていた。
「喜一澤」となっていたのだ・・・けれど、今まで使っていたものと同じものを買い求めることはできた。
どうやら会社内のあとつぎ問題で内紛が起きて遺産相続で3人兄弟の喧嘩のような事になったそうだ。
京都では有名な話で元の名前そのままの会社はあるそうだ。
しかし、私の持っているリュックは作っていない。私の訪れた「喜一澤」にはロゴは違うけれどあった。

お店の人にはある程度の事情は聴いたけれど家に帰ってネットで調べてみると、先代の創業者が遺言書を残していてそれが2通あったというのだ。
勿論裁判沙汰になったがすっきりした形の解決にはならなかったようだ。
私としてはロゴを買いに行ったわけではないので「喜一澤」のモノを今も使っている。
そして最近になってタカコサンが「肩掛けがほころびてきたのでソロソロ買い替えたら・・みすぼらしいわよ」と言いはじめた。
私としてはそのほつれ具合がちょうど「使いこなしている感」がいいと思っているのだが。
「ならば、京都に買いに行こうか・・・」と言ったところ、結構乗り気になった。

しかし、結局、ネットで調べて注文してしまって、昨日形も色も全く同じリュックが届いた。
勿論、リュック代金は請求された。







yodaさんの投稿 - 11:37:47 - - トラックバック()

2022-06-01

かたくら通信・チョットいい話

入金








20年も使っていた風呂場の温風機が作動しなくなった。
会社名を見るとナショナルになっている。間違いなく20年前につけたものだ。
これからのシーズンにはあまり必要はないが間際になると、どうしても在庫不足になりがちなので、今のうちに取り替えようと思った。
しかし、問題は先立つものである・・・タカコサンはちょうど満期になる預金があるのでそれで補填すると言った。
すると、一昨日の郵便の中に私宛のがあって・・・昔書いた短編の一部を小学生の市販テストの読み取り教材にしたというのだ・

過去にも何例もそういうことはあった。
九州方面の名門女子中学の入試の問題となったこともあったのだ。
我が作品は総計で30篇ぐらいだが、過去にも何例か作品の一部を問題に使いたいと引き合いはあった。
30篇中、10篇ぐらいは使われているのではないだろうか・・・
作家仲間に聞いたことがあったが、そんな例はあまりないという。
何故私の作品が使われるのかは謎である・・・平易な文章で、元教師が書いた文だからだろうか・・・作品はとっくに廃版となってしまっているのだが・・・・

そのように作品の一部が使われることとになると、使用の許諾の願いが来るがほぼすべて諾の返事を出している。
当然、使用するにあたって使用料が発生するが2000〜5000円ぐらいである。
ところが、今回の場合は62000円も払ってくれるのだ。
こんなことは稀有のことだ。

さっそくこの入金は温風機の支払いに充てることにした。
足りない分はタカコサンが工面するという・・・・

このところハクビシン騒ぎあたりから、出費がかさみ苦慮していたところだが有難いことである。

ちなみに・・・入試に使われる場合は謝金は発生しない。
私の場合は教材に使われるのが毎年5件ぐらいで謝金は1万円程度だったが今年は破格となったのだ。




yodaさんの投稿 - 09:23:09 - - トラックバック()