2022年 7月の過去ログ

2022-07-31

忘れえぬ人・生命力

塊根植物(かんこん)








10年ほど前の父の日にプレゼントとして2年連続で奇妙な鉢植えが送られてきた。
贈ってくれたのは大阪に住むH君であった。
彼は私のブログには何度も登場しているが町田の鶴川の小学校で教えた人だ。
けれど3年前54歳の若さで旅立ってしまった。
今は奥さんがその遺志を継いで父の日プレゼントは恒例となっている。

それはさておき、その送られてきた鉢植えは根が鉢に露呈していて、枝が何本か出ていて緑の葉を付けている。
この植物が何という名前なのかはいまだにわからないが、大きなくくりでは塊根植物というのだそうだ。
私のような無精者にはピッタリの鉢植えで2月に一度ほどの水やりで、あとはほとんど手入れをしなくていいのだ。
玄関の下駄箱の上に置いていて、午後の陽光がガラス越しに入って来るのに当たるだけで一年中、緑の葉を付けている。

ところが、この春、二つのうちの一つが一枚の葉を残しただけですべて落ちてしまった。
実はこの鉢を「モト君」(ちなみにもう一つはエイコさん)と名付けて呼んでいた。
彼が亡くなって、特にこの鉢を愛おしく思っていたのだが・・・何か呼ばれているような気がしてならなかった。
しかし5月ごろから新芽が出て茂り始めた。
もう一つの鉢エイコさんは送られてきた当初と全く変わらず緑の葉をつけ続けていた。
どうやら、この植物は水をやりすぎると根腐れをしてしまうことが分かってきた。
7月になってからそれでも、たまには外の空気と陽光に当てた方がよいと思い玄関先に出しておいた。
そして夕方取り込むことを忘れて出しっぱなしにして置いたらその夜、雨が大降りとなって鉢にたっぷりと水がかかってしまった。
次の日はよく晴れたのでそのまま出しておいたところ、夕方になって取り込もうとするとモト君もエイコさんもどちらもすべての葉を落としていた。
原因は根が水分の取り過ぎである事は分かった今度はもういけないだろうとガックリとなった。それこそ、良くないことの前兆・・・そのまま打ち捨ててしまおうかと思ったが、もしかしてと思い枯れた二鉢を下駄箱の上に戻しておいた。

すると、1週間たった今日・・・それぞれの鉢に小さな緑の芽が出ていることを発見。
その生命力に感動してしまった・・・実は塊根植物という名前を知ったのも今日だった。
調べてみると南アフリカやマダガスカルなど乾燥地帯に自生する植物との事。






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2022-07-30

学びの窓・20年

タブレット








私たち夫婦が仲人をしたYさん夫妻が午後から訪ねてきてくれた。
奥さんがタカコサンが38年ほど前に勤めていた学校に新卒できた音楽の先生だった。
夫君も同じ学校に勤めていた人で月下氷人の役割をしたのだ。
以来ずっと親類のような付き合いが続いている。
夫君は10年前に退職となったが今も教員補助のような形で嘱託員として勤めている。
奥さんは昨年60歳を迎えてめでたく退職だったが嘱託員としてそのまま同じ学校に勤めることになった。
仕事は以前と全く同じで給料は3分の2になってしまったとボヤいていた。
忙しくてこの一年ほど会っていなかったが教育現場の今を聞くことができて興味深かった。

夫君の方は若い教師のサポートをしているので教室の現実を客観的に見る事が出来るようであった。
サポートしている教師たちの質が落ちていると辛辣だったが・・・国語などの答えが明確でないもの教える時にほとんど赤本(教科書のアンチョコ)で教えているとの事。
また、日日の教育活動はいじめ対策に時間の大半を取られてしまっている・・・
絶えずアンケートを取りいじめに神経をとがらせている。
アドバイスをしようにもプライドが高くあまり聞く耳を持たないそうだ。

奥さんの方は音楽の授業だが、コロナ下ではまともに声を出すこともできないので、タブレットによる授業が多いそうだ。
今、ほとんどの学校で子どもたち一人一人に入学と同時にタブレットを貸与しそれを6年間使うのだそうだ。
あらゆる授業に活用して上手に使うと大変便利と言っていた。
音楽では自分の歌唱や演奏を撮らせてそれを指導や評価に使うことが出来る。
コロナが始まってから特にタブレットは大活躍だそうである。

お二人の話を聞きながら教育現場を離れて20年も経つと今浦島の様でチンプンカンプン。
特にタブレットによる授業など想像もつかない。
コロナ以来、教育現場も大きな転換点を迎えているようだ。






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2022-07-29

季節だより風だより・真夏到来

コロナ蔓延









いよいよ真夏の到来のようだ・・・雨戸をあけるとギラギらした陽の光が差し込んでくる。
二階にある我が居室は南西の角で一日中日当たりが良いが夏の太陽は高い所を通っていくので屋根の照り返しだけを注意すれば意外と過ごしやすい。
クーラーも一応ついているが、苦手でよほどでないと使わない。
透析のない日はほぼ一日この部屋で過ごすが、多少の暑さを我慢すればそれなりに快適である。
ところで、コロナの猛威はとどまる所を知らないようだ。
それも身近に迫っている感がある。
タカコサンの茶のお弟子さんも罹病して稽古日に来れなくなった。
先週の土曜日に行った床屋でも保育園の先生をしているお嬢さんが罹ったという。
今回の流行は子供経由で家庭内感染が多いと言われているようだ。
前回、山荘に行った時に乗り合わせた学童の集団を見ていてさもありなんと思う。

実は今度の土日は山荘に行く予定だった。
岡山に住むFさんがいよいよ結婚するらしくその報告を兼ねて山荘に来てくれることになっていたのだ。
Fさんは20年ほど前に彼女が新卒で日野のM小に赴任してきた時に関りあいがあった。
結婚についてはずっと気がかりだったが、このたびは良縁を得たようだ。
新婚旅行を兼ねてなのだろうか今はやりのキャンプ用品を積んで岡山から旅してきて蓼科に泊まるので山荘に寄って彼を紹介したいとのことだった。
けれど、このコロナの蔓延では小淵沢までの列車が怖いので(前回のように子供集団に会う可能性大)山荘行を断念した。
彼女たちに会うのはまたの機会ということで・・・了解してもらった。

今度の週末はひっそりと部屋にこもって読書でもしようと思う。
それにしても・・・我が八王子では今年は開催されるはずだった「八王子まつり」(山車が何台も出て壮麗な祭り)も急遽中止となった

いつになったらコロナが終息するのだろうか・・・
政府は経済優先で対策については野放しのようだ。
間もなく「お盆」・・・人流が活発となり日本全体に蔓延して、さらにとどまる所を知らない状態にならなければよいのだが・・・
すでにその兆候はある・・・国葬どころじゃないだろうに。
自分の身は自分で守れということか・・・・





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2022-07-28

忘れえぬ人・百日紅

点鬼簿








いまの季節の花となると百日紅だろう。
昨日クリニックから出してもらった処方箋を持って北野駅前にある調剤薬局に行ってきた。10時半のはちバスの乗っていろいろな買い物も兼ねている。
途中車窓から外を見ていると結構百日紅の花が目についた。
いよいよ暑い暑い夏の到来である。
その名の通り夏の間中、100日も咲き続けるに違いない。

北野駅前にあった三晃堂書店の店主のご母堂が百日紅の花の色を称して「おさるさんの
おしりのような品のない色」と称したという。
確かに色あせたピンクの色は猿の尻の色・・・
ご母堂には会ったことはないが、終戦直後に満州から引き揚げてきて苦労に苦労を重ねて一人息子のテンさんを育て上げたという。
そのテンさんもずっと遠い遠い所に行ってしまった。

今から40年も前の事になろうか・・・竹馬の友のEがいよいよいけなくなったという連絡があった。
本人はやせさらばえた姿を見せたくないと誰とも会わないと言っていたが無理やり甲府の北にある国立病院まで行った。
甲府駅からタクシーで行ったが病院に着くと俄かに空がかきくもり。シャワーのような雨が降り始めた。
そして近くに落雷があったらしく停電となってしまった。
薄暗い廊下を通って病室に入ると紙のように白くなってしまったEがベッドに座っていてこちらを見ていた。
と、その時また落雷があって一瞬窓の外が見えた。
植え込みの中の1本百日紅の花が見えた・・・鮮やかな朱の色だった。
言葉が何も出なかったが、「元気そうだな」と間抜けなことを言ってしまった。
それからひと月、9月14日に旅立っていった。

17年前のちょうど今頃母が施設ではもう見切れないと言われ、終末医療の診療所に移ることになった。
甲府の北のはずれの施設から盆地の真ん中にある診療所に移送した。
施設の玄関の所に大きな百日紅が堂々と咲いていた。
そしてこちらの診療所に着くとまた入り口に百日紅。
母が亡くなったのはそれから2週間ほどしてだったが・・・私はこの日を百日紅忌となずけた・・・もうすぐその日がやってくる。







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2022-07-27

友がき・多才

友情








昨日は大学時代の友人と電話で思い出話をした。
私の大学時代は生活のためにほとんど毎日がアルバイトに明け暮れていたことはすでに書いたが、同じクラスに友人はほとんどいなかった。
それは私が浪人3年もして入学したのでクラスメイトより3歳も年上なのでなかなかなじめなかったのかもしれない。
クラスは40名ほどで女性が30名男性が10名だった。
しかし、卒業時には男性で残ったのは私を含め6名だけでそのうち4名は小学校の校長となり、1名が高校の校長となった。
その5名は連絡を取り合い切磋琢磨したようだが、私は初めから外れていた。

それはさておき、電話で話した友人は下宿で一緒だった人で私と同年だったが、学年は一年上だった。
彼は盛岡の出身で2浪して学芸大の書道科に入った。
どうやら私と同じように医学部を目指したのだが、2年で見切りをつけての入学だった。
当時、国立の大学で書道専門の科があったのは学芸大だけだった。
卒業すると高校の国語の免許が取れるのだが、書道専門での就職はなかった。
しかし国立大学唯一の専門科だけあってレベルは高く錚々たる教授陣がそろえられていた。
また、卒業後その道で名を成した人もいる。
今や一つの道として定着している「絵手紙」の創始者なども書道科出身と聞く。

彼とは同宿となってすぐに友達となり今も続いているのだが、その出会いで驚かされたのはその多才であった。
能筆であることはもちろんであるが、特に音楽の才には目を見張るものがあった。
まず、楽器は何でもこなすことが出来た。
ピアノをはじめとして琴に至るまで弾きこなしたが確か部屋に琴があったように記憶する。
歌も上手で楽曲を正確に歌いこなした。
同年でこんな人がいるのかと驚かされたのだ。
しかし、その才能については控えめで恥じているような気配もあった。
聞けばご両親が小学校の先生で学校に行って遊びのように音楽を楽しんだのだそうだ。

学芸大卒業後は東京都の国語の教員となり退職まで務めたが、彼の才能であった書道も音楽も生かされることはなかった。
ギラギラしたところがなかったので今まで友情が続けられてこられたのかもしれない。





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2022-07-26

なごみ食堂・昼飯

冷や汁







朝からどんよりとした空で10時過ぎからパラパラと降り始めた。
このところ透析の後の回復が遅く気が滅入る。
お昼は何も食べるものがない・・・そこで先日ブログにて紹介した「おざら」にした。
けれどみそ汁に冷や麦ではあまりにシンプルすぎるので出汁の代わりに鯖缶をすり鉢でほぐして味噌をといた。
薬味には前の家のMさんから頂いたキュウリを入れた。

お昼の番組で11時半ころから始まる「昼めし旅」というのがある。
関東近県を回ってお昼の食事を紹介するのだ。
たまたまテレビをつけたら、熊谷市の昼飯の紹介をしていた。
我が家とドンピシャリ・・・熊谷では「冷や汁」というのだそうだ。
勿論、鯖缶を入れるなど邪道はしていなかったが各地に似たような食べ方があるものだな。

「冷や汁」と言えば、ずっと昔やはり何かの「食」の紹介番組で宮崎か鹿児島か・・・アジの干物を焼いてその身をほぐしてすり鉢ですりつぶして味噌をいれる。
それを冷たい水で溶いて、冷ごはんにかけて食べる。
真夏の暑い時に一度試したことがあったがこれもいける。
そこで、夕食は・・・昼間の鯖缶汁をぶっかけて食べることにした。

ご飯と冷や汁の食べ方で、我が故郷の切石では「オバク」というのがあった。
漢字で書くと「お麦」であろうと思う。
ちょうど田植えの時期に食べるもので、お米の代わりに大麦を食べる。
戦時中の記憶なので・・・おそらくコメなどなかったのかもしれない。
米の代わりに麦を炊いてそれにみそ仕立ての汁をかけて食べる。
残念ながら美味しかったという記憶はない。
パサパサし大変食べにくかったことだけは覚えている。

でも、もう一度食べてみたいという思いもある。







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2022-07-25

透析生活・不眠

飲酒








透析を受けるようになってつらい事と言えばやはり針を刺して4時間耐えなければならないことである、
この頃は針刺しに慣れてきたせいか痛みのようなものは我慢できるようになった。
また一時期、体中の悪い水分を抜くのでバランスが崩れて足を中心にして攣りがしばしばおこった。
けれどこれも水分の調節が分かるようになってほぼなくなった。
代わりに一番悩まされているのが搔痒である・
身体が温まってくると猛烈にかゆくなってくるのだ。
お風呂に入って、さて寝ようとするときから始まる・・・幸い保湿クリームのようなものを塗ると治まることが分かってきた。

処々の苦しみをクリアーしながら生きているという感じであるが、ここにきての悩みは「不眠」である。
特に蒸し暑い夜が続くとほとんど眠りにつくことが出来ない。
一応、導眠剤をもらってあるのだが、効きはしない。
床に入って何度も寝返りを打って・・・白々と夜が明ける頃に眠りにつく。
朝寝するわけにいかないので遅くも7時半ころには起きる。
透析のある日はクリニックのベッドで2時間ほど寝てしまうようだがそれが悪循環をつくる。
透析のない日は自室にこもってウトウトするのだがそれもよくない。

とそこで、今まで一度も口にしたことのない酒を飲んでみる事にした。
酒に対しては拒否反応があってお猪口一杯飲んだだけで火事場の金時状態となった。
判っているので82年の人生で酒を口にしたのは数えるほどしかない。
タカコサンは私よりも強く寝しなの一杯をやっている。

そこで昨夜、思い切ってタカコサンの寝酒を分けてもらって小さなコップ半分ほど飲んでみた。
顔が火のように熱くなったがそれが治まると睡魔がやってきた。
どうやら思ったほど酒が弱いわけでもなさそうだ・・・
クリニックの医師に相談して少したしなんでみようと思い始めている。





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2022-07-24

好奇高齢者の生活と異見・無知

大義








ロシアのウクライナ侵攻に関してプーチン大統領が大義に掲げていたことの一つにウクライナの「非ナチ化」があった。
プーチンがやっていることの方がずっとナチズムに近いのではないか・・・
そこのところの論理が分からなかった。
それがようやっと解き明かされた・・・先週の木曜日の毎日新聞「独自の歴史観 侵攻正当化」という記事であった。
これはプーチン個人の歴史観というよりもロシア保守派のお馴染みの論理だそうだ。

第二次世界大戦中にウクライナ民族勢力はロシアから独立するために、一時期共通の敵としてして戦うナチス・ドイツと結びついた。
その指導者であったステパン・パンデラの名を取ってパンデラ主義者と呼ぶ。
パンデラとナチスドイツの結びつきは一時的で後に彼は「ウクライナの英雄」という称号をうけるが現在はその評価は国内でも分かれているという。
ロシアにとってはパンデラはあくまでナチスドイツの協力者であって今回の侵攻の大義としている。
ロシアの保守派の論理としては欧米とウクライナが結びつくことがナチ化であり、ウクライナを「ナチスト」から解放する戦いであるとしている。
通り一遍の世界史を学んできた(学んだかどうかも定かではない)身にとっては想像もつかなかった論理であった。
ロシアでは当たり前なことのようだ。

82年も生きてきて何を学んできたのだろうか・・・と唖然としてしまう。
ここにきてわからない事だらけではないか。

もう一つ、アベ元総理の狙撃事件でこのところクローズアップされているのが「統一教会」である。
確か数十年前に霊感商法として社会問題となりそれなりの糾弾があったことを記憶しているが・・・特に桜田何某の集団結婚については時折、話題になっていた。
けれど、今も名を変えて教団は続いていているという。
今回の事件の発端は常識では考えられないような教団への寄付問題。
その恨みがアベさんの狙撃と結びついていくのか疑問はあるが、宗教と政治のもたれあいは確かにあるようだ。
今回は政治家たちとの関係が取りざたされていて、アベ派の議員との結びつきの多い事。
お互いに利用できることは何でもやる。
選挙の時に運動員を教団から派遣するとか・・・アブナイ候補に対しては票を回すこともあるとか。
教団に対してはその見返りもあるのだろうなぁ・・・
日本の政治が韓国の宗教団体にダダ洩れしているのだろうか・・・
これもわからないことの一つである







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2022-07-23

かたくら通信・なるようになるさ

眼科検診・散髪








コロナの勢いはとどまる所を知らないみたいだ。
そして、つい身近なところまでせまって来ているようである。
それでも何でも日常性生活は転がしていかなければならない。
きょうは2か月前に予約を取っていた眼科の検診に行き2時間かかった。
すでに右目は緑内症のために明るさを感じるだけでものの識別はほとんどできない。
ほぼ、失明に近く不便なのはモノの距離感がつかめないことだ。
左目は白内障の手術をしたおかげで今も1.0の視力を保っている。
幸い今回も左目は異常なしでほっとしたところである。

診療が終わったのが12時半だったので高幡不動駅の駅ビルにある「大戸屋」で昼食。
鯖焼き定職をとった・・・魚は美味しかったがご飯がスコブル付きでまずかった。
私の味覚異常かもしれないが・・・これはどこに相談すればよいのだろうか。
とりあえず来週の火曜日に歯科に行ってみようと思う・・・
実は塩味の強いものに過剰に反応して今まで食べてきたものの味の記憶がことごとく砕かれてしまっているのだ。

2時に床屋が開いているというので気分を一新、かなり短く切ってもらった。
床屋談議はもっぱらコロナの事。
保育園に勤めているお嬢さんが罹病して10日間休んだそうだ・・・どうやら通勤の電車の中ではないかというのだが、すぐそこまで忍び寄っているような気がしてならない。
家に帰るとタカコサンが言うには歌舞伎役者が48名もコロナにかかり、7月の歌舞伎公演は中止だそうである。
今行われている大相撲も幕内力士のコロナの休場が続き十両から力士を引き上げてナントカ興行を続けているらしい。

そこに後輩のM君から電話があってもし山梨方面に行くのなら車を出してくれるという。
なるべく公共の交通機関は使わない方がよいというのだが・・・
4回目ワクチンの効力を信じるしかないが何となく心もとない。
透析患者のコロナ罹病は透析の治療とコロナの治療ができる施設に入るのだそうだが、そのような施設は大病院以外にはないそうで、今は満床だそうだ。

くよくよしてもしょうがない・・・なるようになると思うョ
悪運強く今まで生きてきたのだもの・・・負けてたまるか。


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2022-07-22

健康生活・コロナ蔓延

with・コロナ








96歳になる大先輩から電話がかかってきた。
大先輩というよりも、八ヶ岳の山荘を設計し、八王子の家も設計してくれた番匠設計のK先生である。
ぜひ会いたいとのことであった。
私も常々お会いしたいと思っていたのだが、透析をするようになってから一度もお会いしていないのだ。
先生は戦中戦後の事を聞くことのできる大先輩なのだ。
96歳とは言えまだ矍鑠としていてチョット耳が遠い事を除けばお話もしっかりとしている。
そこで透析のない28日の午後拙宅に来てくれることになった。
ところが30分ほどしてまた電話がかかってきて、今の時期会うのはまずいのではないかと息子さんに言われたそうだ・・・お互いに高齢、特に私は透析をしていることを慮っての忠言だったようだ。
そこでもう少しコロナが落ち着いてから・・・となった。

それにしても第7波はすごい勢いの蔓延である、ニュースでは透析患者の罹病について取り上げていたが・・・どうやらなすすべがないようだ。
イギリスではウイズ・コロナの政策をとり自己の判断で検査を受けたり、自宅療養をしたり…インフルエンザ並みの扱いとなっているようだ。
日本は行動規制の枠は外したがさてこれから患者数が増えてなすすべもなくなるのだろうか・・・
透析を受ける身なのでもしもの時の覚悟はできている。
連休時の人の移動を見ると倍々で患者数が増えていくのが判るような気がする。やはり経済優先だろうな・・・

それにしてもクリニックでは今まで通り、マスクの着用、手洗いの励行を義務づけている。
患者同士のおしゃべりなど全くないのでそれは心配ない。
ただ奥まったビルの一室なので換気が悪いのがkになるところである。
我がクリニックには入院施設がないので大病院にまわされるのだろうがそれも覚悟してる。
ここまで来ると運・不運で決まってしまうのかもしれない!!!


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2022-07-21

好奇高齢者の生活と異見・元外務省主任分析官・佐藤勝

ウクライナ情勢







2月24日から始まったロシアのウクライナ侵攻は一向に停戦の気配はない。
しかし、この頃はほとんど情勢についての報道がなされていないように思える。
国内で日替わりのように衝撃的な事件が起こっているからだろうか・・・
今はアベ元首相の襲撃事件から発展して統一教会と政治家との関係について報道が目立っている。
今、ウクライナで起こっていることについては反転攻勢が言われていたけれどロシアが次々とウクライナの領土を制圧しているようだ。

2月以来何故が付きまとっているのだが明確な答えは見えてこない。
ただ言えるのはウクライナを含めた欧米側が善でロシアが悪という単純な事では無さそうだ。
そこで是非、ソビエトの専門家であった元外務省主任分析官であった佐藤勝さんの意見を聞いてみたかった。
侵攻以来、彼はほとんど何も言っていないのだ。
けれど、ここに来て(7月17日の毎日新聞)池上彰さんとの対談という形でウクライナ侵攻について語った。

まずは彼は現在、私と同じで腎不全で週に3回4時間ずつの透析治療を受けているという。
どうやらそのために精力的な活動や発言が出来なくなっているようだ。
ウクライナ侵攻以前は透析時間の4時間の間、彼が日本を離れていた1986年から95年の間に放映されたトレンディドラマを見ていたそうだ。
その時代を読み解くにはドラマが一番良いのだそうだ・・・侵攻以降はロシアやウクライナの現地のテレビを見ている・・・

彼が言うのにはロシアの本音がなんであるかという情報が見えてこないのは
「ロシアはうそをついているに決まっている。入ってくる話は情報操作したノイズだから聞かない方がいい。このように入り口の段階で絞ってしまっている」
まさに・・・私自身がやっていることをズバリと言われた。
アメリカやイギリスやウクライナ発の話は日本にどんどん入ってくるがロシアの見方や考え方がほとんど伝わってこない。
日本はアメリカや欧米側に与してロシアに制裁を加えているが、日本独自のロシアとの関係はないがしろにできない。
サケ・マスの入漁料を払って獲る問題、原油・液化天然ガスのプロジェクトなどについてはそのまま継続しているようだ。この戦争を見ているとアメリカに管理された戦争のように見えてくる・・・アメリカが武器を供与していて管理している限りウクライナは勝てない。
即時停戦して戦争以外の方法で解決を探求すべき時が来ていると彼は言う。



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2022-07-20

好奇高齢者の異見と怒り・国葬

非国民








安陪元総理の死に対して1週間にわたって献花台が設けられ、引きもきらずお参りに来る人が訪れ花も山のように積んであった。
訪れる人を見ていると意外と若い人が多いことに驚く・・・そして涙している。
死を悼んでの事だろうが、彼が現役だった頃そんなに人気があっただろうか・・・
桜を見る会やモリ・カケ問題の時に若い人たちが擁護したなどとは聞かない
安陪のマスクに対しては若者があのマスクを付けていたことなど見たこともない。
死してしまえばすべてが美化されてマイナスの業績は消滅してしまうのか・・・

そしてここで秋になったらアベさんの葬儀を国葬でやると…総理の一声で決まったようだ。
そして茂木幹事長は「国葬に対していかがなものかという国民の声は聴いていない」と言った。
国葬となると国のあらゆる機関が弔意を表すために休みとなり、学校なども休校となるはずである。
外国から要人も来ることになり、国を挙げての大騒ぎになるに違いない、
それらの賄ないをすべて国費でやるのだそうだが、もっとやるべきことがあるのではないだろうか。
奇しくもこの秋から保険料が値上げとなり、後期高齢者は重大な局面にたたされる。
恐ろしいのは賛成反対で区分けされて、反対は非国民となりかねない風潮なのだ。
安陪さんが全く無能だったとは思わないが、死して功罪の罪をチャラにするなど許されるべきことではないと思うのだが・・・




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2022-07-19

透析日記・新型コロナ

倍々







先週腎クリニックで受けた血液検査の結果を持って住宅地にあるM医院に行ってきた。
M医院は一昨年大先生が引退して、息子さんの代となった・
医院も建て替え、若先生の家も新築し、お嫁さんも来たようだ。
若先生は東海大で糖尿病の専門医として勤めていて普段はM医院で診療し木曜日だけ東海大に行っている。
私の腎不全は糖尿病から来ているそうで、東海大では若先生から診察を受けたことはないけれど透析が始まってから月に一度だけ診察を受けている。
と言っても・・・腎クリの検査結果を見せてインシュリンの注射をもらうだけだ。

大先生の時もそうだったが、私が診察を受けに行く時間はいつも空いていて15分以上待ったことはない。
時に患者の数よりもスタッフの数の方が多い。
しかし、今日は違った・・・10人ほど待合室に座っていたのだ。
聞けば半数は新型コロナの検査をうける人たちなのだそうだ。
どうやら八王子も普通のクリニックで検査が受けられる・・・結構なことだがそれが患者数を押し上げているのだろうか。
ともかくコロナも日常化してしまったみたいでマスクこそ外さないが人々の生活は以前と変わらなくなっているようだ。
また、コロナにかかったたり、濃厚接触者になったりする人が増えてきた。
それに対してどのように対処していいのか・・・ひところほど何も言わなくなった。

私の場合は4回目のワクチン接種までは終わっているのだが・・・それでいいのか不安になってくる。
ともかく、透析患者は何を置いても透析が最優先なので一応発熱した場合はクリニックに連絡することになっているのだがその先のことは全く見えない。
先ごろもらったプリントでは電車もバスもダメ、タクシーもダメと言われた。
クリニックまで発熱した身体で歩いてゆけというのか・・・

明日、対処の方法をもう一度きちんと聞いてみよう。
ともかくコロナの勢いは倍々で増えていき止まらないようだ。






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2022-07-18

好奇高齢者の異見と怒り・車中マナー

学童保育







いつものように10時31分の特急あずさに乗った。
座る席もほぼ毎回同じなのだが、今回はすでに埋まってしまっていた。
席は後方の5のCDだったが、なぜかその席に50ぐらいの男の人が座っていた。
そして、4のCDに代わってほしいと言われた。
見渡すと、車中の3分の2ぐらいが小学生の子どもで占められていた。
聞けば、学童保育のお泊り会だそうで、どこか清里あたりの公共の施設に泊まるのだろう。
席はもちろん代わってあげた・・・何となく子供を引率して林間学校に行った頃のことが懐かしく思い出された。

と、しばらくしてその男の人はどこかに居なくなってしまった。
代わりに大学一年生ぐらいの青年がその席に座った。
どうやら指導員というよりもボランティアという感じだった。
結果、その車両には指導者のような人は誰もいなかった。
ちょうど大月を過ぎたあたりから子供たちが始動し始めた。
通路は占拠され遊び場化してしまっている。
トイレに行くにはいちいち子どもたちを注意しながら歩かなければならない。
座席の移動はハチャメチャで特に指導員のような若い男の所に女の子が寄ってきた。
そのうち5年生ぐらいの女の子が執拗に絡んできた。
男はまんざらでもない様子だったが・・・アブナイ・アブナイ、セクハラになりかねない。

甲府を過ぎるころには車中は完全に子ども天国化していた。
おそらく小淵沢までは噪だと分かっていたのでじっと黙っていた。
すると突然、路を挟んだ隣のご婦人がやおら立ち上がって「静かになさい。あなたたちだけの列車ではないのよほかの人も乗っていて迷惑しているのよ」と凛とした声で言った。
しかし声は車中の半分ぐらいしか届かなかった。

そこで私・・・「マスクを取るのはやめなさい」と言った。
どうやらどすのきいた声は効果があったようである。
ともかく騒ぎはやんで、列車をおりる準備を始めて静けさが戻った。
子どもたちに注意をしたご婦人は旅行のコンダクターで10人ぐらいのグループを引率しているようだった。
「さすがですね、オタクさんがキレそうになっているのがわかったので私が先に声をあげたのですよ・・・私と違って迫力があります」と言った。
「いやぁ・・・昔教員をやっていたでこんな場面は」
それにしても私が席を代わってやった男はどこに消えたのだろうか・・・・






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2022-07-17

好奇高齢者の異見と怒り・腹立たし

今日一日







昨日はいつもの列車で山荘にきて今朝は慣れぬタブレットでブログを書いた。
書きあがってさて投稿しようとしたときにキーを押し間違えてせっかく書いた文章が全て消えてしまった。
情けないやら腹だたしいやら怒りのぶっつけようがない。

実は書いた内容は列車内での出来事でこれも腹立たしいことであった。
同じ文章は書けないが復元・・・と思ったがもう少し冷静になってから書くことにした。
明日は海の日で休日だが透析には休日は関係ないのでいつも通り出かける。
そこで、山荘より帰ってきたが、夕食は駅ビルの10階で寿司を食べた。
しかし、超まずかった・・・このところ味覚が変になっているので黙っていたら、
タカコサンが「今日のお寿司は美味しくなかった。特にご飯がまずかった。」と言った。
わが味覚のせいではない・・・確かにすし飯がまずかった。
同感・・・これまた腹立たし。
腹ばかり立てていると精神衛生上よくないな・・・






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2022-07-16

好奇高齢者の異見と怒り・保険額

国葬









昨日はいよいよ10月から保険の負担額が2割となった通知が来て、今日は年間の健康保険支払いの決定額きた。
年間で16万円だそうだ。
介護保険料と合わせると年間40万以上出費することになる。
バリバリ働いている時ならともかく、決められた額を支給される年金から差し引きとなると国民年金などないに等しくなっていく。
嘆いても仕方がないがここに来て諸式値上がりの波の中で生活を引き締めてかからないと自己破産などということになりかねない。

それにしても・・・アベ元首相の死は1週間も経っているのにまだ献花が続いているそうだ。
コロナ当初はマスクを全国民に配ったり。諸々の疑惑を引きずったままの引退であったが、死んだら途端に「よい人」になってしまったような気がしてならない、
御用政治評論家などは「名宰相」のような持ち上げ方をしている人もいるが、モリカケ、サクラなど釈然としない事ばかりである。
勿論今回のテロは許されることではないが、真相の究明は勿論大事だが、もう一方の疑惑についてもきちんと続けて究明してほしいものだ。

秋には国葬として大々的に葬儀をやるらしいが、それは全て国費で賄うとの事。
我ら高齢者の2割のピンハネした分も使われるのかなぁ・・・

死んだら神や仏になってすべてのことが許されるなど到底思えない。
私は非国民と言われようとも国葬には背を向けてやるぜ・・・






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2022-07-15

好奇高齢者の生活と怒り・保険制度

2割








ちょうど2時頃だった・・・郵便配達が来て印鑑を押すように言われ2通のオレンジ色の封書を置いて行った。
私はその手のものは開封しないでそのままタカコサンに渡して読んでもらう。
多分、先日再契約した火災保険の証書か何かだと思った。
この時間帯にタカコサンは外出していたので玄関の台の上にほっぽって置いた。
2時間ほどして帰ってきてどうやらその封書に気が付いたようである。

「あなた大変よ、いよいよ10月から健康保険が2割になるわよ」
と、玄関から大きな声で呼ばわった。
そういえば、亡くなったアベさんが首相だった時に保険制度の見直しがあったことを思い出した。
いろいろグチャグチャと次から次へと事件が起こるので保険制度など忘れられていたと思っていたが、政府はちゃんと施行するようだ。

それにしても青天の霹靂のようなことだ・・・現行では80歳以上は1割負担であったが、それを2割負担にするというのだ。
1割から2割になるということは数字の上ではさしたることではないように思えるが、医療費がすべて今までの倍になるということではないか。
例えば、毎月払っているインシュリン注射の諸々が今までは2000円で済んでいたものが4000円となる。
諸式が値上がりの昨今、年金生活者には大打撃である。
年金の支給額が上がったなどということは今まで一度もなかった…減らされる一方である。
2割の施行は10月からだそうだが・・・国費で賄うという「国葬」などやめてその分を保険制度に回してほしいと言いたい。

昨日のクリニックのデジタル化と同じく80歳以上の年寄りなど棄民していく政策に違いない。
住みにくい世の中になったものである。
まだ試算はしていないが医療費によってわが家の家計もダメージを受けそうだ。

年寄りを大事にしない国なんてやがて亡びるぞ・・・・・






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2022-07-14

好奇幸齢者の生活と異見・閉院

デジタル化








10時半のバスで北野方面に出かけて行った。
永年通っていた皮膚科のクリニックがいよいよ閉院することになったのだ。
医者は私よりも一歳年上であった(ちょうど誕生日が一日違いだった)。
30年間ぐらいの付き合いであったが、医者と患者の関係よりも本好きの友達だった。
北野駅前にあった本屋さんで店主を介しての出会いであった。
彼は自分が読んだ本で気に入ったものは取っておいてくれて、患者として診察に行った時に渡してくれた。
皮膚科の医者であったが漢方もやっていて、西洋医学では解決できないようなことをいろいろ相談に乗ってくれた。
一年に3〜4回の診察だったがお互日本の感想を述べあったりして通院するのが楽しみであった。

今回の閉院は年齢のこともあるようだが、一番大きな問題は診察をデジタル化しなければならなくなったことなのだそうだ。
御年83歳で確かにパソコンを駆使しながらの診察はきつい。
かたくなにデジタル化を拒んだようで、カルテは全て手書きでやっていた。
その分、患者と向き合って話をよく聞いてくれたのだ。
若い医者などはろくに患者と目を合わせようともせずにパソコンのキーを叩いて診察が終わってしまう。

いつもなら15分ほど待てば順番が来たのに、今日は1時間半ほど診察を待たされた。
待合室には座る場所がない程こんでいた・・・それもほとんどがお年寄りばかりであった。
12時を回った頃に順番が来たが、雑談はやめにして漢方の薬の処方箋をかいてもらった。
どうやらきちんと病状を聞いてくれる医者としてお年寄りには信頼されていたようである。
支払いを済ませて帰る時にもまだ診察に訪れる人が続いていた。
医院は閉院するけれど近くの病院に週に2度だけ午後から勤務するそうで・・・
「何かあったら来なよ」と言ってくれた。

時代の波とは言えなんとも寂しい限りである。
デジタルよりもアナログの方がずっと良い場合もあるのに・・・




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2022-07-13

やぶにらみ美術館・天才少女

読書感想文








昨日、一通の封書が届いた・・・大型の封書でなかには絵のカタログが入っていた。
差出人は大阪に住む忠田愛さんという画家さんだった。
7月16日から25日まで吹田市の画廊で個展が開かれるという。

彼女とは浅からぬ因縁がある。
今から35年ほど前に、小学校高学年向けの「読書感想文の書き方」という本を上梓した。その本の中に彼女に登場してもらっているのだ。

読書感想文というのは本を読んだ感想を綴るものであるが、これを全国学校図書館協議会という団体が毎年全国コンクールとして実施していた、
応募者は全国の小学生から高校生までが応募する全国的規模のコンクールだった。
コンクールであるから応募作品には賞が与えられるのだが・・・彼女は小学2年生から中学2年まで毎年何らかの賞を受けていた。
このコンクールはグレードごとに違った審査員が審査するので小2年から中2までの審査員はそれぞれ違っている。
したがってほぼどの審査員が読んでも優れた読書感想文の書き手であることが認められている。
書いた読書創感想文はまずは学級で選ばれ、学年で選ばれ、それが市町村でまた選ばれ、最終的には各都道府県の代表となる。
そして全国審査を受けて賞を取るのは稀有のことだ・・・それも7年も続けてである。

私は縁あってこのコンクールに関係して子供たち向けの「読書感想文の書き方」を書いた。
その折にまず頭に浮かんだのは彼女のことだった・・・どうしたらそのように感想文が書けるのか大阪まで出かけて行って取材したのだ。
彼女の話を聞いているうち「この人は将来文を書く人として大成するに違いない」と思った。

けれど彼女の選んだ道は絵画であった・・・それも日本画。
個展のたびごとに案内をくれる・・・東京での開催には必ず行った。
大阪にも2度ほど行った・・・いまや将来を嘱望されている画家である。
今回は残念ながら体の都合でうかがえない
カタログの絵を見るとまた1ランク上がったような気がする。

会場は
 吹田市古江台1―7−4 TEL090 9545 4317
        Ippo plus





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2022-07-12

季節だより風だより・梅雨の戻り

透析の休み日








朝のうちはお日様が出ていたが、お昼ごろからパラパラと降り始めた。
このところずっと晴れ続きだったので一雨欲しいところであった。
予報ではこれから日曜日あたりまではっきりしない天気が続くそうだが、庭の樹々たちが心なしか蘇っているようだ。
それにしても今日は東京ではお盆の入りである。
ともかく季節が巡ってくるのが早いような気がしてならない。
一日おきに決まりきった行動をしているのでなおさらそれを感じるのかもしれない。
現職の頃は今の時期が一番忙しく時間に追われていたものだが夏休みを迎える高揚感のようなものがあった・・・何となくあの頃が懐かしい。

今年は7月の初めが暑く、梅雨もあっという間に終わってしまった感があったので、季節の廻りがくるってしまったのではないかと思った。
ここにきて梅雨の戻りはありがたいように思う。
けれど、蒸し暑いのは勘弁願いたいのだが・・・
願わくばざっと一降りまとまった雨が欲しいものである。

今日は一雨来る前に北野まで出かけて行って銀行でお金を下ろしてきた。
ほとんど無駄な買い物はしていないのだが、出ていくものは出て行ってしまっている。
今は年金しか収入がないので、心して使っているのだがなかなか思うようには行かないものだ。
この3年ほど着るものなどはほとんど買っていない・・・食べるものも慎ましい。
透析の日は家に帰ってからはご飯と納豆で済ましている。
このところ何を食べたいという意欲もなく、納豆だけで十分なのだ。
浪費と言えば・・・本かもしれない。
80歳も過ぎると愉しみがほとんどなくなってしまっているので、唯一読書だけを最後の砦にしている。
出かければほぼ何か本を買ってくる・・・と言っても文庫本だが。
このところボケが始まったのか一度買った本をまた買ってきたりしている。
と・・・すでに読んだ本もその筋は忘れてしまっているので再度読めばいいとこの頃気が付き始めた。

お昼頃パラパラと降り始めた雨が上がってしまい。お日様が顔をのぞかせている。
二階にある自室の窓から梅雨時とは思えないようなひんやりとした風が吹き込んでくる。
これから相撲でもみながらウトウトするか・・・




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2022-07-11

好奇高齢者の生活と異見・結果

予想どおり







昨日の参院選の結果が続々と報じられているが、大方予想通りである。
自民と公明の与党が大勝して追従するように維新と国民がくっつく。
立憲は票を落として、共産はほぼ足踏み状態。
いよいよ体制が戦前大政翼賛会化していくように思えてならない。
特にビックリするのは労働組合であるが右傾化して共産党を排除して立憲も明確には支持していない。
自民寄りとなって労働組合の委員長が自民の麻生などと蜜月関係にあるというではないか。

これでは間違いなく憲法改正が発議され国民に問うようになるだろう。
その国民たるや半数以上が憲法改正に賛成している。
憲法が改正されれば間違いなく戦争が出来る国となり、ゆくゆくは核兵器を保持する国となるだろう。
間違いなく自分で自分の首を絞めるような結果になるに違いない。

ロシアのウクライナ侵攻、中国の脅威などを考えると、自分の国は自分で守るという機運が高まっていることは否めない。
けれど、我が日本は77年間も非戦の国であったのは平和憲法があったればこそである。

今回選出された議員の中には知名度だけでなんの見識もないような人も見受けられる。
賑やかしで党の大勢に票を投じていく要員なのだろう。
この議員たちは6年間も任期があるわけで・・・この6年間が平穏無事に過ぎるように祈るばかりである。
















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2022-07-10

透析日記・今日このごろ

回復








透析に行く日は11時半ごろ昼食を用意して12時には食べ終わるようにしている。
このところ暑さのせいかほとんど食欲がなく麺類で済ます。
それも素饂飩のようなシンプルなものを食べている。
家を出るのは12時45分と決めていて、バス停まで15分ほど歩いて1時07分のバスに乗る。
このところつらいと思うのはこのバス停までの歩きである。
太陽がちょうど真上にきているのでほとんど影がなく、ピーカンの中を歩いていく。
むしろ雨でも降ってくれた方が助かるのだが・・・今年は梅雨明けが早すぎた。
橋本から来る八王子駅行のバスに乗って約15分・・・クリニックは駅前のタワーマンションの3階にあるのでバスを降りて5分ぐらいで着く。
クリニックについてすぐに着替えをして待合室で開始を待つ。
大体1時50分には入室して針刺は2時ごろに始まる。

毎回の関心事は誰が針を刺すのかで・・・この頃は若手の看護師たちが育ってきて上手になってきている。
忌避したいのはベテランと呼ばれる人の中にどうしても進歩しない人がいて・・・こういう人に当たった時は我慢するしかない。
けれどよくしたものでこちらがイヤイヤオーラを出すので相手も避けるようにしているようだ。
針を刺してから4時間左手はほとんど動かすことはできないが、テレビを見たり、持ち込みのタブレットで歌謡曲を聞いたり、映画を観たり、その間にウツラウツラすることもある。
4時間の間トイレには行くことが出来ないので始まる前に用は済ませておく。

思えば外界は炎暑であっても温度調節された部屋の中で過ごすことが出来るのはありがたいことかもしれない。
透析を始めてもうすぐ3年になろうとしているが、365日の中に月水金が組み込まれていてこれが最優先となっている。
けれど、このところ透析の後の回復が遅れているように思えてならない。
今までは翌日の午前中には回復していたのに午後まで引きずることが多くなった。
年齢のせいなのか暑さのせいなのかわからないがともかく無理はしないようにしている。

時々、これが一生続くのかと思うと空しくなってくることがあるが・・・生きているだけ儲けものと思うことにしている。







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2022-07-09

好奇高齢者の生活と異見・テロ行為

愚挙








ちょうど透析に行く前の早昼飯の準備をしているところであった。
たまたま付けたテレビに一部始終が映し出された。
ほぼリアルタイムではなかったろうか・・・
それからクリニックに行ってもテレビ東京以外はほとんど最初に観た衝撃的な場面が繰り返し報じられていた。
先日、武力によっては何も解決に至らないと書いたが、テロ行為などもってのほかだ。

私はアベ元首相については過去に何度も批判的なことを書いてきたがこのような人生の結末については許せるものではない。
彼の死によって森友も加計もサクラを見る会もすべてうやむやのまま闇に葬られてしまったようなものだ。
もしかしてホッとしている人もいるのではないかと思ってしまう。
昨夜のテレビ放送でどこかの局がアベ元首相の功績をあげていたが・・・功績だけでなく罪も上げるべきではないかと・・・
参院選を明日に控えた微妙な時に選挙に利用されないようにと願うばかりだ。

それにしても今回のテロについては不思議が付きまとう。
犯人はアベ元首相に対する個人的な思いであると言っているが、数か月も前から準備を進めていたが、付きまとっていたような形跡はなく当日にドンぴしゃりと照準があった。
計画的というよりも偶々タイミングがあったのだろうか・・・
元首相のような要人の行動についてはあらかじめ知らされないはずだ。
何か単独ではない複数の影のようなものも感じられる。

いずれにしろ官憲によって事件についての解明が行われるだろうが模倣犯のようなことが繰り返されないことを願う。
そして彼の死があったにしろ、うやむやになってしまった一連の疑惑についてはキチンと明らかにしてもらいたいと思う。

民主国家でまだこのような愚挙が行われることが残念でならない。









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2022-07-08

かたくら通信・空襲

消息








私たちは七夕空襲の時には甲府から20キロほど離れた身延町切石の父の生家に母と二人の姉と私の4人家族で住まわせてもらっていた。
そのころ切石の家には脳性小児麻痺で寝たきりの叔父がいた。
食も排泄もすべてのことを誰かに頼らなければならないような病状だった。
7日の夜は空襲警報の発令と同時に、祖母が背負っていた。
男手は切石遊便局の局長の叔父がいたが、彼はわが家で一番大切な仏壇を背負っていた。
ほぼ2時間ほどで空襲警報は解除となったが村の鎮守様の脇に掘ってあった防空壕までたどり着いたかどうか記憶は定かでない。
この防空壕なるものは実際の空襲では一番危険だったようだ。
甲府の湯田地区では何基かあったようだが、防空壕に避難した人たちのほとんどが蒸し焼きになって亡くなったそうである。
一基だけ助かったが、ひどいやけどの人が続出したそうだ。
甲府に住んでいた同年の友人に体験談を聞くと…一番勇敢だったのはO君で父親が警察官で家に帰ってこられなかったので、幼い妹や弟の手を引いて甲府の南を流れている荒川まで避難したという。
家が米屋だったN君はしまってあった砂糖が溶けてキャラメルのようなにおいがしたことを鮮明に覚えているという・・・

我が家では次の日に母が甲府の様子を見るために朝から出かけていた・・・母の父親と妹の家族が伊勢町に住んでいたのだ。
しかし、交通機関は全て不通で、歩いて行くにはあまりにも遠すぎて鰍沢まで行って帰ってきた。
そして2・3日して一家が無事であることが知らされてきた。
御岳昇仙峡の奥に避難して、1歳になる従弟が軽いやけどをしたとのことだった。

私が初めて甲府の焼け跡を見たのは終戦から4年後のことだったが、まだ、ところどころに空襲を受けたままの焼け跡が残っていた。
市の中心部の映画館跡などは、下がコンクリートだったので子供たちのめんこ場となっていた。
市内の子どもたちが集ってメンコの真剣勝負をする。
さながら賭博場のようなにぎわいだった。







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2022-07-07

かたくら通信・七夕空襲

1945年7月7日







1945年7月6日23時47分に最初の爆弾が甲府の町に投下された。
始まりはマーカー弾と言って、後続機に爆撃するエリアと位置を示すための爆弾で、甲府の場合は岩窪と塚原地区だったと言われている。
この爆弾は一発落とすのではなく150発ぐらいをバラバラと落とす。
それから本格的な爆撃が始まり131機が飛来し甲府の町を焼き尽くす。
市内の標準となる地点が定められていて、甲府の場合は今の岡島デパートと山梨中央銀行のある交差点あたりだった。
しかし、当日は曇り空で視界が悪く目標通りにはいかなかったようだ。
眼で見て的確に爆弾投下できたのは13機だけであとはレーダーによる爆撃で盲爆状態であったという。
もしも当日の夜が快晴だったら甲府は全滅し死者の数も計り知れない程だったと思われる。
最終の爆弾投下は7月7日1時35分で1時間48分空襲にさらされる。
投下された爆弾は970トンであった。
甲府の焼失面積は市内の65パーセントだった。
当時の甲府市の人口は10万2000人ほどで本州中央部に位置する盆地にある都市としては最大。
日本の地方都市の攻撃目標としては甲府は45番目でその被害は全国の地方都市としては福井に次いで第2位だった。
その被害は死者が1027名、負傷者が1244名、焼失家屋は17.920戸だった。
私はこの時4歳だったが空襲警報のサイレンの音と東の空が真っ赤に染まっていたことを今でもはっきり覚えている。
一昨年亡くなった長女の順に手を引かれ防空壕まで連れていかれた。
1945年3月10日の東京大空襲空で始まった米軍の無差別攻撃によって我が故郷の甲府でも無辜の人々が、1000人以上も亡くなっているのだ。
今から77年前の出来事を忘れてはなるまい。

今世界ではロシアのウクライナ侵攻がいつ果てる見通しもなく続いている。
欧米諸国は停戦の労をとるどころか武器を供与して愚かなロシアとの戦いを後押ししている。
わが日本も欧米側であることは言うまでもないが、ここにきてロシア・中国の脅威を言いつのり軍備増強、核兵器保持まで言い始めているのは恐ろしいことである。

武力では決して物事は解決しないのだ。






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2022-07-06

甲州噺・甲州弁

オザラの分布







昨日は「おざら」について書いたが、私としては切石限定の方言だと思っていたのだが、甲州内で結構つかわれていることが分かった。
この麺のことを甲州では4つに分類しているようだ。
まずは我が故郷の切石周辺では「おざら」と言い、峡西と呼ばれる西の地域では「おだら」と言い、峡東と呼ばれる東の地区では「おめんるい」というそうだ。
その他の地域では特に口承はなく甲府などでは「ひやむぎ」という。
甲州は周囲を山に囲まれた閉鎖された社会のように思われがちであるがそこで話される言葉は多彩である。

ただ、甲州人が東京にでて江戸の言葉になじむのは半年もあればなれるようだが基本の所のイントネーションですぐにバレバレとなる。
また、甲州人はザ行とダ行の区別がつきにくい。
雑巾〈ゾウキン〉のことをドウキンと言ってしまう。
昔、バスに車掌が乘っていたころ「おつぎで降りる方ドウド」と言って興ざめしたものだ。
甲府に初めて象がやってきたとき「ドウ」と言っていた。
もう一つ面白いのは「出る」と「出来る」の区別がつかない。
例えば「月ができた」「だんごが出た」と反対に言ってしまう。

代表的な甲州弁として。「はんで めためた ごっちょで ごいす」という言葉があるが甲州人にとっては意味は分かるのだが標準語にはなかなか表しきれない。
「いつも、何度も何度も ご苦労さまで ございます」という意味になるのだが、なんとなく足りないようなものがある。

甲州弁を学ぶテキストとして「キャン・ユー・スピーク甲州弁」(五緒川津平太・樹上の家出版)という本がある。
これが実に面白く為になるのだ・・・・









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2022-07-05

甲州食い物ばなし・おざら

冷や麦







台風の上陸のニュースに身構えていたが、朝から梅雨時とは思えないようなさわやかな天気だった。
午前中はみなみ野と橋本に買い物に行ってきた。
みなみ野は定期でとっている雑誌と出版社が出している月刊のPR雑誌をもらいに行った。
橋本は夏用の下着と靴下を買ってきた・・・ちょうど手ごろなユニクロがある。
用事は11時半ごろ済んで・・・いつもならどこか手ごろな店によって昼食をとるのだが、今一つ食欲がわかないので、家に帰って食べることにした。

これから暑くなる時期に食べるのは「おざら」でわが故郷の切石での呼び方で、いわゆる「冷や麦」のことである。
子どものころは祖母の手打ちであったが、今は乾麺をゆでたものを食べる。
普通、冷や麦は素麺と同じように醤油仕立ての汁で食べるのだが、わが家の場合はみそ仕立ての汁で食べる。
甲州を代表する「ほうとう」もみそ仕立ての汁で煮込んで食べるのだが、実は甲州みそと言って普通の味噌よりも塩がきついものを使う。
我が切石では「ほうとう」のことは「のしいれ」と言っていた。
シンプルの命名で小麦粉を伸ばして切って汁に入れるからだろう・・・
冷や麦をなぜオザラというのかそれは謎である・・・甲府に引っ越してきて、「のしいれ」も「オザラ」も全く通用しなかった。
おそらく、甲州の河内地方だけの方言だったのだろう。

ところで、オザラの食べ方であるが、ちょっと濃いめの味噌汁を作る。
みそ汁の具は玉ねぎかナスである。
薬味としてネギ、大葉、ミョウガなどを好みで入れるが、ここで絶対に欠かしてならないのが「摺りごま」である。
ゴマの風味が味噌を引き立て、冷えた冷や麦によく絡み合う。
そして、これもお好みだが・・・「練りからし」ツンと来るぐらいの量だけ溶く。
暑さを忘れさせ、涼を呼ぶような美味しさである。

今日のお昼は100グラムをゆでてペロリと食べた。




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2022-07-04

八ヶ岳南麓便り 二度あることは三度

疫病神 福の神









二度あることは三度ある。
先先週から先週にかけて、M君夫妻と交誼を結んだ。
私とM君とは50年のブランクを埋めるようにしゃべり倒した。
奥さん同士は初対面にもかかわらず10年の知己のように親しく話し込んでいた。
昨日は無事に東京の家に帰ったようだが、土曜日の日にハプニングが起こった。
先々週M君が家の草刈りをしていて携帯電話を無くしたというハプニングについてはすでに書いた。

先週の土曜日には食事をしてさて帰ろうという時になって、車を止めてある市営の駐車場のチケットを紛失したという。
これがないと車を出すことが出来ない。
まずはポケット、持ち物などあらゆるところを探したがやはりなかった。
そこで管理会社に電話したが土曜日で通じない。
いろいろ手立てを考えるうち、出入り口に非常電話があることに気が付き、指示を受け無事に出庫することが出来た。

それから私たちを送ってくれて2時間ほど歓談し、ご夫妻は自分の山荘に向かった。
ところが…朝出てくるときにもって出たはずの鍵を持っていないことに気が付いたそうだ。
お互いが、相手が持っているだろうと思い込んでいたようだ・・・こんなことはわが家ではママあることだが・・・
結局彼らは自分の山荘に入れず、近くのペンションに宿をとったそうだ。
鍵忘れのことをM君は私には黙っていたかったようだが・・・奥様がタカコサンにラインしてしまった。

全く恥じ入ることではない・・・私たちも何度も同じような失敗を繰り返している。
「もしかしてヨダさんは僕らの厄病神かと思った」
いやいや私は人々に幸せをもたらす福の神です。
鍵を持ってこなかったおかげでめったに経験できない素敵なペンションに泊まれたというではないですか・・・
タカコサンが言うには「Mさんは鬼の先輩に会うので緊張が続いているのよ・・・」と。
これで、3回アクシデントがあったので次回はきっと良いことがあるに違いない、
















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2022-07-03

八ヶ岳南麓だより・物価高

N君の話







M夫妻が帰ったあとに我が山荘の工房を貸しているN君がやってきた。
彼は農業をやりながら次のステップとして料理も出せる居酒屋をやりたいのだそうだ。
調理学校を出てフランスに一年留学してそれなりの料理の腕と自信があるようだ。
そこでまずは料理を盛る手作りの器を作りたいということで・・・工房を貸したのだ。
しかし、いろいろと目算が狂って、今は陶芸どころではないようだ。
ともかく、ここにきての物価高に悩まされているという。
全ての原材料が高騰して店を出すための資金に支障がきている。
出来るだけ自分の力で店を建築するはずであったのが建材費用の値上がりが倍以上になった。
加えて、ガソリンが値上がりして車の維持費もばかにならない。
今はともかく農作物の耕作を一生懸命にやる。

若いので融通無碍に対応できるにしても現実は厳しいと嘆いていた。
陶芸はひとまず休んで寒くなったら始めると言っていたが・・・
年金生活者にもじわじわと値上がりの波がおしょせて来ているがこの夏あたりに大波が来そうである。
入ってくるものが毎年減らされているので、年老いたら死ねというのか・・・
参議院選も残すところあと1週間だが、大きな変革は期待できそうにもない。

さてはて、どうなる事やら・・・
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2022-07-02

八ヶ岳南麓だより・夏本番

涼気






予定通り10時31分のあずさで小淵沢に向かった。
今日は小淵沢駅の直ぐ近くにあるレストランで後輩のM
夫妻と会って会食。                  
味に段々慣れてくると当初の頃程の感動はなかったが、それなりに美味しかった。
其れから、山荘まで送ってもらってしばし歓談。
わたしとM君は昔話に花が咲いたが、奥さん同士でべつな話しをしていて、いっそう親密になったようだ。
早速8月の末には超歌舞伎を見にいく約束正式に成立したようだ。
奥さんはタカコサンよりも5歳ほど若いが行動的で、色々な趣味を持って居るようだ。
良い友達ができて、本当に良かったと思っている。

ところで東京は8日つづきの猛暑日だそうだが、標高1000メートルは夕方になったら寒いくらいで、長袖を羽織っている。今夜はじっくりと眠れそうである。
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2022-07-01

かたくら通信・植木屋

剪定








朝からジリジリと焼けるような暑さである。
もう4日も続いているので、ひと雨欲しい所である。
昨日今日とわが家では植木屋が入り一年に一度のハサミが入っている。
植木屋は我が教え子K君でこの地に居を構えてからずっと任せている。
あきる野市の東秋留小学校で新卒の時に受け持った人でその付き合いは60年にも及ぶ。
「先生俺も定年だよ・・・」と会うなり言った。
今年66歳となるのだそうだ・・・確かに同級生たちは定年を迎え悠々自適な生活に入っているそうだ。
炎天下でハサミを使っている姿を見ると確かに定年を言いたくなるのは無理からぬと思う。

植木屋は動けるうちは現役と言っていたが、この夏のような暑さでは引退も口走りたくなるであろう。
それでも、一日半かけて剪定をしてくれて、木々がさっぱりとして新たに命を吹き返しているように思える。
彼が引退でもしてしまったら、庭の植木は放置されたままになるだろう。
もう少し頑張ってほしいものである。
ちなみに息子がいるが跡を継がず別の職業についたそうだ。
「この仕事は俺一代で終わり」と言っていたが、彼が独立して初めて手掛けたのが我が家の庭で、いちど建て替えをした時も作庭は彼に任せた。
八ヶ岳の山荘の樹々の選定や配置も彼の仕事だった。
ともかく年を取れば当然引退もありうるわけで彼と相談の上、その後のことも考えなければならない時期が来ているのかもしれない。

今まで当たり前のように繰り返してきたことが、当たり前でなくなってきている。
自分自身についても同じである。
どんなに暑くても「熱中症」などということは無縁だと思っていたが一日おきに出かけなければならない現実にありうることと思えてきた。
特に、80を過ぎてからは健忘もひどくなりしょっちゅうモノ探しをしている。
なるべく現実を受け入れながら生活していくしかないのだろう・・・

窓の外から小気味よいハサミの音が聞こえてくる。





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