2022年 9月の過去ログ

2022-09-30

学びの窓・タブレット

講義









透析は約4時間拘束されて左腕に針を刺してそのまま動かすことはできない。
そこで4時間の無聊を慰めるために備え付けのテレビを見るが。この時間帯はニュースショーで全く面白くない。
そこでタブレットを持ち込んで映画や音楽を聴いている。

そもそもタブレットを使うことを教えてくたのは患者仲間のNさんだった。
Nさんは私より半年ほど早く透析を受ける身となったが、私と同じ東海大から送り込まれた患者さんだった。
透析患者はほとんど交流がなく、挨拶すらしないのだが、Nさんだけは親しくして頂いている。
彼もタブレットを持ってきていて無聊を慰めているようで・・・勧めてくれた。
ちょうど3年ほど前からクリニックに持っていくようになったがテレビとタブレットで半分ずつ楽しんでいる。
しかし、Nさんによると、タブレットの能力の3分の一ぐらいしか使っていないので、もう少し使えるようにレクチャーしてくれることになった。

昨日は午後からNさんの事務所に出かけて2時間ほど講義を受けた。
聞けば、彼はパソコン教室を開いたり、ホームページを作ったりすることを生業としているのだそうだ。
奥様と二人で懇切丁寧な指導をしてくれた。
しかし、まずパソコンの用語から分からない状態なので講義してくれたことの半分ほどもわからなかった。
そこで再度、タカコサンを同道してもう一度講義を受けることにした。

我が人生でパソコンが入ってきたのは60歳を過ぎてからだ。
それでなくても固い頭で、異文化を理解するのは相当な努力が必要なようだ。

講義を受けながら、同じ日本人でも出来る出来ないで仕分けされると私は原始人のようなものだと思った。



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2022-09-29

季節だより花だより・咽る(むせる)

金木犀








今日は透析はお休みの日。
午前中は昨日出してもらった処方箋をもって北野駅前の薬局まで行ってきた。
私の場合は鉄分が不足気味だそうで、注射で入れていたがあまり効果がないようで、ここで10日間だけ飲み薬を試してみる事になった。
ともかくまた一種薬が増えた訳で・・・その総量の多さにあきれるばかり。
これでは味覚異常が起きても仕方がないとあきらめた。

帰りはバスで帰ってきたが、バス停からの帰り道、金木犀の香り・・・昨日は馥郁たる香りと書いたが、たった一日で道々の樹が満開となっていて、咽るような香りになっていた。
こうなると風流を通り越してしまっているようだ。

思い出すのは故郷切石の家の金木犀の大樹。
大人二人分で抱えるほどの太さで部落全体に芳香を放っていた。
今は跡形もない・・・家屋敷をそっくり町の役場に売ってしまい(ちょうどお隣が役場だった)駐車場になってしまっている。
時代の流れとは言え、ご先祖様にどう申し開きをするか今から思案中である。

実は私の代で田舎の家はほとんど処分してしまった。
今残っているのはお墓だけである。
誰かがやらなければならなかったことをやったと開き直ることにしている・
長男はつらいよ・・・








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2022-09-28

季節だより花だより・金木犀

馥郁









さしもの百日紅も花が実に変わり始めた。
私がひそかに名付けているのだが・・・ご近所の百日紅の樹の下の塀の割れ目に出てきている「根性百日紅」も実だけとなっていた。
百日紅と交代するようにバス停まで行く道スガラのプランターに千日紅が咲き始めている。
ピンク色の飴玉ぐらいの大きさで、これから1000日も咲くわけではないだろうが、秋を彩る花の一つのようだ。

先日の敬老の日に大阪のH君の息子のマサシ君から贈られてきた花が玄関に置いてある。
H君は一昨年旅立ってしまったが、彼の遺志を継いでくれている・・・有難いことだ。
作られた花束の中にリンドウが挿してある・・・ずっと遠い昔に読んんだ伊藤佐千夫の「野菊の墓」の政男少年のことを思い出した。
淡い恋の物語で悲恋に終るが私の文学への入り口となった作品である。

昨日は久しぶりに青天、午後から散歩を兼ねて生協まで買い物に行った。
家をでて50メートほど歩くと馥郁たる香りがただよってきた。
金木犀である・・・秋もいよいよ深まりを増してきた。
私の中の秋の始まりは金木犀からである。
これから1週間ほど町全体が金木犀の香りに包まれる。
生協の果物売り場はいつの間にか桃が姿を消して、ナシが一番目立つところに並べてある。
ブドウもソロソロわき役に回っているようだ・・・それにしても昨年あたりから出回ったシャインマスカットのお高い事。
ひと房2000円近くもするのだ。
人気が故に山梨では故郷納税の返礼品に使うので値崩れしないのだそうだ。
甘くて皮ごと食べられて種もない。
究極のブドウのような気もするが、私などは酸味や渋みのある在来のブドウの甲州種が好きである。
ただシャインに押されて甲州が少なくなっているとか・・・残念。
11月半ばの霜の降りる頃の樹に残った取り忘れの甲州の美味しさは甲州人でなければわかるまい。










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2022-09-27

好奇高齢者の生活と異見・家族葬

功罪









「アベさん在任中に何か国民の心に残るようなことをしたかなぁ」
朝食をとりながらタカコサンと話した。
「何といってもアベのマスクよね・・・」
「わが家のはちゃんとんととってあるか」
「記念に箪笥の奥にしまってありますよ」
「ほかには何かあったっけ・・・モリカケ問題、サクラを見る会などあれは国民の心に残るようなことではないな・・・」
「アメリカ大統領のトランプさんとは仲良しだった・・・」
「奔放な昭恵婦人のことも忘れられない・・・今は鳴りを潜めているみたいだけれど」
結局、在位期間は長くても国民ために何をしたのかはっきりしない。

私は歴代の総理の中では小渕さんが好き。
彼が官房長官の時に平成という時代が始まり・・・それなりに世の中をよくしようと頑張っていたふしがある。
いつかブログでも書いたけれど彼が長崎を訪れた時に「長崎の鐘」を口ずさんだエピソードなどは人間的なものを感じる。
また、沖縄に心を寄せてサミットをしたり守礼門をデザインした2000円札を発行したり・・・
マスクのように価値のないものではなく、あまり流通しなかったが今もお金として使える。
そう言えば彼も志半ばでなくなってしまったなぁ。
今回の葬儀では儀仗兵が見送り、会場では礼砲が19発鳴らされるそうだ。
国家元首に次ぐ待遇であるそうな・・・

先日、大恩のあるK先生が亡くなったことを書いた。
弔意を何とか表そうと彼が所属していた団体に問い合わせたところ・・・奥様も具合が悪くて内内の葬儀だったという。
今世の中は葬儀に関しては家族葬が主流で一昨年亡くなった義兄なども遺族がご本人に会うこともできなかったという。

ここで華々しく国を挙げての葬儀など違和感以外の何物でもない・・・もちろん私はごく普通に過ごすつもりである。




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2022-09-26

好奇高齢者の生活と異見・コクソウ

交通規制









姉の果樹園のブドウ狩りが最盛期のようだ。
昨日は天気が良く観光客も多かった・・・と思ったが思わぬ出来事でさっぱりだったようである。
季節の贈り物にブドウの詰め合わせを贈ろうと思った所、今週は無理かもしれないと言われた。

「コクソウが入ってしまったからね・・・」と姉が言ったが最初何のことか分からなかったけれど、27日のアベ元総理の「国葬」と分かった。
先週の金曜日あたりから国葬に備えて、交通規制が始まったそうで宅急便などが滞るようになったのだそうだ。
交通規制で東京方面に送るブドウが止まってしまい、打撃を受けているという。
また昨日は日曜日だったが、東京方面から来るブドウ狩りの客がさっぱり・・・
予定ではお昼頃の予約の人が4時ごろに着いたとか・・・

よもやまさか国葬の主催者はそんなことまでは考えていなかったであろう。
庶民の生活など蹴散らかして、反対を押し切っての葬儀である。
そもそもが総理大臣の一存で国会の議論もなく挙行することがおかしい。
それも長く総理を務めていたから・・・が理由だそうだ。
凶行によって命を落としたことについては断じて許せないが、そのことによって今迄隠されていた統一教会とのズブズブの関係があからさまになったのは良しとすべきか・・・

もしもあの事件がなかった今もズブズブの関係は隠蔽されていたに違いない。
私は国葬だからと言って弔意を表そうという気持ちは全くない。
むしろこれを機に有耶無耶にされているモリカケ問題、サクラを見る会など明らかにしてほしいと思う。
それにしても、自分のところに葬儀の案内状が届かないと怒っているニュースキャスターがいたという。
もしかして葬儀に出ることがステイタスと勘違いしているのかもしれない。




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2022-09-25

学びの窓・学習障害

レッテル化









前から来たいと言っていた甥の親子が遊びに来た。
甥は信州大学農学部林業科に入学したものの、松本で演劇にのめりこんで、結局卒業もせずに中退してしまった。
中退してからは健康機器の会社に5年ほど勤めたがその間も演劇は忘れなかったようだ。
それから一念発起して某有名おもちゃメーカーに就職して今に至り、ここで心機一転40歳を境に独立をした。
妻と子供2人・・・今まで築いてきた人脈をもとに船出をしたのだそうだ。
今のところ今までの人脈が生きて仕事も順調である。
奥さんも彼の仕事をよく理解していて後押しをしていてくれている。
子どもは5歳の男の子T君と2歳のお嬢ちゃんだ。
我が家を訪ねるのは2回目だったが、二人とも物おじせずにすぐになじんだ。

ところで、T君だが持参してきたのが「水木しげる」の妖怪図鑑だった。
それも岩波新書である・・・妖怪には彩色がしてあって説明は大人向けの文章だった。
母親に、紙と色鉛筆を持ってきてくれるように言い、おおまさらという妖怪を図鑑から写し始めた。
それがとても5歳の子どもとは思えないようなタッチだった。
輪郭を描くと今度は色も塗り始めたが結構おどろおどろしい。
私の図工教師の経験から言えばこの期の子どもの多くは箱に手足なのだが、絵を写しているとはいえ驚くべきことだった。
それに絵の説明として「大かむろ」と書きそのほか、塗壁、一反木綿などの絵も描いた。
塗壁も一反木綿も漢字で書いてある。
聞けばもちろん、ひらがなカタカナは読むことも書くこともできるそうだ。

ところが、幼児の頃から横浜市の検診を受けているうち、学習障害があるらしいと言われたそうだ。
特に、自分の世界には没頭できるが、周囲とのコミュニケーションが取りにくいというのだ。
実際、幼稚園に行き始めて友達とのいさかいが多くなった・・・
そこで月に一度市の教育相談で専門家から指導を受けているという。
今はだいぶ落ち着いて周囲とも協調できるようになったとか・・・
思えば私が現職の頃には「学習障害」などという言葉は無かった。
けれど今はレッテル化、分類化の傾向がないでもない。
もしかしたら私なども今の世の学級に居たら「学習障害児」だったかもしれない。
母親のNさんは「学習障害」と聞いてもオタオタせずにでんと構えてT君に一番適した教育を模索しているようである。






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2022-09-24

忘れえぬ人・笠原良郎先生

訃報・9月6日









現役の頃、30年近く関わっていた全国学校図書館協議会という団体がある。
ここでは学校図書館に関係するいろいろな研究をし、組織としては各都道府県に下部の団体があった。
団体として行う事業は青少年読書感想文コンクールがあり全国からたくさんの応募がある。
また、研究団体であるから学校図書館の運営、読書活動の推進などをテーマに掲げ活動してきた。
その成果を問うべく隔年で全国大会が開催され、全国大会のない年には地方のブロック大会が開かれた。
わたしは現役の教師でありながらこの活動にどっぷりはまっていて教師生活のかなりの部分をその活動に捧げていた。
おかげで、日本全国津々浦々講師として飛び回る体験もさせてもらった。
私のメインのテーマは読書指導でとくに「ブック・トーク」を世に広めた。

私の30代後半から50代前半にかけてが活動のピークだったように思う。
活動に当たっては素晴らしい先輩たちがいてたくさんの指導を受けた。
年齢的には私より10歳ほど上の人たちだった。
彼等は戦後の民主教育の洗礼を受けていて一本筋が通ていた。
そんな中に、後年団体の理事長を務めることになった「笠原良郎」先生がいた。
彼は旧態然たる組織を改編して小石川の地に会館を建設した。
私は笠原先生からは眼をかけてもらって、学校図書館関係以外の人達に合わせてもらったり、本の執筆なども任された・・・
大恩ある人で、先生が引退してからもアドバイスを受けていた。
この数年は私の体調のくずれなどから付き合いが間遠になってしまったが・・・

図書館協議会の機関紙に囲み記事が載せられていて訃報を知らされた。
なんとも残念無念である・・・・もっと教えを乞うておけばよかったと思う。
コロナ禍で葬儀にも参加できず無念・・・落ち着いたら一度墓前にお参りしたいと思う。
心よりご冥福を祈る









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2022-09-23

東京G散歩・画廊

売りたて相談







昨日の銀座行きの目的は所蔵する版画を売りたてする相談だった。
いよいよわが身にも終活が迫り、持っているもの(大したものはないが)の処分を迫られている。
その中で版画のコレクションが100点ほどありそれを売りたてることにした。
私の場合は好きな作家を中心に集めていて、木口版画の柄沢斎さんのモノが多い。
さてどうする・・・たまたま元同僚だったGさんが銀座で画廊を開いているのを知ったのは5年ほど前だった。
これまた、同僚で教師から陶芸家に転身したYさんがGさんの画廊で個展を開いたのだ。
Yさんの事は以前ブログに書いたが今は千葉で作陶を続けていて、その転身に驚かされたがGさんの転身も驚いた

Gさんは日野六小の時にご一緒させていただいた・・・専門は音楽専科で女性である。
彼女は15年ほど教師を続けて退職し、念願だった画廊を開いたのだそうだ。
以来29年銀座で開廊して今は切れ目なく多くの作家の個展が開かれているようである。
花の銀座で29年も孤軍奮闘されてきたことに頭がさがる。
またその決断を後押ししてくれたご主人もすごいと思う。
当初は代官山で開廊しようと思ったそうだが、当地ではほとんど集客が見込めないとアドバイスを受け銀座に踏み切ったのだそうだ。
開廊すれば客が来てくれるというわけではなくそこには並々ならぬ努力と苦労があったはずである。

昨日はちょうど若い作家さんの個展が開かれていて作品に赤い丸ポチが沢山ついていた。
場所は銀座1丁目で地下鉄京橋駅から5分ぐらいのビルの7階だ。
生き馬の目を抜くような銀座で画廊を続けるなどその苦労は察して余りある。
私のコレクション展は「Y氏コレクション展」とし、詳しい詰めは改めてというところであるが、帰宅したらさっそくメールがあって、「有元利夫」の作品を・・・見たいという人がいるので持参してほしいとの事だった。

その日のうちにさっそく動いてくれた・・・これが仕事を続けられた秘訣かも知れない。



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2022-09-22

東京G散歩・銀座

3年振り









銀座に3年ぶりに行ってきた。
勿論一人で行けるわけもなく、タカコサンの後をひょこひょこついて行った。
ちなみにこの3年の遠出は山梨の山荘以外は横浜線は町田まで、京王線は高幡不動まで、八王子はバスで行く。
コロナ禍が恐ろしいということもあるが、わざわざ出かけなくても八王子で事足りる。
この年になると人と会うことも少なくなり、訪れてくる人もほぼいない。
一日おきにクリニックに通っているのでそれなりに忙しい。

今日はどうしても人と会わなければならない用事があってタカコサンに付き添ってもらって出かけたのだ。

まずは京王線で新宿まで行って地下鉄の丸ノ内線に乗り換える。
京王線から丸ノ内線まで5分ほど歩くのだが、その道すがらが記憶の中から飛んでしまっていた。
タカコサンが先導してくれなければたどり着けなかったかもしれない。
丸ノ内線に乗って電車は四谷で外に出るがそのあたりにきて記憶がよみがえってきた。
赤坂見附で銀座線に乗り換え京橋まで行った。
目的地は京橋と銀座の境目あたりのビルの7階だった。
京橋に着いた頃にお相手からメールが入って電車の事故があって少し遅れるので目的地の前にあるビルの4階の喫茶室で待っていてほしいとの事だった。

さて、その喫茶室のあるビルがなかなか分からなかった。
と、教えられたビルの7階にかの有名な「高須クリニック」があるではないか。
つい最近、高須先生はアベさんの葬儀の全額を負担してもよいと言っていたが、こんな場所で美の探求で稼いでおられたのか・・・
待ち合わせの喫茶室はビルは同じであったが、入り口が違っていた。
喫茶室は喫茶よりもケーキやタルト類が並べてあって、ついついそちらを頼んでしまった。

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2022-09-21

想いでの味・棗

台風一過









台風はさしたる被害もなく過ぎ去っていったが、わが家にはそれなりの被害がった。
夏の間からずっと楽しみにしていていた棗の実が大風ではほとんど落ちてしまったのだ。
棗と言っても大方の人は知らない成り物だと思う。
大きさは親指の先の部分ぐらいでこれから10月ぐらいまで実が熟れる。
果物屋などでは売っていない代物なのでその知名度は低いのかもしれない。
味はちょうど今頃店頭にならぶ青リンゴのような味がする。
ただ、種が大きく実の部分が少ないので一つ二つでは食べたような気がしない。

先年、台湾に旅行した折に卵大の大きさの物が朝食のバイキングに並んでいた。
勿論ゲットして食べたが日本の棗の味と同じだった。

私がどうして棗にこだわるかというと子ども時代に育った身延町の友達の家にあったのだ。
その樹は大樹でたわわに実った樹をゆすると、パラパラと落ちてきた。
ポケット一杯拾ってむさぼり食べた。

当時私の住んでいた切石に果樹であったのは柿だけであった。
そこで大きくなったら自分の家にもなつめを植えて腹一杯食ってやると思った。
それから幾星霜・・・植木屋に頼んでおいて庭の片隅に植えたのが50歳を過ぎたころだった。
ひょろひょろの樹でなかなか実を付けることなく10年ほどたってようやくなり始めた。
今年はどういうわけか、実の付きがよく楽しみにしていたところだ。
それが・・・一昨日の台風でホトンド落ちてしまった。
せめてと思い落ちた実を拾って口に入れてみたが、雨水をたっぷり吸って味がほとんどしなかった。
残念、無念の台風である。
各地の被害を見ると長野では収穫寸前のリンゴがなぎたおされて無残だった。
九州では出荷寸前の梨がやられている。
台風のコースに当たる東北地方でも甚大な被害が出たようだ。

棗の実ごときでがっかりしてはいられない。






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2022-09-20

想いでの味・ドロップ

イチゴ味








昨日は大型台風に振り回されてオタオタしてしまったが、ちょうど透析に出かける時間帯で雨も風もおさまり無事にクリニックに行くことが出来た。
今日は休みの日であるが、みなみ野のノジマ(電気の量販店)に頼んでおいた血圧計の部品を取りに行った。
帰りに透析のクリニックのデーターをもってかかりつけの医院に寄った。
糖尿病の管理で、インシュリンの注射の量を明日から少し多くしてみようと言われた。
出がけにタカコサンに「買い物も医者も自分でできるのだから偉い」と褒められてしまった。

それはさておき、ノジマデンキに併設されている100均によってクリニックで使う止血バンドを買った。
止血バンドと言ってもいろいろな場面で使える便利グッズで3本100円である。
ところが同じようなものを東海大の売店で買うと2本で700円する。
100均で買ったものの方が見栄えもよいし、使い勝手もよい。
このからくりはどうなっているのだろうか・・・

丁度レジでバンドの料金を払おうとしたときレジ脇に四角のブリキの缶がおいてあった。
懐かしい形で上部に丸い蓋が付いているではないか。
子どもの時の記憶にあるドロップの缶である。
「これも売っているのですか」とレジの人に聞くと「108円」ですと言われた。
即購した・・・振ってみるとガラガラと懐かしい音がする。
「サクマドロップ」である。
子どもの時の記憶では「サクマ式ドロップ」と言っていたような気がするのだが・・・
まずは缶の隅についている蓋を開けて取り出したいところだが指の力では開けられれない。
このドロップの特徴としては1個ずつしか取り出せないことである。
また、ドロップにはいろいろな味があって、いちご、パイン、オレンジ、レモン、りんご、メロン、スモモとあり極めつけはハッカ味である。
好みの味を引き出そうとしても一個しか出ないようになっている。
振り出した時の運みたいなものがあって、それが懐かしい。

子どもの時の大外れはハッカ味でいわゆるハッカの味とは異なってサクマ式の独特の味。
これが出た時にはがっかりしてしまう。
ドロップとは「落ちる」とか滴の意味があるが、おそらくこの飴を考案した人は缶から振り出して落ちるのをイメージしたのかもしれない。
サクマドロップで検索したところ、この会社は飴のほかにdドロップ香のお線香も作っているらしい。
好きな味の線香を付けてもらう・・・私は断然イチゴあじがいいなぁ・・・。



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2022-09-19

透析日記・敬老の日

何が何でも








透析には盆も正月もない。
ましてや国民の休日など全く関係ない・・・もちろん敬老の日である今日は月曜日なので透析日に当たる。
国民の休日のお陰で迷惑をこうむっている。
バスが休日ダイヤとなるのでいつも乗っているバスが間引きされてしまっている。

今日は加えて今まで経験したことのないような大型の台風がやってきているという。
確かに、昨夜あたりから雨が降ったりやんだりして雨戸は締めっぱなしである。
今朝の9時頃には突然のように横殴りの雨が降り始めて、茶室の前の庭が水浸しとなり、床下に水が入りそうな勢いだった。
こうなると透析に通うバスの運行もどうなっているか分からない。
一応もしものことを考えてタクシーを予約したがこの状況ではどうなるか分からないので予約は不可と断られた。

さてどうする電車が運航していれば片倉駅までたどりつければ何とかなる。
11時ころまで考えて誰かに車を出してもらえるように・・・
どうやらさんざんな敬老の日になりそうだ。

今迄体験したことのないような大型の台風と盛んに言っているが・・・九州上陸で関東地方まで影響を受けるとは確かに大型だ。・・・
ともかくどんなことがあってもクリニックまでたどりつかねばならぬのだ。





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2022-09-18

八ヶ岳南麓だより・秋異変

栗の実・キノコ








予定通り山の家に行ってきた。
何か今年の秋はいつもと違うような気がする。
いまだ桜も柿も楓も青々としていて秋の気配ではない。
それに毎年楽しみにしている栗の実が小さいイガのままたくさん落ちている。
イガの中にはまだ青いままの実が入っている。
30年この地に居を構えて初めてのことだ。
おそらく夏の初めの暑さにクリの木が季節を間違えてしまったのかもしれない。
また、この時期の愉しみであるジゴボウというキノコも生えてきている気配がない。

夕食は八王子の駅で買っておいた駅弁で済ませた。
小淵沢の駅にも「元気甲斐」という多少有名な駅弁があるのだが、ここにきてひと頃よりも味が落ちてしまっている。
タカコサンに言わせるとご飯がまずいという・・・確かに、コメの質を落としたのか。
八王子の駅弁は東京の大増という弁当屋のモノで、種類も豊富で午前中に買って夕食に食べてもあまり味は落ちていない。

このところ食材を買いに行く足がないし、作る意欲も歳と共に失せてきている。
ちなみに今朝はお昼に寄った三分一湧水の売店で買った菓子パン一個と牛乳だけ。
お昼は姉の所に寄るために駅まで迎えに来てくれた甥のタカオの案内で大衆食堂に寄った。
注文はタカコサンはカツカレー、タカオはかつ丼の大盛。
私は、チャー飯ともつ煮とワカサギのフライ・・・その取り合わせにタカコサンに笑われた。
チャー飯もモツ煮もワカサギフライも大半はタカオに食べてもらった。
どうやら悪い癖で目についたものを何でも頼んでしまうのだがその実は大半食べられない。

台風が来るというので予定を早めて帰ってきたが山荘も八王子も晴れていた。


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2022-09-17

八ヶ岳南麓だより・台風到来

雨の音








まだ朝のうちはお日様が出ている。
これから台風がやって来るとはとても思えないが、予定通り八ヶ岳の山荘に行く。
いつも予定は2週間前に立てて、切符を買っている。
このところ2週間おきの八ヶ岳行きが定着している。

山荘に行って特に何をするというわけでもないのだが、この年になると、ただぼーッと時が過ぎていくのが好きなのだ。
また雨の山荘も嫌いではない・・・特に深々と更けていく夜、屋根打つ雨の音が心を鎮めてくれる。
ときおり、裏の林の栗の実が爆ぜて、屋根伝いに地上に落ちてくるのもこの時期ならではである。
明日は予定を早めて姉の果樹園によってブドウをゲットしてこようと思う。

中央線沿線の景色はまだ秋色には染まっていないと思うが、そろそろ稲も黄金色に色づいて稲刈りがはじまっているかもしれない。



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2022-09-16

かたくら通信。賞金50万ドル

グルーバー遺伝学賞









アメリカに住むジュンの婿殿がいよいよ本年度のグルーバー遺伝学賞を受賞することになった・
ジュンは韓国のお嬢さんであるが、2年間大学に通うためにわが家に住んでいた。
いろいろあって結局韓国に帰らず、アメリカのシアトルにある日本の商社に勤めて主に北米のカニの取引をしていた。
アメリカ人の研究者ジムと結ばれてシアトル郊外に住んでいる。
ジムはシアトルにあるフレッド・ハッチンス研究所で遺伝子の研究をしている

ジュンは今春、永年勤めた会社をやめて独立して水産会社をおこした。
永年のお得意様もいて助けてくれるらしく今のところは会社も順調のようだ。
彼等夫婦はお互いを尊重しあっていて、お互いの仕事には干渉しない。
今回の受賞はジムの功績が認められて50万ドルの賞金が授与されるのだそうだ、
50万ドルというと…日本円にすれば7000万円にもなるわけだ。

突然7000万円ものお金が転がり込んできたらどうする。
考えてみたらどうにもこうにもしようがない
この年になると何もほしくない・・・食べるものもあらかた食い尽くした。
思えばもう食べたいと思うものなどないのだ。
衣住で考えても衣はすでに昔買ったもので満ち足りている。
住は八王子の家と八ヶ岳の山荘と持て余し気味である。
どっか遊びに行こうと思っても1泊2日が限度となると遠出はできない。
シアトルにもう一度行ってみたい気持ちはあるがこれも夢のまた夢。
強いて言えば最後のわるあがき・・・いま書いている物語を1冊にまとめて出版したい。
けれど、私ごときに出版社が付くこともなさそうなので自費出版となる・・・
今のところその資金は所蔵している版画が売れれば…
200万円ほどあれば何とかる。
今はやりのくクラウンドハンデングも考えないでもないのだがめんどくさそう・・・・

ジム君は頂いた賞金は癌研究所に寄付するのだそうだ・・・
連れ合いのジュンは彼がイタダク賞金だから自由に使えばいいと言っている。

二人とも偉い!!!!!!!





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2022-09-15

好奇高齢者の生活と異見・腹立ち日記

2割・ラーメン








とうとう健康保険証が送られてきた。
10月からいよいよ診療の負担額が1割から2割となるのだ。
割などというので何となく語感としてはたいしたこともないように思えてしまうが、負担額が倍になるわけだ。
年金以外に収入のない身にとってはこれは打撃である。
若い頃のように医者とは無縁だったのとはちがい、私もタカコサンも毎月どうしても検診に行かなければならない医療機関がある。
これから先はもっとお世話になるのは必定だ。

キシダはアベやスガよりもましかもしれないとちょっとだけ期待をかけていたが掛け声だけで少しも世の中が良くならない。
聞く力にたけているのなら聞いたことを咀嚼して世のために尽くしてほしい。
それが・・・実態は統一教会なる宗教団体との関係がズブズブで自民党を統一党に名前を変えた方がいいのではないかと思ってしまう。
また、先のオリンピックの裏側が暴かれ始めてモリ組織委員長まで事が及んでいるではないか。
また、それらの元凶であるアべの葬儀を国葬でやるなどもってのほかだ。
エリザベス女王の国葬でアベの葬儀などかすんでしまっているようだが、それでも十何億もの費用がかかるというではないか。

この文章を書いていると、途中で注意喚起の警告が出てきた。
余りにスペルの間違いや変換間違いが多すぎるというのだ。
81ジジイがいくらわめいても屁のつっかい棒にもならないのでやめにしておく。
余りに腹立たしくて、せっかく安定している血圧が上がりそうなので、これから外に出て頭を冷やしてくるか・・・

外に出たついでに、早昼飯として駅近くの「えびす丸」というラーメン屋に行った。
この店は16号沿いで駐車場が10台分ぐらいあるので結構流行っている。
私の中ではお気に入りに入れているのだが、定休日以外に勝手に休む。
今日は店を開いていたが10人ほどの行列ができていた。
20分ほど待って、注文はネギチャーシューとしたが、なんだかスープとたれの絡みが悪く美味しくない。
どうやら、昨日休んだらしく、スープが今日の仕込みでまだ尖っている。
こちらの精神状態も悪いので相乗的に美味しくなかった。
今日はどうやらハズレの日のようだ。






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2022-09-14

健康生活・ルーティーン

血圧計








朝起きると必ずやることがある。
まずは体重を測り、それから自室にこもって糖尿病の検査をする。
血糖値を測るのだが・・・毎日やっているのに慣れることがない。
10本の指のどれかに針を刺して、少量の血を出し、それをセンサーで測るのだ。
プチと挿すだけでほとんど痛みはないのだが挿す瞬間が嫌なのだ。
自分の身体を自分で傷つけるのはなかなか勇気がいるのだ。
続いてやることは下腹部にインシュリンの注射をする。
こちらも自傷行為のようなものだが、針先が細いのでほとんど痛みはない。
一連の糖尿関係ルーティーンが終わると今度は血圧を測る。
私の場合は透析以前は結構高かったけれど、今は落ち着いていてクリニックの医者にほめられる。

と、昨日の朝、突然、血圧計の加圧のバンドが外れてしまったのだ。
5年ほど前に買ったもので、本体は全く新品同様である。
状態としては加圧していくとザラザラした止の所が外れてしまうのだ。
どうやらあのざらざらの部分がバカになってしまったようだ。
機械としてはまだ十分に使えそうである・・・そこで近隣のノジマに持って行ってみた。
今のご時世では部品が故障すればほとんど廃棄となってしまう。
ダメ元と思い、一式持って行ってみた。
この店は店員の対応はほとんど自社の人で大変親切である。

さっそく、スマホとタブレットで検索してくれて、当該の部品があるかどうか探してくれた。
結果まだこの商品はあるということで加圧のバンド取り寄せだけで1020円ということだった。
1週間ほどで店に届くそうで・・・さっそくお願いした。

諸式が値上がりし、その上、使い捨ての風潮である。
親切に対応してくれてその上部品もゲット出来て気分良好。
これから家電はノジマで買うことに決めた。
ともかく店員の応対がいい・・・家電業界では成長株であることがうなずける。






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2022-09-13

健康生活・定期検診

タカコサン検診









昨日はタカコサンの定期検診の日だった。
今から7年前に手術をしてそれから3か月に一度の検診を受けていたがここにきて6か月に一度となった。
「今日はI先生の検診を受けに行くから10時半のバスで出かけます」
と言われた。
他にも検診は受けているのだが、この日だけは特別である。
本人はこともなげに言っているが3種類もの検査を受けるのだそうだ。
私は透析の日で、いつも通り12時45分に家を出ればよいので一人昼飯となった。

この検診だけは気になり何となく透析を受けていても落ち着かなかった。
手術を受けた時は早期発見だったので割合簡単に済んだが、それから検診のたびごとに心配は続いている。
私が心配したところで何がどうなるというわけでもないのだが・・・・
もしかすると、タカコサンのことを心配するよりも何かあった時に自分がどのように身を処するかという利己的な心配なのかもしれない。

いつも検診の後の結果についてはメールで送ってくるので、透析の後に携帯を開くのがちょっと怖かった。
結果は異状なしということだった。
もう薬も処方されなかったし、検診も半年後でよいとの事だった。
まずは安心・・・なんだかいつもの透析後よりもドッと疲れが出てしまったように思えた。

この年になると一人で置いて行かれる恐怖のようなものを感じる。
あれはできるけれど、これは出来ないと仕分けしたりする。
でも、透析の身ではできないことの方が多い。

願わくば・・・私の方が先に行きたいと思うのだが・・・


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2022-09-12

透析日記・不眠

飲酒









透析生活に入ってまる3年がたとうとしている。
その間にいろいろなことがあったが、ようやっと生活のリズムがつかめるようになった。
とは言え今までにはなかった身体の変化も起こってきている。
ほとんどが負のことばかりであるが、一番つらいのは搔痒である。
身体の水分を一日おきに抜くのでどうしても干からびた状態になるのかもしれない。
透析患者の搔痒対策のかゆみ止めの飲み薬があるくらいである。
しかし、その薬を飲んでもほとんど効かない。
私の場合は市販の尿素入りのクリームを塗る。
今のところそれで何とかしのいでいるがそのうち効かなくなるかもしれない。

二番目につらいのは不眠である・・・ブログにも何度か書いたが何度も寝返りを打って悶々としてしまう。
そういう時はろくでもないことを考えたりして増々眠れなくなる。
原因は透析の折に4時間のうち一時間ぐらいは寝てしまうことにある。
特に下手に穿針をされた時には痛みに耐えるために眠るのが一番である。
この一時間が入眠の妨げとなっているのだ。
医者に頼んで導眠剤を処方してもらっているがだんだん効かなくなっている。
やはり規定量を超えて飲むと眠りに入っても次の日に影響が出てしまう。

そこで、最近は飲酒を始めた。
4歳の時に大酒を飲んで以来酒を飲めぬ体となり、コップ半分のビールを飲んでも「火事場の金時」状態であった。
それが透析を始めたころより、なんとなくアルコールを受け付ける身体に変化してきたような気がした。
初めは自家製の梅酒を飲み、続いてリキュールの入っている缶入りのサワーのようなものを試してみた。
すると酔いと共に何となく眠りに入ることが出来るようになった。
梅酒もサワーも何となく甘ったるいので、思い切って日本酒を飲んでみた。
タカコサンが買っている「黄桜」というパック酒である。
これだとぐい飲み二杯ぐらいは行けそうだった。しかし何となく寝覚めがすっきりしない。
そこでウイスキーの角瓶をオンザロックで・・・シングルをちびちびとやると酔いが回って眠くなり寝覚めもよいことが分かった。
昨夜でちょうど一本明けてしまった・・・と言ってもタカコサンも飲むので・・・実質角瓶半分というところか。
このところ割合ぐっすりと寝ている毎日である






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2022-09-11

季節だより花だより・木槿

満月









中天に煌々と満月が輝いている。
昨夜は十五夜で、午前中は雲も多く今夜の月は見えないと思っていたが、深更の頃にはすっかり晴れ上がっていた。
パンツとシャツだけで外に出て眺めた。
月は真円で輝き、神々しかった。
通りには人っ子一人いず我一人月を独占した。
子どもの頃、この日だけはだんご泥棒が許されて銛を持って突きに行ったものである。
十五夜を期に秋はきっちりとやってきているようだ。
今日の茶室のしつらえは・・・・
床に秋の七草の軸がかかっていた、
 萩の花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 又藤袴 朝顔の花
山上億良の歌である。
隣の奥さんに書いていただいた流麗な文字である・・・お隣の奥様は書家である。
床柱には私のつくった掛け花入れにムクゲ一輪だけ生けてある、
極端に照明を落とした部屋の中で凛と咲いている。
白のひとえ花びらでその中心に赤い底紅種・・・木槿にもいろいろ種類があるようだが、この花は千宗旦が好んだ花で「宗旦木槿」とも言われているそうだ。
庭で咲いているのを見ると、地味な花で植木屋などは日の丸とも言っているそうだ
それが茶室の中でがぜん生きてくる。
もしかしてこの花も侘び寂びの世界を表しているのかもしれない。
また、朝咲いて夕にはしぼんでしまうのもはかなげである。

久々に散歩道を歩いた…ススキをとろうと狙った、手の届く範囲にはなかった。
代わりに崖の上から萩の花がこぼれさいていた。
道路に気の早いクリが小さなイガのまま落ちていた。
実はまだ青くもう少し時間が必要のようだ。

散歩道から足を延ばし橋本までバスで行き、これから必要なニットのチョッキを買ってきた。
深いオリーブ色で気に入っている。。







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2022-09-10

透析日記・穿針(せんし)

愚痴







透析の一番重要なことである、針刺し・・・と書いたが正式な名前は何というのか知らなかった。
そこでベテランの看護師に聞いてみたところ「穿針」(せんし)というのだそうだ。
字を見ただけで痛そうではないか・・・うがつはり。
ほとんどこの言葉は使わないそうである。やはり字によって患者に恐怖を与えそうなのだ。血管を針でうがつ…聞いただけで恐ろしくなってしまう。

穿針は基本二人一組で行われ1週間の勤務状態によって決まるようだ。
今週の穿針は月・水と大外れだった。
月曜日はこの春職に就いたという男性の新人で緊張しているのが分かり、こちらも緊張して構えてしまって痛かった。
水曜日は30歳の看護師で私には何故かタメ口をきく。
言葉を崩すことが親しさの表現のように思っている節がある。
こちらは彼女の倍以上生きているので何となくひっかかるものがある。
注意するほどのことでもないので受け流しているが、その分繊細さに欠ける。
患者の身になって刺すことが出来ないようだ・・・日によっての当たりはずれがある。
この日は針を刺す角度が悪かったのか刺した瞬間から痛かった。
そのうち治まると思ったが痛みがひどくなるばかりだった。
我慢できずに別の看護師を呼んでみてもらい、少しだけ針を引いた所治まった。

金曜日はベテランの技師Eさんとそこそこの年齢の看護師だった。
看護師は今までに何度か失敗があって、私は出来れば当たってほしくない人だった。
祈るような気持ちで看護師に当たらないように思っていた所、願いが通じたのかベテランのEさんの方が穿針してくれた。
Eさんはクリニックの中で一番穿針が上手だと思っている。
私は名人Eさんと呼んでいる。
相性もあるのかもしれないがともかく全く痛くない。
安心して任せられるので血管が弛緩するのかもしれない。
下手に挿されると緊張して血管が固くなっているのが分かる。

穿針の痛い時の4時間は本当につらい・・・
痛みを和らげるために針を刺したところに冷シップを貼ると多少緩和される。
当たり外れを繰り返しながら1週間が終わりまた1週間。
こんなことが一年中繰り返されるのだ。
当たり外れは博打みたいなもので刺激のない生活をスリリングにしてくれているのかもしれない


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2022-09-09

好奇高齢者の生活と異見・ズブズブ

答弁







アベ元首相よりは少しはまともだろなと期待していたがやはり同じ穴のムジナであった。
一つ決めた答えを繰り返すばかりで、80過ぎジジイでも納得できるような答弁は一つもなかった。
それにしてもアベ元総理の狙撃暗殺事件は予期せぬような事柄を暴いてしまった。
歴史に「もしも」はないというけれど、あの事件がなかったら元統一教会と自民党議員のズブズブの関係は明らかにならなかっただろう。
程度の差こそあれ179名もの自民党議員との関係が明らかになった。
中には元統一教会との関係がなかったら当選できなかったという議員もいるという。

元統一教会の問題は霊感商法や強引な信者獲得の反社会的な行動が問題とされているわけだが、看板を塗り替えた統一教会は「世界平和」などを掲げているが、基本は「反共」であって、共産主義の否定である。
その思想が自民党と一致するので多くの議員が取り込まれていったのだろう。
私自身は共産主義を信奉しているわけではないが、共鳴できる部分はある。
ともかく、統一教会と自民党との関係が深かったことは事実で法案の成立などに影響があったことが見て取れる。

アベ元首相の非業の死がなかったら、「国葬」もないわけで当初は3億円といわれていた費用が16億円にも跳ね上がった。
おそらく実際に執り行われた場合にはもっとかかるだろうと素人考えでもわかる。
コロナ以来、葬儀は「家族葬」が主流となり、いかに安くできるかが葬儀社のセールスポイントになっている。
それが国を挙げて派手派手しく執り行うとなると・・・時代に逆行している。
今回の「国葬」は国会での論議が全くなされぬまま内閣の思い付きのように出てきた。
その「国葬」にしようとしている理由が長期で政権を担ってきたからだという。
功も罪もあるはずで国民こぞってその功績に弔意を表すとはいくまい。

今、生活の中での問題は異様な物価の値上がりである。
私のような老齢者には10月から改正となる医療保険の1割から2割への移行も。
医療費が倍になるということである。

お葬式よりも今生きている人に目を向けてくれと言いたい。



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2022-09-08

故郷の空・77年前

飢餓








このところ77年前の空襲の記録を読んでいるが、B29の爆音とともに思い出すのは飢餓である。
戦争末期から戦後にかけて食べるものがほとんどなかった。
我が家は切石局の郵便局長をしていた叔父夫婦と祖母そして寝たきりの叔父、それに私たち家族、母と姉二人と私。
叔父夫婦と書いたが叔母に当たる人は終戦直前の8月10日に赤痢で身罷った。
寝たきりの叔父は脳性小児麻痺の影響で食べることも排泄することもすべて誰かの手を借りなければならない状態だった。
叔父の面倒を見るのは祖母で一日中拘束されているようなものだった。
したがって農作業から食事の支度食料の調達まですべて母が仕切らなければならなかった。我が家にはそこそこ農地もあったし、小作もいたはずなのだが母一人ではどうにもならなかったようだ。
毎年とれる米は全て寝たきりの叔父の食料となった。
叔父だけは皆の食べ物がなくても白米を食べていた。
母が言うにはイツオは叔父さんの白飯を食べたいと一度も言ったことはないと言っていた。
確かに・・・それは別のものであって決して触れてはいけないものだと子ども心にわかっていたようである。
母は後年冠婚葬祭以外は決して切石には行こうとしなかった。
やむを得ず行ったときも、泊まらず上がろうともしなかった。




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2022-09-07

友がき・95歳のブランコ

最年長の友人








昨日は私の最年長の友人であるK先生が来訪してくれた。
K先生は御年95歳で今も現役で働いておられる。
職は設計士で八ヶ岳の山荘と今住むわが家の設計をお願いした。
先生の設計の仕事は主に神社・仏閣系の建物が多く、多摩地区の有名寺院や神社の設計に数多く携わっている。
また、数寄屋建築の名手としても知られており、三鷹、福生などの公共の茶室の設計を手掛けている・・・もちろんわが家の茶室も先生の設計である。
先祖が宮大工の仕事をしておられてその系譜というわけである。
勿論、現代建築も手掛けていて、津和野にある安野光雅美術館などの設計をしている。
私とのご縁は山荘を建てようと思い立った時に、片倉の住宅地内にある本屋さんの紹介でお願いすることになったのだ。
以来30年以上の付き合いとなり、年齢を超えて親しくさせていただいている。

本来なら私の方からお訪ねしなければならないのだが、コロナやら、透析やらの関係で昨日の来訪となったのだ。
ともかくアクティブで気軽に出かけていくようで、つい最近も信州小諸の美術館に行ってきたという。
そしてまた先日テレビで放映して話題となった無言館にも行きたいと言っていた。
先生の元気の秘密は95歳にして仕事を持っていることである。
神社・仏閣、特にお寺の仕事はスパンが長く20年、30年がかりのモノもざらで今もその仕事を抱えているのだそうだ。
「死ぬに死ねない」と笑っておられた。
また、規則正しい日々の生活と気ままな食生活があって、食事は朝食を同居の息子さんのお嫁さんにつくってもらい、昼食と夕食は自分で作るという。
奥様を15年ほど前になくされて、以来自分で作って食べるのだそうだ。
毎日、決まったコースを散歩を兼ねて買い物に出かける。

店まで大回りして一日1500歩は歩いているとの事。
途中に公園があってそこに設置してあるブランコに乗ることも日課だそうだ。
ご近所では「K先生のブランコ」は有名だそうだ。

その情景を想像しただけでも微笑ましいではないか・・・
3時間ほどお話をして再会を約してタクシーで帰って行かれた。






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2022-09-06

取材ノート・甲府の空襲

証言








ぎりぎりまで粘って資料を読み込んだ。
いずれの資料も人の生死にかかわるものばかりで重い。
手記を寄せた人達はすでに物故されていると思うが、その言葉は今も生きている。
約90名近くの人たちの体験が30年たって綴られているのだが、書いた人にとっては昨日のことのように思い出されただろう。
それから更に40年以上も経ってその記録はほとんど埋もれてしまっているに違いないが、力が及ばないことは分かっているけれど77年前を再現したいと思う。

手記を寄せている人たちは老若男女、多岐にわたる職業の人達だ。
空襲の時に小学生だった人も何人か書いている。
驚くのは甲府の七夕空襲だけでなく東京大空襲をはじめとして4度も空襲にあっている人もいる。
当時、甲府は安全と思われていて東京渋谷区、目黒区の子ども達が学童疎開をしていた。
しかし、戦局が進むにつれて甲府も安全ではないと分かり、二次疎開が行われ、大半の子どもが空襲をまぬがれた。
犠牲になったのは、虚弱のために甲府の病院で治療を受けていた子ども達だけだったそうである。

今回の物語は甲府の空襲が丁度真ん中あたりに来るが。昭和20年4月に6年生となった子供の波乱の一年を書いてみようと思っている。
当時の生活の様子も出来るだけ調べた。
空襲、敗戦、そして進駐軍の占領・・・にわか仕立ての民主主義など6年生の子どもの目を通して描いていきたいと思っている。
どのような形式にすれば多くの読者の目に触れるか・・・出版も視野に入れているが本にしたてるのはきびしい・・・

希望と再生の物語となるように頑張ってみる。
私にも、もう時間はあまり残っていないのだ・・・・・








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2022-09-05

八ヶ岳南麓だより・声掛け

背中を押す








M君と食事が終わってから山荘に戻ってしばし歓談。
彼は高校の3年後輩で私との接点はないはずなのだが、ハイスクール・YMCAと私の浪人の関係でお互いに見知っていたのだ。
そして、私もようやっと東京学芸大に入学出来てバイトに次ぐバイトで生活は苦しかったことは以前にも書いた。
またそんなバイトの中に国鉄の「尻押し」のバイトを2年ほど続けたことも・・・

丁度、今から60年ほど前のことになるだろうか・・・季節は2月のお終わりか3月の初めではなかったろうか・・・
いつもの通り尻押し(乗客を満員電車の中に押し込む)をしていると、ホームにM君が立っているではないか・・・
全くの偶然でよもやまさか小金井駅のホームで会うとは思いもしなかった。
そこで私が発した言葉は「M、二期校の願書を出したか」という言葉だ。
M君が浪人していることは知っていた・・・しかしそれが小金井に住んでいたとは知らなかった。考えてみればまだ一期校の発表もないのに二期校の願書のことなど言うのは失礼な事だ。
当時の受験事情は一期校は3月初めの受験で主に東大、京大など旧帝大系の大学。
二期校は新制大学と言われ戦後創立された地方大学が多かった。
受験生はまず一期校を目指し、滑り止めに二期校の願書も出しておく。
私がとっさにM君に声をかけたのは彼があまり晴れやかな顔をしていなかったからかもしれない・・・M君ははっとしたような顔になって「まだです」と答えた。

この声掛けが彼にいわせると人生の分岐点になったというのだ。
この時点で彼は二期校の願書を出すかどうか迷っていたのだそうだ・・・そこで私の一声にはっとなってすぐに手続きをした。
そして結果、山梨大学の工学部に入学する・・・卒業後はFフィルムに就職し知的財産の管理の仕事をして後に独立してアメリカに渡る。
その間に大学の友人の紹介で奥様と知り合い結婚に至る。
あの日あの時の私の一言が大きく人生を左右したというのだ。
私もあの日の小金井駅の情景ははっきりと覚えているが、その一言が他人の人生を左右したなどと思ってはいない。
「風が吹けば桶屋が儲かる」的なことだと思う・・・彼が今あるのはその後のたくさんの人たちとの出会いと努力のたまものだったのだ。
けれど、もしかしたら私の一言が「尻押し」ならぬ背中をそっと押したのかもしれぬ。






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2022-09-04

八ヶ岳南麓だより・うむどん

水沢うどん








予定通りいつもの列車で小淵沢に着きお昼は八王子で買ったお弁当で済ませた。
いきなり資料を読み始めるのもきついものがあるので、まずは甲斐大泉に山荘を持っているM君と連絡を取りあうことにした。
彼は私より3歳下(79歳)だが、まだ運転しているのでこの一年ほど行っていない知り合いの「うどん屋」にご一緒した。
彼はこのうどん屋のことは知っていたがまだ食べたことがないという・・・
そこで夕食も兼ねての初体験をしてもらった。

このうどん屋は国道424号沿いにあり古びた建物でうどん屋の雰囲気はない。
しかし、群馬の水沢うどんの直系で味は確かである。
このうどん屋の正体は、ご主人が隣接の由緒ある神社の神主で、店は奥さんが主に仕切っている。
当節、神社の神主で生計を立てるなど無理な話で、うどん屋の方が生業となっている。
私との付き合いは30年に及ぼうかというところで・・・ほぼ親類づきあいである。
このうどん屋は「うどん」ではなく「うむどん」と名乗っている。
うどんは独特の製法で普通のうどんは強力粉を使うのだがこの家のうどんはケーキなどを作る粉、薄力粉だそうだ。
そのためにうどんとしてまとめるのが難しく、三日寝かせるのだそうだ。
専門的なことは分からないが、ともかく普通のうどんと違ってのどごしがよくおいしい。
また、つけ汁をつけて食べるのだが、その汁が独特でゴマとクルミをすり合わせて出来ている。
うどんの講釈を聞きながら、食べたが、M君は気に入ってくれたようだ。
付け合わせに自家栽培の野菜の煮物が付いたが、昔食べた記憶のある煮物の味がした。









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2022-09-03

かたくら通信・八ヶ岳行き

資料読み込み








朝からどんよりとした空で今にも雨が降ってきそうだ。
今日は2週間ぶりに八ヶ岳の山の家に行く。
おそらく、高原は秋色に染まっていることだろう。
今回は山荘に引きこもって甲府空襲の資料をよみこむ。
データー的なことはほとんどコピーしてあるが、資料の中のほとんどを占めている手記を読んでいく。
と、気が付いたのだが、読めば読むほど気が滅入ってくるのである。
7月7日の被災の記録なので凄惨を極めている。
それでも何でも、読むことによって自分の中に何かが生まれそれを伝えていく責務のようなものを感じている。
資料貸し出しの期限が8日なので今日明日で読み終わりたい。
ただ、間違いなく鬱々とした気分となっていくので気分転換もはかりたい。

どうしても実体験ではないので、どこまで理解できるか・・・ただその時代に幼児ながら生きているのでその雰囲気は分かるつもりである。
何としても,風化していく事柄を文字に起こしておきたいと思う。



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2022-09-02

好奇高齢者の生活と異見・夏が往く

この8ヵ月







あっという間に9月である。
カレンダーをはがしながら、今年の今までのことを思い返したが、終息の目途も立たないコロナ禍に明け暮れているような気がする。
毎日報告される患者の数の中に自分も入るのではないかという怯えもある。
我が通うクリニックでも患者が出ているということだが、表面上は何もないように日日が繰り返されている。
ここにきて随分と対策が緩くなったように思うが、実情は今の政府では何もできないということか・・・
それでも律義に皆マスクだけはつけているが、もしかしたらマスクはこれからの世の中では生活の一部となってしまうのではないだろうか。
私のようにいかつい顔の部類に入る人間にとっては半分顔が隠れることによって好印象となってくれるといいのだが・・・
小学校などでは3年生以下では友達の顔が分からないという現象が起こっているようだ。
いずれにしろ皆がマスクを外すようになるのは何年も先になるのではないか。

コロナと同じように先が見えない事として、ロシアのウクライナ侵攻である。
よもやまさかこれだけ世の中が進んでいる中で侵略の戦争が起こるとは…
はっきりわかったのは日本がこのような場面に遭遇した場合、日米同盟など当てにならないということだ。
ならば軍事を増強して国を守る・・・それはもっと危険なことに違いない。
やはり平和憲法を堅持する事ではないだろうか。

もう一つ元首相の狙撃殺傷事件である・・・このようなテロ行為は誰に対してであれ許されることではないがこの事件をきっかけにしてパンドラの箱が明けられてしまった。
連日のように統一教会とJ党の議員との関係が暴かれている。
政治と宗教の関係はS学会とK党の関係のように許容されているが、統一教会については反社会的な事柄がありそれを知りつつも持たれあった・・・その親玉が元首相。
この事件も先が見えないが曖昧のまま有耶無耶にしてしまうのだろうか。

9月になって一斉に物価が跳ね上がり家計に影響が出てきている。
先が全く読めない暗い一年となりそうな気がしてならない。



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2022-09-01

好奇高齢者の生活と異見・甲府の空襲

無差別攻撃








当時、各都道府県の都市と呼ばれた地域(市政執行当時206都市)のうち、160都市が空襲を受けている。
その中でも一番甚大な被害を受けたのが福井市でその92パーセントが焼失したと言われている。
次いで浜松市が72パーセントで甲府はそれに並んでいると言われている。
浜松は軍都で飛行場があり何度も空爆にさらされている。
甲府のように一夜で70パーセント以上の焼失はめずらしい。

3月10日の東京大空襲以来、各地が空爆にさらされていたが、なぜか甲府は被害を受けなかった。
甲府盆地が山に囲まれ要塞のようだと言われたり信玄公が守ってくれていると信じている人もいたようだ。
だから、甲府には東京から学童疎開の子どもたちがたくさん来ていて7月7日に亡くなった児童もいる。
この無差別な攻撃は3月10日から始まったもので、この計画の責任者は太平洋方面第20空軍司令官カーチス・ルメイである。
彼は後に空軍参謀長として来日し、日本政府は日本の航空自衛隊建設に貢献したとの理由で勲一等旭日大綬章を贈った。
なんとなくアベ元総理の国葬が想起される・・・

今回読んでいる記録の巻末には自治会が調べた物故者の氏名が付されているが、やはり子供の名前が多く幼児の氏名も多い。
今生きていれば1歳の子どもは77歳となり豊かな(?)老後を過ごしているに違いない。
付されている手記の中には母親の背中でなくなっているという事例がいくつもあった。
自分の意思ではどうにもならないだけに涙を誘う。

今回の資料の大半は当時小学2年生から壮年までの多岐にわたる職業の人が綴った文章である。
一つ一つ丁寧に読んでいくと、それぞれの人の人生が浮かび上がり物語がある。
空襲から30年たった時の回顧録であるがその30年の生きてきた軌跡も想像できる。
この手記を書いた人達は今はほとんど物故されていると思われるが豊かな人生であったと願わずにいられない。

さて、この資料を前にどんな物語を紡ぐか・・・大きなため息をついている。










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