2022年 10月の過去ログ

2022-10-31

季節だより花だより・石蕗

謙遜








庭に花を植えて愛でるなどほとんどしたことがない。
我が家の庭は教え子のK君(新卒の時に教えた人で植木屋さんである・・・彼もすでに65歳を越したという)が手入れしてくれるそのままである。
昨日の事・・・何気なくリビングから庭を見ると垣根と庭の組み石の間の空間から黄色い花が咲いているのが見えた。
勿論植えた覚えがない・・・どうやらツワブキの花のようだ。
多分、庭に来る小鳥が落としていった種が根付いたのだろう。
調べてみると、花茎は晩秋から初冬にかけて咲き、木陰を好む性質があるという。
思えば、明日からいよいよ11月ちょっと早い気もするが晩秋。
組石は故郷切石の家から持ってきた「さざれ石」で石蕗の花との組み合わせが絶妙である。

石蕗は葉の形が蕗に似ているので同じ仲間と思われがちだが全く違う種だそうだ。
それでも、艶のある葉からツワブキと名が付いたようである。
私の記憶では薬草として婆ちゃんがおできなどの膿を出したり、やけどの時に火であぶってもんで貼ったりするのを見たことがある。
食用にもなるそうで蕗と同じように茎を食べるのだそうだが灰汁が有毒でそれを抜かないと食べられないそうである。
そのあく抜きは結構面倒で、かなり手がかかるようである。
それにしてもそこまでして食べるのか・・・と思ってしまうが人間のあくなき探求心に驚くばかりである。

余談となるが、島根県の津和野の地名はツワブキと関係があるのだそうだ。
ツワブキが沢山咲く里から来ているとの事。
何となく、ひっそりと咲くつつましやかな花は津和野の町に似つかわしいような気がする。

ちなみにツワブキの花ことばは「困難に負けない」「謙遜」だそうだ。
我が家の貧弱な庭に咲く花はどちらの言葉もピッタリだ。





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2022-10-30

眩暈食品館・新規開店

鶏ラーメン









午後1時から予約を取っていた床屋に出かけて行った。
タカコサンも聖跡桜が丘のデパートに買い物に行くとの事で同じ京王線なので途中まで同行した。
実は目的は北野駅の構内に新規にラーメン屋が開店したのでついでに食べてみようということだった。
この店は今の店で何代目だろう…覚えているだけで5回は変わっている。
ほとんどがラーメン屋なのだがここ2年ほど空き店となっていた。
10月24日開店で今日は初めての日曜日。

店はカウンターと椅子席で15人ぐらいの広さでそこに6人のスタッフが働いていた。
スタッフは若者ばかりできびきびしていて活気があった。
ラーメンは鶏ガラのスープで、チャーシューも鶏肉だった。
私は鶏系はあまり好みではないのだが店の一押しの鶏ラーメンを頼んだ。
スープは醤油系であっさりスープだった。
麺は細麺で固めに茹でてあった…ただ、年寄りには量が多かった。
タカコサンも同じラーメンを頼んでいたが完食していた。
けれど、感想は私と同じだった。
はっきり言って可もなく不可もなし・・・
まだスープが新しいせいもあってかこなれていないのだ。
特にたれとの絡みがいまいちでもう少し経てばこなれていい味なるかもしれない。

けれど、この次来たら同じラーメンは頼まないで別のモノに挑戦してみたいと思った。
魚介系でキンメダイのスープのラーメンがあるというのだ。
どんな味なのかちょっと期待が持てそうである。

ラーメンはほかの中華と違って工夫を重ねて進化していく食べ物だ。
店のスタッフだけの創意工夫だけでなくお客が育てていく面が大きいと思う。
折角、新規開店したのだからいい店に育ってほしいものだ


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2022-10-29

透析日記・搔痒

地獄・極楽








雲一つない秋空、高く高く晴れ上がって、風もない穏やかな一日である。
しかし我がポンコツの身体は昨日の透析からまだ復活していない。
昨夜は早めに床に入ったが身体が温まると脛あたりからかゆくなり始めた。
透析患者特有の症状の一つだそうである。
透析によって体中の水分の入れ替えをして基準体重までもっていくのだが微妙なところで必要な水分も抜けてしまうらしい。
すると、乾燥肌となって痒みが始まるようだ。
脛など手の届く範囲で保湿クリームを塗るが、背中になるとどうにも始末が悪い。
背中のかゆみは大体夜中に始まるのでぐっすりと寝ているタカコサンを起こすのも悪い。
結局、身もだえの状態で耐えて、治まったのが朝の4時ごろだった。

痛みもつらいが全身搔痒もつらい。
これからもっと年を取ると水分は抜けていくばかりなので搔痒地獄増々加速していくに違いない。
こんなことが一生続くとなると・・・
考えてみたら春から夏にかけてはほとんど起こらなかった症状だ。
やはり秋のこの辺りから冬にかけて身体も枯れてくるのだろう。

朝食を済ませてから寝室に戻り昨夜の寝不足を取り戻そうと思ったが明るい日差しの中では眠れるわけもない。
窓から挿しこむ陽光を浴びてウトウトした。
これが極楽である。
何も考えないで、ただただお日様に身をゆだねた。




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2022-10-28

かたくら通信。タブレット

原始人









昨日は午後からクリニック仲間のNさん宅に行ってきた。
用件は今使っているタブレットをさらにヴァージョンアップするためである。
ひと月ほど前にもお邪魔したがほんの入り口がわかっただけで課題はたくさん残されていた。
今回の訪問はパスワードやIDなるものを持って行ったのだが、そのパスワードやIDなるものがよくわかっていないので結局無駄足になってしまった、

今から25年ほど前に各小学校の事務室にパソコンが配置された。
その時事務さんが、これからの時代はパソコンが出来るか出来ないかで2種の人間に分けられると言っていた。
まさかと思っていたが、現実はその通りとなっていった。
その二種の人間とは「原始人」と「現代人」である。
茨木のり子は「よりかからず」詩集のなかでパソコンなどなくても何ら困ることはないと歌っていたが、時が過ぎるとそうも言っていられないようだ。
Nさんご夫婦が2時間ほど頑張ってくれたが、肝心のパスワードとIDが分からないためにお手上げになってしまった。
結局、初期の設定だけで、あとは孫のリョウに来てもらうことになった










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2022-10-27

お好みテレビ番組・コントレオナルド

風見鶏








この数年ゴールデンの時間の娯楽番組の内容のお粗末さは目を覆うばかりである。どのテレビ局も同じような企画ばかりである。
歩いて目的地に行くとか、秘境の一軒家を訪ねるとか、グルメならまだしも女性の大食いなどは不快感を催す。
出演しているタレントも同じ人が多く毎日見ない日はないという人もいる。
特にひどいのはお笑い番組で漫才やコントを3分ぐらいでやってしまうので笑うに笑えない。
それでもタレントによっては月に何百万円も稼ぐというので驚く。

このところ歌謡曲もチョット飽きてきたので昔の漫才やコントを見ている。
特に今見てはまっているのはレオナルド熊と石倉三郎のコントである。
レオナルドは亡くなってしまったけれど石倉は渋い役者として健在。
ところでこのコンビだがレオナルドがボケ担当で石倉が突っ込み。
一つの舞台を最低でも15分はやるので台本がきちんとあってよく作りこまれている。
最近見たもので抱腹絶倒は「風見鶏」というコントであった。
設定は群馬県民のレオナルドと首相官邸を警護する警察官役の石倉。
レオナルドは首相官邸を訪れて「中ちゃん」に会わせろという。
中ちゃんとは「中曽根首相」のことである。
当然、警護の警察官は取り合わないが「中ちゃん」とは友達であるという。
自分が田の草採りをしていた時に車を止めてやってきて固い握手をして「男にしてくれ」と言い一票を投じてやって固い友情結ばれたというのだ・・・
真面目くさってやる二人のやり取りが絶妙である。
落ちのところではもう一人群馬を代表する政治家福田赳夫の名前が上がるのだが、大変風刺も効いている。
このところ続けて見ているのだが何度見ても飽きない。

思うに笑いの中に風刺があることが大切だと思う。
今のテレビのお笑い番組では短すぎて風刺など入れようもないようだ。
また、ストーリーの中に毒も必要で笑ってすまされないものを入れ込んでいるから心に突き刺さってくる。

今のお笑いは何とかグランプリとか言って笑いを競い優勝者には多額の賞金も出て、一夜にして有名になるようだ。
しかし、その底の浅さに忘れ去られるのも早いようだ。







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2022-10-26

季節だより風だより・照る日くもる日

秋の空








昨日は降るのか降らないのかはっきりしない陰鬱な日だった。
加えて冬の到来を思わせるような寒さである。
このような日は家にこもってじっとしているに限る。
自室のパソコンの前に座ってとりとめもなく画面を眺めている、
メールをやり取りする人もいないのでニュースのようなものを眺めているのだ。

タカコサンはお天気に関係なく元気だった。
午前中から立川のデパートの化粧品バーゲンに行って、午後からは銀座の画廊で来春開催予定の「ヨダコレクション」の展覧会の打ち合わせに行った。
彼女は今は私のマネージャーとしていろいろな煩雑なことをやってくれている。
ヨダコレクションとは私が50年近くかけて集めた版画を銀座の画廊で売ってしまおうというのだ。
コレクションは今となると厄介なもので引き取り手がない場合の処分に困るのだ。
幸い銀座で画廊を開いている知人が来春「コレクション展」と銘打って売ってくれることになった。
しかし、そのプライスは買ったときの半分に届けばいいほうなのだが・・・・
夕方の6時頃帰ってきて見通しについて話してくれた。
正直、趣味のモノなので売れるかどうかは未知である。
来春、ブログでの告知と住所の分かる人には案内を差し上げるのでご来場たまわりたい

今日は昨日とうって変わって抜け上がるような碧い空。
外に出て秋の空気を満喫したいところだが午後から透析。
午前中だけでも秋の気分を味わおうと思う。
切なさからすると今日の日の方がしたいと思うことが出来ないのでやるせない。








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2022-10-25

八ヶ岳南麓だより・演奏会

古楽器







演歌道のヨダ君と古楽器演奏との取り合わせは場違いの雰囲気と思う読者もいるやもしれぬ。
それが結構はまっているので音楽の道は広い。
そもそも私が興味を持ったのはフォルテピアノの演奏家Iさんと知り合い彼女がフランスからフォルテピアノを持ってくるのでそのお披露目を我が山荘で開きたいと言ったのだ。
演奏会は大成功だったのだが、楽器の運搬や調律などが難しいことが分かり演奏会は2回だけになってしまった。
その後、時折Iさんのコンサートで共演していたMさんに伺ったところ、ご夫妻での演奏を承諾してくれて10年ほど続けた。
しかし、私たちも70歳を過ぎて、エネルギーが切れてしまった。
やはりコンサートとなると準備や人集めが結構大変なのだ。
そこで、もっぱら聞き手となることにしたのだ。
そのご縁で彼らはタカコさんの不定期なお茶の弟子となった。

演歌はもっぱら透析のベッドで聞くのだが古楽器演奏は生で演奏者とトラベルソの息遣いが聞こえるぐらいの距離で聞ける。
今回の演奏はすでに何回か聞いたことのある曲ばかりであった、曲目についてはほとんど分からない。
分かったのはイングランドの古謡の「グリーン・スリーブス」ぐらいだろうか。
曲名は分からなくても秋にふさわしい曲ばかりだったように思う。

演奏会が終わってそのままM君に小淵沢まで送ってもらった。
彼の感想を聞くことはできなかったが、自ら楽器を演奏するそうなので心に届いたものはあったに違いない。
私は暮れなずむ西の空を車窓から眺めながら豊かな気持ちをそのまま持ってわが家へとたどり着くことが出来た。
 




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2022-10-24

八ヶ岳南麓だより・秋の音色

古楽器演奏会








演奏会の会場は我が山荘から車で10分ほどのペンションである。
デュオリュタンンの二人はこのペンションで20年以上、演奏会を続けている。
その間我が山荘でも演奏会を開いてもらった。
その回数は10回をくだらないと思う。
しかしわれら夫婦も寄る年波には勝てず人集めが難しくなり、数年前から開催は断念してしまった。
その代わり、春と秋の演奏会には極力行くようにしている。
このペンションのオーナーがジャズが好きで、演奏ができるように音響を考えて作ったのだそうだ。
当然ヴァージンルとトラベルソの合奏にも良い音環境である。
同行したM君はチェロを習っているそうで、いつの日か古楽器とジョイント出来たらと思ったらしい。
彼が言うにはチェロとトラベルソはあいそうだと。

澄み切った山麓の空気の中で異色の音を堪能することが出来た。
もしかするとヴァージナルという楽器は王侯貴族だけに聞かせる楽器で、ある意味大変贅沢な音色なのだ。
2時間、秋のひと時を豊かに過ごすことが出来た。


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2022-10-23

八ヶ岳南麓だより・秋色

ホウトウ









中央線沿線は稲の刈り入れも終わってハザに稲束が干してある。
沿線の山山はまだ緑を残していて秋色には遠い。
山荘はすでに黄葉が始まっていて庭先の紅葉も何葉か紅葉に染まり始めていている。
このモミジがすっかり紅くなった時に秋もたけなわ・・・あと2週間ほど必要だ。
と同時に、庭の入り口にある唐松の針のような葉が黄ばんでハラハラと降り始める。
陽の光を受けて散るさまは別世界にいるような気分となる。

12時に小海線甲斐小泉に着き10分ほど歩くと三分一湧水の脇にある蕎麦処に着く。
お昼時は混むので30分ほど待って昼食とする。
タカコサンは天ぷら、きのこご飯付きの蕎麦定食、私は「一杯の掛けそば」(そんな物語が昔あったなぁ・・・)
タカコサンから天ぷらを分けてもらえばそれで十分・・・80過ぎてから食が細くなったことを実感する。
食事が終わってから蕎麦屋の隣にある売店で夕食の材料を買う。
八王子を出る時から夕食は決めていた・・・一年ぶりにホウトウを作るつもりで冷蔵庫にある食材を持ってきていた。
人参、大根、たまねぎ・・・あとこれにサトイモとカボチャが加わればOK。
肝心のホウトウは売店で味噌とセットで売っていることが分かっていた。
サトイモもカボチャもちろん売っていて、加えてマイタケも売っていたのでゲット。
カボチャは甘みを出すのに必須である。
甲州には「うまいもんだよカボチャのホウトウ」という言い習わしがある。

タカコサンはこの甲州の名物料理はあまり好きではないようで「あまりたくさん作らないでね」と言われてしまった。
けれど、たくさん作らないと野菜の味も出ないのでそんな言葉は無視して大鍋一杯作った。
まずは出汁を2リットルほど引き、その中に上記の野菜を入れて煮込む。
その時に一緒にうどんも入れる・・・に上がるのにおよそ20分ほどかかる。
そこで味噌を入れて味を調える。
単純な料理なのだがこれがうまい・・・熱々のご飯にも合うし冷ごはんにも合う。
私は次の日煮凝りのようになった状態のホウトウが好き。

今回の出来栄え70点ぐらいである。
味付けのもとになる味噌が今一つ私の好みではなかったのだ・・・残念!!!




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2022-10-22

お好み音楽会・古楽器演奏会

ヴァージナル・トラベルソ








明日、朝倉夫妻のヴァ―ジナルとトラベルソの演奏会があるのでこれから山荘に行く。
彼等との付き合いもすでに10年に及ぶ。
当初は夫妻の演奏会は我が山荘で開いていたがやはり寄る年波で人を集めるエネルギーがなくなって、主催者から聞き手に回った。
彼等は春と秋に定期的に山荘の近くのペンションで演奏会を開いているのだ。

ヴァージナルはピアノ原型のような楽器、トラベルソはフルート・・・いずれも古楽器で独特の音色を奏でる。
澄み切った秋の空気の中でどんな音が聞けるか楽しみである。

演歌もいいけれど古楽器の演奏もしみじみとして良いものだ。

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2022-10-21

歌かたり・乱れ髪

美空ひばり











昭和歌謡曲の極め付きは何と言っても「乱れ髪」であろう。
美空ひばりが病を得て一時は歌うことなど絶望的な状態になってしまった、
それが奇跡的に蘇り、伝説的な「不死鳥ライブ」がおこなわれた。
そのメインの歌が「乱れ髪」であった。
作詞は星野哲郎、作曲は船村徹のゴールデンコンビである、

   髪の乱れに手をやれば 赤い蹴出しが風に舞う
   憎や恋しや 塩屋の岬 投げて届かぬ 思いの糸が
   胸に絡んで 涙を絞る・
   
   捨てたお方の幸せを 祈る女のさがかなし
   辛や重たや我が恋ながら おきの瀬を行く 底引き網の
   船に乗せたいこの片なさけ

   春は二重に巻いた帯び 三重に巻いても余る秋
   くらや はてなや 塩屋の岬 見えぬこころを 照らしておくれ
   ひとりぼっち にしないでおくれ

美空ひばりはこの歌をおともにその生涯をとじていく。
このさいごのコンサートをライブで見ていたが、正直痛々しかった。

みだれ髪の一節、「春は二重に巻いた帯び三重に巻いてもあまる秋」
現実にこんなことがあるだろうか・・・でもひばりの衰えていく肉体の最後を見事な言葉で表現していると思った。

もうあんな歌手は二度とでてこないだろうなぁ・・・・・
 

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2022-10-20

歌かたり・島津亜矢

4時間








透析の時間は4時間だがその間は左手は二本の針と管が血液の浄化装置につながっていてほとんど動かせないので右手だけとなる。
その右手も1時間ごとに血圧を測るのでほぼ固定している。
手が自由ならこの時間で本でも読みたいところだがままならない。
この4時間の過ごし方として、透析が始まって1時間半ほどは7チャンネルの映画を見る。
外国版の吹き替え映画をやっているので時間つぶしにはもってこいである。
それが終わると、他のチャンネルはニュースショウか古いドラマなどを放映したいるがほとんど興味がないので持参しているタブレットを見る。

まずは映画をチョイスするが中々面白いものには出会わない。
面白くないと途中で寝てしまうがイヤホンをしているので他人には迷惑は掛からない。
また、ドラマなどを見る事もあるがこれも当たりはずれがある。
そこで歌番組をチョイスして聞いている。
と言っても流行りの歌ではなくほとんど昭和歌謡である。
天童よしみ、市川由紀乃、島津亜矢などが多く昭和の歌をカバーしている。
当初は天童よしみが専門だったがこのところ市川由紀乃、島津亜矢を半々で聞いている。
ふたりとも昭和の歌を物まねでなく自分の歌にして歌っているので心地よい。

昨日は島津亜矢の「奥飛騨慕情」を聞いていた時、担当の看護師に「何を聞いているのですか」と言われたので画面を見せた。
「ヨダさんて演歌が好きなんだ」と言われた。
「この歌手知ってる?」と聞いたら大きく首を振った。
看護師は31歳だそうだが演歌などには全く興味がないと言った。
歌怪獣と言われている島津亜矢さえも知らないのだから市川由紀乃も勿論知らない。
「石川さゆりなら知っているよ・・・津軽海峡ナントカという曲を聞いたことがある」

わららの時代には「明治は遠くなりにけり」というフレーズがあったが、「昭和も遠くなりにけり」なのだなぁ・・・
聞けば平成の生まれだと言っていた。
私にとっては平成という時代がほとんどすっ飛んでいるのだ。

平成に何があったかのかほとんど覚えていない。
昭和ならすらすら言えるのに・・・・





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2022-10-19

うた語り・女の港

極み









女歌の極めつけはやはり「女の港」であろう。
この歌を口ずさんでいた時タカコサンがそんな女の人がこの世に居るはずがないと言った。
居ればいいなぁという男の願望を歌にしたのじゃないの・・・と言っておいたが

   口紅が濃すぎたかしら 着物にすればよかったかしら  
   ふた月前に 函館で はぐれた人を長崎へ
   追えば一夜が 死ぬほど長い 私は港の通い妻

   信じても一人になると プツンと切れる ふたりの絆
   確かめ合った横浜の 桟橋はなれ塩釜へ
   向かうあなたが 気にかかる いつまでたっても 恋女

   海猫の声聞きながら 港の宿であなたを待てば
   たずねる船は青森にゃ 寄らずに佐渡に行くという
   つらい知らせは慣れっこだから 夜汽車でマフラー編むのです

作詞は星野哲郎で作曲は船村徹のゴールデンコンビ。
星野は若い時に実際に船乗りだったので実体験か・・・何となく同じ船員仲間の体験を聞いて詞にしたような気がする。
50年ほど前にはこのような絶滅危惧種のような人がいたかもしれない。

私は3番の最後のフレーズが好きである。
電車の中で編み物をしているような人は今はなかなか見る事は出来ないが・なんとなく切ない女ごころが伝わってくる。

この歌は大月みやこが自ら歌っているが、彼女は長い間不遇で歌に恵まれなかった、この歌が爆発的にヒットして今の地位を確保する。
すでに70歳を過ぎているが、その声は衰えていない。
この曲をカバーしている人はたくさんいるが、大月を追い越している人はいないようだ。
強いて言えば、市川由紀乃がいいと思う。 








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2022-10-18

うた語り・さざんかの宿

道ならぬ恋









女の宿と双璧と言ってもいいもう一曲がある。
女の宿の作詞は星野哲郎で作曲は船村徹だがもう一曲は「さざんかの宿」。
作詞は吉岡治、作曲が市川昭介で歌うは大川栄作。
どちらの曲も道ならぬ恋を歌っているが、さざんかの宿の方は人妻との恋とはっきりと歌っているのだ。
歌うのが大川栄策というのも良い・・・いかにも女にもてそうな美男子でないのがリアルだ。
もしかして、おらにもそんなチャンスが来るかもしれないと思わせている。
どちらの歌も女ごころを歌っている女歌なのに男が歌っているのが面白い

  くもりガラスを手で拭いて あなた明日がみえますか 
  愛しても愛しても ああ他人(ひと)の妻
  赤く咲いても 冬の花 咲いてさびしい さざんかの宿

  ぬいた指輪の 罪のあと かんでください 思いきり
  燃え立って燃え立って ああ他人の妻
  運命(さざめ)悲しい 冬の花 明日はいらない さざんかの宿

  せめて朝まで 腕の中 夢を見させてくれますか
  つくしてもつくしても ああ人の妻
  ふたり咲いても 冬の花 春はいつ来る さざんかの宿

始まりの一行が秀逸・・・くもりガラスを手で拭いて見えるのは外の景色・・・いやくもりガラスだから何も見えないはずだ。
それが、明日が見えるのかと問うている。

堂々の不倫歌である・・・この二人の道ならぬ恋はどのようになっていくのだろうか。
ともあれ、このような言葉を紡ぐことがすごいと思う。
世の人たちはこのような思いに至っても実行はなかなか難しい。
歌に託して思いを発散させているのだろうか。
50も過ぎ60・70に至ると笑い話となってしまうのだろうな・・・






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2022-10-17

歌語り・女の宿

残り火









透析の4時間の無聊を慰めるためには備え付けのテレビと自宅から持ち込んだタブレットを視聴することである。
テレビは感度が悪く画面が暗いので映画などはほとんど見られない。
また、2時から6時までの時間帯はどの局もニュースショーのような番組で同じような事ばかりが放映されていてあまり見る気がしない。
そこで活躍するのがタブレットで、映画、音楽などを楽しんでいる。
2時間の配分は映画と音楽が半々というところか・・・
映画はもっぱら外国のアクション映画で吹替変え版を見る。
音楽はほぼ歌謡曲で、それも昭和の歌謡曲だ。
ただ、オリジナルの音源は音が悪いので他の歌手がカバーしたものを聞く。

ここのところ毎回聞いているのは、「女の宿」
作詞は星野哲郎、作曲は船村徹のゴールデンコンビである。
オリジナルを歌っているのは大下八郎であるが、鼻にかかった歌い方で余り上手ではない。
そこで私はちあきなおみがカバーしている音源を聞いている。
彼女の独特の歌声が歌の世界を見事に表現している。

この歌は社会的には制裁を加えられるような不貞のうただ。

  想い出に降る雨もある 恋に濡れゆく傘もあろ
  伊豆の夜雨を 湯船できけば 明日の別れが つらくなる

  たとえひと汽車 遅れても すぐに別れは くるものを
  わざとおくらす 時計の針は 女ごころの かなしさよ

  もえて火となれ 灰になれ 添えぬ恋なら さだめなら
  浮いてさわいだ 世の明け方は 箸を持つ手が重くなる

二人の男女の切ない恋が見事に詞の中に表現されている。
二番の「わざと遅らす時計の針は」などと・・・哀切である。
歌謡曲は詞にのせた物語で、メロドラマのようなものだ。

ちあきなおみのちょっとハスキーな声で聴くとぞくっとする。
もしかして82歳にもなろうというのに私の中に残り火のようなものがチロチロしているのかもしれない。







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2022-10-16

かたくら通信・生活防衛

買い物








朝から空はどんよりと曇り、なんとなく気が滅入り、鬱々として楽しめない。
朝食を済ませて自室に籠ったが、ウツラウツラして気が付くと11時を回っていた。
そこで、お昼と夕食の食材を買いに、久しぶりに生協に出かけて行った。
生協までは歩いて10分ほどだが、道々、出会う人がマスクをしてない人が多いのに気が付いた。
特に、同年ぐらいの男性はほとんど着用していない。
コロナもいよいよ終わりとなったのか、でもまだ安心できるような段階ではないと思うのだが・・・
私はクリニックで着用することを義務付けられているので抵抗なく付けている。

生協に着くと、やはり人が多いせいかほぼほぼ付けていた。
昼食前のせいか、かなり混んでいて、年寄りのご夫婦連れが多い。
私の買い物は食材と出来合いのモノだったが、ここで諸式が値上がりしていることも考えて5000円以内で済むようにと考えていた。
しかし、結局、レジで支払ったお金は7000円を超えていた。
何がどのようにというわけでもないのに数か月前の感覚で買ったつもりなのに愕然。
家に帰ってタカコサンと話したのだが・・・10年前と比べると、一万円札は千円札に成り下がり千円札は百円の価値となってしまったような気がすると・・・

我らのように年金収入だけで生活をしている身にとっては、これから支給が上がる見込みもないのでよほど引き締めて生活しないと破綻が来そうである。
ただ、若い頃のようにあれが食べたいこれが食べたいというような欲はなくなってきているので今のところバランスはとれている。

それにしても、年寄りなど顧みない、住みにくい世の中になりそうな気がする。






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2022-10-15

かたくら通信・教え子

教え子の子








朝起きると、先日補填してもらった奥歯がグラグラになっていた。
どうやら寝ている間に歯ぎしりでもしたらしい。
歯科医院は9時開院なので時間ピッタリに電話をすると10時45分が空いているとの事だった。
今日は午後から教え子が訪ねてくる予定。
お昼前に治療は終わったので昼食は近くのラーメン屋で済ませてタカコサンには駅前のファミマで肉まんを買っていった。

教え子と言っても私が受け持った人ではなく日野の南平小で図工の専科をしていた時に週に2時間4・5・6年と教えたのだ。
彼女は中一の時に日野から埼玉の上尾に引っ越していった。
普通は担任ではない場合は卒業と同時に縁は切れてしまうのだが、彼女が大学3年の時に突然電話がかかってきた。
彼女は国立にある某有名女子大に進学していて、卒論に児童文学を選んだので相談に乗ってほしいということだった。

それから何となく付き合いが始まり結婚の知らせがありやがて子供が生まれてその写真も送られてきた。
名前はモモちゃんと言い、2歳になっておしゃべりができるようになって、わが家に連れてきてくれた。
それから年に1〜2度は会うようになって山荘にも遊びに来るようになった。
私にとっては孫というよりもひ孫のようなものでその成長ぶりを見るのが楽しみだった。
今回の訪問はコロナの関係でちょうど1年振りで、2年生になっていた。
すっかり女の子らしくなってその成長ぶりに驚かされた。

ちょうど2時ごろに来て2時間ほどゆっくりゆったりとした時間を過ごすことが出来た。
ママさんは来年の1月には今まで務めていた会社を辞めてフリーになるのだそうだ。
来年春、山荘を開ける時には車を出してくれるとの事だった。

ちょうど出会ってから20年ほどたつが今でも忘れずに付き合ってくれるのは老いの身には嬉しいことである。









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2022-10-14

かたくら通信・ブログの読み方

生存確認








先日、絶不調を書いた。
昨日の朝まで、それは続いた。
症状としてはともかくふらふらするのである。
気力のようなものも萎えて、ただボーッとしていたいのだ。
これは透析の患者にはよく起こる事らしく、鉄分の不足なのだそうだ。
特に命に別状はないが出先などで倒れることもあるらしい。
私は透析になるまでは高血圧気味で、ふらふらすることなどとは無縁だった。
ふらふらする時は、気力がそがれてしまうのでともかく治まるまで安静にしていなければならないようだ。

今回絶不調などと書いたために大学時代の女友達が心配して電話をくれた。
ご主人が私と同年なので人ごとではないと言われた。
タカコサンの友達であもあるのでまずは二人で話をして私に受話器が回ってきた。
本当に心配してくれていることが伝わってきた。
世のため人のために何もしていないような身を案じてもらえるなど有難いことである。

ブログには他人様に心配をかけるようなことは書かないつもりでいるのだが、気弱になるとどうしても思いを吐き出してしまうのだ。
以前にも同じような電話を教え子からもらったことがある。
その折「本当に具合が悪い時には文章など書けないと思う」と言った。
それから、その教え子は私のブログを「生存確認」と言うようになった。
文章に何が書いてあるかよりも、とも書く。その日のブログが書いてあれば「生きている」と思うようにしているのだそうだ。
ただ、ブログを書く時間帯であるが月・水・金の透析日は午前中に書いて、火・木・土・日は午後から夜にかけて書く。

一度夜遅く書いたことがあって「何かあったか」と友人から電話をもらったことがあった・・・ともかく、365日書くことを旨としているので生存確認をよろしく。
どうしても書けない時にはタカコサンに代筆してもらうつもり。











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2022-10-13

好奇高齢者の生活と異見・掛け声内閣

諸式値上がり







先週の金曜日から上の歯の歯肉が痛み始めた。
土曜日に行きつけの歯科医に電話したが予約がいっぱいでとれなかった。
月曜日は体育の日でお休み火曜日は臨時の休み、水曜日は休診日で結局今日の10時半の予約が取れた。
5日も経つといつの間にか痛みも取れてしまったが、それでも念のために行ってきた。
診断は被せてある金属の隙間から雑菌が入ったのだろうということで、念のために抗生剤を出してくれた。
ついでに他の歯も点検してくれて、左下の奥歯の義歯がこのままだと採れてしまいそうなので・・・と補修してくれた。
歯全体はよく磨かれていて、82歳にしては入れ歯もなく頑張っていると褒められた。
そして、いよいよ診察料を払う段となったが・・・受け付け嬢が「今月から2割ですね」と言った。、
ーそうだ、自己負担額が1割から2割となったのだ―新しい保険証を初めてつかった。
今迄なら500円で済んでいた支払いが1000円となった。
割で言うと1割が2割となって、さしたることもないように思えるが支払い額は2倍である。
歯医者のついでに近くのスーパーで昼食と夕食の買い物をしたが・・・いろいろなものが値上がりしていることに驚いた。
今迄なら3000円ぐらいで済んでいた支払いが5000円となっている。
何がどう上がったのかははっきりと分からないが、ほとんどのモノが少しずつ値上がりしている。

アベ・スガとうんざりするような総理が続いて、新しい総理のキシダは彼等よりましだろうと思ったが、ただただ掛け声ばかりで何にもできない内閣のようだ。
外交も内政もこれぞというところが全く見えてこない。
お隣の国では連日のようにミサイルを打ち上げているが「遺憾である」というだけでもしもの時の対抗措置は出来るのだろうかと心配になる。
世界ではウクライナをはじめとして緊張状態が続いているが何となく能天気のように思えてならない。
内政においてもこれぞという政策を実行しているようにも見えず、じりじりとモノの値段は上がるが、我ら年金生活者の額は下がるばかりである。
野党も一枚岩になれず、その存在がかすんで見える。
この国には代わるべき人材がいないのかもしれない。

まぁ、私腹を肥やすようなことはないのでよしとするか・・・それでもここで自分の息子を秘書にしたとか。ちゃんとその行動を見守りたい。


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2022-10-12

透析日記・回復

感謝









昨日は結局絶不調のまま一日が終わろうとしたが、夕方になってようやっと回復の兆しが見えてきた。
時すでに遅しで夕方から夜になって元気になっても何の役にも立てない。
ほぼ、一日タカコサンにオンブにだっこ状態で、夕方まで働いてくれるのを感じながら自室でウトウトしていた。

思えば透析になってからはタカコサンに依存することが多く自分では何もできなくなっている。
ただ、今のところ透析に行くための準備などは自分でやっているが・・・
それとて昨日のような絶不調があると全面的に頼らざるを得ないことが起こってくるやもしれずである。

時すでに遅しかもしれないが。感謝、感謝の日々である。
当たり前のようにやってもらっていることが実は大変な事なのだ。
我が家では食事については私がやることになっているが、この頃はほとんどタカコサンに依存している。
今、自分にできることは感謝の気持ちを口に出すことぐらいしかできない。
今迄威張り散らしてきただけに面はゆい気持ちがないではないが、「言葉に表してくれるのは大事な事よ」と言ってくれる。
「ありがとう」と言えばお互いに穏やかな気持ちになれるのは確かなようだ。

余談であるが、53年間も一緒に生活していていまだ未知のことがあることに気が付いた。
昨日の昼食の時に雑煮を食べて、その折に「海苔を汁にいれる・・・?」と聞いたら
「私は海苔が汁に入ってくたっとなるのはきらいなの」といった。
「ラーメンを食べる時も海苔は入れないでしょ」と言ったがそれは全く知らなかった。








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2022-10-11

透析日記・数値

絶不調








自分の身体は数値によって支配されているように思うことがある。
まずは朝起きて体重を測る。
前日透析を受けた日は76キロに調整しているので、夜食べた食事の分で76.5キロぐらいである。
それが、一日たって翌朝になると78キロ前後になる。
そこで、水分をとる量や食べる量を調整するようにしている。
透析を始めて3年経って、食欲はあまりなく量も少なくなっている。

次にするのは血糖値をはかることである。
指先に針を刺して少量の血を出してそれを検査紙で測る。
前日の食事によって数値が変わるがほぼ100前後で過食すると150位になる。365日欠かさずに指先に針を刺しているが、これは慣れるということがない。
自ら傷をつけるという行為はどうしてもためらいがあるのだ・・・決心がいる。
続いて血圧を測って朝のセレモニーは終わるが血圧は110〜130位で、クリニックの院長には「安定してますね」と褒められる。

透析に行くと一時間おきに血圧を測るが120前後という所だ。
ところが昨日は初めから低く90台であった・・・ずっとそれが続いた。
となると気分は悪く、うとうとしていた。
透析が終わって最後の血圧は110位だったが、何とかタクシー乗り場までたどり着いて(クリニックに行く時はバスを利用しているが、帰りはタクシー利用)家に帰りつき夕食を済ませて早めに床に就いた。
今朝の目覚めは気分爽快とはならず血圧は108ほどだった。
午前中は自室でウトウトを続けて食欲もなし。
午後から回復することを願いながらブログを綴っている。

もしかしたら、気分の悪さは数値に踊らされているのかも知れない。




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2022-10-10

やぶにらみ美術館・木版画

断捨離








今私が一番悩んでいるのは蒐集してきた版画をどうするかである。
およそ30年にわたって蒐集した物で、その数は150点にもおよぶ。
蒐集の仕方は、版画専門画廊と契約して、毎月なにがしかのお金を入れて、気に入った個展があるとその都度買うという方式だった。
私の好きな作家は柄澤齋さんという木口版画の第一人者だ。
彼の作品だけで100点近くある。

さてそこで昨年あたりから動き始めたがさっぱりである。
版画を求めた画廊と相談したが、今は市場が飽和状態であるという。
ならば美術館に寄付と考えたが、私のようなコレクターが沢山いてこちらも満杯だそうだ。
プライスダウンして市のようなところで売ればそれなりに値がついて売れそうだがそれは特定の業者しか入れないし、買った値段の10分の一などということもありうる。
さて、どうする・・・銀座の画廊に知り合いがいてそこに話をもっていったが・・・一応来春、Y氏コレクションという形で1週間会場をとってもらった。
おそらく柄澤氏のような作品は売れないので部屋に飾って楽しむような作品を選んでみる。
画廊の借り賃、売れ行きなどを考えると赤字覚悟である。

ところが、物故作家で今でも人気がある人がいてそれなら今でも売れるという。
私のコレクションの中に有元利夫が数点と、駒井哲郎が一点あって、それなら今すぐにでも売れると言われた。
両者の作品には深い思い入れがあるが、この際、断腸の思いで手放すことにした。

コレクション展をした後のことはまた考えることにして断捨離は進めるしかないようだ。

余談となるが、わが家で一番値が張る「駒井哲郎」の作品が見当たらなくなっていた。
山荘もわが家もめぼしい所には見当たらず半ばあきらめていた。
それでもと思い一昨日大捜査網を敷いたところ、ほぼ私が思っていたところから出てきた。

19日にタカコサンがすぐに売れそうなものをもって、今後のことを相談に行ってくることになった。
もし、来春の「Y氏コレクション」が実現したら見にきてほしいものだ。








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2022-10-09

武相旅だより・鮎づくし

味わい尽くす








案内された部屋は6畳ほどのこじんまりした間取りで、4席の椅子席だった。
お客は私たち以外にもう一組いるようだった。
まず運ばれてきたのは鮎の甘露煮で何日かかけて煮込んでいるようで骨まで柔らかく、頭からしっぽまできれいに食べてしまった。
味は程よい甘さと塩辛さで受け継がれてきた味という感じだった。
続いて、先付が来て、これは時期の鉢かつぎと栗であった。
実は私はこの鉢かつぎの味が忘れられなかったのだ。
本来個性的な味があるわけではないのだが、あのネットリとした食感が独特だ。
栗も鉢かつぎを邪魔しないようにクリ本来の味を引き出していた。

続いて鮎の刺身である・・・天然物を供したいところだが寄生虫のようなものがある可能性があるのでこれは養殖物だそうだ。
コリコリした歯ごたえがあり海の白身の魚に負けない食感だった。
そしていよいよ鮎の塩焼き・・・落ち鮎なので型も大きく卵をはらんでいた。
山梨の常盤川から入荷したものでそれはそれは立派だった。
骨のある魚は苦手だと言っていたタカコサンも奇麗に食べていた。
鮎は独特の香りとちょっとした苦みがアクセントになっている。
京亭の鮎は全国の釣り人達が届けてくれるのだそうで、特に多いのは岐阜の長良川の鮎だそうだ。
勿論、最盛時には京亭の眼下を流れる荒川の鮎も賞味できるという。
コースの締めは鮎飯である。
鉄鍋で炊いたご飯が持ち込まれ、ご飯の上には4匹の鮎が並んでいた。
それらを女将が手際よくほぐして、シソ、長ネギなどを加えて混ぜ合わせる。
この混ざり加減が絶妙でコースの仕上がりにふさわしい。
ひと鍋を4人では食べきれなかったので残りを持たせてくれた。
実はこの残りの鮎飯を翌朝、雑炊にして食べる・・・・

また来年があるかどうか分からないが忘れがたい一日となった。






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2022-10-08

武相旅だより・京亭

よい匂いのする宿









京亭という名から分かるように京都に関係ある宿である。
もともとは、佐々紅華という作曲家の別荘で、荒川の清流を眼の下にし、鉢形城址を借景にした地を選んだのだそうだ。
佐々紅華は「祇園小唄」や「君恋し」を作曲した人だ。
もともと、この地は歌舞伎俳優が別荘として選んだ地で先々代の松本幸四郎の別荘があったという。

昭和15年に一応未完のまま住み始めたそうだが、戦時中に宮家に接収されたりしたのだそうである。
戦後、佐々に返されてそれが終の棲家となり、最後まで自分の気に入るように手直しした。
彼が亡くなってから養女がこれを引き継ぎ割烹旅館として営業を始める。
当初は鮎飯と鮎の塩焼きを供する宿であったようだ。
それが、池波正太郎の目に留まり雑誌「太陽」の「よい匂いのする宿」という連載に取り上げられる。
私は当時(40年ぐらい前だと思う)この雑誌を読んでいて是非行ってみたいと思った。
宿のある寄居は乗り換えはあるが八王子から八高線で行ける。
そこでタカコサンと一泊旅行で行った・・・思っていたよりも素敵な宿だった。
それから両親を連れて行ったり友達と行ったりした。

雑誌の連載の後、「よい匂いのする宿」は本となり、それが文庫本にもなり事あるごとに処々で取り上げられるようになり今も続いているという。
女将の言うには池波さんから「なるべく建物を変えたり、供する料理のスタイルを変えないように」とアドバイスを受けたという。
かたくなにそれを守って今に至っているそうだ。
確かにトイレ、風呂場などは時代に合わせざるを得ないが外観も内装も私が初めて訪れた時とほとんど変わっていなかった。
料理は「鮎づくし」でそれなりにグレードアップしていたが基本は変わっていなかった。

鮎を堪能したのはもちろんだが、昭和の時代の味と思い出を味わうことのできた小旅行だった。






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2022-10-07

武相旅だより・タイムスリップ

八高線









八王子駅はターミナル駅で中央線、横浜線、八高線、そして京王線が少し離れたところに走っている。
この中で今までほとんど利用したことなかったのが八高線であった。
八王子から埼玉県の高崎の間を結んでいることになっているが実際にはそんな電車はない。
八王子から乗車すると、そのほとんどが川越行で高崎方面に行くには高麗川で乗り換えなければならない。
今回の寄居行は高麗川の乗り換えであった。

ところで、八高線には独特の雰囲気がある・・・八王子を出ると次が北八王子、そして小宮、拝島、北福生、箱根ヶ崎と続く。
ここまでが東京都だが八王子を出て拝島まで行くあたりから沿線の風景が変わっていく。
まずは電車に乗るのにボタンを押してドアを開閉しなければならない。
そしてスピードであるが、普段山荘に行く時乗り慣れている中央線の特急よりも景色がゆったりと見える。
乗り換えしながら、寄居まで約2時間ほどだったが車窓から見える風景がなんとも懐かしい。。
さすが平日の午前中は乗客が少なくて、いかにもローカル線の雰囲気だ。

12半に寄居駅に着いたが、駅は意外と広く長いコンコースを渡って南口に降り立った。
あいにく雨脚は衰えていなかったが、M夫妻は駅前に車を停めて待っていてくれた。
駅前と言っても、ほとんど店もなく閑散としている。
40年前にこの駅に降り立ったがおそらくその光景は変わっていなかったに違いない。
ナビを頼りに「京亭」に向かったが道すがら人っ子一人歩いていなかった。
家並みは低く沈んでいるようで活気のない地方都市のそれであった。

5分ほどで「京亭」に着いたが、40年前の記憶そのままのたたずまいが待っていた。
建物は全くと言ってよい程変わっていない。
出迎えてくれた宿の人たちも・・・作務衣を来て雰囲気は昭和のままだった。
よく磨きこまれた玄関、ちょっと薄暗い廊下を通て部屋に案内された。
昔と変わったのは、椅子席になっていることだった。
席についてほどなく宿のおかみが出てきてご挨拶をし・・・私が40年前に何度か訪れたことを言うと・・・その時は若女将だったのだそうだ。

私とタカコサンはこの宿のあらましは知っていたがM夫妻のために「京亭」の説明をゆだねた。



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2022-10-06

武相旅だより・寄居

落ち鮎づくし









今日は高校の後輩のM君夫妻と埼玉県の寄居に行く。
ここには鮎を食べさせる料亭があり今頃は「落ち鮎づくし」である。
この料亭は祇園小唄の作者の別荘で、荒川の絶景を望むところに建っている。
今から40年ほど前に何度か訪れたことがあり一泊したこともある。

そもそもこの料亭を知ったのは池波正太郎が「太陽」という雑誌に「よい匂いのする宿」という連載をしていてその文章を読んで出かけて行ったのだ。
かなり気に入って両親も連れて行った。

40年も経つと今もあるかどうか・・・と思ったが代は変わったようだが今も存続。
鮎づくしも期待出来そうであった。
そこで後輩のM君夫妻を誘ったのだ。
私たち夫婦は八高線で2時間かけてローカル線の旅をする。
彼等は車で寄居駅で落ち合うことになっている。
一年に一回ぐらいこんな旅も良いのではないかと・・・

旅の様子はまた明日・・・



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2022-10-05

好奇高齢者の意見と生活・アラーム

誤報









昨日の朝、階下に降りていくとタカコサンが「あなたいよいよ戦争よ」と言った。
「まさか・・・」と言ったが「テレビをつけてごらんなさい」と言われた。
と、北海道の様子が映り、東京都の島嶼の様子が映し出されている。
人々は真剣な面持ちで事態に対処しようとしていた。
北朝鮮のミサイルが日本列島を通過して太平洋上に落ちたとの事だったが・・・アラームについては北海道では実際に危険を知らせ避難することが放送されたようだ。
しかし、東京都の島嶼では誤報だったというのだが・・・

誤報であるからと言って笑って済ませるような事態ではなさそうだ。
ロシアのウクライナへの侵攻も初めのころは「よもやまさか」だったが、今やその戦いは膠着状態である。
北朝鮮の侵攻だってありうるかもしれない。
誤射で日本のどこかにミサイルが落ちたら、それなりの対応がありこちらからの攻撃もあるかもしれない。
ただ、今の日本の政権は軟弱に近いのでことを起こすには時間がかかりそうだ。
国の防衛のかなめである防衛大臣がいつの間にか変わっていた。
安陪さんの弟の岸さんが更迭されて浜田さんというハマコウの息子さんがなっているようだ・・・どうやら岸さんは緊急事態に耐えられるような健康状態ではなかったようだ。

今世の中は殺伐としていて「モノ言えば唇寂し」という状態である。
テレビ朝日の玉川というコメンテーターが謹慎処分に会い、自民党の何某という議員が安陪さんのことを「国賊」と言ったとかで除名の動きだそうだ。
太田というお笑い芸人が統一教会を擁護したとかで、家に卵をぶっつけられた・・・
彼の場合は悪ふざけが過ぎるので真意については分からないが・・・
世の中が戦争へと導かれるのはまずは言論弾圧である。
今の政権は「決断と実行」などと掛け声ばかりで実行しないのがもしかしたらよいのかもしれない。

昨日は数時間後にニュースの中でアラームを聞いたが、戦争中に流れた「空襲警報発令」と同じものを感じた。
日本という国は実はすごく危ないところにきていると思った。

それでも何でも今日の透析に行かなければ・・・それは現実。




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2022-10-04

学びの窓・青春残酷物語

お守り








先週の土曜日、我が母校甲府一高で「強行遠足」なるイベントが挙行されたことはすでに書いた。
ちょうどその夜、甥のタカオの車で山荘から30分ほどの所にあるイタリアンに夕食を食べに行った。
と、道すがら要所要所の十字路に誘導灯を持った人たちが待機していた。
どうやら、甲府一高の関係者らしく卒業生や保護者たちのようだった。
男子は午後2時に学校出発だそうで、私たちが車で通った時には先頭集団も来ていなかったようである。
後で聞いたところ道中の安全のために1000名も動員されたという。
保護者はともかくOB・OGにとっては愉しみな動員だそうだ。
さすが卒業して60年以上も経つと動員はかからないようだ。

甥のタカオとタカコサンに「強行遠足」のあらましを話し今風の高校生たちの様子を話した。
今の高校生たちは女子が男子に対して105キロの道中を無事に完走できるように手作りのお守りを渡すのだそうだ。
お守りの中にはバンドエイドと飴が入れてあるのだそうだ。
そのお守りには2種あって本命用と義理用と・・・
もらった男子は目的地でリンゴをもらえるそうで、それを女子にお返しとする。
更に女子はそのリンゴでアップルパイを焼き二人で食べる・・・なんとも甘酸っぱい青春ではないか・・・
と、タカコさんは
「お守りもらえなかった男子もいるはず・・・かわいそうだ」と。
これは私の高校時代ではない・・・そんな軟弱な男は友達にはいないと強く言った。
どうやらタカコサンはもらえない男子に私を重ねていたようだ。

昨日のネットを見ていたところ伊集院何某というタレントがこの話題を拾っていて、タカコサンと同じ感想を述べていた。
彼も私と同じようにお守りはもらえない部類の人のようだ。

青春残酷物語かも知れない。
でも、そのような軟弱な意味でなく生涯忘れがたい行事であった。



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2022-10-03

八ヶ岳南麓だより・オープン記念日

1990年10月2日









1990年に八ヶ岳の山荘をオープンした。
今から32年前のことになる。
奇しくもこの日孫のリョウが誕生した。
この日も朝から快晴で木の香漂うピカピカの家をお披露目した。
オープン記念として先輩、知友、親戚など50名ほどご招待した。
友人の銅版画家の「坂東壮一展」も開いた。
記念パーティーは近くのペンションを借り切って盛大に開いた。
タカコサンは炉の切ってある一室でお茶席も設けた。

当時の写真を見ると周りの樹々は細く家の邪魔をしてはいなかった。
しかし今は大樹に育ち、景観にはなっているが、台風やら、冬の八ヶ岳颪に古い枝が折れて時々屋根に悪戯をする。
また、家の周りの樹々たちもこんもりと茂って、夏の間は山荘が森に包まれている。
これからの季節は樹々の葉は散り、景色が一変する。
遠くは南アルプスの山々が枯れ木の間から見えるのだ。
小動物が木々の間を飛び交う姿も見られる。
景色を楽しむならこれからの季節が一番かもしれない。
家の入り口の唐松の大樹が黄金色に染まって吹く風に舞っていく様子は圧巻だ。

あれから32年、そろそろ山荘じまいの時が近づいているようだ。
パーティーに参加してくれた方々の大半は身罷ってしまった。
もし手放すようなことがあるとすれば、建物はそのまま使ってもらいたいというのが願望である。
昨日は近隣に住む柄沢齋さんにあった。
実は偶然我が山荘の近くに住んでいることが分かったのだ。
私の版画コレクションの大半は彼の作品である。
およそ80点近く所蔵しているが・・・それを散逸させないように手放す方法をご教示いただいた。

いずれにしろいろいろなことが切迫していることは確かなようだ。








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2022-10-02

八ヶ岳南麓だより・栗の音

山荘じまい





昨日に引き続き今日も快晴。
今年一番の日和だったと思う。
昨夜はちょうど眠りに入ろうとしたとき、栗が屋根に落ちる音を聞いた。
まず、ボトリと落ちて屋根を数秒転がっていく。
そのあとは地上に落ちるのだがその音は聞こえない。
なんとも風流で秋の深まりを感じさせる音である。
この音が5、6回続いたところで眠りに入ったようだった。
朝起きて庭先を見ると、たくさんイガが落ちていて栗の実が入っていた。
急遽、栗拾いをして笊いっぱい拾うことが出来た。
しかし、栗の実は例年に比べて小さかった。
土地の人によると、今年は生り物の出来が良く、コメも豊作だそうだ。
木の実もたくさん実った分粒は小さいようだ。

午前中はテラスに腰かけてボーッと過ごした。
心地よい微風が吹いて頬をなぶっていく。
至福の時であった。
山荘滞在は土曜日の午後から日曜日の3時までと決めている。
小淵沢発3時58分の特急に乗り八王子に着くのが5時半。
駅ビルでちょっと早い夕食をとって家に帰りつくのが6時半。
このローテーションを2週間置きに実行している。
透析のストレスの解消にはもってこいだ。
この生活は12月までにしてその先のことはまた考えることにする。

今回はショックなことがあった。
30年も付き合ってきた近くのパン屋さんが店じまいをしてしまった。
ご主人が病気になり7か月も入院したそうだ。
その間奥さんと息子さんで頑張ったそうだが、息子さんは跡を継ぐ意思がないとの事で閉店することに決めたのだそうだ。

我らもソロソロ山荘じまいを考える時が来ているようだ。









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2022-10-01

学びの窓・強行遠足

精神力









突き抜けるような空の碧さ・・・久しぶりの秋晴れである。
今日からいよいよ10月だが月日の経つ速さに驚くばかり。
朝起きて窓を開けるとお隣の家の金木犀の香りが漂ってきた。
どうやら花の盛りは過ぎたようでちょうどよい馥郁たる香りだ。

今日は母校、山梨県立甲府第一高等学校の強行遠足の日だそうだ。
母校の伝統行事でもうすぐ開始100年にも及ぶらしい。
私の頃はお昼過ぎに大太鼓の合図と共に甲州路から信濃路をひたすら歩き、自分の体力に合わせて24時間かけていけるところまで行く。
一応、ゴールは松本となっていたが甲府からおよそ120キロの距離だった。
私は意志薄弱で途中の岡谷でリタイヤしてしまったが、今も岡谷駅とその先の川岸に行く分岐点の光景を思い出す。
勿論、体力的には限界に来ていたがその先まで行った人たちは体力よりも精神力の強さではなかったかと思う。

友達で東京大学に進学した人たちはほとんどが松本のゴールまで達している。
私のように岡谷までなどという中途半端はその後の人生においても中途半端だったように思う。
それでも岡谷まで甲府から70キロほどはあったのだが・・・
家に帰って父親に「岡谷まで行った」というと、「お前の人生も岡谷までだな」とあきれたように言われた。
そして、父親の言葉通り岡谷までの人生となった。
時々、もし時間を戻せるならあの岡谷の分岐点まで戻してその先を歩んでみたい思うことがある。

でも、岡谷まででもそこそこ生きてそれほど悪い人生ではなかったように思う。

後輩たちは今は信濃路コースではなくて佐久路を歩くのだそうだ。
甲府から小諸まで約100キロだそうである。
好きな女子からお守りを渡されてそれを握りしめてひたすら歩く・・・それが今風だそうだ・・・青春だなぁ。
今日明日と快晴は続くようだが無事に目的を完遂することを祈る。



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