2022年 11月の過去ログ

2022-11-30

好奇高齢者のの現実・82歳の出発

今ある自分









いよいよ今日で82歳となった。
ここで今ある現実を書いておこうと思う。
まずは衣食住の衣については・・・
着る物はほとんど自分で選び、出かけるときは自分でコーディネートする。
しかし、コロナの影響でほとんど新しいものは買っていない。
下着類などをユニクロで買うくらいでらる。
ただ、洗濯はほとんどしない・・・タカコサンにお任せである。

食については・・・ほぼ三食自分でできる。
朝食はパンと紅茶と果物だけなので全く手がかからない。
昼食はほとんど自分でやり、タカコサンの分も作る。
夕食は透析のある日はタカコサンにやってもらうが・・・必ず納豆を食べる。
ない日は私が作るが、このところ味覚異常が起こっていて、何を作ってもおいしくない。
傾向としてはあっさりしたものが多く、以前は毎食のように食卓に載っていたお刺身類はほとんど食べなくなった。
昨夜は久しぶりにカレーが食べたくなって作ったが美味しくなかった。
味覚異常は塩味に過剰に反応しているようで苦さに近い。
幸い、甘味は普通に甘いと感じている。
致命的なのは旨味が分からなくなり、以前美味しかった記憶がことごとく裏切られている。

住について、日常的な様々な支払いや手続きがほとんどできなくなっている。
ただ、ATMでお金を下ろすことはできる。
一日おきの通院もタカコさんの手を煩わせることなく、自分で準備してでかけていく。
運動のようなことはほとんどしない、この頃散歩もしなくなった。
足元がおぼつかず歩く速度が遅くなってしまっているのだ。
外出の範囲は八王子駅周辺、橋本、高幡不動、町田ぐらいでコロナ以来新宿も東京も一人では行っていない。

頭の方は多少の物忘れはあるが、日日ブログを書いているので自分では衰えていないと。
健康については一日おきの透析のおかげで一日おきに元気である。
人との交わりはほとんどないが、昔からの友達は皆元気な様子である。

今の最大の愉しみはやはり読書でそれも昔読んだものを読み返している。
テレビは見るが、スポーツ観戦はしない・・・サッカーなど全く興味はない。
ただ、相撲観戦はする・・・先場所の高安は惜しかった。






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2022-11-29

かたくら通信・プレ誕生日

ビーフ・ステーキ









11時の予約でコロナの5回目の予防注射にタカコサンと行ってきた。
北野駅前にある商業施設の2階の一角で時間通りに注射を受けられれた。
せっかく2人で出かけてのだから、どこかでお昼を食べようということになった。
けれど、北野駅周辺にはお気に入りの店はない。
そこで京王線に乗っ手に聖蹟桜ヶ丘ある京王デパートの食堂街に行くことにした。
ここには寿司屋、つな八というてんぷらや、そして銀座に本店のあるM会館というステーキハウスもある。
実は今日は81歳最後の日で、プレ誕生日でもある。
一日早いけれど「誕生日ランチにしようか」とタカコサンが言ってくれた。
そこでチョイスしたのはステーキ・・・ステーキハウスはチョットお高いので隣にある同系列の食堂のステーキランチ。
タカコサンは値段はともかく、このところ私の味覚異常があることを知っているので、「ステーキはやめておいた方がいいんじゃない。きっと後で文句を言うわよ」といった。
それでも何でも折角の誕生日祝いなのでステーキを頼んだ。

仰せの通りやめておけばよかった・・・まずは肉が固くて嚙み切れない。
焼き方はレアを頼んだが・・・出来ないと言われウエルダン。
ソースは和風だそうでマスタードが添えてある醤油味。
半分食べただけで残してしまった。
文句は言わないと言ったけれどブツブツブツブツ・・・・・・
身から出た錆というか、後の祭りというか、残念無念。

誕生祝の仕切り直しなどない譯で81歳は悔い(食い)を残しながら終わっていく。
明日の誕生日は透析でグッタリして帰ってくるわけでお祝いなどという気分にはなれないのは分かっている。






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2022-11-28

友がき

転身









昨日のブログは何となく舌足らずで、骨董屋となった学友の波乱万丈は書ききれなかった。
彼女の名誉やプライバシーになるべく触れないように波乱万丈を書いておく。

そもそも東京学芸大学はその昔は師範から新制大学となった学校で教員養成大学であった。
私の入学したころの男子学生の気質は先生にデモなるかとか先生にシカなれないような、デモシカ学生が多かった。
特に一期校と呼ばれる旧帝大系の大学を落ちたものが多く何となく覇気がなかった。
しかし、女子は優秀な人材が多く、東京でいえば旧女学校が高校になった学校の出身者があまたいた。
地方出身者も優秀な女子学生が多かった。
しかし入学当初は東京出身者と地方出身者がそれぞれグループを作っていたようだ。
タカコサンは東京出身で旧ヤシオ高校で東京グループに入っていた。
昨日訪問してくれたHさんも東京の都立高校の出身で雰囲気では深窓のお嬢さんのようであった。
東京出身の人たちの特徴としてはそのほとんどが大学を卒業してから2〜3年でやめて結婚している。
タカコサンのように定年まで勤め上げた人はほとんどいない(タカコサンは私などと付き合い、結婚してしまったのでそんな憂き目にあってしまったのだ。)

Hさんは大学を卒業して2年間だけ東京都の小学校に勤め、それからすぐに結婚してお子さんを設けて順風満帆の生活をしていたが15年ほどしてご主人に先立たれてしまう。
それからが苦労の連続となり、主に塾を経営して子どもたちを教えて生計を立てた。
それは並大抵のことではないのだ・・・塾の場所を借り、それから生徒を集める。
塾の生徒などは気まぐれなどでよほど実績を上げないと続かない。
その苦労は並大抵な事ではなかったろうと推察される。
彼女はある時、今のご主人の店に立ち寄って古裂を買ったのだそうだ。
その折に、店の一角にちょうど塾を開くのによいような部屋があることを知り、貸してくれないかと頼むと快諾してくれた。
それがご縁で付き合いが始まりいつの間にか骨董屋を手伝うようになった。

彼女は塾はスッパリやめて今は骨董屋の古着部門を担当しているのだそうだ。
大学時代の彼女からは想像もつかないような転身でそれが実に生き生きとしているのだ。
店は月に一度だけ開けるだけで、あとは各地で開催される市に出店するのだそうだ。

今度一度、彼女の出店している店に尋ねてみたいものだ。




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2022-11-27

友がき・同級生

晩秋








今日は朝から調子が悪く外に出ていく気力がなかった。
居室の窓から外を眺めると、まさに晩秋
我が家の東側はちょうど多摩丘陵の境目に当たり、緑が連なっている。
と言っても今の時期は緑が黄葉して落ち葉となる寸前である。
丘陵の樹々はほとんど落葉樹であるが、この時期ならではの色どりを見せてくれる。
特に午後からは西日を受けて木々の葉が黄金色に輝いて見える。

このような日を小春日和というのだろうか、空は碧く晴れわたり、風もなくおだやかな日差しが窓から差し込んでくる。
ぬくぬくと陽だまりを楽しみ、しばし居眠りをしていた。
いよいよ、我が人生も晩秋を迎えているのではないかと思ったりした。
このところ、透析にもなれて平穏な日々を繰り返しているが、このままフェイドアウトしていくならばそれも悪くないなと思う。

ちょうど、お昼過ぎに大学時代の同級生がご主人と訪ねてきた。
彼女は今は埼玉県の西の方に住んでいて骨董の仕事をしているそうだ。
私と同級生ということはタカコサンも同じクラスということで、2時間ほどおしゃべりをして60年も前の学生時代を懐かしんだ。
思えば、我ら夫婦の歴史など平々凡々で大禍なく過ごしてきたと思った。
どうやら、彼女の来し方は波乱に満ちているように思った。

今、わが家では断捨離中でご夫妻にずっと昔に集めた蕎麦チョコやら大徳利などを持って行ってもらった。



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2022-11-26

健康生活・搔痒

不眠









昨夜は体中がかゆくて眠れなかった。
透析から帰り夕食をとって床に入ったのが9時ごろだった。
初めのうちはすねがかゆいだけで保湿クリーム塗って納まったが身体全体が温まるにつれて、ところ嫌わずかゆくなってきた。
原因は透析で必要以上の水分を抜いているので身体全体が渇き気味なのだ。
このところ、足の攣りはほとんどなくなったが搔痒責めだ。
痛いのもつらいけれど、かゆいのも搔痒地獄だ。
ともかくタカコサンに手伝ってもらい体中にクリーム塗りたくってようやっと治まったが、今度は眠れない。

仕方ないので処方してもらっている導眠剤を一錠飲んだがいろいろとこれから先のことを考えてしまって眠れない。
導眠どころではなく眼が冴えてしまった。
そこで、もう一錠、追加してしまった。
と、10分もしないうちにコトンと眠りに落ちた。
おそらく夜中の2時ごろだったと思う。
それから、朝までぐっすり…7時には目が覚めた。
しかし、寝ざめはよくない・・・何となく足がふらつくのだ。

今日は午前中に眼医者にいって、午後からは床屋に行く予定だった。
朝食を終えてもまだふらつきはおさまらなかった。
おそらく、導眠剤の後遺症に違いない(前にも一度同じようなことが起こった)
ふらついてもなんでも予約はこなさなければならない。
と、タカコサンが「眼医者さんまでは行ってあげられないけれど、北野の駅まで行ってあげる」と言った。
ちょうどコンビニで支払いがあるので北野のセブンイレブンにいくそうだ。

いよいよ私も付き添いがなければ行動が出来なくなったのか・・・少なからぬショックである。
でも、北野で電車に乗ってからシャンとなって、予定通りの行動は出来た。






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2022-11-25

季節だより風だより・炉開き

亥の子餅








このところ、山から下りてきたイノシシが大暴れしているニュースを聞く。
昨日は神奈川県の秦野の商業施設に出没して人を傷つけたそうだ。
市の職員が退治して目方が100キロもあったそうな…その始末はさばいて肉屋で売るとの事だが・・・何となく哀れな気もする。
晩秋の今頃は冬に向かって栄養を蓄えておかなければならないので里にも出てくるのかもしれない。

実はお茶の世界では11月のこの時期はイノシシと深い関係があるそうだ。
11月はいよいよ冬の設えとなって茶室の炉に炭が入る。
お茶の世界では11月は新年に当たり来年の4月まで釜でお湯を沸かして茶を点てる。
我が家でも昨日はお弟子さんが来て炉開きをやっていた。
外出から帰って玄関の戸を開けるとほのかな炭の香が漂ってきた。
いよいよわが家にも冬の到来である。

この炉開きの時に使うお菓子が「亥の子餅」というのだそうだ。
イノシシの子どものウリンボの形をしたお菓子をたべる。
その中身については特に決まりはないそうだが、普通の和菓子屋では作っていないので注文となるが・・・いちいち頼んで稽古のたびごとにとりに行くのも面倒なのでタカ子さんはネットで検索して名古屋の和菓子屋から取り寄せしているそうだ。
きっちりと数しか注文していないので私の分までは回ってこない。
我が家で取り寄せた亥の子餅の中にはクルミと干し柿が入っていたそうでお弟子さんたちには大変評判が良かったそうである。

ところで炉開きに何故亥の子餅なのか・・・
実はイノシシは火伏の神の使いで水を呼ぶ動物とされていて、炉が一冬安全である願いを込めているのだそうだ。
また、イノシシは多産であるのでそれにあやかり、子孫繁栄の願いを込めているのだそうである。

退治されるイノシシは哀れであるが、昔は結界があってイノシシの住む領分までは人は進出しないで共存していたに違いない。



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2022-11-24

なごみ食堂・ラーメン屋

新規開店









透析のない日は結構忙しい。
いろいろな事を2日分やらなければならないからだ。
今日は、まず10時半の予約で片倉駅前の歯科に行って、治療が終わったら電車で八王子みなみ野駅に行き、バスで北野駅まで行った。
処方箋の薬局が北野駅前にあるからだ。
それから、夕食と明日の食材を買うために京王ストアーに寄った。
帰りは荷物は多いし、適当なバスもないのでタクシーで帰ってきた。
買い物をする前にちょうどおなかが空いていたので北野駅の構内にある新規開店したラーメン屋に寄った。

このラーメン屋のある場所はすでに5代ぐらい店が変わっているのだ。
店の場所もさることながら、やはり味がいまいちだったのだろう。
その場所に店が定着してくれれば大変便利なのだが、客は正直で便利さよりも味で店を選ぶのだろう。
ちょうどひと月ばかり前に開店したのだが、開店の日は結構人が並んだりしていたが、今日はお昼前だというのに満席ではなかった。
店の売りは「鶏とカモ肉のスープ」だそうでそのほかにも「キンメダイのスープ」というのもあった。
私は鶏は苦手なので、少々お高かったがキンメダイをチョイスした。
店内は椅子席とカウンターで12人で満席だった。
厨房は夫婦二人で仕切っていて、店内は明るく清潔な印象を受けた。

さて、肝心のラーメンであるが、麺は固めに茹でてあって好みの固さだった。
そしてスープは・・・・どこがキンメダイなのか全くわかない。
魚介の生臭さはなかったけれど主張がない。
醤油たれだが、スープとあまりなじんでいない。
なんとなく尖った味がして私の好みではなかった。
想像だが、どうやらにわか仕立てのラーメン屋みたいだ。
夫婦でどこかで半年ほど修行しての開店。

よほど二人で味の研究をしてもっとコクのある味に仕立てないと客は一見さんばかりとなってしまうだろう。
今の味では来年の3月には閉店となってしまうに違いない。
ラーメン屋は普通の食堂と違って素人でも開店できるがその道は奥深い。

まぁ・・・素人がアドバイスするわけにもいかないしなぁ・・・


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2022-11-23

かたくら通信・雨脚

ブログ









目が覚めると屋根打つ音が聞こえるほどの雨脚だった。
久しぶりの本格的なお湿りである。
良くしたものであれだけ苦しめられていた、搔痒が止まっていた。
降る雨の湿気によって乾いた肌も潤ったということか。
こういう日は布団にくるまってぬくぬくとしていたいところだが・・・午後からの透析を考えると定時には起きなければならなかった。

昨日はどうしたわけかブログの文章の下書きだけしてブログ欄にスクロールすることを忘れてしまった。
本文を掲示したのが床にはいる直前で10時半を回っていたと思う。
幸い、生存確認の電話はかかってこなかった。
一日、絶好調というわけでもないが、夜は久方ぶりにDVDを見ることが出来た・

ところで最近みていたテレビ番組に林真理子が出ていた。
我よりも2周りほど年下だが、今や第一線で活躍している。
彼女は山梨の出身であるが、高校は日川高校で県内ではスポーツの強豪校として知られている。
彼女は山梨出身者としては樋口一葉と並び称せられるようになっている。
そんな彼女がテレビの中で毎週週刊誌に連載しているエッセーについて述べていた。
週一であっても、題材に何を書くのか苦慮しているそうだ・・・
文章の達人でさえ、週一でも苦心しているそうで、毎回面白い事ばかり書けない・・・出来不出来もあるというのだ。

このことを自分に引き付けて言う訳ではないがこの気持ちはよくわかる。
私の場合は毎日であるから・・・それでも何でもできるだけホッコリするような話題を届けようと努力はしているのだが・・・






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2022-11-22

かたくら通信・DVD

電器屋








午前中、久々にDVDを見ようと思って操作したがウンでもスンでもない。
ボックスの中に入っているDVDが何かにひっかかって出てこないのだ。
あれこれ試してみたがお手上げである。
実は長い間見ていないので操作を忘れてしまっていたのかもしれない。

このところ、毎日開いているパソコンすらも「どうしたのだっけ」と手を止めてしまうこともしばしばある。
老いによる物忘れがいよいよ本格的となってきたようだ。
先日も八王子みなみ野にある家電量販店に行ったところ、携帯の取り換えを勧められた。
今はガラケーを使っているのだが、タカコサンへの伝言メールと電話だけで事足りているので誘惑には乗らなかった。
この上、新しい機械の操作など無理であることが分かっている。

ガラケーのほかにタブレットを持っていて、それで透析の間、音楽を聴いたりドラマを見たりしているのだが使いこなせていないようだ。
そこで透析の時、ただ一人親しくなったNさんに教示を受けている。
もともと、彼がタブレットが便利であることを教えてくれたのだ。
勿論、透析中に教えてもらうわけにはいかないので、家に押しかけて教示を受けている。
彼は透析を受ける前にパソコン教室を開いていたという・・・
すでに、3度ほどお宅に伺ったが、その上達の進歩は遅い。
分かったことは例えば・・・用語を理解するのに時間がかかるのだ。
ON・OFFですべてが解決してきた世代には今の世の中は理解しなければならないことが多すぎて過酷である。

結局、DVDの復帰には電器屋さんの力を借りるしかなった。
どうやら配線にミスがあったようで、モノの3分で直してくれた。
わざわざ、町田の鶴川から1時間かけてきてくれて、仕事は3分。
本当に申し分けないことだ。
おかげで久しぶりにDVDを鑑賞することが出来た。

3分はあまりに申し訳ないので、タカコサンが換気扇フィルターと洗濯機用洗剤を注文した。

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2022-11-21

季節だより風だより。時雨舞う

冬備え






朝から、どんよりと曇って時折、何かを思い出したように時雨が舞ってくる。
こういう日に出かけるのは本当に億劫だ。
それでもなんでも、出かけなければならないのでつらい。
布団にぬくぬくと入って好きな本でも読みたいところである。
けれど定番で朝の薬をのまなければならないので、しぶしぶと起きていく。
時折、このまま目が覚めないでいたいと思うことがあるが、それはままならぬ。

今日はタカコサンはお昼から友達の個展に渋谷ま出かけるのだそうだ・・・
「八王子までなら付き合ってあげるよ」と言われた。
元気なら濡れ落ち葉のように、べったりとくっついていくとこらだが・・・私には楽しい透析が待っている。
このところ、考え方をかえて透析によって生きながらえる事を楽しい事だと思うようにしている。
まずは左の腕は拘束されるがテレビもタブレットも見る事が出来る。、今は大好きな相撲も見ることが出来る。
4時間我慢すれば次の日はお休みで日曜日の感覚である。
この頃気持ちの持ちようで充実した生活ができるようになると分かってきた
このところずっと休んでいる「陶芸」を再開する気力も出てきた

あと10日で、いよいよ82歳に突入する。
気持ちを新たにして82歳を迎えたいものだ、















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2022-11-20

季節だより風だより・時雨の日

冬近し








「今日は時雨の日なり。ハラハラと降りしと思えば止み、また、思い出でたるように降りいず。
宿の女らいくたびか干し物のだしいれに惑う。自然も冬に入らんとす。心騒がしきに在らん。」

徳富蘆花の「自然と人生」の冒頭の一節である。
この文章に出会ったのは中学生の時である。今から70年も前になろうか・・・
国語の教科書に出ていて、これを暗唱させられたのだ。
そのおかげで今もスラスラと口をついて出る。
このことについてはすでに何度か我がブログで書いているが、暗唱させたのは伊東武雄先生で3年間担任していただいた。
このところ物忘れがひどくなりいろいろなことを忘れてしまっているが、この中学生の時に出会った文章は忘れずに、時雨が降り始めると思い出す。

今日は午前中は薄日もさしていたがお昼あたりから目に見えぬほどの雨が降ったりやんだりを繰り返している。
まさに「時雨の日」である・・・
先日山頭火の「うしろすがたの時雨ていくか」について書いたが、芭蕉の句に「初時雨猿も小蓑をほしげなり」がある。
なんとも寒々とした光景が目に浮かんでくる。

これまた何十年も前のことになるが、三浦浩一という歌手がいた。
確か三浦半島のお寺の出身と聞いたことがあるが、いつもキチンとマイク前に立ち端正な歌い方をした。
代表曲に「伊豆の踊子」を題材にした「踊子」という歌があり、この歌を歌いながら高校2年の時友人5人で伊豆の無銭旅行をした思い出がある。
それはさておき、この三浦浩一に時雨を歌った曲がある。
題名は思い出せないのだが「旅の落ち葉が時雨に濡れて流れ果てないギターひき・・・」で始まる。
ギター弾きなどという職業があったのかどうか分からないが今から60年数年も前の流行歌にはしばしば出てきた。

今日は一日何もする気が起こらず、ぼんやりと自室の窓から降ったり止んだりを眺めている。



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2022-11-19

ともがき・喪中はがき

優しさ









11月も半ばすぎてポツリポツリと喪中はがきが届き始めた。
特に、同年ぐらいの人の訃報はつらい。
昨日は小学校5・6年と中学3年間同じクラスだったN君の知らせが届いた。
家が割合近かったので行き来したものだ。
高校も一緒だったが、行き来は間遠となった。
彼は中央大学を卒業してからは地元の銀行に勤めて、堅実な道を歩んでいたようだ。
そして今年の5月に旅立って逝ったようである。

4日ほど前にはやはり同年ぐらいの人で、関西に住む人Sさんの奥様からの訃報が届いた。
彼は関西に本社を持つ出版社の編集長だった。
温厚篤実の人柄で何時あってもその態度は変わらなかった。
付き合いは5年ほどだったが、絵物語を一冊だすことができた。
その後東京から大阪本社に帰り賀状のやり取り位となってしまったが、定年を前にして退職したようだ。

今年の1月に亡くなったそうだが、その奥様からの喪中はがきが素敵だった。
型通りの文章の中に、彼の人柄を表す文がハサミこまれていた。
「主人は私に人のやさしさについておしえてくれました。私に取ってかけがえのない師であり伴侶でした」
人のやさしさについてどのように教示したのか分からないが彼の人柄が偲ばれる一文だ。

私なんぞは・・・タカコサンに迷惑ばかりかけているのでとてもとても・・・
今からでも遅くないので優しさを身に着けるように努力するか・・・










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2022-11-18

山頭火

旭川ラーメン









お昼にラーメンが食べたくなって、具材をかいにいった。
このところ佐野ラーメンというのが気に入っているが、チャーシュー、シナチクなどはついていないので別に買った。
これは全く偶然であるが・・・手に取ったチャーシューの名前が山頭火であった。
確かどこかで、「山頭火」という名前のラーメン店があることを思い出した。
家に帰ってネットで調べてみると、旭川を拠点にしたラーメンのチエーン店があることが分かった。
結構評判の店らしく東京にも何店かあるようだ。

種田山頭火とその店とどのような関係があるのか。
店の創業は1988年だそうで、山頭火が放浪の俳人であっても旭川に足跡を残しているかどうか・・・
この店の創業者は素人から初めたそうである。
名前を付ける時、兄に相談しところ、
「お前は酒好きで、女好きで放浪癖があるから、山頭火という名を付けたらどうか」と言われたそうである。
今や、種田山頭火の名前よりも、ラーメン店の方が有名でお取り寄せもできるようである。
旭川まで行くことはできないので一度お取り寄せしてみたいものだ。

ところで、山頭火という名前の由来であるが・・・山頭火は火葬場という意と高い火の山という意味があるそうだ。。
山頭火はひねくれモノでわざと、火葬場などという名前を付けたのかもしれない。
また、子供の時に、母親が井戸で投身自殺をして・・・そのことが山頭火の人格形成に大きくかかわっていることは否めない。

いずれににしろ山頭火は吉兆の名前ではなさそうだが、それをあえて店名にして商売繁盛に結びつけるなどしたたかではないか・・・








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2022-11-17

季節だより風だより・時雨

種田山頭火








この数日晴天が続いているが、これから初冬にかけて時雨の季節となる。
絹糸のような雨が降ったと思えばやみ、思い出したようにまた降る。
そして、いつの間にか木枯らしの吹く季節となっていく。
この季になると口ずさむのは種田山頭火の句
「うしろすがたのしぐれていくか」である。
自由律の俳句で彼の代表作でもある。
なんともいえぬ寂寥感が漂い、独り行乞の旅の姿が思い浮かぶ。
この後ろ姿は自分自身の歩いている姿を想像している。
最後の「か」という助詞がそれを表している。
この句は昭和6年12月31日日記に記されていたという。
彼は僧籍を受けているが放浪して喜捨された金はほとんど酒に回ったという。

山頭火は山口県防府市の造り酒屋に生まれ、早稲田大学を卒業するが彼の代で酒屋は破綻し妻子とも離縁してしまう。
そしてその生涯の後半はひとり行乞の旅に明け暮れる。
その間に自由律の句作をものにしその数は1万余と言われている。
彼の師は荻原井泉水で彼の主催する自由律の句誌「層雲」に投句する。

私が山頭火を知ったのは40年ほど前で永六輔の紹介による。
彼がナレータをしていたテレビ番組で「遠くに行きたい」だったと思う。
その時紹介したのは山頭火のもう一つの代表作、
「分け入っても分け入っても青い山」だった。
自由律の俳句というものがあることを知ったのもこの時だった。
まだ今ほど山頭火が人口に膾炙されていなかったが、関連の図書を読み漁った。
そして同じ時期に尾崎放哉の「咳をしてもひとり」という句も知った。

尾崎は東大を卒業し保険会社に勤め三度も転職するが、うまくいかず酒におぼれて妻から離縁され小豆島で一人その生涯を閉じる。
彼も山頭火と同じく荻原井泉水の門下で、生涯句作を続けていた。
放哉は大正時代に句作し山頭火は昭和で、今は昭和の芭蕉とも称され句碑が全国各地にあるという。






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2022-11-16

かたくら通信・歩く

タクシー








昨日は八王子みなみ野にあるN電器という家電量販店に行ってきた。
この店は自社の社員のみが店に出ていて商品の知識は豊富で客の対応が良い。
私は、一応この店の会員になっていて時々携帯に大売り出しなどの宣伝が入ってくる。
今回は、私の誕生日が間近なので何かお買い上げになればプレゼントをくれるというのだ。
プレゼントと言われれば行かずばなるまい・・・
そこで、ミキサーが壊れてしまったので買いに行くことにした。

ちょうどおひとり様用の手軽な値段のモノがあってゲット・・・支払いの段となり、誕生日プレゼントを期待した。
商品と共に渡された物は買い物用の中途半端な袋だった・・・まぁ、ただでくれるものなんてそんなものだろうと思ったがチョットがっかり。
ミキサーは片手で持つには結構の重さがありどうしようかと思ったが、ついでに併設しているスーパーで夜の食事の買い物をしてタクシーで帰ることにした。
買い物の量はちょうどミキサーと同じぐらいの重さで両手にぶら下げるとバランスはよかった。

タクシー乗り場に向かいタクシーをまったが、平日の3時ごろなどという時間帯には一台も止まっていず待つこと20分。
と、そこに同じく荷物をぶら下げたご婦人がやってきて二人でぶつぶつ文句を言いながらさらに10分ほど待った。
全く来る気配がないので家まで20分ほど歩かなければならないバスに乗ることにした。
タクシーの権利はご婦人に譲ってバス停に回った・・・ちょうどバスが来たので乗り込むと、タクシー乗り場に一台やってきてご婦人が乘ってバスより早く去って行った。
あそこでもう少し我慢すれば・・・とほぞをかんだが、後の祭り。

バスを降りて、てくてくと重い荷物をぶら下げて20分歩いたが・・・まぁ良い運動になった。
家までの道の両側は街路樹が植わっていて黄葉が始まっていて、時折、ハラハラと落ち葉が舞い散る・・・秋の深さを思わせてくれた。
家に帰ってタカコサンに話すと「順番を譲ってあげてよかったし、散歩のつもりで歩いたと思えば、今夜はぐっすり寝られるわよ」と言われた。

でもなぁーあそこでもう少し我慢すれば楽が出来たのに・・・人生なんてそんなものかもしれないなぁ・・・・



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2022-11-15

八ヶ岳南麓だより・柿の実

忘れもの








山荘の柿の木は東京の西多摩から運んで植えたものだ。
教え子の植木屋のK君に頼んでおいたものが15年ほど前にようやっと見つかった。
柿の種類は甘がきで、小田急線沿線の柿生の王禅寺に由来する柿だ。
ちょうどピンポン玉より一回りぐらいの大きさで齧ると、中に「ごま」という模様が入っていてスコブル付きで甘い。
移植した時には実がなったままだったのでモイで味わうことが出来た。
それから毎年なるかと思いきや、葉ばかり茂って実をつける気配はなかった。
桃栗3年柿8年というので木が土地になじむのに時間がかかるだろうと思った。
それから5年ほどたって一度だけ30個ほどなった。
そして今年、待望の実がこずえの方になっていた。
もしかすると毎年なっていたのかも知れない。
時期が合わずただ気が付かなかったのかもしれない。
ともかく、何としてもゲットしたいと・・・即製の柿もぎ器を作った。
竹竿の先を割って割れ目に木を挟んでその割れ目を柿の枝にはさんでもぎ取る。
子どもの時にやっていた方法だ。
20個ほどもいだら首が疲れてしまったので残りは小鳥達のために取っておくことにした。
柿の実は大当たりで渋みは全くなかった。
甘さも程よくその場で何個か齧ってしまった。

大喜びで戸締りをしてタクシーの迎えを待った。
時間通り3時15分には迎えに来てくれて・・・予定の列車に乗ることが出来た。
と、柿もぎに夢中になってシルバーパスとパスモを置いてきてしまったことに気が付いた。
次回山荘に行くのは来月初めである。
シルバーパスがないとクリニックに通うのにすこぶる不便である・・・

昨日はタカコサンに同行してもらって八王子駅前まで再発行申請に行ってきた。
1週間後に取りに行くことになった。





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2022-11-14

八ヶ岳南麓だより・秋の贈り物

山荘生活









山荘の庭先には二本楓がある。
どうやら種類が違うらしく、1本はすでに散って緋色の落ち葉となっていた。
もう一本はちょうど今が盛りで見事に紅葉していた。
朝起きて庭に出てじっくりと眺めた。
朝日を受けて紅葉の色が微妙に変化する・・・同じ枝でも場所を変え角度を変えると違う色に見えてくる。
31年以上も山荘に通っているがこのようにドンピシャリと紅葉を見ることが出来たのは初めてある。
紅葉のバックには竹林があり竹の葉の緑と紅葉の緋色とがよく合う。
庭先はすでに落葉樹の落ち葉で埋め尽くされていて歩くとふかふかする・・・来年はこの落ち葉が土となって新しい生命が宿るに違いない。

山荘には透析の関係で一泊二日しか滞在できない。
八王子で10時31分の特急に乗り、小淵沢に11時52分に着く。
そこで4分ほどの間隔で小海線が待っていて小淵沢から一つ目の甲斐小泉の駅に降り立つ。
そこで、三分一の湧水のそばにある蕎麦やで昼食をとり、ついでに売店で夕食の買い物をする。
それから翌日の3時までが自由な時間となる・・・特に翌日のお昼から3時までの時間がゆったりと出来る。
3時15分にタクシーを予約していて3時58分の特急で帰ってくる。
82歳と78歳のジジババにはちょうど良い行程であるようだ。
今回は思わぬハプニングがあった、
庭先の柿の木に柿の実が30個ほどなっているではないか・・・
木を植えて15年以上たつがその間に実を付けたのは一度だけだった。
全ての葉が落葉して実がなっているのが分かったのだ。





 











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2022-11-13

八ヶ岳南麓だより・講演会

難行苦行









昨日はO先生の2周忌の記念講演会に甲府まで行っていた。
しかし、予定した列車が人身事故のため1時間ほど遅れた。
チョット嫌な予感がしたけれど会の定刻には間に合うことが出来た。
参加者には見知った顔が沢山いるはずなのにマスクをしているために5・6人しか分からなかった。

会の始まりは、まず主催者からの挨拶がありキリスト教なので礼拝があり牧師さんからの説教もあった。
故人のエピソードを交えてなかなかいいお話であった。
続いてO先生の奥様の故人との思い出が語られ心温まるものがあった。

そしていよいよ本日の講演会・・・お話してくださったのはYMCA関係の長のつく人であった。
御年95歳というのだが・・・言語不明瞭でお話の内容も日本におけるYMCAの歴史のようなことを話していた。
私としてはO先生についてのお話が聞けると思ったのに全く当てが外れて、今更82歳が聞いても興味もない内容で唯々退屈であった。

言語が明瞭ならまだしもぼそぼそ話の1時間半は難行苦行だった。
室内は居眠りに適するような温度・環境ではなく耐えるしかなかった。
終わった時にやっと解放されたと思った。
残念ながら旅費を使って、会費を払って聞くような講演会ではなかった。






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2022-11-12

友が記・偲ぶ会

お別れ









今日はこれから甲府に行ってくる。
高校の時の大先輩で、山梨県のYMCA活動の礎を作ったO先生を偲ぶ会だ。
一昨年亡くなって、去年はコロナなどの影響でごく内輪の会となったので今回は多くの人が集うようである。
私は小学生の頃からO先生のことは知っていて、一方ならぬお世話になった。
人柄は温厚でいつもニコニコと皆を受け入れてくれた。
高校生の時にはハイスクールYMCAの中心的な存在で高校生たちを精力的にけん引してくれた。
しかし、時代の流れとともにハイスクール・YMCAの活動は衰退し、今は消滅してしまった。
当時の仲間で一番若い人が72歳ぐらいだと思う。
実は今回が当時の仲間と会える最後の機会となりそうである。
私は生存している中では大先輩となってしまっているようだ。
往時をしのびながら交友を暖め、別れを告げてこようと思っている。




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2022-11-11

好奇高齢者の異見・認知症

ボケ対策









20年ほど前に自治会の役員をして親しくなったSさんをほとんど見なくなった
Sさんのお宅はバス停の道すがらにあって、会えばため口をききあった。
Sさんは私より1歳上の姉さんで気さくな人柄だった。
ご主人を早くなくしお嬢さんとお孫さんと住んでいた。
先日お嬢さんと会ったら昨年の暮れあたりから認知症が始まり、外に出なくなってしまったのだそうだ。
家にいても初めの頃は娘さんと言い合いが絶えなかったそうだがお孫さんが結婚して家を出てからは気力が失せたのか一日黙りこくっているのだそうだ。
幸い、デーサービスに週に5日行くようになり、多少明るさを取り戻したとの事。
その間に買い物などに行けるので助かっていると言っていた。
実の親子でも本能むき出しとなり、本気の喧嘩になってしまうそうだ。
実の親子だからこそ鬱屈した本音が出てしまうのかもしれない。

ところで、わが家はタカコサンにはその兆候は全くないが、逸夫さんの方が危ない。
昨日はタカコサンはお出かけでイツオさんは処方箋薬局へ・・・
そこでイツオさんは気を利かして駅前でパンを買ってくることをメールで打とうとした。
イツオさんの携帯はガラケイである。
スマホに取り替えるチャンスは何度かあったが、新しい事を覚えるのも億劫なのでそのママ使っている。
使っていると言っても・・・ほぼ電話機能だけである。

久しぶりのメール内にパンと打つのにパの半濁音の〇をどのように打つかわかなくなってしまった。
深呼吸をして気持ちを落ち着けて画面を確認してようやっと「パンを駅前のルパで買います」とだけ打った。

実はこのようなことが頻繁に起こっている。
パソコンを打っているときに操作を忘れてしまうとか・・・
日々書いている文章も変換間違いが多いようだ・・・
タカコサンはボケ防止の対策に、時間があると数毒をやっているが、私は数字苦手なので心が動かない。

毎日ブログを書くことがボケ対策なのだが、変換間違いが多くなっていることは・・・その対策を考えねばなるまい。





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2022-11-10

季節だより風だより・秋色

冬備え








このところ、透析の後の体力の回復が遅くなっているような気がする。
いつもなら7時になると目が覚めるのに今朝は起き上がることが出来なかった。
寒くなってきたせいもあるのだろうが、身体が重だるいのだ。
しばらくウトウトして床を抜け出して窓を開けると朝日を受けて外はすっかりと秋色に染まっていた。
周りの樹々が黄葉し始め、眼の下の茶室の前の楓が赤く染まり始めていた。
茶室と言えば11月からいよいよ冬の設え(しつらえ)となり畳が替えられ今週の稽古から炉の点前となった。
昨日は透析から帰ってくると玄関に炭の香りが漂っていた。
時はいよいよ晩秋、冬に備えて体力を備えなければらない。

透析は全てのことに先んじての優先事項なので風邪などひいてはいられない。
治療が始まってから3年を経たが大体身体のコントロールはできるようになってきた。
が、やはり3年は歳をとった訳で、それだけ回復には時間がかかるのかもしれない。

午後からは、昨日出された処方箋をもって北野の薬局まで行ってきた。
行き「はちバス」に乗ったが、帰りはブラブラと歩きながら帰ってきた。
薄曇りの空だったが暑くもなく寒くもなく散歩には快適だった。
八王子バイパスの側道には吹き溜まりに落ち葉が積もっていて冬の気配が感じられる。
これから時雨が何度か降りいよいよ冬に入っていくのだ。

だるいなどと言ってはいられないシャンとしなければ・・・

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2022-11-09

透析日記・良き事

ポジティブに・・・










「今日の日曜美術館は何をやるの」とタカコサンに聞いた。
「何言ってるの今日は火曜日よ・・・日曜美術館などあるわけ\無いじゃない」
どうやら透析休みのことを日曜日と錯覚したようだ。
実は今までにもそのようなことが多々あった。
火木土日の中で特に火・木を日曜日と思い込んでいるようだ。
透析を始めて起きた錯覚・・・である。
透析もつらい事ばかりではなさそうだ。
1週間に3日も日曜日があると思えばそれも楽し。

また、雨が降ろうが、やりが降ろうが「きょういく」「きょうよう」は確保されている。
1日おきではあるが行くところと、そこでするべきことは確保されている。
多少の緊張も強いられるということである。
痛覚を刺激されるということも生きている証である。
また、看護師や技師と毎日代わった顔に会える。
中にはお気に入りの人もいてその人に当たったりすると嬉しい。
毎日ドキドキしながら「今日はだれが穿針か・・・」毎回賭けをしているようなものである。
看護師や技師はたいてい20〜30代のひとたちで溌剌としている。
上手な看護師や技師に穿針をうってもらうと快適である、

どうしても透析のマイナスの言葉を今まで言ってきたけれど良き事だってあるのだ。
最大の事は・・・命が助かったことかもしれない。
毎回医者の診察があって体調についてダイレクトに相談できる。
また月2回の血液検査で体の状態もわかる。
レントゲン検査も必ず月一回あって心臓の大きさがわかる。
こんなとが繰り返されていると90歳も夢ではないような気がする。

そして家ではタカコサンが優しくなり、いたわってくれる・・・
透析生活も決して悪くはないぞ・・・

でもこれか先はまだまだ長い、なるべく自分でできることはするように心がけるつもりである、




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2022-11-08

季節だより風だより・秋の風鈴

飯田蛇笏









昼食を済ませて身繕いをして」「嫌だなぁ」と思いつつ家をでた。
クリニックに向かうバス停に行くためだ。
月水金と決まったように同じコースを出かけていく。
道々に季節の花が咲いていた。ささくれだった気持ちを慰めてくれる。
今の時期は花が少なく、目立つのはピンクのぼんぼんのような千日草だ。
しかし、街路樹の紅葉が始まって秋の深さを思わせてくれる。
八王子は西八王子の甲州街道の銀杏並木が有名である。
いちょう祭りを開催したりして結構盛り上がるらしい

それはさておき昨日は薄曇りの下でバス道を急いでいた。
とどこからか風鈴の音が聞こえてくるではないか・・・
チョットわびし気で頼りない音だが音色は澄んでいる・
音のする方を目で探すとあるお宅の庭木の枝に鉄製の風鈴がかけてあった。
意図してかけているのか取り忘れているのかは分からないが風流。
そのかぼそい(音)聞きながら、郷土の大先逹で母校の先輩でもある飯田蛇笏の一句を思い出した。
       くろがねの秋の風鈴なりにけり

飯田は甲府中学を卒業後、早稲田大学に進学して高浜虚子の薫陶を受ける。
大学は中退し故郷の山梨県境川村に住み苦心の指導をする
「くろがねの」は彼の代表作の一つで、なんともいえぬ寂寥感が伝わってくる。
私の大好きな一句である
世は今チョットした俳句ブームのようだがやはり名句、孤高の一句だと思う。

透析の期間中その音が思い出された。

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2022-11-07

友がき・50歳記念写真

物故者









Fさんの逝去をきっかけにしてO君から1991年に開かれた50歳記念のクラス会の写真が送られてきた。
添えてある文章に、写真を見て何人判るだろうかと、問うていた。
そんなの全員判るに決まっていると思ったが・・・
男子は20名映っていて、そのうち5名は判らなかった。
女子は14名写っていて、判らない人が4名いた。
50歳と言えば皆働き盛りでいい顔をしていた。

その写真に写っていた範囲での現在の物故者は男子は9名で、女子は1名だ。
クラスは50名近くいたはずなので物故者はもっと多いのだろうが、やはり男子の方が多いのは平均寿命通りである。
女子については写っている範囲ではFさんだけであったが・・・
大体、クラスメートの3分の1はあちらに旅立っているようだ。

写真を眺めながらいろいろなことが思い返されたがそれぞれが充実した人生を送っていたのではないか思われた。
写真には写っていないが世俗的には超有名となった坂本孝君(ブック・オフの創始者)も我がクラスで確か昨年亡くなっていたように思う。

現時点で我らは81歳と82歳で辰年生まれと巳年うまれである。
来年の3月末には皆82歳となるわけだが、残された人生をどのように過ごすのか興味のあるところである。

出来れば、元気なうちにもう一度会いたいものである。






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2022-11-06

忘れえぬ人・付属中学

人格形成









昨夜は早々に布団に入って寝てしまおうと思ったがなかなか寝付かれず何度も寝返りをうち結局眠りに入ったのが4時を回っていた。
朝「昨夜は寝られなかった」とタカコサンに言うと、
「Fさんのことでいろいろ思い出したんじゃない」と言い当てられた。
特に彼女と特別な関係があったわけではないが、中学の3年間のことが思い出されたのだ。

私の通っていた中学は山梨大学の付属中学で試験を受けて入学した。
それなりにレベルは高く優秀な人たちが集まっていた。
私は市立小学校から受験して入学したのだが付属小学校から上がってきた人たちに優秀な人が多かった。
付属中学に通いながら思ったことはいくら努力しても絶対に追い付けない人が世の中にはいるということだった。
80歳も過ぎて思えばどうということもないのだが、当時はそれはコンプレックスとなっていった。
特に市立小学校ではそれなりのポジションにいたものがいくら頑張ってもクラスの中間どまりで、親からも「勉強しろ」と言われ続けた。

12歳から15歳の時期にある種のあきらめのような気持ちが芽生えたがそれでも何とか人に認めてもらいたいと思い、クラスのおどけ者となった。
「このおどけは俺の仮の姿」などといつも思っていた。
するとある時「ヨダ君もっと楽になりなよ」とFさんに言われてしまった。
彼女は私のおどけを痛々しく思っていたらしくちゃんと見透かしていたのだ。
それから、仮の姿ではなく私そのものがおどけ者であることに気が付いた。
以来、気が楽になり人にどのように思われようとも自分自身の振る舞いをすればいいのだと思うようになった。

中学の3年間は私にとっては必ずしもいい思い出はなかったけれど自分の人格が形成されていくうえで大切な時期だったと思う。
「もっと楽になりなよ」と言ってくれたFさんには感謝である。
そして、それ以来、頭が上がらなくなったのだ。






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2022-11-05

忘れえぬ人・中学同級生

訃報









朝、メールを開くと中学からの友達O君からの伝言が入っていた。
冒頭に「ブルが死んだ」とあった。
ブルとは同じく中学の時の同級生で3年間同じクラスで女性ながらクラスに君臨していた。
卒業してからも彼女は絶対君主みたいなもので命令には従っていた。
お互いに忙しくなってずっと疎遠になっていたが、10年ほど前に同級生で集まる機会があってその関係は復活した。
当時彼女は大阪の方に拠点を置く宗教がらみの治療法の指導者となっていた。
私を見るなり、その不健康を言い当てて治療に来るように言われた。
彼女が住んでいるのは埼玉県のW市で自宅で何人かの治療をしていたようだ。
私もその患者の一人に加えられて、3年ほど治療に通った。
彼女の治療は温熱を施すものでそれなりの効果はあったようだ。
その間に大阪の本部にも連れていかれて、子供の本の講演をさせられた。
それから私の健康が別段階にステップアップしてしまい、今の透析治療となって彼女との関係も間遠となってしまった。

O君のメールによると皮膚の病巣による死だそうで、自分で治療をしながらの療養だったが入退院を繰り返し今年の6月に身罷ったそうだ。
彼女との付き合いから考えると絶対に私よりも長生きしそうであったのに残念無念である。
今日は朝から出かける予定だったが、どうしても気分が晴れず、一応目的地に行ったけれどすぐに帰ってきてしまった。
なんともやるせない気持ちであるが・・・ご冥福を祈る。

これからこのような報がふえていくのだろう・・・














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2022-11-04

かたくら通信・特異日

お久しぶり








昨日は一年のうち雨の降る確率の少ない特異日だそうである。
確かに朝から良く晴れて気持ちが良い。
しかし、午前中は昨日の透析のダメージがあって、外に出かけていくような元気はなかった。
午後からは冷蔵庫がほぼ空っぽになっているので買い物にでかけることにした。
しかし、財布の方もからっぽなので郵便局で、お金をおろしていくことにした。
しかし、郵便局は祭日のために固くドアを閉めていた。
仕方がないので予備のへそくりを出し最小限に抑えて買い物をした。
諸式値上がりを実感した・・・ひと月前には5000円で抑えられていたものが有に7000円をオーバーしている。

買い物途中で20年前ほどに自治会の役員を一緒にやったOさんに会った。
実に5年振りである・・・同年の82歳だが元気そうだった。
しかし聞けばつい最近まで腰の手術のために5か月ほど入院していたという・・・
私のように一生だましだまし病気と折あって行かなければならないものもいれば、5か月入院しても退院すれば元気になれる人もいる。
Oさんの情報によると一緒の仲間だったSさんは完全に認知の世界に入ってしまったようである。
周りの家族には迷惑かけるようだがどうやら自分の独自の世界を生きているようだ。

何をもってよしとするかは分からない・・・いずれは何らかの形で通らなければならなに道のようだ、

慰めあったのかはげ余しあったの分からないが右と左に分かれて行った。





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2022-11-03

なごみ食堂・さんま定食

釧路のさんま








一昨日、処々の用事があってタカコサンと八王子に出かけた。
普段ならほぼタカコサンで用事がすむのだが、本人確認が必要とかで同行した。
ちょうどお昼時だったので、駅前のビルの9階で食事をした。
ここには大戸屋という割合リーズナブルな食堂が入っていて気に入っている。
大体いつも頼むのは鯖定食で焼いた鯖にお浸し、みそ汁がついて1000円以内で納まる。
しかし、今回は「新さんま」入荷の張り紙がしてあって食欲をそそられた。
それでも鯖定食の魅力も捨てがたく迷っていると、チューモンを取りに来たお姉さんに、
「釧路から入荷したばかりのさんまです。美味しいですよ。」と強く勧められてしまった。
ならばと、2尾も注文してしまった。
タカコサンは焼き魚は苦手とかで鶏肉の甘酢あんかけを注文。

やがて、サンマが2尾運ばれてきたが、なんとも身が細く貧弱である。
そう言えば秋の初めの頃生協で買ってきて焼いたが同じように貧弱だった。
近年、サンマは不漁なのだろうか・・・かってのさんまはもっと身がぷりぷりしていて脂ものっていたように思うのだが・・・
残念ながらお姉さんが勧めてくれたほどおいしくなかった。
口の中に塩味と苦みだけが残ってしまったとタカコサンに言うと・・・すかさず「さんま苦いかショッパイか」といった。
どこかで聞いたことあのあるフレーズである。
それ以上会話は続かなかったけれど、気になって家に帰って調べてみると、佐藤春夫の「さんまの歌」の一節だ。

タカコサンはこの詩を覚えていて言ったのかどうか分からないが、これは失恋の歌だ。
佐藤が谷崎の妻に恋をして歌った歌だという。
結局この恋は実るのだが、読んでいくと哀切である。
文豪たちのやることは堂々としていて奔放だ。


やはりさんまは釧路ではなく目黒に限るのだろうな・・・








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2022-11-02

かたくら通信・新聞代滞納

引き落とし







先週の水曜日毎日新聞の集金がやってきた。
我が家では結婚以来毎日新聞を取り続けている。
その支払いの方法は銀行引き落としで毎月落ちているはずだった。
このところ新手の詐欺が流行っているのでその一つかとも思った。
集金人は2度ほど訪ねてきたそうである。
通帳を見ると確かに最近新聞代が落ちてない。
ひとまとめに記帳されている箇所もあり、いつから引き落とされていないのか分からない。
そこで、銀行に行ってひとまとめの所の明細を知ることにした。
昨日はタカコサンに同行してもらって銀行まで行ってきた
と、すぐに応えは出るわけではなく4日ほどかかり郵送してくれることなった。

考えてみるとずっと50年近くやってきて何ら障害は起きていなかった。
新聞店が悪いのか、銀行かはたまたわが家なのか・・・
いまだ解決はついていない。
そこで、銀行につとめている、タカコサンの姪に尋ねたところ新聞店の方に問題があると言っていた。
新聞店はある一定の期間が過ぎるとあらたに銀行に申請をださなければならないそうだ・・・

まだ確定したわけではその可能性がたかい。
さて、この場合は新聞代をはらうのだろうか。












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2022-11-01

好奇高齢者の生活・至福の時

まどろみの時間








歳をとると朝早く目覚めてしまうと聞いているが、私の場合は透析中にどうしても寝てしまうので夜の眠りが遅くなり、朝の目覚めは悪い。
時に、朝の4時ころまで眠れないで時を過ごしてしまう。
それでも、不思議と朝7時になると目覚める。
寝不足であろうが何であろうが、ともかく起きて、朝のルーティーンをする。
まず体重を測って、自室で血圧を測る。
それから、指に針を刺し少量の血を出して血糖値を測る。
それが終わると腹部にインシュリンの注射をうつ。
血糖値もインシュリンも言葉で聞くと痛そうだがごく細い針を打つのでチクリで済む。
最後に体温を測ってすべてを記録しておく。

一連の儀式が終わると階下に降りて身づくろいをして朝食となる。
と言っても大したものを食べるわけではなく、大抵、トースト一枚(8枚切り)にマーガリンを付けて紅茶と、もし季節の果物があれば食べる。
それからまた自室に戻って至福の時が始まる。

どうしても寝不足がちになってしまうので椅子に腰かけてそのままウトウトする。
大体、10時ころから11時ごろまでの一時間でこの時間は何も考えず煩わしいことも忘れて時を過ごす・・・まさに至福の時である。
こんな時間を持てるのはやはり年を取った恩寵なのかもしれない。
月水金であればそれから透析に行く準備をするが・・・と言っても特に何かを用意するわけではなく、イキタクナイと思う気持ちを鼓舞するのだ。
火木であれば昼食を済ませてどこかに出かけるか読書する。
土日はなるべく外に出かけるようにして、月に2回は山荘に行くことにしているが、12月から3月までは寒いので中止。

12月にはシアトルの娘が来日し、東京のホテルで会うことになっている。
実に3年振りである・・・夫君のジム君は来年あたり仕事をやめたら来るそうだが・・・
こうして人と会うのも至福の時なのだ。






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