2022年 6月の過去ログ

2022-06-11

学びの窓・タブレット教育

集中力








半年ぶりにT市の学校に勤めているMさんが轆轤を引きに来た。
彼とは日野市で東京都の嘱託員をしているときに同じ学校に勤めていて知り合った。
今は管理職をしている。激務であまり時間が作れないようだ。
それでも轆轤を引いていると雑念が消えてリフレシュできるそうなのだ。
年齢は20歳ほど違うが今の学校の様子を聞くことが出来る。

T市では子どもたち全員にタブレットを持たせてそれを授業に生かしているのだそうだ。
いまは全国の学校がその方向で動いてほとんどの学校が活用しているとの事。
一応、貸与ということらしいがそれにかかる費用は膨大なものであろう・・・
その効用としては一人で学習することが出来るので集中力がすごいそうだ。
特に自習などの時には静まり返っておしゃべりする子などいないとの事。
また、国語などの授業で感想を求めたりすると、それなりに何等かの形で文章を書くことが出来る。
今までノートや作文用紙に書かせたりするとなかなか感想をまとめられなかった子どもも程度の差はあっても自分考えをまとめることが出来るようだ。
もしかしてタブレットではすぐに消すことが出来るので気楽なのかもしれない。

そこで力量が問われるのは教師の指導である。
タブレットでは思考の過程が見えてこないのでいかにして考えを深めさせるかである。
私などは現役が20年以上も前であるのでタブレットによる授業など見たこともない。
どのように授業を組み立てるのか知りたいところであるが・・・
子どもたちが集中できるのは悪いことではないが、お互いの意見を戦わせながら考えを深めていくようなことが出来るのか興味のあるところである。
タブレットを武器にして育っていく子どもたちは明らかに20年も前の子供たちとは違うはずである。
今の子どもたちが大人となって築いていく社会がどのようになっていくかはおそらく知ることはできないけれど、見てみたいものである。
現場の先生たちに要求される指導方法も違っているに違いない。

新しい形の先生が生まれているのかもしれない。






yodaさんの投稿 - 17:10:06 - - トラックバック()