2022年 6月の過去ログ

2022-06-22

来し方の記・学芸大学入学

医学部








私は子供の時から医者になるように言われ続けていた。
しかし、それほど頭もよくないし、特に理数系がだめで、英語も身についていなかった。
医者になるには学年で20番以内ぐらいの成績でないと無理と言われていた。
私にとってはそんなポジションは夢のまた夢だった。
そしてまた、医者になる事に嫌悪のようなものを感じていた。
我が家は産婦人科の医院で出入りするのは女性ばかり、花柳界のお姉さん方も患者さんであったし、いわゆる赤線と呼ばれる地域の人も来ていた。
周囲の子どもたちには何度卑猥な言葉を投げかけられて傷ついたことか・・・
ともかく、父親の跡を継いで産婦人科医になる事だけは嫌だと思っていた。

高校三年の受験の時はそれでも北大の医学部を受けた・・・もちろん「エルムハカナシ」という電報が来た。
一年目の浪人の時は高校の補習科のような「成人学級」というのがあり、そこに通った。
たが他校から来た浪人生と遊び惚けていた。
勿論私は浪人一年目も受験に失敗・・・この年は新潟大学の医学部を受けた。
それでも一緒に遊んでいた彼らは山梨大学に入学して・・・折も折、60年安保で学生運動にのめりこんでいった人もいたようだった。
2年目の浪人は完全に宅浪だったが、図書館に行ったり、YMCAの会館に行って時間をつぶしていた・・・そんな折後輩であるM君とも知り合った。
ともかく身をいれて勉強をしたという経験はない・・・もちろん2浪目も落ちた。
実は、父親からの縛りがあって・・・私立の医学部は論外、国公立の医学部だけ・・・
2年目にはジプシーのように日本各地の医学部を受けた。
国立では新潟大学、群馬大学、公立では岐阜県立医科大学、三重県立、奈良県立、福島県立も受けたがことごとく失敗。
3年目の浪人は東京に出て予備校に通った。一学期はまじめに通ったが2学期以降はグズグズとなってしまった。
しかし、このまま浪人を続けていても受かる保証など全くないので、毎月送られてくる生活費と学費の中からなにがしかのお金をプールして医学部脱出計画をたてた。
とりあえずの目標つぃて東京学芸大学を選んだ。
学芸という言葉とこの学校は教師の養成大学なので、家庭教師の口が多いということを聞いたことがあったからだ。

そして浪人3年目の三月、一期校は一応新潟大学の医学部を受けたが、二期校を東京学芸大学としたのだ。
勿論、親には黙っての行動だった。


yodaさんの投稿 - 11:38:01 - - トラックバック()