2022年 7月の過去ログ

2022-07-27

友がき・多才

友情








昨日は大学時代の友人と電話で思い出話をした。
私の大学時代は生活のためにほとんど毎日がアルバイトに明け暮れていたことはすでに書いたが、同じクラスに友人はほとんどいなかった。
それは私が浪人3年もして入学したのでクラスメイトより3歳も年上なのでなかなかなじめなかったのかもしれない。
クラスは40名ほどで女性が30名男性が10名だった。
しかし、卒業時には男性で残ったのは私を含め6名だけでそのうち4名は小学校の校長となり、1名が高校の校長となった。
その5名は連絡を取り合い切磋琢磨したようだが、私は初めから外れていた。

それはさておき、電話で話した友人は下宿で一緒だった人で私と同年だったが、学年は一年上だった。
彼は盛岡の出身で2浪して学芸大の書道科に入った。
どうやら私と同じように医学部を目指したのだが、2年で見切りをつけての入学だった。
当時、国立の大学で書道専門の科があったのは学芸大だけだった。
卒業すると高校の国語の免許が取れるのだが、書道専門での就職はなかった。
しかし国立大学唯一の専門科だけあってレベルは高く錚々たる教授陣がそろえられていた。
また、卒業後その道で名を成した人もいる。
今や一つの道として定着している「絵手紙」の創始者なども書道科出身と聞く。

彼とは同宿となってすぐに友達となり今も続いているのだが、その出会いで驚かされたのはその多才であった。
能筆であることはもちろんであるが、特に音楽の才には目を見張るものがあった。
まず、楽器は何でもこなすことが出来た。
ピアノをはじめとして琴に至るまで弾きこなしたが確か部屋に琴があったように記憶する。
歌も上手で楽曲を正確に歌いこなした。
同年でこんな人がいるのかと驚かされたのだ。
しかし、その才能については控えめで恥じているような気配もあった。
聞けばご両親が小学校の先生で学校に行って遊びのように音楽を楽しんだのだそうだ。

学芸大卒業後は東京都の国語の教員となり退職まで務めたが、彼の才能であった書道も音楽も生かされることはなかった。
ギラギラしたところがなかったので今まで友情が続けられてこられたのかもしれない。





yodaさんの投稿 - 09:46:21 - - トラックバック()