2022年 7月の過去ログ

2022-07-07

かたくら通信・七夕空襲

1945年7月7日







1945年7月6日23時47分に最初の爆弾が甲府の町に投下された。
始まりはマーカー弾と言って、後続機に爆撃するエリアと位置を示すための爆弾で、甲府の場合は岩窪と塚原地区だったと言われている。
この爆弾は一発落とすのではなく150発ぐらいをバラバラと落とす。
それから本格的な爆撃が始まり131機が飛来し甲府の町を焼き尽くす。
市内の標準となる地点が定められていて、甲府の場合は今の岡島デパートと山梨中央銀行のある交差点あたりだった。
しかし、当日は曇り空で視界が悪く目標通りにはいかなかったようだ。
眼で見て的確に爆弾投下できたのは13機だけであとはレーダーによる爆撃で盲爆状態であったという。
もしも当日の夜が快晴だったら甲府は全滅し死者の数も計り知れない程だったと思われる。
最終の爆弾投下は7月7日1時35分で1時間48分空襲にさらされる。
投下された爆弾は970トンであった。
甲府の焼失面積は市内の65パーセントだった。
当時の甲府市の人口は10万2000人ほどで本州中央部に位置する盆地にある都市としては最大。
日本の地方都市の攻撃目標としては甲府は45番目でその被害は全国の地方都市としては福井に次いで第2位だった。
その被害は死者が1027名、負傷者が1244名、焼失家屋は17.920戸だった。
私はこの時4歳だったが空襲警報のサイレンの音と東の空が真っ赤に染まっていたことを今でもはっきり覚えている。
一昨年亡くなった長女の順に手を引かれ防空壕まで連れていかれた。
1945年3月10日の東京大空襲空で始まった米軍の無差別攻撃によって我が故郷の甲府でも無辜の人々が、1000人以上も亡くなっているのだ。
今から77年前の出来事を忘れてはなるまい。

今世界ではロシアのウクライナ侵攻がいつ果てる見通しもなく続いている。
欧米諸国は停戦の労をとるどころか武器を供与して愚かなロシアとの戦いを後押ししている。
わが日本も欧米側であることは言うまでもないが、ここにきてロシア・中国の脅威を言いつのり軍備増強、核兵器保持まで言い始めているのは恐ろしいことである。

武力では決して物事は解決しないのだ。






yodaさんの投稿 - 17:39:34 - - トラックバック()