2022年 9月の過去ログ

2022-09-01

好奇高齢者の生活と異見・甲府の空襲

無差別攻撃








当時、各都道府県の都市と呼ばれた地域(市政執行当時206都市)のうち、160都市が空襲を受けている。
その中でも一番甚大な被害を受けたのが福井市でその92パーセントが焼失したと言われている。
次いで浜松市が72パーセントで甲府はそれに並んでいると言われている。
浜松は軍都で飛行場があり何度も空爆にさらされている。
甲府のように一夜で70パーセント以上の焼失はめずらしい。

3月10日の東京大空襲以来、各地が空爆にさらされていたが、なぜか甲府は被害を受けなかった。
甲府盆地が山に囲まれ要塞のようだと言われたり信玄公が守ってくれていると信じている人もいたようだ。
だから、甲府には東京から学童疎開の子どもたちがたくさん来ていて7月7日に亡くなった児童もいる。
この無差別な攻撃は3月10日から始まったもので、この計画の責任者は太平洋方面第20空軍司令官カーチス・ルメイである。
彼は後に空軍参謀長として来日し、日本政府は日本の航空自衛隊建設に貢献したとの理由で勲一等旭日大綬章を贈った。
なんとなくアベ元総理の国葬が想起される・・・

今回読んでいる記録の巻末には自治会が調べた物故者の氏名が付されているが、やはり子供の名前が多く幼児の氏名も多い。
今生きていれば1歳の子どもは77歳となり豊かな(?)老後を過ごしているに違いない。
付されている手記の中には母親の背中でなくなっているという事例がいくつもあった。
自分の意思ではどうにもならないだけに涙を誘う。

今回の資料の大半は当時小学2年生から壮年までの多岐にわたる職業の人が綴った文章である。
一つ一つ丁寧に読んでいくと、それぞれの人の人生が浮かび上がり物語がある。
空襲から30年たった時の回顧録であるがその30年の生きてきた軌跡も想像できる。
この手記を書いた人達は今はほとんど物故されていると思われるが豊かな人生であったと願わずにいられない。

さて、この資料を前にどんな物語を紡ぐか・・・大きなため息をついている。










yodaさんの投稿 - 17:22:02 - - トラックバック()