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2021-11-26

かたくら通信・整理

緊縮財政








昨日は午後から蘇ってきたので、前からタカコサンに言われていた銀行に行ってきた。
彼女の趣旨はなるべく一つの銀行に統合しなさいというのだ。
まずは手始めに山荘関係の支払いをしている山梨の銀行をまとめる事だった。
山荘を建てるために借りたおかげもあって、立川の支店に口座を設けた。
そしてそこに、ローンの返済と電気、ガスなどの支払いを入れた。
今から35年ほど前のことである。
それから山荘が出来上がってからは上・下水道料金や電話など公共料金は地元の長坂支店に口座をつくるように言われた。
それからだらだらと32年間続いてきたが、ここにきてまとめた方が良いと言われたのだ。

手続きは意外と簡単で、立川の支店に出向かなくても最寄りの八王子みなみ野支店でことが済むことが分かった。
結果、いろいろと整理してみたところ、ほとんど使っていない山荘の電話に月々3500円も払っていることが分かった。
携帯電話を持ち始めてからは据え置き型の黒電話は殆ど休眠状態だったのだ。
かれこれ15年以上は使っていなかったのではないか・・・律義にも基本料金を払い続けてきた・・・その額50万円近くなったのではないだろうか・・・
さっそく解約手続きをしたが無知とは恐ろしいことだ。
この地方銀行だけではなくメインバンクの銀行の口座にも余計なものが落ちているのではないか・・・例えばほとんど使わないゴールドカード

入ってくる収入は今は年金だけ・・・それとて年々減らされている。
加えて諸式が高騰し始めている。
どうやら緊縮財政が強いられているようだ・・・メインバンクの方も精査する必要がある。
さて、そこで、近々、大型な消費をせざるを得ないような事態が迫っている。
ちょうど10年ほど前に購入した電気製品などの買い変えの時期が来ている。
加えて、家の木部の塗装や屋根の塗装も控えている。
今年の暮れから来年にかけては計画的にお金を回さなければならないようだ。
とりあえずは・・・3年後を目指して月々、国民年金の中から積み立てをしてその費用だけはねん出しようと思っている。




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2021-11-25

季節だより風だより・黄葉

命の光







八王子方面は夕べからグンと冷えた・・・明け方昨日に引き続き足がつった。
水分の抜く量は調節したはずだが、やはり冷えは筋肉を硬直させる。
ベッドから起き上がることが出来ないほどの痛みが走る。
タカコサンはぐっすりと寝ているので起こすわけにもいかず、耐えるしかない。
この攣りに対処できるのは漢方薬の68番・芍薬甘草湯しかない。
ベッドサイドに常備している薬箱から出して一服飲んで、痛みが治まるのを待った。
30分ほどして痛みが去っていったが、もう一度眠りに入ることは出来なかった。
こういう時はどうにもネガティブなことを考えてしまう。
どうしてこんな因果なことになってしまったのだろうかとか・・・
これから先同じようなことが何度繰り返されるのだろうかとか・・・
もうすぐ、81歳となるが余命はどのくらいだろうかとか・・・
死ぬのは運命だから仕方がないが、痛いのはいやだなぁ・・・

ふと、土曜日に会った青年のことを思い出した。
彼の志に共鳴したと書いたが、何となく混沌としていて面白い。
前途洋々でこれからどのように進化していくのだろうか興味がある。
せっかくご縁を結んだのだから、もう少し行く先を見てみたいと思った。
何となく生きる希望のようなモノが湧いてきた。
これから先、そう長い時間が残されているわけではないが、何かお役に立てるのではないかと思った。

いつもより早く床を出て、雨戸をあけると、裏山の雑木林に朝の光が当たっていた。
時はまさに黄葉、神々しいほどの光が樹々の葉を黄金色に照らしている。
息をのむほどの美しさだ。
この時期ならではの光の魔術を見ているようだった。
空は碧く碧く澄み渡り穏やかな一日の始まりだった。

もう少し頑張って生きる・・・命への励ましをもらったように思えた。






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2021-11-24

透析日記・絶不調

水抜き








月曜日の透析あたりから体調がすぐれなかった。
血圧が低く100を切っていた・・・こうなると何もする気力のようなものが無くなりただただボーっとしているだけだった。
80年と354日生きて、この体調の悪さは初めてだった。
原因については定かではないが、おそらく体内から抜く水の調節だと思われる。
透析というのは腎臓の機能が不能となり、腎臓によってろ過され膀胱に溜まって、尿として排泄されることが出来なくなる。
結果、体内に毒素を含んだ水分が溜まってしまうので、それらが尿毒症のような病気を発生する。
尿は全くでないわけではなくて一日の総量が200CCぐらいである。(常人は2ℓは出る)
人間の血液は大体48時間で濾過されるといわれていて、透析患者は一日おきに(48時間)腎臓の代わりに器械で浄化するわけだ。
その折に溜まっている水分を抜いて基本体重(その人の)に戻す。

この水分を抜くことが大変重要で、その日の体重からどれくらい水を抜くのかを決める。
一度にたくさん水を抜いていてしまうと、低血圧が起こり筋肉の攣りも始まる。
この水を抜く量についてはベッドに入る前に体重計に乗り看護師と決める。
もう一つ大切なことは心臓のレントゲン写真である。
肥大するとその分水分が少なくなるので心臓を圧迫する・・・月に一度は必ずレントゲン写真を撮る。

今回のレントゲン写真の結果では心臓は正常の大きさに戻っていた・・・それなのに過分にすいぶんを抜いてしまったようだ。
その結果が低血圧となったのだろう。
午前中はふらふらしていたが、午後から陶芸のお弟子さんが来てシャンとなった。
良くしたもので、単に水分云々だけではなく精神もかかわっているようだ。
お弟子さんは一年ぶりのロクロで難渋していたが、その作品を直しているうちに体調も戻っていった。
夕方には元の体調に戻っていつもの生活が出来るようになった。

低血圧の体調不良は初めての経験だったがこれから何度か同じことが起こるに違いない。
その折にはすこぶるつきの不機嫌となる・・・ごめんなさいタカコサン。





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2021-11-23

学びの窓・コロナ禍の教育

読書教育








土日とモモちゃんにお付き合いして気が付いたことだが、明らかにコロナによってコロナの影響による教育の変化が起きているように思われる。
モモちゃんは幼稚園の年中からコロナ禍が始まり年長を経て卒園して、今年の4月から小学校に入学したわけだ。
コロナ禍における教育を当たり前として学校が始まった。
まずは日日、マスクをして人と接する。
マスクがごく普通に生活の中に取り入れられて、それが不都合なことと感じていないようだ。
また人とのおしゃべりもマスク越しで、特に給食の時にはおしゃべりは絶対禁止。
それが今回のお泊りでも実行されていて、外食の時も実におとなしい。
声もマスク越しで大声は出さないので耳の遠いジジイは殆ど聞き取れない。
それが当たり前になっていくとなると新しいタイプの人間が育っていくに違いない。

また、学校の形態も変わって分散登校であるとか、リモートによる授業などアナログ人間にはどんな子供に育つのか想像もつかない。
このところコロナ患者の数も減ってそろそろ元の生活に戻るかもしれないが、明らかに教育の有りようも変わっていくに違ない。
ところで、そう言いつつもモモちゃんは私の所にある本を出してあげると、楽しそうに読んでいた。
今こそ、読書の力を信じたい・・・本の中で展開する世界を楽しんでほしい。
もし、私がいま教育に関わろうとしても空中を飛び交うデジタルな世界などチンプンカンプンだが読書教育なら多少は自信がある。

山荘から帰るときに書庫に置いてあった「ドリトル先生アフリカゆき」(ロフティング・井伏鱒二訳・岩波書店)を持ってきた。
50年も前に買った本であるが決して色あせていない。
面白い・・・80ジジイを物語の中に引き込んでくれる。
先日紹介した「冒険者たち・ガンバと15匹の仲間」などもそうであるが、もう一度子どもたちに紹介して今の世の中だからこそ読んでもらいたい本がたくさんある。
ちなみに、一年生にはちょっと難しいかもしれないが・・・
「魔女の宅急便」をモモちゃんには持って帰ってもらった。

母親も勿論、モモちゃんも話の内容は知っているそうだが、ちゃんと物語として読めば印象も変わってくるに違いない。



yodaさんの投稿 - 17:51:53 - - トラックバック()

2021-11-22

八ヶ岳南麓だより・教え子親子

ご縁








昨日書いた青年のこと・・・出会って一時間もしないうちに彼の考え方に共鳴し、工房を使ってもらうことにした。
話を聞いていると、メインを料理に据えて、それに付随することをやってみたい・・・しかしそれぞれのことを極めるためには一つの体ではとても大変なことである。
それを彼は志を同じくしている仲間を募って共同で思いを成し遂げたいと言っていた。
ならばその種まきの一歩として何かお手伝いできればと思ったのだ。
人が出会うということは時間の長さではなく、その志に共鳴するかどうかだと思った。
そしてそれを結びつけるご縁のようなものがあるのではないかと思った。
さてはて、これからどのような展開になるのか楽しみでもある。

ところで、今回の冬じまいに付き合ってくれたTさん・・・御年36歳、小学1年生の女の子一人、キャリアーウーマンである。
私の最後の勤務校であった日野市の南平小で図工を教えた人である。
図工の授業は週に2時間だけで子供達との付き合いは担任教師と異なり、広く浅くである。
それが、Tさんとは何となく大学卒業あたりまで続き、彼女の論文のお手伝いをした。
それから、結婚・出産まで途絶え、FBを媒介にしてまたつながるようになった。
娘のモモちゃんの成長を爺さんに報告するような形で写真も送られてきた。
もう一つ、彼女が通勤の途上で私のブログを読むようになって、2005年の始まりから読むという無謀なことに挑戦した。(ほぼ今に至るまで毎日書いているので、その量は膨大で・・・どこまで読んでくれたやら)
これもご縁なのかもしれない。

今回のお付き合いはたまたま休みが取れて娘のモモちゃんも土・日が休みで金曜日の夕方に自宅を出て清里のペンションに一泊して土曜日に山荘にきて一泊・・・清里に向かう途中で月蝕も観られたそうである。
日曜日は冬終いで慌ただしかったが、シーズン中に使ったものなどを車に積んでくれて八王子まで来てくれた。
二日間絶好の日和で八ヶ岳の晩秋を楽しんでくれたようだが、このご縁も不思議、不思議。
モモちゃんは私たちと母親の関係をちゃんと理解しているのかどうか分からないが、呼称は「おじいちゃん先生」と「おばあちゃん先生」である。

ひ孫という所か・・・モモちゃんが小学校を卒業するくらいまでは元気でいたいものだ。





yodaさんの投稿 - 09:59:18 - - トラックバック()
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