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2022-01-11

かたくら通信・戯言

18才・81歳







昨年、ちょうど81歳となった頃に、我が通う腎クリニックの受付に次のような戯言が貼ってあった。

恋に溺れるのが18才 風呂に溺れるのが81歳
心がもろいのが18才 骨がもろいのが81歳
恋で胸を詰まらせるのが18才 餅でのどを詰まらせるのが81歳
まだ何も知らないのが18才 もう何も覚えていないのが81歳

これを読みながらメモしておかなければと思いつつ・・・忘れてしまい気が付いた時にはもう外してあった。
ところが、今年の年賀状の中に高校の同級のT君がこれを書き留めて賀状に使っていた。
思えば今年の3月末日をもって同級生たちがみな81歳となるわけだ。
すでに旅立って逝ってしまった人達も半分近くもいるかもしれない。
コロナ禍であまり情報が入ってこなくなったが、幸い我が周辺の人たちは健在である。
この世代は紀元2600年に生まれ大いなる祝福を受けたが、その次の年に大平洋戦争がはじまり国は衰亡の一途をたどる。
小学校入学は昭和22年で民主教育の幕開けの頃だった。
以来大学卒業まで紆余曲折はあっても民主主義の申し子であった。

18歳の頃は受験のさ中で恋も夢もいったんお預けとなったが、ちょうど20歳の頃に国を揺るがす大騒動がおきた・・・60年安保騒動であった。
時の首相はアホノミクス・・・アホボンの祖父の岸信介。
それから徐々にこの国は右傾化の兆しを見せて行った。
いつかキチンとこのあたりのことを整理しておかなければいけないと思うが・・・

折も折、昨日は成人の日で私の通う腎クリニックのビルのホールと広場は着飾った男女であふれかえっていた。

みんな大人びて見えて、恋の悩みも弱い心もないように思えた。
けれど60年もたてば80歳が間違いなくやってくる。
早晩、成人が18才になるとも聞いている。

幾山も超えてたどり着いた先でお風呂でおぼれたり、餅で喉を詰まらせたりすることのないように幸多かれを祈るばかり。



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2022-01-10

季節だより・風だより・成人の日

誕生日







今日は1月10日で、何かあるのではないかと朝起きたときに思った。
天気はどんよりと曇り午後からは透析があるので何となく気が重かった。
カレンダーを見ると10日の所に赤丸がついているではないか。
そばによってよく見ると成人の日で祝日。
わたしが現役の頃には成人の日は1月15日だったのにいつの間にか変わってしまったようだ。
何だか知らないが毎日が休日のようなものなのでどうでもよいけれど、このごごろ国民の休日が猫の目のように変わるようだ。
どうでもよいと言ったものの、電車やバスの時刻が変わって透析のために毎回乗っているバスが休日運行となり間引きされてしまう。
それに乗ると1時間も早くクリニックについてしまうのだ。
それに成人式の会場が同じビルの中にあるので、周辺は着飾った男女でごったがえすに違いない。
コロナ禍が収束に向かっていると思いきや・・・オミクロンが猛威を振るい始めているので、若者たちのいるところなどには近寄りたくない。
電車を利用して何とか人の群れに会わないように出かけたいと思う。

ところでもう一つ大事なことがあるような気がしていた。
朝食を済ませたところに、シアトルの娘から電話がかかってきた。
「おかあさん誕生日おめでとう」である。
1月10日はタカコサンの誕生日である・・・1944年生まれで御年78歳となる。
我が家では誕生日を盛大に祝うというような習慣がないので慌てて電話が終わった後に祝意を伝えた。
シアトルの娘は長年勤めていたシアトルに事務所がある日本の商社をやめて水産を中心とした会社を立ち上げるそうだ。
円満退社といかず・・・どうやら人種差別のようなものがあったようだ。
夫君のジムも医学の研究所の自分の研究室を閉じるとのこと。
なんだか波乱の年になりそうである。
さて、はて、何もしないといったものの午前中は時間があるので、生協の花屋にバラの花束でも作ってもらいにいこう・・・

これだけはこの10年ほどの慣例としているので・・・
何色を選ぼうか・・・・楽しみである。
「いいよいいよ」というけれど、もらってうれしいだろうし、バラの花束で1年の平安が保てるのだから・・・・・


yodaさんの投稿 - 10:14:43 - - トラックバック()

2022-01-09

なごみ食堂・鏡もち

チン







七草も過ぎて正月の飾りはすべて取り払って日常生活に戻った。
ところで毎年悩むのはお供えの鏡餅である。
わが家では居間と神棚の2か所にお供えする。
しかし、七草が終わるまで待っていると確実に青カビが生えてしまうのだ。
特に居間の鏡餅は3が日が過ぎたあたりで青カビが来ている。
毎年、悩んだ末に捨てることになってしまうのだ。
神棚の方は寒いせいか、七草まではもってくれたので今年はカチカチになった餅を何とか工夫して食べることにした。

本来なら鏡びらきは1月11日だそうだがそれまではとてももちそうにない。
調べてみると地方によってマチマチで4日もあり15日もあるようだ。
鏡餅は本来、餅に神が降臨して正月の間その霊力が宿っているのだそうだ。
そこでその霊力を分けてもらって1年の息災を願う。
だからカチカチの餅を割るときには刃物を使わずに木槌で割るのだそうだ。

さてそこでわが家の鏡餅であるが・・・例年元旦の日に南アルプス市の姉の所で搗いた餅を息子の一家が届けてくれるのだが、今年はコロナ禍のために元旦には間に合いそうもないので南平の和菓子屋に陳餅を頼んだ。
大きさはコブシ大を2つ重ねたモノだが神が宿るには十分の大きさだった。
居間に飾った餅の方は泣く泣く捨ててしまったが神棚の方は食べられる。
しかし木槌でたたいて割ったものを食べるとしたら油で揚げてかき餅にするぐらいっしかないではないか・・・
そこで思いついたのは「チンする」ことであった。
2時間ほど水につけて少し水分を含ませ陶器の器に入れて500ワットで1分。
餅は見事に柔らかくなり搗きたてのお餅のようになっていた。
この餅を食べるとしたら・・・やはり納豆餅だろうなぁ・・・まずは2つ重ねの上の餅。
納豆のネバネバと実に相性がいい・・・ネギを薬味にして醤油をかけて、搗きたてのお餅でなければ味わえないこれぞ醍醐味。
下のお餅はなんで食べるか・・・お汁粉用にと暮れのうちに買っておいたあんこで、あんころ餅にした。
もしかしたら伊勢の名物「赤福」にも劣らない美味しさだった。

ただし、チンで柔らかくすると餅が器にへばりついてしまうので食べ終わったらすぐにお湯につけて洗うべし。








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2022-01-08

季節だより風だより・初釜

花びら餅・日新・鮑熨斗







昨日今日とタカコサンの社中の初釜であった。
昨年はコロナ禍のために中止したが、今年は人数を分けてやるだそうだ。
昨日は初日でお弟子さんは5名参加した。
今日は4名。

本来なら、まずは寄り付きで身支度をして、待合にて順番を待って蹲で手を清めいよいよ茶室に入って炭手前(炭を作法に従って炉にくべて火を起こす)をする。
それから、軽い食事をとって、最後に初釜用の主菓子が供される。
花びら餅と言って味噌餡の生のお菓子である。
もう少し詳しく言うと、ゴボウと白味噌餡とピンク色の餅を求肥か餅で包んだお菓子。
平安時代の新年業維持、歯固め行事で、長寿を願い食べたのだそうだ。
それが明治になり初釜で使うことが許可された。
タカコサンは松江のお菓子屋さんから取り寄せたといった。
中立(休憩)の後でいよいよお茶になる。

今回の初釜はコロナ禍もあるので、省略して主菓子の後、お濃茶から始めたそうだ。
高級な抹茶をたっぷり入れてトロッとしたお茶を回し飲みするのだが、
今回は一人一人自分で点てさせたとのこと。
そのあと口直しに薄茶を点てて飲む。
それでも2時間はかかったようである。
お弟子さんたちはこの日を楽しみ待っていたようだ。

さて、茶室のしつらえであるが、床の間には「日新」という軸がかけてある。
書は会津八一先生の弟子である美術評論家の宮川寅雄先生。
なかなか雄渾の書でわが師本間繁樹先生より頂いたものだ。
本間先生は宮川寅雄先生の娘婿に当たる。
そのほかの床の間飾りとしては、三宝の上に熨斗鮑(熨斗鮑)が敷いてあって、縁起の良い宝珠がのせてあった。

炭が炉に入れられると火が起こり始め、まずは茶室に独特のにおいがこもり(炉の中に香をくべるらしい)それが家全体へと広がっていく。
私がこもっている書斎にも届きいよいよ新年の始まりを思わせる。
私は邪魔にならないように部屋にこもってその香りだけを楽しむ。

オミクロンが蔓延し始めてどうなることやら・・・・
社中の人達は初釜に参加できなかった人も都合をつけて今月中には全員来るようである。
1月は後3回稽古を予定しているがオミクロンで中止にならないように祈るばかりである。


yodaさんの投稿 - 17:44:07 - - トラックバック()

2022-01-07

季節だより花だより・サクラ・スミレ

春遠からじ







朝8時、寝室の窓を開けると一面の銀世界。
裏山の雑木にはまだ雪がついていて樹氷状となっている。
八王子は東京都を名乗っているがこの地には豊かな自然が残っていて、四季折々の風景を楽しむ事ができる。
ちょうど雑木林の合間を通して陽が昇るところであった。
思わず手を合わせたくなるような神聖な気持ちとなった。
ただ、午後までに雪は解けるか・・・透析に通うためのバス停までの道が凍っているかどうか、現実に引き戻される。
81歳の身には凍結した道路は一番危険なのだ。
転倒防止のために杖をついて行くのが安全かもしれない。
ことしは寒さが厳しく東京でも雪は多いという予報だが、できれば今回で終わりにしてほしいものである。

ところでわが家の玄関は春爛漫である。
お正月の花として頂いた啓翁桜が満開となり花のわきには薄緑色の若葉が出てきている。
送ってくださった人の言によると、この若葉も楽しめるとのことだった。
もう一つ・・・昨年の秋頃から、なぜか鉢植えの花に興味が芽生えて、ほっぽらかしにしてあった植木鉢に花を植え始めた。
手始めに植えたのは「日日草」と「べコニヤ」である。
手入れが簡単で水さえきちんとあげれば長持ちすると花屋のお姉さんに言われた。
水やりは透析に行く日ときめてなるべく忘れないようにしたところ両方の花は期待に応えて寒波が来るまで頑張ってくれた・・・いとおしいという気持になった。
私は、採る(盗る)ことはしても草花を育てることはしたことがなかった。
けなげに咲く花を見て、愛おしいと思った
しかし霜が降りると一夜にしてしおれてしまい切ない思いもした。

今は、寒さに負けないという三色スミレとヴィオラと葉ボタンを植えている。
玄関の中にはシクラメンの鉢も置いている。
シクラメンは外に出すと萎れてしまうので水やりを加減しながらやっている。
怠ると途端に萎れてしまうのもよく分かった。
その点スミレも葉ボタンもほぼ、ほったらかしでよいようだ。
昨日の雪にもめげずに頑張っているようだ。

花々を見ていると春はもうすぐやってくる・・・
冬来たりなば春遠からじである。





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