"モノ語り 旗"

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モノ語り 旗

居場所








斎場に着いたのは6時過ぎだった。
通夜は6時半から7時半までとFAXが届いていたがすでに300人ほどの人が焼香を待っていた。
最後尾につこうとすると、係りの人に記帳してくるようにと指示された。
斎場の門を入ると人であふれかえっていた。
それも制服姿の中学生や高校生が多かった。
大学生と思えるような今風の若者のすがたもあった。
記帳場ではカードを渡され氏名、住所などを書き入れるとそれをもって香典場に行くように言われた。
FAXによるとコバケンは今年の春に退職したのだそうだ。
享年61歳、まだわかすぎる旅立ちだ。
それにしても参列者の数の多さには驚いた。
記帳場あたりにいる人の数だけでも200人ぐらいは居る。
数の多さで人柄を評価するなど愚とも思うがコバケンはまっとうな教師としての生涯を貫いたように思えた。
制服を着た若者たちが目を赤くしていた。
肩を寄せ合って泣いている女子学生もいる。
義理ではなく先生の旅立ちを送りたいと思っている人がほとんどのように感じられた。

知った顔はいないかと探したが誰にも出会わなかった。
香典場に向かうと『卒業生関係』というところに田神が係りとしして立っていた。
一瞬、意外な顔をされたが、すぐに人懐こい笑顔に戻った。
記帳したカードと香典を渡すとお返しの品と交換のカードを渡された。
その時、「団結の旗」
と言って香典場の隅を指差した。
『84』と縫いとりのしてある旗が立てかけてあった。
色褪せてはいたけれど、1984年1年3組の旗だった。

記名を拒否した時のSさんの哀しそうな顔が蘇ってきた。
あれから1年間おれの居場所はなかった。いつも図書室に行って本を読んでいた。
Sさんには時々会った。

田神は何か言いたげな表情をしたが次々と続く参列者に応対していた。
焼香はまだ始まってはいなかった。列の最後尾に戻ってそれから待つこと一時間。
正面には斎壇がありたくさんの生花が供えられていた。
そしてその多くはコバケンが勤務したいろいろな中学の卒業生一同であった。
斎壇の中央にはコバケンの写真が飾ってあった。
髪は白くなっていたけれど包み込むような優しさのある笑顔の写真だった。
係りに焼香は一回でと言われたが深々と頭をたれて無沙汰と若気を詫びた。
香典返しを受け取って斎場を出ると田神が出口のところで待っていた。
「よく来てくれたな・・・明日の葬式に10人ほど来ることになっている。」
と言って通夜にはふさわしくないような笑顔を浮かべた。
「Sさんは来たのかなぁ。」
と聞くと
「Sさんは高校2年の時に肺炎で亡くなった…お前、知らなかったのか。」
とほんとに驚いたように言った。
「あの旗、Sさんの発案で作ったんだぞ、誰が持ってきたんだ。」
というと、
「おれが来た時には既に立てかけてあった・・・たぶんご遺族ではないか。」
田神は一寸不思議そうな顔で言った。
「もう一度見てくる・・・」
と言って香典場に戻った。すでに係りは居なくなっていた。
旗のそばによって広げてみた。『団結』の墨の色はまだ褪せていなかった。
それぞれのあの時の思いが字となって踊っていた。本当に団結を思って書いた字に思えた。

そして、Sさんが刺繍した自分の名前の隣に同じ書体で
『斎木』と縫い取りしてあり、墨の字で頑張れとあった。
ちゃんと彼女とコバケン僕の居場所を作ってくれていたのだ。
     〔完〕




yodaさんの投稿 - 07:24:58 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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