"旅だより・長門・石見"

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旅だより・長門・石見

安野光雅美術館







7月に連載した『旅だより』を長門・石見としながらほとんど石見の旅に触れぬまま中断してしまった。
実は石見の国・津和野に行った主たる目的は安野光雅美術館の見学だった。
安野さんは誰もがどこかで眼にしたことのある絵を描いている。
絵本作家としても有名で、優れた絵本が多々ある。
シリーズ・旅の絵本などは子どもだけでなく大人も楽しむことができる。
挿絵画家としても有名で司馬遼太郎の『街道を行く』の後半を描いている
また、繊細なタッチの水彩画が多くヨーロッパの街角の風景などは大変魅力的である。

安野さんは津和野の出身で、その作品の多くを津和野町に寄託した。
そこで、町は町立の美術館を建設してその作品を一般公開することにしたのだ。
美術館の建設に当たっては安野さん自身も係わって多くのアイディアが盛り込まれた。
たとえば、館内に昔の学校の教室を再現する。
プラネタリュームを併設する。
そして何より大切なこととして、町の風景の中に溶け込むような建物にする。

津和野は古い城下町でいにしえの面影を色濃くのこしている。
小京都という言葉はあまり好きではないが町のそこここに古都の雰囲気を残している。
そんな風景に溶け込むようなとなると・・・近代的な建築では浮き上がってしまう。
防災上から木造建築は許されないがそれに近い建物が要求された。
そこで、設計家として昨日、わがブログに登場した小町和義さんに白羽の矢が立った。
小町さんは安野さんと親交があり、安野さんの東京の自宅を設計した縁もあったようだ。
普通このような公共の建物を建てる場合には数人の建築家に素案を出してもらいコンペの形を取る例が多い。
けれど、この建築の場合は安野さんの願いをかなえるための設計ができるということで小町さんが指名されたようだ。

小町和義さんは八王子で番匠設計という建築設計の事務所を開いている。
まず、番匠設計の番匠とは昔の大工さんの呼び名である。
小町さんの家は江戸時代からの大工の家で、高尾山のお抱えの宮大工だったそうだ。
小町さんの子どもの頃は小町家から高尾山に宮大工を派遣して常駐させていたと言う。
また、八王子の歴史遺産として残されている山車のいくつかを設計している。
小町さんの代になって宮大工の制度がなくなってしまったので、番匠設計を起こし、三多摩近隣の神社や仏閣、数奇屋建築などの設計を手がけている。
高尾山、高幡不動、多摩の白山神社、福生市の茶室『福庵』など、多くを手がけていて、数奇屋建築の名手としても全国的に名が知られているという。
我が家の設計などとても恐れ多くてしてもらえるところではなかったが縁あってお願いできたのだ。



yodaさんの投稿 - 17:33:23 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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