"故郷の空・出国"

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故郷の空・出国

パスポート





「花子とアン」が絶好調のようだ。
甲州弁も演じる人たちにすっかり身についたらしく余り違和感を感じなくなった。
ハナはドラマの中では甲府の小学校の代用教員という設定だが実際の村岡花子は山梨英和女学院の先生をしていたのだ。
山梨英和は東京の東洋英和の姉妹校でカナダ系のミッションスクールである。
我が家では母も二人の姉もここを卒業していることは前に書いた。
実は、フキ伯母もここの卒業生なのだ。
年代から言うと、もしかしたら村岡花子が先生をしていた頃に通っていたかも知れない。
ともあれ、もう少しフキ伯母のことを書いておこう。

日本滞在の3ヶ月が伯母にとって居心地がよかったのかどうかは分らないが、いよいよペルーに帰るという時になって事件が起きた。
甲府でいろいろな人達とのお別れを済ませて上京して我が家に来た。
父と母と利通叔父夫婦、姉二人も上京してきて羽田まで見送りに行った。
いよいよ出国手続きをする段になって、伯母がパスポートがないと言い出したのだ。
空港で荷物を空けて探したけれどない・・・本当になかったのかどうかは定かではなかったが、ともかく日本からは出国は出来ない。
結局乗るはずの飛行機はキャンセルとなって、ひとまず甲府まで戻って、ペルー大使館でパスポートを再発行してもらうことになった。
それからどの様ないきさつになったかは定かではなかったが数週間後に、ひっそりと帰国したようだった。
今思えば、ペルーに戻りたくなかったのか・・・できれば父祖の地で最後の時を迎えたかったのかもしれない。
それから3年ほどして息子のHさん(私の従兄に当たる)より亡くなったという便りがあった。
葬式はカソリックの教会でやったそうだ。
ペルーには父の従弟が居て、あちらでは成功者の一人でその人が最後までめんどうを見てくれたようだ。
Hさんはスペイン人の伯爵か何かの末裔の人と結婚したが子どもはなかったようだ。
フキ伯母がなくなってから数年して彼も来日したが、7歳まで日本に居たが後はペルーの生活だったので、日本語はあまり上手ではなかった。
一日我が家にも来て東京を案内した・・・やはり日本の変貌振りに驚いていた。
その頃、出来たばかりのサンシャインビルに連れて行ったことを覚えている。
ちなみに彼は父親とは再会を果たしたようである。
M伯父さんはその頃は養老ホームに入っていた。

従兄のHさんもあちらに旅立ってしまっている。
yodaさんの投稿 - 17:53:50 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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