"かたくら通信・祈りの島余話 2"

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かたくら通信・祈りの島余話 2

出版顛末







「祈りの島」の原稿は5年ほど前に書きあげていた。
ちょうど2006年に第三回目の天草行きがあり、2007年には長崎に行った。
そして,そのことをブログに綴っていたので、1975年と1985年の天草行と絡めて物語の構想を考えたのだ。
縦軸を天草行として横軸には田口義弘先生との出会いと別れを描く。
1章の「落日」は大学時代の文章を思い出しながら描き、他の章は折にふれブログで発信してきたものや田口先生からの書簡も使わせてもらった。
4章と5章はリアルタイムで日日発信していたので、それらをほぼそのまま生かす形にした。
1章から5章までパソコンで打ち直した時点でさらに文章を精査して、一冊の本として出版できるように編集を教え子のSさんに頼んだ。
彼女は日野6小で30年ほど前に教えた人で独特の感性を持っていて、父親が雑誌の編集のプロダクションをやっていた。
そして、弟が美術系の大学を卒業していて、表紙と挿絵を描いてくれることになった。
けれど、この手の本は売れる見込みもないので出版社に持ち込んでも本にしてもらえる見込みはなかった。
自費出版を考えないでもなかったが、最低でも500部は刷らなければならず流通に乗せるのも難しいことが分かっていた。
それでも、いつか時が来れば世に出るチャンスもあるかもしれないと、パソコンの中に待機させておいたのだ。
表紙と挿絵については出版の話が決まり次第、描いてもらえることになっていた。

パソコンの中で眠っていること5年・・・昨年10月、かたくら書店で私の全著作と陶芸作品を展示する企画展が開かれた。
その折に、店主の田原さんが
「ヨダセンセイ、何か書いたものがあったら読ませて下さい」
と言ってくれた・・・もし良いものであれば出版しても良いというのだ。
「個人的なものを綴ったものだけれど読んでもらえたら嬉しいです」
と答えて、パソコンから引き出してプリントアウトしたものを渡した。
すると、たくさんの部数は刷れないけれど出版しても良いという返事をもらった。
オンデマンドという方式で120部だけ刷ってくれることになった。
条件は100部は私に買い取ってほしいというのだ。
願ってもないことなので快諾して今にいたったのである。
流通に乗るほどの部数ではないので、ほぼ私の手売りであるが、引き取った内の70部はすでに売ることができた。
陶芸展で50部ほど売れたがポツリポツリとさばけて手元の残歩が30冊となったのだ。

ありがたいことである。

yodaさんの投稿 - 18:46:58 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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