"東京G散歩・桜紀行 4"

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東京G散歩・桜紀行 4

大村益次郎銅像






集合場所に少し早めについて、軍歌を聞いていた。
歌っているグループは大村益次郎の銅像の裏側の台座に登って、マイクを使っての合唱だった。
伴奏はエレクトーンのようなものを弾いていて、かなりの音量である。
歌は神社の拝殿に向かって声が届くようになっているが、もしそこに英霊がいるのならば、数々の軍歌を複雑な心境で聞いているに違いないと思った。
「勝ってくるぞと勇ましく誓って国を出たからは手柄立てずに死なりょうか・・・」
と送られ、白木の箱に入って帰ってくる結果となってしまったのだ。

私は、子どもの時、村の氏神様で出征する人たちを見送った記憶もあり、その折に歌った歌が今でも耳に残っている。
また、白木の箱に入って帰ってきた遺骨を迎える式にも参加した記憶がある・・・その時は「海ゆかば・・・」を歌ったのではないだろうか。
英霊に向かって合唱している人たちは何かに取りつかれているような歌いぶりであった。

と、そこに、一人のご婦人が近寄ってきて話しかけてきた。
「あの・・・この大村さんという人は何をした人ですか。書いてある事を読んだけれどよくわからないので知っていたら教えてください」と言われた。
年の頃は80歳は回っている・・・どうやら違うツアーの人のようだった。
とっさのことでどのように答えていいか戸惑ったが知っていることを整理して答えた。
「この人は長州、今の山口県の出身です。江戸から明治になるときに活躍した人です。もともとはお医者さんだったのですが、西洋の学問に詳しく軍隊のことも知っていて、明治維新の時に上野の山に立てこもった彰義隊という幕府の軍を一日でやっつけてしまったので有名です。それから明治時代に日本の軍隊の元を作ったそうです。」
ご婦人は感心したようにうなずきながら聞いてくれた。
そして、そこにまたそのご婦人と同年ぐらいのご婦人がやってきた。
「この人にこの大村さんのことを教えてもらってるのだけれど、あんたも一緒に聞きなさいよ」と言った。
けれど、また初めから語るのも大変なので、話の続きを語った。
「大村益次郎の銅像がここに建っているのは、この人が明治の初めの戦争で死んだ人の霊を慰める招魂社を建てることを考えてこの靖国神社を祀ったのでその功績で入口に銅像が建てられたのだと思います」
と話し終えると、後から来たご婦人がハンカチを出して目をぬぐい始めた。
「私はこの歌を聴くとどうしても悲しくなって涙が出てしまうんですよ」
どうやら、私の話よりも軍歌のほうに耳を傾けていたようだ。
「あああの顔であの声で手柄頼むと妻や子が、ちぎれるほどに振った旗・・・・」
哀調を帯びたメロディーは士気を鼓舞するよりも反戦歌のように聞こえてくる。
ご婦人もおそらくつらい戦中戦後の時代をくぐりぬけてきたに違いない。
様々な思い出がめぐって自然と涙が出てきてしまう…恐るべし軍歌である。



yodaさんの投稿 - 18:40:22 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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