"お好み回り舞台・不知火検校"

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お好み回り舞台・不知火検校

極悪人






「ヨダ先生の物語には悪人が出てこない」
と、ある教え子に言われた事がある。
確かに、出てきたとしても改心してめでたしめでたしで終わる。
「子どもだって悪い奴はたくさんいるし、それぞれが悪を抱えて生きているはずなのだから、そこらあたりの葛藤をもっと書いたほうが物語に深みが出る」
とも言われた。
確かに…でも教師が本業だったので、どうしても「人間は善なるもの」ということを信じていないと職業として成り立たなかったのだ。
私は、教師の延長線上で物書きになったので、性善説を前提にしてしまうのだ。
昨今の子ども達を巡る様々な出来事を見ていると、物語の世界ぐらいは性善で居たい。

さて、昨日の四月大歌舞伎。二番目の演し物の「不知火検校」であるが、主人公は極悪非道の権化のような人物である。
これは1960(昭和35)年に宇野信夫が書いた新作歌舞伎である。
宇野はこの作品を書くにあたって、「悪い人間というものは見るからに悪そうには見えないものだ。それどころか、見るからに愛嬌のある人がびっくりするような人間であることがある。そういう人は平気の平左で悪いことをして、知らん顔をしている。びっくりするような悪事を働いてニコニコしたり、どこ吹く風かというような顔をしている…そんな人間を前々から書いてみたいと思っていた。」と語っていたという。
主人公の富の市がまさにそんな人物である・・・目が見えないというハンディをうまく使って、若いころから盗む、犯す、だます、そして殺す。
色と欲とを絡めて、次々と悪事を犯しながら欲を募らせ、江戸時代の盲人の最高のくらいである検校にまで登りつめる。
けれど、それでも飽き足らず、江戸城の御金蔵破りまで企てるのだ。
始まりは、父親が産気付いた妻に必要な金を借りようとした按摩さんを殺めて金を奪ってしまうが生まれてきた赤子の目が見えないという・・・因果応報譚である。
子は長じて按摩の弟子入りをするが手癖が悪く盗みを繰り返す、小悪党となる。
そしてさらに人妻をだまして犯し、揚句は人殺しをして大金を得る。
さらに悪事はエスカレートして悪事仲間とかたって、主殺しまでして、検校の座に就く。
それからさらに欲を募らせて金蔵破りを企てるが・・・

火事場泥棒のような姑息な盗みと違ってここまで悪も極まってしまうと爽快感がある。
不知火検校を演じたのは松本幸四郎だが、好き嫌いでいうと…弟の吉衛門の方が好き。
検校役としては宇野が言うようにもっと愛嬌のある人が演じたほうがいいのではないかと思った。
タカコサンは次の「身替座禅」を演じた片岡仁左衛門のほうがいいのではないかといっていたが。

極悪人と言えば今の世にはもっともっとあくどい奴がいる。
世界を動かしているという各国の政治家・・・パナマ文書なるものがそれを暴き立てたが、日本にもたくさんいそうだ。

いつの日かヨダ先生もセイゼン説をかなぐり捨てて悪の極みを書いてみようかなぁ。

yodaさんの投稿 - 18:04:14 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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