"学びの窓・お仕事"

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学びの窓・お仕事

感想文






今週は久しぶりに仕事が入ってきた。
某出版社主催の学芸コンクールの作文部門を読む仕事である。
担当は低学年の子ども達の読書感想文を200篇ほど読んでその中から10篇優秀な作品を選び出す・・・それで終わりではなく、他の審査委員とすり合わせをして優秀作を決める。
今やっているのは粗選びのような事であるが、全国の小学校の1・2年生の作品であるが、中には外国にある日本人学校に通っている子どもの作品もある。
実は低学年の子どもの感想文を読むのは4年ぶりぐらいであるが、この4年間に何か子ども達の文章に変化が表れてきているように思えるのだ。

まずは、子ども達の作品が画一的で個性的な文章が少なくなっている事である。
子ども達が読んでいる本は今年度の課題図書が半数以上だが、特に「ばあばだいじょうぶ」と言う認知症を扱った作品のほとんどが同じような感想で書かれているのだ。
本文の中では「わすれてしまうびょう」と言う表現になっているが、まず、本文のおばあさんの行動に驚き、自分の祖父母と比べてみるというパターンである。
この物語のおばあさんに近い年齢の私にとっては今の子ども達の年寄りに対する気持ちが透けて見えるようで切なくなってきた。
深いところで年寄りとかかわろうとするよりも、通りいっぺんで「私もバアバに親切にしてあげよう」でくくられてしまっている。
マァ、大半の家族にとって核家族化して祖父母との同居などほとんどない現状ではしかたないことなのかもしれない。

もう一つ気になったのは文章がパターン化していてほとんどの作品が同じような順序で書かれているのだ。
まずは、私は○○と言う作品を読みましたで始まる。
そして、私がこの本を読もうと思ったのは・・・と本を読むきっかけが示される。
続いて粗筋を書いたり、面白かった事を箇条書きにして、最後の所でその物語から得た教訓のような事を決意としてまとめるのだ。
どの作品を読んでも金太郎飴のように切り口が同じになってしまっている。
作者が本を読んで感動したことがほとんど伝わってこない。
実は優れた感想文はその文章から書き手の人柄や人間関係、そして時には家族の様子までもが伝わってくるのだ。
感想文は作文の中では一番高度な文章表現なので低学年の子どもには難しいことは分からないではないが、かっては低学年であるがゆえに形にとらわれない生き生きとした昨品が多くあったような気がする。

もしかすると今の国語教育の中の「書く」と言う領域は子ども達の感動や意欲を表出するよりも、相手に分かるように伝える技術のようなものを中心に進められているのではないかという気がしてならないのだが・・・

yodaさんの投稿 - 16:49:33 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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