"学びの庭・米作り"

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学びの庭・米作り

日野市立南平小学校






現役で最後に勤めた日野市立南平小学校の田圃の事を書いたがもう少し詳しく経緯を書いておきたい。
この地区は昔は日野では純農村の地帯で地名が示すように平らな土地が広がり水田が広がっていたという。
高尾山から八王子を経て多摩川に合流する浅川の南側に広がる水田地帯で南の平そのままの地形を地名としたようだ。
地誌などを見ていくと南平に対して北平もあったようだが今は残っていない。
この地に多い苗字は「平」姓であるが平家の血筋ではないようだ。
ちなみに私の散髪をしてくれる床屋さんの姓も平さんである。

近隣で有名な所は高幡不動尊で、正月、節分、毎月の28日には多くの参詣人がお参りにやってくる。お不動さんから名前を戴いて高幡不動駅がある。
もう一つの名所は多摩丘陵の一角に多摩動物園が学区域に隣接していて、丘陵を開発して出来た南平台、南が丘などの住宅地では動物の鳴き声が聞こえてくる。
実はこの住宅地と京王線が南平小学校の開校と深くかかわっていて、京王線が新宿と八王子・高尾を結んだことによって戦後この地域が住宅地として開発され人口が増加したことによって学校が必要となり1974年に通称北野街道と呼ばれる南平地に開校した。
敷地は田圃だった所を整地して校庭・校舎を建てた。

当時はすでに米作りをする農家などはなくなっていたが。水田は残っていて、そこを学校が借りて1年〜6年生までの体験学習の場としたのだ。
私が南平小に赴任したのは1989年で当時は学校田として借り上げている所だけにしか水田は残っていなかった。
そして、水田に流れ込む水は浅川から取り入れたものだったが生活雑排水も混じって水質の汚染も懸念されたので当時の校長の英断で校内に田圃を作ることが決定した。
市の予算だけではもちろん賄えないので日野自動車の援助を受けたと聞く。
水田の水は井戸を掘ってわいてくる水をつかった・・・浅川の近くなのでそんなに深い井戸を掘らなくても水脈にあたったそうである。
そして、もう1本、手押し式の井戸を掘って手洗いなどに使った(水脈はもっと深い)けれど、子ども達が遊びとして使ったのですぐに壊れてしまい、揚句に井戸に砂を詰めてしまった。
今はどうなっているのか分からないが、おそらく使用不能となっているのではないか・・・

ところで、田んぼはあっても実際に苗を造り田植えをし、水の管理や稲刈の作業となると経験している人に指導を受けなければならないのだが、教師たちに経験者がいるわけもない。
そこで地域の方々の協力を得たのだが私のいた頃はお年寄りの男女がチームを組んで時期になるとお手伝いに来てくれた。
今は、私の行く床屋のすぐ近くに一枚だけ田圃があってそこで米作りをしている平さんが手伝っているという。
実はこの平さんはかって子ども達が南平小で学び私もかかわったので退職時に当時の校長に紹介をしたのだ・・・そのご縁がまだ続いているようだ。

平さんとは年に一回ぐらい床屋で会ったり、ラーメンカレーの「えびすや」で会ったりする。
そして、「ヨダ先生のおかげで今もお手伝いをしています」と嬉しそうに(?)に言われる。


yodaさんの投稿 - 17:48:56 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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