"友がき・級友列伝2"

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友がき・級友列伝2

創業者






我がクラスには日本では知らない人が居ない会社の創業者となった人が居る。
BOOK・OFFの社長だった坂本孝君だ。
今は新橋や銀座にある食の店「俺のイタリアン」「俺のフレンチ」などの立ち食いで高級な食事を提供するレストランを率いる社長である。
今回のクラス会には不参加。50年ぐらい会っていないので「友がき」と言えるかどうか分からないが中学生の頃は比較的仲が良かったので級友列伝として書いておく。
実は昨日SNSの投稿を観ていたら誰かが彼の事が書かれた記事を載せていたのだ。
写真も載っていて今から60年も前の中学時代の面影が残っていた。
記事は事実とは少し違うこともあったが、それはそれとして中学時代の思い出を書いて置く。
彼の家は甲府盆地の南の方に在り身延線の南甲府の駅の近くだった。
当時、私の母方の祖父の家もその近くにあったので行き来もあったように思う。
彼の家は精麦会社を営んでいて父親は甲府では実業家として有名であった。

私が中学に入学したのは昭和28年だが、その年にテレビの本放送が始まった。
もちろん各家庭にテレビなどがある訳もなく電気屋の店頭などに設置されているテレビを観に行ったものである。
人気の番組は大相撲とプロレスだったが伝説のヒーロー力道山の活躍はこの頃である。テレビの受像機は高価で家庭で買うなどほとんどありえない事だったが、この時点で坂本君の家には有ったのだ。
そこで、わがクラスメイト達は大挙して坂本君の家に押しかけて、主に相撲を観戦させてもらったのだ。
相撲放送は4時から6時頃なので学校が引けてから自転車で彼の家に行き応接室を占拠したのだ。
今思うと家の人達がよくぞまぁ厭な顔もせず我らを受け入れてくれたものだと思う。
時に、遅くなったりすると夕ご飯をごちそうになった事もあった・・・
カレーでご飯に麦が入っていて・・・ああ、精麦会社だからだと思ったものだ。
もう一つ忘れられないのは彼は「ラビット」というスクーターを持っていて乗せてもらったことがあった。
自家用車もあってそれがフォルクスワーゲンだった。

彼がBOOK・OFFを創業するまでには並なみならぬ苦労があり、会社を手放し新たに「俺の・・・」を創業するのだがこれも大変な事であったと推察する。
昨日読んだ記事の中に彼の一日のスケジュールが記してあったが起床が7時で朝食が8時は私も同じだったが、それからのスケジュールが出社、会議、来客、会食などぎっしりと詰まっている。
朝食が済んだらひと眠り、お昼を食べてまた眠る・・・などという我が怠惰な生活とはまるで違う。
彼は昨年11月に恵比寿に「俺のブレッド・カフェ」をオープンして1本1000円の生食パンを一日1000本売りあげているという。そしてこの店を銀座にもオープンして、ゆくゆくはニューヨークにも出店するとか・・・

絶えず未来を見据えながら進化し続けている77歳なのだなぁ・・・


yodaさんの投稿 - 17:14:52 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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