"かたくら通信・相撲"

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かたくら通信・相撲







酔っぱらいの喧嘩がなんだか大ごとになって連日のようにその経緯が報道されている。
ソロソロ終息させればよいと思うのだが、被害者の側がかたくなに口を閉ざしていて真相がさっぱり見えてこないようだ。
加害者は潔く罪を認めて自らその責任を取っているのだから被害者の親ともいうべき親方もへの字に結んだ口を開けばいいのにと思う。
どうやら相撲協会の勢力争いの図式が見えてきているが、「相撲道」などと気張らないで人々を楽しませる娯楽の一つと思えばいいのではないだろうか。

私はどちらの側にも加担するわけではないが、好き嫌いでいうと、加害者の日馬富士は好きな力士であった。
土俵に這いつくばるような独特な仕切りと、相撲取りにしては軽量でありながら、全身バネの様な機敏な動きで大男を投げ飛ばす技が好きだった。
また、彼の所属している伊勢ヶ浜部屋も好きで、40にも届こうかという安美錦の飄々とした態度、ふてぶてしく怒涛の寄り身をする照の冨士、マンマルコロコロの宝富士など個性的な力士が多いのだ。
この部屋を仕切る元横綱の旭富士は前回の理事長戦では貴乃花を応援していたはずなのだが、今は絶縁関係となったのだろう。

貴乃花は相撲に精神性を求め神事として神宿るようなことを言っているらしいが、今の若者たちにそれを求めるのは無理があり、ましてや異国から来た人たちに理解させるのは筋が違うような気がする。
勝負事はもともと、勝つか負けるかであって、そのプロセスと結果を楽しむものだ。
そこには駆け引きがあり、清く正しいことなどしていたら負けてしまうのだ。
そもそも明治以降日本文化なるモノに「道」という言葉が付いたためにずっと一つにまとめられて小奇麗になって妙な道徳観が付きまとってしまったのではないだろうか。
柔道、剣道、空手道、など道に統一されてしまって、小さくまとまり面白くなくなってしまったのではないか。
相撲はあまりそれは言われなかったがいろいろな事件が起こってからストイックになり道が付き始めたような気がする。
貴乃花は相撲界の改革を目指しているようだが、着地点が「道」ならばファンは離れてしまうのではないだろうか。
ひとつにまとまるのではなく善玉も悪玉もいていいのであって勝負に不正は有ってはならないが道を究めるなどという事はやめてほしい・・・途端につまらなくなる

77年生きてきた来し方を振り返るとくそまじめで清く正しくて融通の利かないやつは始末に負えなかった・・・

yodaさんの投稿 - 16:26:14 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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