"季節だより風だより・福井の豪雪"

02 / 09

季節だより風だより・福井の豪雪

承前






粟津温泉で列車はそれ以上先には進まない事が車内放送で告げられた。
けれど、温泉地とはいえここで宿泊というわけにもいかず、事の重大さに気が付いた。
すると、この先の福井方面までバスを出してくれることになった。
もちろん、一歩でも先に進みたいという思いで国鉄が仕立ててくれたバスに乗った。
父は気楽なものでこれもまた一興と楽しんでいる様子が見えたが、粟原から1時間ほど行ったところでそわそわし始めた。
トイレに行きたいというのだ・・・当時父は特に重篤な病気は抱えていなかったが加齢による前立腺肥大があってトイレが近かったのだ。
そこで、運転手に頼んで途中でトイレ休憩を入れてもらったが父だけではなくほかにも同じ思いをしていた人が沢山いた。
降りしきる雪の中をバスはひた走り、福井の駅に着いた時には夕暮れが迫っていた。
そこで、タカコサンがすぐに駅に付設していたステーションホテルに走って、ツインの部屋を二部屋取った。
他の乗客たちで同じようなことを考えた人もいてホテルはすぐに満室・・・間一髪だった。
ホテルが取れなかった人たちは駅の構内で一夜を明かすことになったようだ。
その時、福井市内はそれほど雪は積もっていなかったので、街まで出てみた記憶はあるが食事はホテル内で取ったのだと思う。
そして一夜明けると、窓の外が見えない・・・雪が窓を塞ぐほど積もっていたのだ。
一晩で1メートル近くの積雪があったのだ。
それこそ、生まれて初めての体験で雪に埋もれるという事はこういう事かと思った。
朝食を済ませて列車が動いたらすぐに出かけられるように準備していたところ、鈍行が一本出ることを知らされたが…前日の例もあるので見送る事にした。
すると1時間ほどして京都行きの特急が出ることが分かったので何はともあれそれに乗った。
後でわかったのだが先に出たこの鈍行は線路の安全を確認するために先行させた列車であったらしい。
京都までは順調にとはいかなかったけれどとにもかくにも無事に到着することが出来た。
京都駅に列車が入ると。多くの報道陣が待ち構えていて豪雪の中を無事に到着した列車として報道され、父はテレビのインタビューを受けていた

昭和55年その時父は74歳になったばかりで、母は64歳であった。
思えば今の私の年齢よりも下だったことになるではないか・・・
その頃の父は一応は医院を開業していたが医者としての仕事よりも、医師会やその他の役職の方に熱心であった。
それにしても74歳がすごく年寄りに思えたのだが・・・今の自分は他人にはどのように映っているのだろうかとふと思った。

やはり間違いなくジジイにみえるだろうなあ・・・・・



yodaさんの投稿 - 21:55:01 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック