"学びの窓・55歳"

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学びの窓・55歳

クラス会






金曜日の読書感想文コンクールの表彰式の後、教え子のN君と打ち合わせがあった。
N君は今から30数年前に町田市の鶴川の小学校で5・6年を担任した。
現在、毎日新聞に勤めていて、今回は同じ立場でコンクールに関わる事になった。
ちょっとやりにくそうであったが表彰式が終わったところで師・弟の関係に戻り、私の77歳記念の会を開く相談をしたいというのだ。
もちろん、祝う会などと祝賀は面白くないのでこれから先どのくらい生きるか分からないが、この際だから生前葬にしようかというのだ。
「鶴川の時の同学年でキリスト教の司祭になったやつと、どこかの寺で住職をやっているやつがいるので、お好みで来てもらってもいいよ」と言った。
まぁ、それもいいかなと思った。
まだ話は具体的ではないけれど、同級生のH君と東京駅の近くで会の打ち合わせのために会うので、私にも同席せよとの事だったのだ。

H君はM銀行に勤めていたが、今年の初め、銀行から出向を命じられ、幕張にある会社に行っているそうで、帰りに寄るのには東京駅が良いとの事であった。
思えば彼等は今年55歳となるので、H君は先陣を切って肩を叩かれたという事か・・・
ある程度の役職が付くと銀行などでは出向という形で次のポジションに移るのだそうだが、生涯一教師などと粋がっていた我が人生に比べると厳しい世界だと思った。

ちょうど6時頃に我らが待っていた喫茶店にH君はやって来た。
彼に会うのは実に20年ぶりであった・・・髪はシルバーグレーになっていたが、企業戦士として生き抜いて来た貫録と落ち着きが見て取れた。
今度の会社もやはり金融関係だそうだが、今の給与よりは多少下がるが仕事はずっと楽になると言っていた。
実は彼の父親は町田の鶴川で電気店を営んでる。、我が家の電化製品は全て彼の家から買っていて、昨年暮れには電気冷蔵庫の買い替えがあったばかり。
父親は一昨年亡くなって店は弟が継いで町の電気屋さんとして頑張っている。
彼とは会う機会はなかったけれどその動静はほとんど知っていた。

打ち合わせはすぐに済んだ・・・5月の連休が終わって梅雨に入るあたりまでに吉祥寺あたりで会場を探すそうだ。
ともかく私が今まで積み重ねてきた悪徳もあるので人が集まるかどうかが問題であって、まずはクラスメイトの住所を確認することから始まる。
20年ほど前に一度、集まったことがありその時の名簿が私の所にある。
けれどおそらくかなりの変動があるのではないかと思われる。
年賀状を整理すれば10人ほどは確かな消息は分かるが大阪、名古屋、岐阜、宇都宮など結構遠くに行ってしまっている人もいる。
マァ、私としてはどんな形であるにせよ、会を開いてくれるという事は有難い。
集まれる人で集まれば良いわけで、私を祝うのか送るのかどちらでもいい。
むしろ、彼等はちょうど55歳という節目で第二の人生が始まろうとするわけで、私の方からもエールを送りたいと思った。
N君もH君も堂々とこれまでの人生を生き抜いて来たことが伺えて嬉しかった。

けれど、どこかに小学校の頃の面影も残っていて時折その片鱗が見えて微笑ましくもあった。



yodaさんの投稿 - 18:12:37 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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