"季節だより風だより・東日本大震災"

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季節だより風だより・東日本大震災

3・11・7年前







スミレさんの白い馬は今日は休んで7年前の昨日のことを書いておきたい。

東日本大震災から7年の歳月が経った。
7年前のあの日のあの時のことは我がブログに書いている。
ちょうど揺れが始まった時にブログの下書きを書いていた。
「棚から本がバラバラ落ちてきた。何年ぶりかの大揺れである。先ずは風呂場に水をためたが・・・また余震。どうなることやら。」
ひとまずここまで書いて、その後の部分は夜に書いたのだが・・・「東北地方の被害は想像を絶する。津波の押し寄せて来る様は未曾有の光景だ。これから被害の実態が明らかになるのだろうが甚大であろう。我が家ではタカコサンがお茶の稽古に行って、まだ帰ってこない。小田急線鶴川から町田までたどり着いたことは分かったが横浜線は動くまい。誰か友だちの家に泊めてもらうように言ったがいまだ連絡はない。ホテルは勿論満杯。公衆電話、タクシーは長蛇の列。ようやっとつながった電話で言っていた。ともかく、無事は確認できたが・・・」
我が家ではタカコサンが帰宅難民となったが、幸い町田に住む友人と連絡が取れて一晩泊めてもらって、翌朝に帰ってきた。
被害の実態が次々と明らかになっていったが、地震や津波で被災を受けて、亡くなった人たちに対しては何とも言いようもない悲しみを覚えた。
ちょうど、その頃、東京都知事選に引退したと思った石原慎太郎が後出しジャンケンのように立候補を表明して、そのコメントの中でこの震災を「天罰」と言った。
そしてそのように言った自身が天罰を受けて、末路哀れとなった。
ともあれ、東北大震災で今もなお災害が続き、これからも先が見えない福島の原発事故。そこに家があるのに帰ることの出来ない人々のことを思うと切ない。
震災の後、計画停電が行われ、便利な生活を取るかそれと多少の不便はあっても安全を優先した生活か問われたように思ったが、結局,震災前と変わらぬところに戻りつつある。
福島原発の始末も見通し立たないまま他の原発の稼働も始まりつつある。

最近読んでいた雑誌の記事に興味あることが載っていた。
「変動帯に暮らす覚悟」(巽 好幸著・図書[岩波書店]所載)
先史時代にも大津波は三陸地方に襲ってきていたはずだが、縄文時代には人々の遺跡にはその痕跡がほとんどない。
けれど弥生時代になると津波堆積物が遺跡を覆うようになるというのだ。
縄文の人達は津波の被害を受けない高台に暮らしていた。
森や山の恵みを得やすいということもあったのだろうが、人々は津波の脅威を伝承していたのではないか・・・
一方、弥生人たちは「圧倒的な豊かで安定した生活をもたらす米の誘惑に負けた。だから人びとは稲作に適した低地に暮らし始めた(中略)当然の結果として弥生遺跡には津波襲来の痕跡が目立つようになる」
東北大震災の課題は実は現代の課題を突き付けられているのではなく先史の時代から連綿として続いてきた自然と人間の向き合い方の問題だったようだ。
縄文か弥生か、今の私たちの生活に選択を迫られているような気がする。

私は後に生きる人々のために不便が生じることはあってもより安全を取ってほしいと思う。私の子ども時代は停電は日常的だった。
7年前の計画停電も何とかしのぐことが出来たではないか
yodaさんの投稿 - 16:52:14 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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