"学びの窓・感想文"

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学びの窓・感想文

画一化







10月になってすぐに3・4年の児童の読書感想文を300篇ほど読む機会を得た。
この年になるまで沢山の感想文を読んできたが、このところ気にかかることが多い。
それは子ども達の文章が画一化して一つのパターンの中で書いているのである。
感想文と言うのは直接自分が体験したことを書くのではなく物語などを読んで間接的に体験したことを感想として書いて行くので作文の中では一番難しい。
それだけに一つの形の中にはめ込んで書いてしまえば書きやすいことは確かであるが、そこには書き手の個性のようなものが見えてこない。
その、画一化であるが、実は日本全国、北は北海道から南は沖縄まで同じパターンで書いているのである。

感想文パターンとは・・・まず、「私は○○という本を読みました」と書き、「この本を選んだ理由は」と続いていく。
それからその本の粗筋を書いて時々自分の感想を入れる。
そしてまとめとして、「将来○○のようになりたい」とか道徳的なことを大げさに書いてせっかく書いた自分の感想をこわしてしまうこともある・・・いわゆる蛇足である。
もっとひどいのは感想文が夏休みの宿題として課せられることが多いので、インターネットで文例が出たり、丸ごと感想文を引き受けてくれるサイトもあるそうだ。
子ども達の文章を読んでいて思ったのはその子どもの姿のようなものが全く見えなくなってきているのだ。
どうやら、私が現職であった頃と指導法も違ってきているし、自分を表現するよりも、実用的な他人に分かりやすい文章を書くことが主流になってきているようだ。
私と同じ国語の教師だったタカコサンにこのことについて話してみると・・・
今の学校ではプライベートに関わることなど書かせるのは個人情報でクレームがつくのだそうだ。また、私の現職の頃には「学級文集」を作ったり、子どもの作文や日日の行動などを伝える「学級だより」のようなものも上司に提出して許可を貰わないと発行できなくなっている。
どうやら世の中の情勢が変化してきていることもあろうが、個性の尊重を言いながら教育全体が委縮し画一化の方向に向かっているようである。

先般新しい内閣が発足して問題をいっぱい抱えた文科省の大臣も変わった。
そして新しい大臣の第一声が教育勅語云々である。
日本の戦後の教育の始まりは天皇の命に従い国の為に尽くすことを否定することから始まったはずである。
何か前世紀の遺物が復活して来そうで不気味である。

教育全体が一つの方向に向かっていつか来た道を歩んでいくようでいるようで不安になってくるのは私だけだろうか・・・

yodaさんの投稿 - 20:28:30 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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