"好奇高齢者野の生活と異見・老年"

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好奇高齢者野の生活と異見・老年

年相応







先日我が家を訪れてくれたモモちゃんのお母さんから写真が送られてきた。
全く気が付かないうちに撮られたものでモモちゃんに絵本を読んであげている姿であった。
そこには全く自然体でありのままの姿が映し出されていた。
実は自分の姿がどのようになっているかあまり意識したことはなかったが、時折テレビなどに映っている70歳以上の人の姿を見て自分を重ねてみる。
そしてこの人よりは俺の方が元気だと比べて勝手な判定をする。
概ね、75歳ぐらいの人を見ると、その姿勢、話し方髪の毛の具合を見て勝った負けたと口にして自己満足していた。

一人で、病院に行ける、買い物にも行っている、自分の着るモノは自分で選んでいる。
食べるモノだって我が家の賄いは全てやっている。
ただ、歩く速度が遅くなって散歩していてもほとんど追い抜かれる。
物事に対しての根気と気力が減少して取り掛かるまで時間がかかり、すぐにやめてしまうなど、衰えはあるが好奇高齢者としてはマシではないかと思っていた。
しかし、今回の写真を見て愕然とした・・・その姿のだらしない事。
まずは頬は垂み口元も明らかに晩年の父の顔つきと同じになっていた。
背の曲がり具合も同じで猫背である・・・そう言えば9月に入院した時に久しぶりに身長を計ったところ若い頃よりも3僂眥磴なっていた。
ふと、西東三鬼という俳人の句を思い出した。

          中年や独語おどろく冬の坂

中年の所を老年と置き換えるとピッタリの心境である。
この句は自分も50近くになって若いと思っていたのに肉体の衰えに驚きつぶやいてしまったという心境を詠んだ句だ。
先日、片倉駅から我が家まで階段と坂道を上ってきた時に同じ状況になったのだ。
思わず知らず独り言をつぶやいていたなぁ。

老病死は生きとし生けるモノの定めである。
年相応と言う言葉があるが送られてきた写真には78歳のその姿がまがいもなく写しだされていたのだ。
けれど、まだまだ物申す気力はあるぞ・・・それが止む時にはすべてが閉じられる時かもしれない。
絵本を読み聞かせている時傍らにはモモちゃんが居たわけで、目をか輝かせて聞き入っている姿も写っていた。




yodaさんの投稿 - 17:30:47 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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