"好奇高齢者の生活と異見・匂い"

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好奇高齢者の生活と異見・匂い

無臭・無菌







先日、もうすぐ5歳となるモモちゃんに絵本を読み聞かせたことを書いた。
そして、その折にお気に入りの本を持って帰ってもらった。
その後モモちゃんママからメールが入り家に帰って一番のお気に入りは「おならひめ」という作品だそうであった。
姫とおならの結びつきが面白くおならが音で表現され誰しもすることであるから自分と重ねて楽しんでいるのかもしれない。
それに、実際のおならには匂いも伴って来るので物語がリアルになってくるのだろう。

思えば今の世の中は屎尿などに関係する匂いを徹底して除去してしまったようだ。
私が子どもだった頃には家のトイレは汲み取り式であった。
町では屎尿を桶に汲み取り、大八車に載せて悠々と牛に引かせていた。
当然家の中にも街中にもその匂いは漂っていたがさほど気にはならなかった。
都会から離れて農村地帯にはその頃はまだ肥溜めなるモノがあって、汲み取った屎尿を畑にしつらえた大きな桶に溜めて発酵させて下肥として大切な肥料として使った。
それから昭和30年代から50年代ごろにかけてはバキュームカーが主流となり町からは匂いは消えて行った。
家の中でも芳香剤のようなものがトイレに置かれるようになりにおいを消すようになった。
余談だが、低学年の子どもを受け持っていた頃、校外学習で「秋を探しに」行ったところ、金木犀が風に乗って香って来たところ「あっトイレの匂いだ」と子どもの一人が叫んだ。

匂いを嗅ぐ行為は人間にとっては大切な機能であって、匂いによって危険を察知する事が出来るのだ。
特に食べ物に関しては腐敗臭のようなものを感知して食べるか食べないかを判断する。
また、有毒ガスのようなものをにおいによって察知するようにしている。
逆に食べ物などの匂いは味覚を刺激して美味しさの基準の一つでもあるのだ。
ところが現代社会は徹底してトイレ臭などを駆逐してしまって、化学で合成した匂いを押し付けてくるようになってしまっている。
と、同時に無菌を徹底するようになっていろいろな菌を除去するような事が進んでいる。
そのことが返って人間の本来持っている抵抗力のようなものを弱めてしまっているようだ。

これも、30年ぐらい前から顕著になった事だが、匂いと同時に唾を嫌う子ども達が多くなり、「唾をつける」事を極端に嫌がった。
私などは紙を配る時に指先に脂分が無くなってきているのでどうしても唾をつける事をしてしまい嫌がられた。
また読み聞かせなどでページをめくるときに同じ事をして注意されたこともある。
何か今の世の中が無臭、無菌社会へと進んでいるような気がしてならない。

そして、臭いモノには蓋をして知らん顔・・・政治の世界などではそれが顕著ではないか。

yodaさんの投稿 - 17:31:53 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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