"好奇高齢者の生活と異見・循環社会"

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好奇高齢者の生活と異見・循環社会

リサイクル







今から60年ぐらい前までの日本は循環型の社会だった。
特に農業に置いては屎尿が下肥として使われ野菜などの生育には欠かせないモノだった。今は農業はほとんどが化学肥料に頼るようになり、昔のような有機の肥料による栽培は希少なモノになっていて付加価値がついている。
戦争中には金属は供出させられ、竈の灰なども集められて使われていた。

もっと時代をさかのぼって江戸時代などは、あらゆるものが再性されて大事に使われた。
例えば紙であるが・・・和紙はまず反古となると襖の下張などに使われ、屑やなどと言う職業があって家々の屑の紙を集めて再生紙として利用した。(今の古紙回収と同じようなものだが)とくに江戸では浅草近辺に集められて「浅草紙」と呼ばれる紙となりそれらは落し紙として使われた(トイレットペーパー)
古着などもそれ専門の店があり、庶民の着物はそこでほとんど調達された。
また、もっと古くなると木綿などはオシメとして使われた・・・洗いざらして柔らかくなった布が赤ちゃんの肌にちょうど良いようだ。
百人一首の100番目は「百敷や古き軒端の忍にもなお余りある昔なりけり」順特院の歌だ。この歌をもじってざれ唄にして、「モモしきゃ古くなったら質に入れ、なお余ったら雑巾にする」などと口ずさんだものだ。
実は元歌の意味も良く分からなかったが、これはリサイクル歌だ。

今年、世界的な環境問題として問題となったストローの使用の禁止だが、私の子どもの頃は麦わらであった。
また、過剰包装でビニール袋や発泡スチロールのトレイなどは勿論なかったが、代わりに、モノを包むのには薄い経木が使われ、肉などを包む時には竹の子の皮が使われていた。
油、醤油、酒などを買いに行くときには徳利や瓶を持参したし、豆腐などを買に行くときにも小鍋を持参したものだ。
私が小学生の時、よくカレーのルーを肉屋兼レストランに買いに行かされたがその時は父親が戦地から持ち帰った飯盒を持っていった。

循環型の社会から消費社会への変貌は日本の高度成長と共にあったのは間違いないが、一つは人口の都市への集中によって、屎尿などの処理ができなくなり下水道の整備と共に臭いモノに蓋をされてしまった。
そしてそれが河川の汚れとなり環境汚染ともつながっていった。
21世紀となり、環境の問題が世界的な課題となっている昨今、消費社会から循環社会へと戻す試みをしないと間違いなく資源も枯渇して未来に生きる人達に大きな負の遺産を背負わせることになるだろう。

年の瀬、それも平成も終わりという時に幼児の絵本をきっかけに考えさせられた次第である。




yodaさんの投稿 - 17:19:10 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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