"かたくら通信・元号"

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かたくら通信・元号

平成30年間








いよいよ2018年も余すところ一日となってしまった。
そして、平成と言う元号も来年の四月いっぱいで終わるようである。
平成は30年間続いたが、私にとっては人生の半分を過ぎたあたりから始まったわけで、正直言ってあまり馴染の無い元号となってしまった。
そもそもこの元号と言うのが厄介で昭和までの出来事は何とか思い出すことが出来るが平成の30年間はアッと言う間に過ぎて行ってしまったように思えてならない。
出来れば新しい元号など決めないで西暦で通してしまえば良いと思う。

それでも思い返せばこの30年間にはいろいろな出来事があったようである。
まずは強く記憶に残っているのは1995年の阪神淡路大震災である。
その時、私はまだ寝床の中だった。
グラリと揺れた事は覚えていてそれで目が覚めた。
目覚まし代わりに付けているラジオの一報は神戸や淡路島方面で地震があり病院の棚からモノが落ちたというようなことを言っていた。
それが時間を追うごとに甚大な被害報道された。京都の大学に行っていた甥の安否が気になって電話したところ無事が確認された。
それから、2011年の3月11日の東北大震災は自室に居る時に体感した。
当日、タカコサンはお茶の稽古で出かけていて、結局帰宅困難となり町田の友人の家に泊まった。やはりこの地震は津波のすごさが今でも目に焼き付いている。
また、この災害により福島第一原発の事故はいまだ解決の見込みもなく周辺に住む人は自分の家郷に帰れない人もいる。
それでも、また、原発を再稼動させているこの国はどこに行こうとしているのかと思ってしまう。

天災以外の事件では同じ年に起こった地下鉄サリン事件は今までに経験したことの無いような衝撃を受けた。
この事件以前にオウム真理教による様々な事件が取り立たされたがよもやまさか宗教の団体がここまでやるかと驚かされた。
わが故郷の山梨が活動の拠点となり上九一色村などは昔から知っている所だった。
このオウムの一連の事件の終息を計った時の警視総監は私の卒業した甲府一高の先輩に当たる人だった。
オウムの事件も衝撃的であったがやはり今までになかった大量の殺傷事件が相次いだ。1997年の神戸の連続児童殺傷事件、翌1998年の和歌山毒物カレー事件、2008年の秋葉原無差別殺傷事件、記憶に新しい所では2016年相模原障碍者殺人事件、座間9遺体事件は昨年のことだ。
どれもこれも身勝手な犯行動機で何か殺伐とした世の中の到来のように思えてならない。

世の中の出来事で、心から良かったと思えるような事があまり思い出せないのはなぜだろうか・・・
平静ではない、平成の30年間、元号制度などやめてシンプルにすればもっと良い世の中が来るかも知れぬ・・・・
yodaさんの投稿 - 17:21:04 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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