"かたくら通信・結婚記念"

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かたくら通信・結婚記念

シアトルの娘







シアトルに住む娘からタカコサンのラインに写真が送られてきた。
ハワイのマウイ島で結婚18年目のお祝をした写真で大きなケーキの前で娘夫婦が微笑んでいた。
正月休みを取って二人でハワイに行ってきたのだそうだ。
とにもかくにも、幸せな生活を送っている事が伺えてよかった。
彼女は我がブログには何度も登場してきているが、娘と言っても血縁があるわけではない。
今から20数年前に縁あって我が家に2年間寄宿していた韓国のお嬢さんだった。
当時、彼女は山梨にある山梨学院の短大に通っていていよいよ卒業という時であった。
一応、留学生の身分であったが韓国には寄る辺となる人はいず短大の二年間もいろいろな事情があって、ほぼ働きながらの学びだったようだ。
けれど、短大を卒業して栄養士の資格を取ったものの、就職できる訳ではなかった。
そこで、さらに高みを目指して東京の大学に編入したいと思ったようだ。
短大時代は大変優秀な成績で、担当教授にもかわいがられていた。

私たち夫婦との接点は私の弟の紹介であった。
彼女が韓国から来日して短大に入学するために甲府にある予備校に日本語と受験勉強の為に通ったのだそうだ。
その予備校の理事長をしていたのが、私の弟で、彼女の能力を大変高く買っていた。
彼女は韓国の名門女子大に通っていたのだが事情があった中退せざるを得なくなって日本の縁故を頼りに来日したが、その縁も切れて孤立無援となった時に弟や件の教授たちが援助していたそうなのだ。
そこで、弟から東京での生活の為にアルバイトを探してやってほしいと言われたのだが、その事情を聴いて、編入する大学が我が家から近いことも分かって、もし面接して条件さえ合えば我が家に置いてやっても良いと言った。
そうして、私たちが初めて会ったのがちょうど今頃の時期だったと思う。

彼女はその時、アルバイトでトランプを使って恋愛占いをしていて客との占いが終わった頃という事で、その占いの行われた喫茶店で面接した。
今もその時の服装を覚えている・・・ちょっと派手目なスタジャンを羽織っていて、ジーンズのパンツでボーイッシュな印象を受けた。
チョットかまえている感じだったが、日本語はまだ十分ではないので悪印象ではなかった。
事情を聞いて行くうち、何か私たちの学生時代と同じような苦労をしていて、特に私は親からほとんど援助の無いままほぼアルバイトで大学を卒業したので、出来れば援助をしてあげようと思った。
タカコサンも同じような印象を持ったらしく,食と住を提供して、給料とまでは行かないがいくばくかのお金を払ってあげる。
その代り、我が家の家事全般を手伝ってもらうという事で話をまとめた。

この稿続く

yodaさんの投稿 - 16:55:38 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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