"かたくら通信・大学編入"

01 / 31

かたくら通信・大学編入

学業と生活








さて、いよいよその年の4月から新しい生活が始まった。
私たち夫婦は数年後に退職を控えていて、寄る年波もあって家事を手伝ってもらえるのは有難かった。
けれど実際に生活が始まってみると我らが考えていたほど彼女に時間的な余裕がなかった。まずは、朝早く起きて家事の一部を手伝うことがかなり難しいことが分った。
我らは遅くも7時半頃には家を出なければならないので、起床は6時頃で、朝食は7時には済ませなければならなかった。
けれど彼女はどうしても夜は勉強をしなければならないので、時に12時過ぎに就寝と言う事もあって6時に起きるなど無理であった。
最初の内はがんばっていたけれど、健康にも影響がでそうなので起床については学校に遅れないようにということにした。
朝の仕事は、食事の片づけやゴミだし、余裕があったら掃除という事にした。

生活していくうちにもう一つ,支障が起きてきた。
大学での学習内容の理解である・・・授業は殆ど日本語で行われるので、その理解がかなり難しいのである。
3年からの編入であるから、頼るような友達もなく、専門的な内容もあって耳で聞くだけでは理解できないことが出てきたようである。
そこで授業をテープにとって家に帰ってから聞き直すことを始めたが日本語独特の言い回しなどで苦労が絶えないのだ。
分からないことをそのままにしておくわけにもいかないので、そこでタカコサンが手助けすることになって専門的なこと以外は一緒に学んだ。
4年次になった時には日本語の授業にも慣れてきたようで、もともと理数系は得意で英語はアメリカ人と同じレベルの語学力だったので無事に卒業までこぎつけた。
それでも、経済的な事で苦労が多く、奨学金とアルバイトで学資を稼いでいた。
我が家では住むところの提供と食事の保証と小遣い程度のお金しかあげられなかった。
彼女のアルバイトは土日は甲府の知り合いで八百屋の手伝いのような事をして、長期の休みには韓国系の商社の電話番をしていたようである。
本当に困ったらいつでも言いなさいとタカコサン言っていたが、自分で頑張ってやりくりした。
しかし、就職活動の時のスーツとか関西方面での面接などの時の旅費など援助してあげていたようである。

ただ、今から20数年前というと韓流ブームになる前でお隣の国の人の就職となると現実は厳しくなかなか採用される通知はなかった。   
                    この稿続く

yodaさんの投稿 - 16:49:26 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック