"かたくら通信・就労ビザ"

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かたくら通信・就労ビザ

喜び








ともかく取りあえずは日本で就職するしかないので、何社か受けたが国籍の壁は厚く採用の返事はなかった。
そこでナントカ伝手のようなものはないかといろいろリサーチしたところ、短大時代の友人の父親が山梨県内で氷菓や洋菓子を製造して特別な商法で販売している某菓子メーカーの社長と懇意であることが分った。
そこで面接と受験をすることが出来て、優秀であることも分かって内定までこぎつけた。
しかし、その先に外国人であるが故の就労ビザの問題があるとは知らなかった。
年が明けて、3月には会社では新人達の研修も始まるという。
けれど、日本の外務省からの就労許可は下りなかった。
この間のイライラについては今でも思い出す。
お役所仕事というか、こちらの事情など全くお構いなく日時だけは過ぎていくのだ。
その間に彼女は自動車の免許を取るために教習所に通い始めて、最短で免許を取得した。
会社からの命令だったようだ。
彼女は3月には我が家から山梨に戻ってすでに研修のようなものを受け始めていた。
私は毎日家に帰ると郵便受けを見て通知が来ていないかどうか確かめた。
タカコサンはなるようになると思っていたようで私ほどイラついてはいなかった。
彼女は先のことを考えるよりも結果がでたらその時また考えると腹をくくっていたようだ。
どうやら、彼女の生い立ちや、その後の人生を見ているとどんな境遇にあっても、どんなことが起ころうともたくましく生きていくのだなと分かった。

結局、通知が来たのは3月25日過ぎだったと思う。
彼女はまだ就職は確定していなかったけれど会社が主催していた新人研修会の合宿に参加していた。
奇しくも、その研修会場が八ヶ岳の山荘のすぐ近くの施設で行われていた。

就労ビザの通知を見た時の喜びは今でもありありと覚えている。
私たち夫婦には子どもが居なかったので、受験、入学、就職ということの一喜一憂を味わうことがなかった。
通知を見た時電撃のようなものが身体の中を通りぬけていくよう思えた。
その日直ぐに会社に電話して、その通知をもって八ヶ岳の研修会場に届けた。
あの通知を手にした喜びを味わわせてもらっただけでも彼女との生活が報われたように思った。

それから2年間彼女はその会社に勤め主に商品開発の仕事に携わったようである。
ちょうど、その頃会社では商品を洋菓子だけでなく和菓子にも力を入れるようになって彼女が開発した和菓子が商品として並ぶようになった。
                        この稿続く

yodaさんの投稿 - 16:27:18 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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