"かたくら通信・8年間"

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かたくら通信・8年間

挨拶







実は私は娘の正式な名前を知らないのだ。
日本に居た時にはチェイさんと呼んでいたが、アメリカに渡ってからはジュンとなった。
タカコサンは知っているはずなのだが・・・これからジュンで書いていきたいと思う。

ジュンは日本に居たのは足掛け8年ほどだったと思うが、その間に多くの人に支えられて2つの大学を卒業し、就職までにいたった。
それは本人の人柄と努力による事が大きかったが、やはり何か人の心を引きつけるようなモノがあったのではないかと思う。
実は今から20数年前の日本では韓国の人に対する差別的な言動がまだ色濃く残っていた。
にもかかわらず、山梨の短大でも多くの友達や先生に親しまれた。
東京に来ても編入先の大学でもごく自然に溶け込んでいったようである。
そこである時、人間関係を築いていくコツのようなものを尋ねたことがあった。
すると「挨拶」と答えた・・・ともかく顔を合わせたら「おはようございます」「こんにちは」「さようなら」と声を出した。
編入先の大学で一番先に親しくなったのは正門前に居る警備員さんだったそうだ。
ともかく元気な声で挨拶すれば自然と良好な関係が出来上がっていくのだ。
意外と日常生活の中で挨拶をスル―してしまうことが多い。
特に高貴高齢者となってからは人とのかかわりを自ら断ってしまっているような所があるので、勤めて黙礼でも良いので挨拶するように・・・この稿を書きながら改めて思った。

ジュンは就職して2年で会社を辞めてアメリカに渡っていくことになる。
その間の事情については類推の域を出ないが、やはり国籍の問題や就労ヴィザの更新の煩わしさがあったようである。
あからさまな差別はなかったようだが、仕事が出来るだけに妬み嫉みなどもあり、仕事上での無理強いなどもあって時に就労ビザの更新をちらつかされたようだ。
ある時はどのような事情か分からなかったが病欠をしてその月の給料がマイナスとなったこともあった。
アメリカ行きについては偶々ご縁があってのことだったが日本での先行きよりもアメリカの方が夢を抱くことができたのだろう。
しかし、アメリカに渡ったからと言って安寧な生活があったわけではなく波瀾万丈が待ち受けていたのだ。
ある年、タカコサンとアメリカに訪ねた時に「私にとって八王子での2年間が一番安心して生活ができた」と言っていた。

彼女のアメリカ編はプライバシーの侵害にならない範囲でまた稿を改めて書いてみたいと思っている。





yodaさんの投稿 - 18:32:13 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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