"好奇高齢者の生活と異見・3月10日"

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好奇高齢者の生活と異見・3月10日

東京大空襲







金曜日から富山の大学に行っている孫のタイキが就活で来ている。
今朝は品川で企業の説明会が10時からあるというので7時に出かけて行った。
タカコサンは6時起きをして朝食の支度をしていたが私の起床は7時だった。
それでもいつもよりも早い目覚めだったが、タイキはすでに出かけていた。
居間に降りていくとテレビがついていて、東北大震災関係の報道が流れていた。
今日は確か3月10日のはずなのにと思ったが、いまだ復興はならずという内容であった。
特に印象的だったのは津波の被害を受けた市街地のかさ上げ工事が進行しているが実際にはその土地の持ち主はそこに戻ってくる予定はないというのだ。
ともあれ、そこで生活をしていた人達にとっては前途多難という事なのだろうか・・・

3月10日と言えば・・・東京大空襲の日ではないか。
1945年3月10日の未明東京の下町と呼ばれる地域に空襲があり10万人にも及ぶ人々が尊い犠牲となった。
今から74年前の出来事になるのだが、すでに人々の記憶の中では風化されてしまったのだろうか。
今日の朝刊(毎日新聞)にはそれでも東京の地方版に「東京大空襲 記憶をたどる」という見出しで21名の証言集が刊行されたという記事が載せられていた。
他の新聞はどのような扱いをしているかは分からないが同じような所だろう。
テレビ番組などではほとんど取り上げられることはないに違いない。

私は今から14年前に「スミレさんの白い馬」という作品を上梓した。
東京大空襲の日に焼け跡にスックと立ったまま死んでいた馬のことを書いた。
この話は実際に大空襲を体験された元同僚のS先生から聞いた話を元にしている。
先生は今年95歳となられるが今も矍鑠として私よりも元気である。
しかし、すでに東京大空襲を体験した人たちも少なくなり語り継ぐべきことも風化してしまっているのは否めない。
天災か人災かなどと比べるつもりはないけれど3月10日も忘れてはならない日だと思う。
実はこの日を境にして米軍の攻撃が焦土作戦へと変更されて無辜の人々も攻撃の対象となり広島、長崎の惨禍へとつながって行ったのである・
一夜にして10万人の犠牲者は人類史上最大だそうだ。

東京大空襲の次の日の新聞・・・1945年3月11日には「一時の不幸に屈せず断じて戦い抜け」(読売報知新聞)同じく3月15日の朝日新聞には「初期防火と延焼防止 最後まで頑張れ」と見出しが躍っていたそうだ。
最期まで頑張るとは・・・死ねよという事か。
今の時代不戦を誓ったはずの憲法の改正が言われている。
そして、東京大空襲を敢行したアメリカに追従して戦争への道が開かれていくような気がしてならないのだが・・・・
 
yodaさんの投稿 - 15:13:53 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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