"季節だより風だより・2011年3月11日"

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季節だより風だより・2011年3月11日

東北大震災







8年前の今日のブログを記しておく。

ブログを書いている時にグラリときた。
この日の始まりの文章は栃木県守山町で農業をやってた教え子のT君からの野菜が届きその中に卵が入っていたことから書き始めている(彼は今は千葉県一宮町に拠点を移してさいのね畑として宅配で農産物を販売している)

「前略・・・ぬれた新聞紙に包んである卵が3個。昨年、平飼いで始めた鶏たちがようやっとタマゴを生んだのだそうだ。普通は150日ほどで生まれるそうだが、彼らの鶏は240日で産んだ。2月21日のことだったそうだ。金曜日(3月10日)の朝生まれたタマゴを入れてくれたようだ。早速、タマゴかけご飯にした。甘い。
と書いているところで、地震。
棚から本がバラバラ落ちてきた。何年ぶりかの大揺れである。先ずは風呂場に水をためたが・・・また余震。どうなることやら。後略」

まだこの時点では事の重大さは分かっていなかったようである。
そしてこの日の日記には
「午後2時40分頃地震があった。かなりの揺れを感じたが5分ほどでおさまった。ところが東北地方では未曾有の大惨事となっている事が分かった。タカコは鶴川にお茶の稽古に行ったが小田急線鶴川駅で地震を感じたという。そのまま町田まで行ったが家には帰れず町田のSさん宅に泊めてもらう。」

この地震が大津波を伴った天災であったことは勿論だが、この時は福島の原発の事故は分かっていなかった。
そしてその事故が故にいまだ復興が成らず自分の故郷に帰れない人達が居ること・・・実は前述の「さいのね畑」のT君夫妻は就農を始めたばかりであったが福島の隣県であったがゆえに作った野菜を売ることができなくなった。
その上風評被害にも会い、ちょうど収穫期にあたった、ほうれん草を泣くなく遺棄したそうである。

今日は朝からどの報道機関も8年経った今を報じていたが阪神淡路大震災と異なって原発が故に復興の道いまだ遠しは何ともやり切れない。
特に福島県の大熊町は福島第一原発があり廃炉の作業が進められているというが、町の人口は約1万1000人ほどあったけれど2012年の避難区域再編で町民の96%が住む地域が帰還困難区域とされ、今も全町避難が続くという。
けれど、今春に避難指示が解除されると見込み地域にインフラなどを整備し町内帰還をそくすも、希望者は全人口の14パーセントぐらいだという。

実は大熊町については思い出がある。10年ほど前にオーストラリアに旅行した時にシドニーから1時間ほどの所にあるバサーストという町に行った折にこの町と大熊町が姉妹都市の関係を結んでいて毎年大熊町から小・中学生が来ていると聞かされた。
町が裕福でなければそのようなことは行われないと思ったがその時は原発のある町と知る由もなかった。

今も二つの町は姉妹関係にあるのだろうか・・・二つの町の交流がまた始まることを祈るばかりである。




yodaさんの投稿 - 17:12:12 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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