"好奇高齢者の生活と異見・500日"

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好奇高齢者の生活と異見・500日

東京オリンピック







いよいよオリンピックの開催まで500日となったそうである。
正直言ってそれほど興味があるわけではない。
私が子どもだった頃はオリンピックは「参加することに意義がある」と言っていたが今はメダルを獲ることに目標が変わってしまっているようだ。
ともあれ、真夏の暑い盛りの開催に大丈夫だろうかと思ってしまう。

ところで東京オリンピックは私が生まれた年の1940年に開催される予定でその準備が進められていたが、支那事変の影響から政府は開催権を返上したのだそうだ。
我が家にはこのオリンピック関連のモノが一つ残っている。
何の変哲もない湯呑である…静岡県の清水のお米屋さんが記念に配ったモノで「祝オリンピック」と転写されている。
これは戦争中に疎開してきた親戚が置いて行ったものであるが80年間(1939年に配ったモノらしい)一度も使われることなく棚の隅に置いてある。
おそらくこの時のオリンピックは国威高揚が目的で時はちょうど紀元2600年。アジアで初めての開催となるはずだったが開催されていれば太平洋戦争など起こらなかったかもしれない・・・と思うのだが。

続いては1964年のオリンピックだが、私はちょうど大学の3年で教育実習のさなかであった。
オリンピック競技をリアルタイムで見た記憶はないが、聖火リレーを子ども達と一緒に小金井街道に見に行ったことを覚えている。
この時のオリンピックは市川昆の記録映画で見ただけであった。
競技としてはバレーボールの優勝とマラソンの円谷幸吉選手の銅メダルが印象的であった。
バレーボールは鬼の大松監督とそのしごきに耐えた選手たち・・・特にキャプテンの河西選手が同郷であることもあった。
マラソンはエチオピアのアベベ選手の優勝が印象的で、銅メダルを獲った円谷選手がその後の競技の重圧に耐えられず自栽した。
彼の死の直前の遺書・・・家族に当てた文章が切なくメダル至上主義への疑問が今もある。

ところで2020年のオリンピック招致をもくろんだ元石原慎太郎都知事がここにきてとんでもないことを言いだした。
『復興五輪』という理念は「俺が言いだしたのではない」というのだ。
2011年6月の都議会の所信表明演説で招致を言い、その中では当然大震災からの復興が述べられていた。
「大震災から立ち直った9年後の日本の姿を披歴すれば世界中から寄せられた友情や励ましへの何よりの返礼となるに違いない」と強調したという。
けれど都知事の演説は事務方が練り上げた文案だそうである。
「おれは五輪を復興に結び付けたいとは思わなかった、役人のレトリックだろ」とここにきて言っている。
文案を役人が作ろうが作るまいが、演説したということはそれを認めての発言のはずだ。何をいまさらと思ってしまう。

この人はいつも肝心なところで責任を取らずに逃げてしまう人なのだ。






yodaさんの投稿 - 17:55:11 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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