"好奇高齢者の生活と異見・浮浪児"

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好奇高齢者の生活と異見・浮浪児

棄民







今日の朝ドラでは主人公が養家から家出して帯広の町に出て靴磨きをしているところを警察に保護されるがまたそこから逃げる。
そして回想の場面で浅草の孤児院が出てくる。
兄と二人で収容されていたのだが子ども達のことを「浮浪児」と呼んでいた。
私の子どもの頃にもその「浮浪児」という言葉は生きていた。
思えば何とも酷い名前ではないか・・・今も浮浪者という言葉はあるが同じ「浮浪」でも全く意味が違う。
浮浪者は何らかの事情があっても、その事情には自分の責任や選択があるのだ。
けれど、浮浪児は戦争で親や家族を亡くしいやおうなしに浮浪せざるを得なかった。
それも子どもである・・・国によって見捨てられた子ども達で棄民ではないか。

私が高校生の頃、所属していたクラブ活動はハイスクールYMCAと言ってキリスト教の組織であった。
この活動では毎年夏に山梨県の北にある瑞牆山麓の施設に奉仕活動に行っていた。
そこは「天使園」と言って戦後間もなく当時の法曹関係の人が開園した養護施設だった。
山麓を開拓して自給自足を目指しながら多くの戦災孤児達を収容していたのだ。
私がこの施設に係ったのは昭和30年代の後半だったがその時にはすでに戦災孤児達は卒園していて別の事情の子ども達であったが・・・
私たちの活動は孤児たちに勉強を教えたり、牧場の開拓や施設の建設に携わった。(先輩たちは実際に戦災孤児とかかわったようである。)
今で言うボランティア活動の走りのような事だったが私が教師となった理油の一つにもしかしたらこの活動が関係していたのかもしれない。
実は私の高校生の時のほんの数年前には今朝のテレビのような世界があったのだ。

そしてもう一つ・・・アメリカ兵にモノをねだる場面が出てきた。
当時、アメリカ兵がジープでやってきてガムやチョコレートを車上よりばらまいた。
子ども達は手を伸ばして「ギブミイチョコレート」とねだった。
私は山梨の辺鄙な片田舎に住んでいたが甲府からアメリカ兵がやってきて同じような事をしていた事をオボロに覚えている。
チョコレートも欲しかったけれど初めて見るアメリカ兵が恐かった。
いわゆる碧眼紅毛で鬼のように見えた・・・今もそのトラウマで西洋人は苦手でまともに目を合わすことが出来ないのだ。
また、その折にばらまかれたチョコレートの茶色の包み紙が忘れられない。
勿論、私なんぞがゲットできる訳がなかったが・・・ハーネスのチョコレートだろうが今でも私の中ではハーネスはチョコの王様だと思っている。

今回の朝ドラを見ながら様々な想いがよみがえって来るのだ・・・




yodaさんの投稿 - 16:39:52 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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