"好奇高齢者の生活と異見・棄民"

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好奇高齢者の生活と異見・棄民

満蒙開拓団







月曜日、たまたまお昼の番組を見ていたところ、この日から一年間にわたって倉本聡の脚本による昼のドラマが一年間にわたって放映されるということでその一話であった。
「やすらぎの刻」がドラマの題名で以前、「やすらぎの郷」というドラマがあってその続編だそうだ。
「やすらぎの郷」はその題名は聞いた事はあったけれど観たことはなかった。
往年のスターたちが出るドラマで、その人達はほぼ私と同年だったので今更・・・と思って意識して観なかったのだ。
けれど今回、続きのドラマの発端を見てちょっと驚いている。
「やすらぎの郷」という老人たちの施設に住む脚本家が描くドラマの内容が満蒙開拓団で集団自決をした村の生き残りの姉妹を主人公にするというのだ。
ドラマの始まりで前後の関係は全く分からないのだがこの姉妹の住んでいる所が山梨の田舎という設定なのだ。

満蒙開拓と言えば山梨県からも沢山の家族が渡満していった。
その中で満州で新しく作った村が1945年8月のソ連軍の侵攻によって村民のほとんどが集団自決したという事実があったのだ。
「豊村満州開拓団の集団自決」と言われ1945年8月17日開拓団の約140名がダイナマイトによって爆死したという。
その時、生き残ったのは当時5歳だった人で中国残留孤児として生き延びた。
このような悲劇は満蒙開拓団の各所であったようで国策で大きな夢を抱いて渡満した人達が敗戦と共に現地に置き去りにされたのだ。
元々開拓した土地は現地の人々の所有だったものを取りあげてしまったので現地の人々の憎しみをかっていたのだという。
日本の政府は敗戦が濃くなった時には軍隊や国の関係者はさっさと引き揚げさせた。開拓団の人達は取り残されてしまった・・・まさに棄民である。
運よく日本に引き揚げてくる事が出来た人達も新たなる開拓をしなければならず未開の荒れ地を耕作地として与えられた。
我が八ヶ岳の山の家の辺りも戦後、満蒙開拓で帰ってきた人達が八ヶ岳南麓の国有地を払い下げられて切り開いたものなのだ。
けれど、後継者がいないために農業を放棄してその地を私の父は譲り受けたのだが・・・

実は、私の伯母は南米のペルーに移民として渡って行ったのだが、戦争によって夫君と別れ別れとなり(女性は現地に残り男性はアメリカの収容所に送還された)結局離別ということになってしまった。

このこともある意味では国による棄民ではなかったろうか。




yodaさんの投稿 - 16:50:23 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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