"好奇高齢者の生活と異見・令"

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好奇高齢者の生活と異見・令

天皇制







廃仏毀釈の嵐が一番苛烈に吹き荒れたのは隠岐の島と佐渡島だったそうである。
隠岐では幕末に存在した寺院が106ヵ寺あったものが0となり、その後その半分以上が復興していないそうだ。
何故そのような事が起こったかというと島嶼であったがゆえに閉鎖された空間で情報が行き届かなかったのだ。
隠岐の場合は京都に出て儒学を学び尊王を信奉した中沼何某というリーダーがいて私塾を開いていた。
彼は神仏分離令が出されると島内の若者たちと「正義党」を名乗り廃仏毀釈を徹底する。
一方、佐渡では越後府権判事という役人で長州藩出身の奥平何某が権力をふるった。
奥平は島内にあった寺院500ヶ寺を80ヶ寺にまとめるように命じた。
その際に島民の感情や土地の現状など一切顧みず情け容赦なく断行したそうだ。

隠岐では強力なリーダーによって、佐渡では絶大な権力を持つ者によって「令」が断行されたわけだが、その間の年月2〜3年ぐらいだったという。
各地の廃仏毀釈も1868年に「神仏分離令」が出され、1870年頃にピークとなり1876年頃に終息を迎えたという。
それでも何でもその傷跡は大きく、近々では2001年にタリバンがバーミヤンの磨崖仏を破壊したことを想起させる。
また、中国における文化大革命なども同じような愚行だったかもしれない。
いずれにしろ、今住む現代においても新しい形での「令」による廃仏毀釈に匹敵するような事が起こりうるような可能性を秘めている。
特にIT時代が言われネット社会が浸透していて、SNSなどによる拡散の恐ろしさは枚挙にいとまがない。
これが権力を持つ者に悪用されると個人など吹き飛んでしまう。

特に先の天皇は30年かけて象徴天皇はどうあるべきかを考え実践されてきたと聞く。
そして現天皇もその道を継承されて、くれぐれも神にならないように・・・
天皇制そのものも、この先どのようになっていくのか危ういものを持っているようだが、かつぎあげられて「天皇の名のもとに・・・」などとならないように願うばかりである。
天皇制そのものについて受け継がれて来た文化として継続されることに異を唱えるつもりはないが、憲法に定めている「象徴天皇」の域をこれからもずっと堅持してほしいと願う。

改元を機に偶々読んだ本からいろいろな事を考えさせられた・・・・






yodaさんの投稿 - 18:14:38 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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