"かたくら通信・8月15日の卵"

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かたくら通信・8月15日の卵

物語る







ちょうど昨年の今頃ブログで甲府の空襲を題材にした物語を書いていた。
主人公が3月の末に学童疎開から東京を経て甲府までやってくる。
理髪師の資格を持つ母親が3月10日の東京大空襲で被災して知り合いを頼って甲府にやってきていたからだ。
母親は甲府の町で理髪店の手伝いをしていて我が子を呼び寄せたのだ。
物語はちょうど主人公の勝彦が甲府の駅に降り立ったところから始まっていく。
転入した学校はアイセイ国民学校といい、モデルは今回の心旅で取り上げた甲府市立相生小学校だった。
勝彦は新しい学校で様々な出来事に出会いながら運命の日1945年7月7日の七夕空襲と呼ばれる甲府の空襲を迎えようとしている。

この空襲は甲府の町の70パーセント以上を焼き尽くし1500人にも及ぶ死者を出している。
甲府盆地という特殊な地形のために市街地のほとんどが焼き尽くされて、戦前の面影はほとんど残っていない。
日本各地の地方都市としては静岡県浜松市に次ぐ被害だそうである。
私は直接体験はしていないが、この日のことは良く覚えている。
甲府からは40キロぐらい離れた父の実家で赤く染まった東の空を眺め、上空をB29が飛んで行く爆音を聞き、姉に手を引かれて防空壕に入った。
母は次の日自分の実家がどうなっているか安否を尋ねるために甲府まで出かけたが行き着くことが出来ずに帰ってきた。

私の物語はこの年の5月の終り頃で連載を中断して今に至っている。
理由はいろいろあるが取材が頓挫した事もある。
さて、ここで「戦争云々」のような言動が若い政治家から発せられることを思うと、なんとしても続きを書かねばならぬと思う。
もう、私にも残された時間がそう多くあるわけではないので今まで語ってきたことをベースにしてつづきの物語を・・・
せめて鎮魂の意を込めて7月7日ぐらいまでには空襲の惨禍を語りたいと思う。

ちなみに私の付けた物語の題名は「8月15日の卵」で、実はこの題材ではすでに何年か前のブログに書いているのだが、1945年3月末から46年の3月までの戦中から戦後の再生の物語を意図して再度構成をしなおして書き始めたのだが・・・もう一度奮い立ちたい。






yodaさんの投稿 - 17:29:44 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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