"故郷の空・幻の町"

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故郷の空・幻の町

村松新道






私が小学校3年の6月から20歳になるまで過ごした村松新道。
ここは甲府の大商人であった村松さんという人が持っていた地所だった所に大正時代に出来た新しい町であった。
行政区でいうと、私が住んでいた頃は、柳町、鍛治町、桶屋町が混在していた。
昭和24年にこの地に移り住んだので戦前の事は全く分からないが、新道というくらいなので、抜け道のような一方通行で多少猥雑の感じのする町だった。
猥雑は・・・いかがわしい飲み屋が何軒かあって、夜遅くまで酔客が通り、あいまい宿のようなところもあったのだ。
ただ生活するのには便利で、徒歩で行ける範囲に八百屋、肉屋、魚屋があり飲食店も各種ある事は昨日も書いた。
新道の中心あたりに「金山さん」と呼ばれる神社があり、鍛治町の守り神で境内がチョットした広場になっていた。
そしてそこが子ども達の遊び場で境内で三角ベースの野球場になったり、時にメンコ、ビー玉の勝負をする賭場になったりした。

6月初めに鰻を食べに一年ぶりに訪れたが・・・新道は見る影もなくなっていた。
都市計画で新しい道路が新道の入口から中頃にかけて斜めに切り取っていたのだ。
聞けば西から東にかけて4車線の道路が貫くそうで甲府の街全体が大きく変わるのだそうである。
甲府の街は戦国時代に武田氏が滅亡して徳川時代に今の甲府駅の付近を中心に城下町が形成され、江戸の中期からは城主を置かず徳川幕府の天領となった。
街は城下町らしく、整備されて、江戸の名残の町名がいくつもあった。
先日ブログに書いた太宰治も甲府に何年か住んだことがあり甲府を舞台にした作品もある。

「新樹の言葉」という作品。『甲府はもっとハイカラである。シルクハットを倒さまにして、その帽子の底に、小さい小さい旗を立てたそれが甲府だと思えば間違いない』と表現している。そしてさらに「きれいに文化のしみとおったまちである」と続けている。

もちろんこの甲府の街は戦前の街であるが、今の甲府の街を太宰が見たらどのように表現したであろうか・・・「きれいに文化がしみとおったまち」ではないことは確かだ。
戦争によって街の70%以上も焼失してしまったので江戸の面影など残しようもなかった事は分かるが、碁盤の目のようにそろっていた街並みが今やズタズタ。
昔あった町名もほとんど変わっていて、柳町も鍛治町も桶屋町も代官町も全て中央という町名に代わってしまった。
どうやら、甲府の人々は古いものにこだわらず新しい物に飛びついて行く気質があるらしい。
わが町村松新道は今やその名も無くなってしまっているのではないだろうか。

けれど、金山神社だけは今もヒッソリと残っていたが、人影は全くなかった。


yodaさんの投稿 - 16:25:44 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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