"故郷の空・城下町"

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故郷の空・城下町

甲州人








甲府の街は今年は開府500年だそうである。
武田信虎が甲府の北に位置する躑躅が崎に居を構えてちょうど500年となるのでそれを記念して様々なイベントがあるようだ。
しかし、残念ながら城下町としての史跡のようなものは甲府城跡以外はほとんど残っていない。
それも、武田氏とはあまり関係はない。

武田氏の滅亡によって甲府の街は徳川の支配となり、当初は城主も置かれたようだが、柳沢氏が大和郡山に移封されたのちは城主はおかず幕府の直轄地となり、城代が治めるようになり、甲府勤番という制度が出来上がった。
この勤番なるモノは「山流し」と言われ江戸で不始末を犯した御家人などが甲府の地に追いやられたと言われている。
城下町と言っても城主もいない勤番もどちらかというと不名誉となると、住む人々は戦国の勇将武田信玄の遺徳をしのび、江戸時代の城下にはあまり愛着はなかったかもしれない。
そこで今も甲府を語るのは武田氏のことばかりで特に武田信玄は甲府の人にとっては神であり、呼び捨てなどはもってのほかで信玄公と尊称する。

今の甲府城跡は江戸時代の直轄地の頃のモノで、天守閣はなかったようだ。
町は城下町としての体をなしていて町名などもそれらしく武家の系統では代官町、百石町、二十人町などがあった。
町人や職人が住む町として細工町、大工町、鍛治町、桶屋町、紺屋町などもあった。
商人の町として連雀町、三日町、八日町、魚町など。
私の住んでいた町は柳町だが粋筋の町だったようだ。
けれどその町名は昭和30年代にほとんど無機質な中央とか丸の内とかに替えてしまった。
どうやら甲府の人達にとっては城下町としての愛着はなかったようだ。

城主が居なかったこともあって武家の文化は継承されず特に茶の湯のようなものもあまり聞かない。
茶の湯があればその地独特の銘菓があるのだが、皆無と言って良い。今は甲州銘菓として「信玄餅」があるがあれは昭和40年代に出来た菓子だ。
それ以前は「月の雫」というブドウの銘菓あったがそれも昭和になってからのモノだ。
武家の文化は栄えなかったけれど、町人文化は盛んだったようで、特に歌舞伎などは甲府で当たれば江戸でも当たると言われたそうだ。
文人墨客なども多く来甲して俳諧なども盛んで、また北斎、広重などの絵師たちも滞在して引幕のような作品を残していたようだが戦災で焼失。

昨日は甲州人が・・・などと書いたがどうやら城下町とは名ばかりで城主が居ない分人々は自由を謳歌していたのかもしれない。
古いものは壊して新しい物に飛びついて行く気質は幕府の天領だったのでその分、自由人が多かったのだ・・・
幕府の体制が崩れて世が明治となって今に至るまで甲州人たちの活躍は目を見張るものがある。
いわゆる甲州財閥と呼ばれその流れは電鉄会社として存続している。スカイツリーの東武鉄道も宝塚の阪急電鉄も創設は甲州人だ。
戦後の政商と言われた国際興業の小佐野賢治も甲州人。




yodaさんの投稿 - 16:58:18 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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