"かたくら通信・無縁社会"

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かたくら通信・無縁社会

人間関係






今回の入院は9泊10日だったが病室という小さなコミュニティーにも現代社会の縮図のような人間関係の薄さのようなモノを感じた。
部屋は差額料金なしの4人部屋でベッドは全てふさがっていた。
私は新参だったので一応みなさんに挨拶をしたが同年ぐらいの人からは返事が返ってきたが若い人は顔も合わせようとしないで無言だった。
各ベッドはカーテンによって仕切られていたがどの仕切りもキッチリと閉めらていて他人を寄せ付けないバリアーのようなモノが張られているように感じた。
また、見舞いに訪れた家族と思しき人も散々喋って帰る時も「お騒がせしました」などの挨拶もなかった。

30年ほど前に急性の胆嚢炎の手術でH市立病院に入院した時には6人部屋だったけれど患者同士の関わり合いがあって助け合いもあった。
特に食事の時の後片付けなどは元気な人がやってくれたりした。
日中は仕切りのカーテンを開けておしゃべりもした。
退院した後も通院で来た時に懐かしそうにお見舞いに来てくれた人もいた。
同病相哀れむではないが苦しみを分かち合い励まし合ったものだ。
その時知り合った人と今でも賀状の交換などもしている。

この30年の間に世の中が人と人のかかわりを薄くしてしまったのだろうか・・・
少子高齢化や若者の意識の変化、地縁血縁の崩壊などが進み社会全体の構造が変わりつつあるのは確かである。
加えて個人情報保護法などが制定されてプライバシーの保護が厳格化されている。
それと共にニートや引きこもりなどという言葉も生まれて孤立化していく人々も増えているようである。

今回の入院で私と同じ病気であるらしい若者と9日間一緒であったが一言も口をきく事がなかった。
彼は私だけではなく同室のほかの人にも同じ態度であった。
私よりも1日早く退院していったけれど、その間に誰かが訪ねてくることもなかった。
退院の時も一人でごそごそと荷物をまとめていていつの間にかいなくなっていた。
見事に他人との関係を拒絶しているように思えた。
良い悪いではなく今の社会の一つの形なのかと思った。

カーテン越し垣間見えたのは、いつも寝そべってスマフォの液晶の画面を観ている姿であった。


yodaさんの投稿 - 17:57:01 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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