"八ヶ岳南麓だより・M君の話2"

08 / 23

八ヶ岳南麓だより・M君の話2

少年よ大志を抱け







M君の祖父(姉の舅)の出身は私の故郷切石の隣村の西島だ。
今は町村合併で同じ町内となり身延町西島となっている。
この西島は和紙の産地で書道用の半紙を漉いている工房が何軒もある。
武田信玄の治世の頃からの産業だったそうで歴史は古い。
ここの出身で終戦時に天皇を戦犯にしないように尽力した人がいたという。
笠井重治と言い1986年(明治19年)生まれで17歳で渡米する。

彼は甲府第一高等学校の前身である甲府中学を卒業している
彼の渡米の動機は当時の甲府中学の校長だった大島正健の薫陶によると言われている。
この大島校長は札幌農学校でクラーク博士の教えを受けて「少年よ大志を抱け」を教育実践のもっとうとした。
大島の教えを受けた生徒に石橋湛山もいて甲府一高の伝統の中に受け継がれている。
私も高校時代には何度も大島校長のことを聞かされた。
玄関の近くには「少年よ大志を・・・」の石碑があったように記憶する。
残念だが私は大志も抱かずちまちまと生きてきたが・・・

それはさておき、笠井は渡米してシカゴ大学、ハーバード大学を卒業し帰国後、東京市会議員、衆議院議員などになり先ずは日米開戦の回避に動いた。
戦後はアメリカ時代に培った人脈とマッカーサー元帥とも親交があり、昭和天皇を戦犯とするという動きに歯止めをかけたのだそうだ。
「天皇を救った男 笠井重治」(七尾和晃著・東洋経済新社)という評伝もあるそうだ。
その後、日米文化振興会の会長を務めたり、日本のフリーメイソンの会員として活躍もしたようである。

笠井重治の名前は以前どこかで聞いたことはあったが、それが同郷の人であることはM君の話で初めて知った。
それにM君とは同性でどこかで縁戚の関係があるかも知れないといっていた。
今回のM君の話で身近なところに思いもしなかったような歴史が潜んでいる事が分かって大変面白かった。
それも、ある意味では国の運命に関わっているような人が身近にいる事が分かり、発掘すればまだまだ何か出てくるかもしれないと思った。

私の祖父の弟で次郎と言う人がいたのだが、この人も甲府中学を卒業後にアメリカにわたりニューヨークの邦字新聞の記者をしていたそうだが、現地で客死してしまう。
この人のことなども調べて見ると何か面白い事が分かるかも知れない。





yodaさんの投稿 - 17:35:49 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
コメント
コメントはありません
コメントを追加
このアイテムは閲覧専用です。コメントの投稿、投票はできません。
トラックバック