"八ヶ岳南麓だより・槐多と私"

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八ヶ岳南麓だより・槐多と私

槐多との出会い








私が村山槐多という名前を知ったのは今から60年ほど前のことである。
高校を卒業して大学受験に失敗した浪人1年目か2年目の時だと思う。
日本の詩歌という本に出会ってその中の村山槐多の「槐多が歌える」という詩を読んだ。
作者が私と同じぐらいの年齢の時に歌ったもので22歳の若さで亡くなったという事に衝撃を受けた。
そしてそれから20年ほどして至文堂出版社から「日本の美術」という雑誌が出ていてその一冊に「村山槐多と関根正二」がある事を知った。
2人は夭折の画家という括りであった。
そこで初めて槐多が画家としても有名であることを知ったのだ。
そして1981年10月に新宿の小田急ギャラリーで「夭折の天才画家関根正二と村山槐多展」があり本物の絵を見る事が出来たのだ。
その時の印象は上手とか下手とかを超えて短い生涯を燃焼しつくした魂のようなモノが迫ってきて私の中では忘れがたい画家の1人となったのだ。
そしてその時観た絵の中で最も印象に残ったのは、最晩年・・・と言っても22歳であるが・・・に描いた彼が終の棲家とした代々木付近の雑木林の中の松の木の絵だった。
雄々しく空に向かって立っているのだが周囲の風景は何となく陰鬱で暗い。
その時何となくこの風景を描いているボロボロになった槐多の姿が見えるような気がした。
それまでいろいろな絵を見てきたけれど、このような体験は初めてだった。
それから、槐多の絵は処々で見る機会はあったけれどこの松の木には出会う事はなかった。
出来るならこの世からおさらばする前にもう一度あの絵の前に立って見たいと思っていた。

そして、「村山槐多展」が岡崎の美術館で開かれるのを知ったのは今年になってからだ。
けれど、体調は絶不調で出かけて行く気力も体力もなかった。
ところが、この展覧会が村山槐多のゆかりの地の上田市立美術館でも開催されることを知った。
ちょうど、夏の間中の7月末から9月1日までで前期・後期の2期にわたっての開催である事が分かった。
そして岡崎での展覧会を機にNHKの新日曜美術館で「火だるま槐多〜村山槐多の絵と詩」という番組が放映された。
この時何が何でも上田市立美術館に行きたいと思った。
けれど折悪しく浮腫で10日間の入院の憂き目に遭い、とても一期の7月末からの開催には行けそうもないと思った。
そして後期もほとんど無理だろうとあきらめた。
けれど奇跡のように8月24日(土)に上田まで出かけて行って村山槐多に会う事ができたのだ・・・無常の喜び、冥途の土産。




yodaさんの投稿 - 16:56:08 - カテゴリー: 依田先生の徒然日記
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